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カミツキカミカ  作者: 足立 拾
第二章 最小ノ見回り組、結成
7/27

南野宵丸ニヨル、認証

 数日後。


 境内日陰は上機嫌で、執務室で書類整理を行っていた。


 昨日の夜はいつも手伝っている見回り組の仕事が当たり前のように一ノ華組に取られてしまい、久方ぶりに早く就寝出来た。理由は他にもあり、昨日ほぼ夜通しで行われた見回りの最中でも、渦中の正政組は何ら動きを見せなかった。つまり一ノ華組の捜査が進展していないことも朗報だった。


「ご機嫌ですね」

 空太が他の軍警官と警邏に出向いている為、二人きりとなった執務室で咲乃は嬉しそうにお茶を出しながら、主に笑顔を向けた。


 彼女の笑顔というのは二人きりの時しか見られないと言うこともあり、それを眺めながら仕事をする。


 煩い奴がいない為仕事もはかどる。


 ついでに咲乃が煎れたとあってお茶も美味しいに決っている。

 日陰の機嫌は未だに右肩上がりの状態だ。


「これだけ良いことが続くと、むしろ後が怖いな」

 軽口を叩きながら、日陰はお茶に手をのばし、上品に口に運んだ。


「大丈夫です。貴方の不幸は私が全て被りますので」

 当然とばかりに眼鏡を持ち上げ格好付けている咲乃の小振りな頭に日陰は手を乗せて、何度かその癖を持った不思議な髪質の感触を楽しむように撫ぜた。


「んっ」

 目を瞑り、自分を律するように咳払いをしてみせる咲乃が可愛らしい。


「咲乃に何かあればそれは僕の不幸に直結する、そう言う泥は空太に被らせると良い。あれは頑丈だ」


「アナタの泥でしたら、被っても気にしませんのに。お優しい方」


「僕の優しさは人を選ぶのだよ」


「選ばれたのですか。私は」


「一番先に」


「まあ、誑し言がお上手ですね」

 やや赤く染まった頬を隠すように手を添えて、咲乃はひらりと日陰の手のひらから抜け出すと、彼に背を向けた。


「それも言う相手を選ぶんだよ僕は」


「知りません」

 つんと澄ました顔を斜めにして横顔だけ見せているのは本当に怒ってはいない証だろう。


 こちらの反応を伺っている咲乃が可愛らしくて、日陰はその微笑ましさに笑みを零した。


「失礼いたします! 境内少尉巡査長ご在室でしょうか」

 幸せな色で形成されていた空間が、突然の軍警気質の声により、唐突に消し飛ばされた。


 薄桃色をしていた咲乃の頬が一気に白みを取り戻し続いて怒りによる紅潮へと変わって行く。


「どうぞ」

 底冷えのする声を出す咲乃に扉の向こう側の一兵卒らしい男もその色を感じ取ったのだろう、戸惑うような間が開いた。


「入って良い」


「はっ。失礼いたします」

 扉が開き、その向こう側で背中に鉄棒でも入れているかのように真っ直ぐ背を正した兵が敬礼を取っていた。


 日陰が同じように礼を返すと男は礼を解き、グッと胸を張り声を上げた。


「境内少尉巡査長にご来客です」


「客? 郵便ではなく?」


「はっ、第三応接室にてお待ちです。お急ぎ下さい」


「分かった、直ぐ行く」


「はっ。失礼いたします」

 再び礼を取り、伝令兵はその場から去っていった。


「客、か」


「本日どなたかご予定ありましたか? 応接室に通すほどの客……」

 考えていた咲乃がはっとしたように顔を上げる、辿り着いた結論は日陰と同じであろう。


 手紙を出した本人の顔を思い浮かべ、日陰は頭を振る。

 その手紙の返答をしにわざわざ訪れる人ではない。


「偶然近くに来ていたのか、それとも」

 その先はあまり想像したくはない。息を吐いて、日陰は椅子から立ち上がると、軍警帽を深く被った。


「誰だと思う?」

 廊下を進みながらきっかり一歩後ろを着いて来ている咲乃に声を掛ける。


「日影様は、御義母様だと?」


「……なんか今発音がおかしかったような」


「気のせいでしょう。続けてどうぞ」

 しれっとしている咲乃を訝しみつつも、日陰はうん。と一つ肯いて見せた。


「後見人を頼むという形ではあの人の下に入れられることになる。だから僕は認証だけ頼めないかと思って手紙を出した」


「そうですね、認証は少佐警視以上の階級で無いと出来ませんし、通常ならば署長に頼む所ですが、現在の状況ではそう言う訳にもいきませんしね」

 通常ならば咲乃が言ったように自分たちの所属する署の署長に認証を貰い、初めて見回り組として活動することが出来る。けれど一ノ華組が出来たばかりの現在、他の見回り組をつくりたいから認証してくれと言っても、許しはもらえないだろう。


