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カミツキカミカ  作者: 足立 拾
第二章 最小ノ見回り組、結成
8/27

武林咲乃ハ、想フ

「詳しい書類などは後でこちらから用意し、ここに届けましょう。日付けは今日からにしておきますので、今から活動しても問題はありません」


「了解しました」


「それと、私の認証で良い。とおっしゃった場合のみ、と言う前提でしたので、黙っていましたが、もう一つ見回り組として活動することになる日影さんに神流様よりご祝儀を預かってまいりました」


「祝儀、ですか?」

 突然の事態に日陰は目をしばたかせて、制服の内側に手を入れた宵丸を見た。


「お金ではありませんよ」


「知っています」

 見回り組をつくる度に祝儀を渡すなどと言うそんな風習はないし、あったとしても自分の母がそんな無駄なことをするとは考えられない。ともなれば祝儀というのは物か、或いは情報か。見回り組として活動に役に立ち、なおかつ自分の不利益にならない物と言ったところだろう。


 頭の中で当たりを付け始めた日陰を余所に、宵丸が取り出した物は一枚の厚紙だった。


 手のひらに収まる大きさのそれを宵丸は向きを変えて日陰の前に差し出した。


「これは」

 書いてある文字を頭の中で読みながら日陰は言う。


「早瀬正蔵」

 書いてあったのは男の物らしき名前と住所、ただそれだけ。聞いたことの無い名前だ。


「これが祝儀ですか」


「貴方たち世代では聞いたことが無くて当たり前ですね。私も直接お会いしたことは一度もありません」

 切り出した宵丸の言葉を黙って耳を傾ける。


「早瀬正蔵、御年七十になるご老人ですが、彼は十年ほど前に退官した軍警高官です」


「はあ」

 生返事で相づちを返しながら、日陰は紙切れをしげしげと見つめる。


「彼の退官時の階級は中将警視監。未だに軍警内部に多大な影響力を持つお方です、尋ねてみて損はないでしょうとのことです」


「それは母、いえ境内大佐警視がこの方に話を通しておいてくれていると言うことでしょうか?」

 自分たちの力になってくれると言うことか、確かに書いてある住所は一ノ一町の物だ。


 退官したとは言え中将警視監、力を貸してくれると言うのならば心強い話だが、日陰はそれを易々と信じることは出来ない。


 そんな話があれば、先ずは一ノ宮小乃美に話を持って行く筈だからだ。

 母親が自分と同じように一ノ華組が長くは無いと言うことに気づいていたとしても、それは確実に一ノ華組が潰れた後で話を持ってくるべきだ。


 そうしなくては日陰達が直ぐにその早瀬正蔵と言う男に会い、力を借りられることになれば一ノ宮から抗議が来るのは必須だ。あの母親がそんなことに気づいていない筈が無い。何か裏がある。


