ウェア・ヴォルフ
数日後
1日の作業を終えたアレイは自室の電動リクライニングソファを傾け、
リラックスしながら空中に浮かんでいるホログラフを見つめていた。
胸元に貼り付けてある通信、ホログラフの投影が可能な菱形の端末で、メインコンピューターに蓄積されてある膨大なデータの中から、ファンタジー物の小説にアクセスし読み耽っていたのだ。この少女は小説を読むのが趣味なのだろう。
――どれくらいの時間が経ったのか、疲れと、リラックスした状態で小説を読み耽っていたせいなのか、緩んだ口元から涎を垂らし、うとうとと眠りかけていた。――少々だらしのない少女である。
そんなゆったりとした時が流れていた空間に、それは突然響いた。
『ピッ、警告、アラート2』
胸元の菱形端末からウメチルの警告が発せられたのである。
半ば眠りかけていたアレイは目をぱっと見開き、傾けていた電動リクライニングソファの角度を手元のスイッチで操作し、ゆっくりと起き上がると、?、涎を左手の甲で拭いながらブリッジへ向かって、走り出していた。
数分後ブリッジに入室したアレイは、ふわりと操縦席に座ると一息をつき指示を発した。
――ウェアも遅れてサブ操縦席へ着座する。
「ウメチル状況報告」
『状況報告、前方300万キロの空間に広大な小惑星帯を感知』
「ウメチル、回避プランを思考」
『1.船首垂直6時、12時方向へ進路を変更 2.リムドライブ航法による当該空間のジャンプ』
「進路変更はかなりの大回りになるなぁ…ここはリムドライブでいいんじゃないか?」
腕を組みながら真剣な顔で助言を挟むウェア。
(今まで何度もリムドライブはしてきたし問題は――ないか…)
――アレイは暫く考えると
「オーケー、5分後、1光年のリムドライブ航法へ入る」
『了解』「アイサー」ウメチルとウェアの声が重なる。
5分後、いつになく真剣な顔をしたアレイの声がブリッジ内へ響く。
「ジェネレーター出力40パーセントへ、リムモーター始動、リムフィールド展開」
『了解』
船体内部ではジェネレーター本体がまばゆい光を徐々に強め始めると同時に、リムモーターがシューンという低い音を発し、船体内部エネルギーが急速に上昇する。
同時に船体外部を泡状のリムフィールドが包み始めた。
「ジェネレーター、リムモーター、リムフィールド、各部異常なし」
サブ操縦席からウェアの状況報告が入る。
「ウメチル、最終チェック」
『クリアー』
目の前に浮かび上がったホログラフの表示を見ながら、左手に船体操縦、右手に兵装用のスティックを掴み、両方のスティックをぐっと持ち上げる様に引き上げると、内側へ90度倒し前方へ押し込みながら、呟く様に声を上げた。
「ジャンプ、スタート」
一瞬、シリウスの船体はその場に残像を残すように急加速を始め、前方に出現した青白い光の中へ高速で吸い込まれて行く。
光の中に吸い込まれた直後――前触れもなくそれは起きた。
ウメチルが突然警告を発したのである。
『警告、アラート5』
「!?、ウメチル!状況報告!」
『各種機器、センサー正常稼動、正常にリムドライブ航法中、船体外部、内部共に異常は認められず、アラートレベル5で更新中』
サブ操縦席から各種計器類をチェックしていたウェアの報告が入る。
「リムモーター、リムフィールド、その他計器類に異常なし」
(どうなってやがる、誤報はありえないだろうが…)
「ウメチル、再度状況報告!」
「どういう事な――」
呟くより早くアレイの目の前の景色が、いや、周りの空間がぐにゃりと歪みはじめ、不意に目の前が暗くなったかと思った。――瞬間、体に衝撃を受け操縦席から弾き飛ばされ、360度モニターに叩きつけられていた。
反動で叩きつけられた場所からふわりと離れ、意識も朦朧に衝撃を受けたであろう方向を目で追うと、サブ操縦席から身を乗り出す様に、ウェアがアレイの操縦席へ手を伸ばしていた。そう、アレイを弾き飛ばしたのはウェアだったのだ。
お互いの目が合うと、ウェアはニヤリと笑っている様に見えた。
「…ェア!?」
語りかけ様とするアレイの目前で、ウェアの姿が歪んだ様に見えた。瞬間、黒い光の様なものが弾け、ウェアは視界から消え去っていた。
ここでアレイの意識は一旦途切れる――。
何もない宇宙空間に青白い光が現れるとその中から、残像の様なシリウスの船体が高速で飛び出し、急激に速度が落ちると船体の形がはっきりと見える様になった。
『リムドライブアウト、周囲に異常なし、アラートレベル4へ更新』
『状況判断オート、防御シールド展開、メインエンジン始動、ジェネレーター出力70パーセントへ上昇』
――意識を失ってからどのくらいの時間が経過したのだろうか。ブリッジ内に響くウメチルの報告がかろうじて聞き取れる。
アレイは叩きつけられた際の鈍痛と若干の頭痛を感じつつも意識は回復しつつあった。
ぼんやりと周りを見渡すとウェアの姿がない―――「…ウェア?」―――。
「ウメチル…ウェア…の、現在位置を思考」
『――不明』
答えに動揺しつつ、胸の菱形端末に手を当て通信を試みる。
「ウェア、何処なの?返事をして――」!?、驚く事に自分の声がメインとサブ操縦席の間付近から重なって聞こえる。その方向に小さな赤い球体が無数に浮かんで見えるのに気づいたアレイは360度モニターに手をつき押し出す様に反動を利用して操縦席に戻り、無数に浮かんでいる赤い球体をあまり気にも留めず、体に付着させながら、メインとサブ操縦席の下をそっと覗き込むと――それは有った。
リストバンド型端末が装着された手である、紛れもなくそれだけがそこに有ったのだ――。
「……ウェア……な、の?」
残された手を引き寄せ、愛おしそうに抱きしめながら目を瞑り、ぽろぽろと涙を流すと、
周囲には赤い球体と透き通った小さな球体が混じる様に浮かんでいた。
「ふぐっ…どうして………こんな事に……」
「――嘘だ!嘘だっ!嘘だっ!こんなの嘘だよぅ……私を…1人にしないで、ょ……うわぁあーーーぁん!!」
アレイは顔、手、服、白髪の三つ編みのお下げに鮮血を付着させ、叫びながら号泣していた。
状況的に何か、からアレイ・アシュミードを守り、ウェア・ヴォルフは消滅したのだ、リムドライブ航法中に体の一部分を残しての消滅=死を意味するのではないか。
その日、広大な宇宙を航行する宇宙船シリウスのブリッジで、アレイ・アシュミードは、丸まる様にウェアの残していった手を抱きしめ、ふわりと浮かびながら涙が枯れるまで泣いていた。