 それ以外に少佐警視以上の階級の知り合いなどはいないのだから仕方がないと、帝都中央区の高官である母に便りを出した日陰であったが、返事の手紙が来るかと思えば直接現れるとはどういう事なのだろう。


「何のつもりかは知らないが、向こうの思惑通りに動くつもりはない」


「了解しました」

 日陰の言葉に込められた命令を察して咲乃は軽く頭を下げた。


 自分の子供に言うことを聞かせる為に暴力を使って脅しを掛けることなど、何とも思っていない、彼の母親がそう言う人物であることを理解しているが故の言葉だった。


 そしてその際に日陰の身を守るのが咲乃の役目だ。

 応接室の前に立ち、日陰は息を一度大きく吸い込んでからゆっくりと吐き出した。


「失礼します。境内日陰少尉巡査長、出頭いたしました」


「どうぞ」


 この声は。

「失礼いたします」

 扉を開けて、礼の形を取る。


 その向こう側の高級そうな長椅子の脇に女性が一人立っていた。


 日陰らと同じ軍敬服を着込んだ妙齢の女性。


 短く首元で纏められた黒髪は少女のような艶やかさを持ち、全体的に整った顔立ちをしていながら、華がなく人混みに紛れればそのままどこにいるか分からなくなってしまいそうな希薄な印象を持ったその女性。


「宵丸」

 南野宵丸。それが彼女の名前だ。日陰の実家に代々仕えている南野家の現当主であり、現在は境内家の当主である日陰の母親、境内神流に付いて帝都中央区で共に働いている。


「お久しぶりですね。日影さん」

 柔らかく表情を崩し、彼女は日陰に中に入るよう促した。


「っ、失礼致しました。南野大尉准警視」

 周りに人影は無いとは言え、この場は軍警署の中。普段と同じような対応をして万が一、誰かに見つかるようなことがあればまずい。


 親子でさえ、仕事を始めれば上官と部下。それが軍警の習わしだった。

 急いで頭を下げると、宵丸は微かに寂しそうな困ったような曖昧な微笑を浮かべ、改めて中を示した。


「失礼いたします」

 声を上げて中へと入り込み、日陰は部屋の中を見渡す。

 やはり、彼女以外の人影は見えない。


「神流様はいませんよ。今日は私だけです」

 日陰の気持ちを見透かすのはやはりいつも通りのことだ。母以上に自分のことをよく知っている彼女の前ではどんな偽装も意味をなさないことを知っていた日陰は驚くでもなく、ばつの悪そうな顔をして小さく頭を下げた。


「座って下さい。私はどうにも、いつも神流様の後ろに立っているので座ることに慣れないので」

 日陰とは違い、宵丸は公私の区別をハッキリとさせていない。特に自分たちしかいないような場合、本家にいた頃と同じように自分を主の子として扱ってくるので、日陰としては非常に困る。


「いえ、南野大尉准警視が立っている以上自分が座る訳にはいきません」


「そう、でしたら私も座ります。日影さんもどうぞ」

 仕方ないですね。と前置き代わりに溜め息を吐いて、宵丸は革張りの長椅子に腰を下ろした。

 深く背もたれに身体を預けず軽く座る、何があっても直ぐ行動出来るようにしているのだ。


「失礼致します」

 日陰は腰掛けたが、咲乃はその後ろにて日陰を守るように立っている。


「良い従者ですね」


「……」

 宵丸に言われても咲乃は軽く頭を下げるだけ、出来るだけ自分のことを無視して貰いたいようだ。


「南野大尉准警視、お話を宜しいでしょうか」

 切り出すと宵丸は、そうですね。と咲乃に向けていた視線を日陰に戻し、目尻を下げて笑みを見せた。


「本日私は二つの用件を持ってきました。一つは日影さんが神流様に出した手紙の返答、その再生」


「再生」

 途中で言葉を挟むのは礼儀に反する。と理解していた筈だったが、相手が気心の知れた宵丸だったからだろう。日陰は彼女の言葉を思わず繰り返し、その事実に気づいて慌てて口を閉じた。