「そうではありません。そんなことをすれば神流様の立場が悪くなってしまいます。ですからこれはただの情報です」


「どう言う事でしょうか?」

 慎重に言葉を選んで質問をする日陰に宵丸は不意に視線を窓の外に向けた。

 それに釣られ、日陰もまた視線を外へと逸らす。青空が小さな格子窓から見えた。


「この町は中央から最も離れ、発展の遅れた町です。そんな町に退官したとは言え中将警視監まで上り詰めたお方が隠居するとは、少し不思議だとは思いませんか?」


「何か裏があると?」


「そこまでは」

 視線を戻すと、宵丸ももう窓から視線を外し、日陰の顔をじっと見ていた。


「それを挙げれば、万が一正政組の件を片付けることが出来なくとも、この町での最低限の地位は築けるでしょう」


「お心遣い感謝いたします、そうお伝え頂けますでしょうか」


「伝えましょう」

 言いながら宵丸は話は終わりとばかりに音もなくその場から立ち上がる。


 日陰も急いで立ち上がり、礼を取る。後ろでずっと無言を決め込んでいた咲乃も礼だけはしっかりと取っていた。


「日影さん」

 軍警帽を被り、キリリと表情を引き締めた宵丸は咲乃が開けた扉をくぐる前に日陰の前で足を止め、真剣な顔つきで彼を見た。


「ハイ」


「良き殿方になられましたね」

 そう言い、そっと壊れ物を扱うように、弱々しく宵丸は日陰の頭を撫でた。


 とは言え、日陰の方が少しだけ背が高くなっていたのであまり様にはなっていなかったが、日陰はそれを黙って甘受した。


「いずれ、また」


「ありがとう、ございました」

 日陰は最後の最後まで上官に対する言葉遣いを崩すことは無く、宵丸の姿は扉の閉と共に消えた。


「……」


「……」

 咲乃も日陰に引きずられるように、言葉を発することはなく、ただ主の言葉を待っている。




「空太は今どこにいる」

 応接室を後にし、客が帰ったことを監守に告げた日陰と咲乃は目的も無く、ただ歩き続けていた。


 そうしているうちに、不意に日陰が声を出す。


「そろそろ警邏から戻る時間帯です」

 廊下に等間隔で設置された洋式調の細工を施した窓から外を覗き、太陽の高さで時間を推測し答える。


「そう」

 同じように窓の外を仰ぐ日陰の姿は咲乃から見ると、いつもより覇気がないように思う。


 夢だった見回り組をつくることが出来て気が抜けた、と言うことはないだろう。

 自らの主の事は自分が一番知っていると言う自負が咲乃にはあった。


「隊員の募集は掛けますか? それでしたらこちらで準備いたしますけど」


「そんな慌てなくて良いだろう。ようやくここまで来れたんだ、少しくらい浸らせてくれよ」

 咲乃を見ることもせずに煩わしそうに応える日陰に咲乃は口を閉じた。


 何か狙いがあるのだろう、そうに決っている。


「承知しました」

 恭しく頭を下げても、振り返りもしない日陰の背を咲乃はジッと見つめた。

 小さい背中だ、と思う。


 自分よりほんの少し背が高い程度で、肩幅も一般的な男性に比べると狭く、女性のようななだらかさがある。


 数年前、初めてその姿を見たときは女性かと思ったものだと昔を懐かしむように目を細めて咲乃は夢想する。


 軍警学校時代の荷物を持ったままでの泳法授業中、そこで咲乃は日陰を初めて見た。

 男子にしては妙に華奢な奴がいる。その程度に思って見ていた、日陰はその時今よりももっと背が低く、身体も更に華奢で、けれど誰よりも努力を欠かさない男だった。


 泳法の授業は夏場十回行われた、一回目、何も見つけないままでの泳ぎでは上位にいたのに荷物を持った瞬間、男子の中で一番下になっていた。


 彼はそれを気にする風でもなかったが、周りは筋力が足り無いだとかいいながら、彼を馬鹿にしていた。


 けれど彼は次の授業、その次の授業と回数を重ねるごとに記録時間を早め、最後の十回目の授業では組の中で一番早く泳いで見せた。


 誰よりも早く川岸に到達し、荷物を持って現れた彼の姿が咲乃の瞳には今でも焼き付いたままだ。


 あの時から自分は彼に恋をし、そして彼を自分の主と勝手に決めていた。


 いつも皆を遠ざけて一人で突き進もうとする日陰の役に立ちたくて、横に並ぶことは出来なくても後ろを守るぐらいのことはしたくて。


 その為だけに、彼女は未だ彼を追い掛けている。

 随分長く見てきた彼の背が、何だか少しだけ小さくなったように、感じていた。


「日影様」


「ん?」

 ようやく振り返った日陰の目は咲乃を見ていたが意識はこちらに向いていないように感じられた。


 そして声を掛けてみたはいいが何を言いたいのか、自分の中にある感情を上手く整理し切れていない、咲乃はそこで口籠もってしまう。


 もっと自分を頼って下さい。

 少し休まれては如何ですか。

 顔色が悪いようですが。

 大好きです。


 言いたいことはたくさんあるけれど自分はいつも一番言いたいことを口にすることは出来ない。


 何が一番言いたいのかさえ、分からない自分だから。


「大丈夫だよ。気が抜けたのはただ」

 咲乃の言いたいことを理解したかのように弱々しく微笑んで、日陰は手を持ち上げて、咲乃の頬に添えた。


 ひんやりと頬に冷たい刺激が伝わるのは、日陰の手が冷たいのか咲乃の頬が熱いのか。或いはその両方だろう。


「これからのことを想像して楽しんでただけだから」


「あ……」


「今すぐに募集を掛けたところで隊員なんて誰も来ないよ、一ノ華組がいる限りね。募集するのはその後で良い。だから先ずは僕らだけで始めよう。何、人数が少なくとも出来ることはある」


「……はい」


「何より、君が後ろにいるんだ。少しくらい惚けていても僕の安心は保証されている。そうだろう?」


「はい!」

 これだもの。言葉にはせずに心の中でだけ、咲乃は呟く。

 この人は自分の言いたいことを自分より先に言ってくれる。だからいつまで経っても言いたいことを口にすることが出来ないのだ。


「さて、最後の隊員を迎えに行こう。そのまま戴冠式と洒落込もうじゃないか」

 咲乃の表情が元に戻ったことを察したのだろう。

 ぼうとしていた表情をいつもの自信家然とした顔つきに戻して軍警帽を真っ直ぐに被り直す。


「はい。私の主様」


「ハッ」

 肺から息を吐き出す笑いを一声だけあげて、日陰は歩き出した。

 目的地は勿論、最後の隊員が帰ってくる場所、そしてそこがそのまま、三人にとっての始まりの場所となる。


 心に沸き上がるざわめきを押さえながら、咲乃はいつものように彼の少し後ろを同じ歩速で歩き出した。


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