 その様子に、宵丸は口元を隠して上品に笑う。


「そうですね。ではそちらの用件から先に済ませましょう。二つ目もその返答の中で言っていましたし」

 そう言うと宵丸は自分の喉に手を当てて、んんっと喉を鳴らし、再び口を開いた。


「日影さんの手紙の返答を神流様の言葉そのままに再生しますね」


「それで再生ですか」

 再度喉に手を当てて、何かを探るように動かしながら宵丸は何度か咳払いを繰り返す。

 そして。


「日陰。元気にしていますか。母です」


「ッ!」

 宵丸が出したその声に日陰は驚愕を表して、思わず目を見開いた。

 聞こえて来た声はそれまでの宵丸の声とはまるで違う、自分の母親、境内神流その人そのものになっていたからだ。


「話したいことはあるのだけれど私も忙しいので手短に、貴方からの要請を受けた認証の件ですが、結果から言わせて頂戴ね。断る」

 それまでの良い母親然としていた口調から一転して、冷たく何の感情も交えないその声に、日陰は息を呑む。


「貴方の見回り組を認証しても、現時点で私には何の得も無いと言う判断を下しました。いえ、寧ろ一ノ華組を押している他の高官達から睨まれる分、僅かでも私に不利益が発生すると言っていいでしょう」


「……」

 認証くらいはしてくれると思ったが、甘かったか。


 まだ自分は母という人物のことが良く理解出来ていなかったのだな、と日陰は口を閉じながら、宵丸の口から発せられる母の言葉に耳を傾ける。


「だから。宵丸を派遣することにします」


「え?」


「宵丸は先日少佐警視に昇進したので、もう認証も可能です。彼女の場合多少立場が悪くなり昇進に響いたとしても、私の下に着いているのだから、関係がありませんしね。ですから承認は宵丸に、その後私にとって有益な見回り組になったのならば、私が責任を持って後見人になりましょう。以上です」

 挨拶も無しに途切れた母の言葉を宵丸は締めくくった。


「失礼しました。昇進されていたのですね」


「ええ。先日、少佐警視に昇進しました。ですのでもう一つの用件と言うのはそれです。認証の件私で宜しいでしょうか?」

 通常の宵丸の声に戻った彼女に日陰は深々と頭を下げた。


「南野宵丸少佐警視。どうかよろしくお願い致します」


 日陰の言葉に了解しました。と前置きをし、宵丸は普段の調子のまま、言葉を綴った。

「南野宵丸少佐警視の名の下に境内日陰少尉巡査長を筆頭としておく見回り組の設立を認証します」

 言葉は略式、儀式らしい行動も無く、椅子に座ったまま日常会話のように発せられた言葉だったが、その言葉は確かに軍警の官位、少佐警視の認証だった。


 ずっと見ていた夢。


 その為の第一歩を日陰は静かに確かに踏み出した。その事実に日陰は膝の上に乗せていた拳を強く握りしめる。


「境内日陰少尉巡査長。謹んで、お受けいたします」

 真っ直ぐに見据えた視線の先で、宵丸は嬉しそうに笑っていた。その笑みは他人の親が他人の子に向けているところ以外、物心ついてから一度も見たことが無いもの。


 息子の成長を喜ぶ、母の笑顔だった。


「ありがとうございます。宵丸……少佐警視」

 名前を呼びかけて、慌てて言葉を付け足す。

 それに彼女は少しだけ残念そうではあったが笑ったまま頷き返した。


(ありがとうございます。母様)

 心の中でもう一つの呼び方で礼を言う。


 この人は自分にとってもう一人の母親なのだ。


 幼き頃に父を亡くして以来、その事実を隠すように仕事に打ち込み日陰のことをないがしろにしてきた母の代わりに、自分の側に付き育ててくれた人だ。そう呼ぶことは出来なくても、心の中で呼ぶくらいは良いだろう。


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