続・ホームレスの恋人 拓真編
いつも死に場所を探していたような気がする。
親父はシャブ中のクズで、包丁持ったまま突然部屋に入ってきて「ジュース買って来い」とか言うような頭の壊れた男だった。そんな男と母ちゃんが12歳の時別れて、中学に入った時、ちょうどジャパコアが中学で流行っていた。
たちまち俺は夢中になり、モヒカンに学ランの下はブーツを履いて、バンド活動と、ヤンキーのパンク狩りを返り討ちにする喧嘩祭りに明け暮れた。高校に行くなんて論外だった。先輩を見ていたらとてもじゃないが高校を続けることのできた奴らなどいなかったのだ。早々に俺は中学を出たらパンクロッカーらしく家を出て、女のヒモになりながら職を転々とした。飲食店、美容師見習い、肉体労働、工場など、中卒の俺にはろくな仕事は無かったが、とにかく生きていくためには何でもした。
夜はレッドウィングの擦り切れたブーツにジーンズをつっこんで、鋲ジャンを羽織ってライブをした。客もステージの上も汗まみれ、血まみれで、俺はギターを今思うととんでもない音で弾き腹の底から絶叫した。社会ってやつはどこへ行っても俺を馬鹿にするだけだった。ステージの上だけが俺の生きる場所だった。時代も、大人が作ったくだらない社会も、仕事も、生まれつき金を持ってて恵まれたやつらも何もかもが憎かった。ぶっこわしてやりたかった。破壊衝動と憎しみだけを糧にして俺は歌っていた。
そのうち中卒だからって馬鹿にされるのがしゃくで本を片っ端から読んだ。小説も、音楽理論も、政治も、経済も、飲み込むように覚えた。勉強は嫌いだったがそれ以上に馬鹿にされるのが本当に我慢ならなかったのだ。実はIQテストだけなら学校で一番になるほど俺はもともとの頭が良かったのと、社会経験がものをいって(机の上の勉強より実社会の裏づけがあるほうがものごとは覚えられるものだ)俺はめきめきとさまざまなことを覚えていった。
勉強するのと裏社会に入るのとが同時期だったような気がする。俺はヤクザの幹部に目をかけられ、ずいぶんとかわいがられた。吐き気のするような汚い仕事をたくさんやった。頭が切れて腕っぷしが強いのと家族がいないという条件が良かったために、俺はそっちの社会へ入っていった。金がほしかった。金と力さえあれば、誰にも馬鹿にされない。俺を馬鹿にした奴らをいつかみんな見返してやるのだと思った。
だけど。と、俺は思った。ある日ステージの上で、気がついた。俺になんかあったらバンドの皆に申し訳がたたない。それに、自分がいつのまにか汚らしい何かに変わっていくような気がしてたからだ。俺はやっぱり馬鹿だったのだ。
飯を食うなら音楽で成功したかった。喉から血が出るようなコアをやりながら、メジャーは絶対無理だとわかってはいたけれど、深い深い闇の中でいつも、その思いは俺の小さな希望の光でもあった。
俺は突然そのライブの日を境にバンドを解散し、ギター一本と稼ぎに稼いだ金を持って沖縄へ行った。それから、今度はあれほど好きだった金が突然憎くなって馬鹿みたいに遣って一文無しになり、南から北へ、路上ライブをしながら、北上していった。
一年がかりで大阪まで来た時、嫁と知り合った。嫁の家に上がりこんで、なんとなく仕事をみつけて、なんとなく普通に暮らしながらギターのかわりにベースを弾くようになり、とあるバンドに入った。
それがライムというロックバンドだった。男三人のバンドだ。パラッパーみたいなピンクや赤のレディースを着た痩身のギターボーカル、チワワ(チワワみたいな目をしていたのだ)と、ニューヨーク帰りのドラム、タッタ(が、彼の口癖だった)の三人でゴリゴリの男ロックをやった。時はおりしもバンドブームの真っ最中、チワワは京大出のインテリのくせにとんでもなく切れた奴で、すぐに人気が出た。いくつかのバンドコンテストで優勝をかっさらった。
特にタッタには世話になった。ベースとドラムは恋人同士のような間柄だ。また、俺はテクニックがからきし駄目だったから「そんな音を出す奴は死ね」「どっか行け」などと言われながらも必死に彼の要求にこたえようと鬼のように練習をした。スクールにも行った。
おかげで俺はどんな奴にも負けないテクニックと「心地よい」ビートを習得した。ありとあらゆるジャンルの演奏も可能になった。ベースの修行のために4つのバンドをかけもちして、ライブが3バンド重なった日なんかは、最後のライブの後トイレで吐いたこともあるほどだ。
幸福な日々は3年続いた。
でも、バンドはどんな形であれ、いつかは解散するものだ。
メジャーから話が来た。その時、チワワの女に子ができちゃったのだ。契約の条件は今のバイトよりも随分低額の給料を提示され、チワワには呑めなかった。
あんなに練習して、あんなに金使って、あんなにバンドに命を注いだというのに。
ライムは解散した。
俺は悔しさのあまり、結構自暴自棄になり荒れた。それで、嫁とも別れる羽目になった。
また、俺は放浪することになったというわけだ。
荷物は全部嫁のところに置いて、財布とギターとリュックと寝袋をしょって。
それで…百合と出会った。
そのとき、飯を食わせてくれる女は既に4人居た。ちょっと腰を下ろした街で、道売りの楓ちゃんと友達になり、楓ちゃんの家から出て、テントを張り、4人の女に時々飯を食わせてもらったりデートしたりしながら、道で歌っていた。本当にその日暮らしだった。それでも何とかなった。
百合は、他の女と違った。全く人に対するフィルターや防御心の無い女だった。だいたい、大学院卒業の女という人間自体、口をきくのも初めてだった。全くの世間知らずとも思えた。
子供のような純真さが、俺の心の中にある憎しみや怒りを少しづつ解きほぐしていったような気がする。
百合が会社を辞め、アパートをかりて、一緒に暮らし始めて、俺はしかしとんでもないことに気づいた。百合は、家のことがからっきしできなかったのだ。
自分の荷物はばらばらに端に積む癖があった。ほしいものをとろうとするとその巣はばらばらと崩れるのだ。(例えば、本や化粧品などの雑多なものを部屋の端に積んだりする。俺はそれを巣と呼んでいた)また、飯を作らせればとんでもない味のものを時折作った。ショウユがどこにあるかわからないからと言ってチョコレートクリームを入れた煮物を食わされそうになったこともある。(これは信じられないほどまずい)ガスこんろをつけっぱなしで家を出る、カギを忘れる、金の入った封筒を捨てる等。仕方が無いので茶碗洗いだけをさせているが、うちの皿は毎月なにかしら割れてなくなっていく。今もだ。
結局、稼ぎは百合、家のことは俺がサポートしながらバンドとバイトをやる、という結果に落ち着いたのだった。
いつも何かに絶望していたこの俺が、絶望だけを力にしていた俺が、まさか全面的に生活の面倒を見る、いわば「母」になろうとは思っても見なかった。
百合のために家を掃除する。百合のために飯を作る。その合間にバンドをして、バイトをする…。そんな忙しい毎日が、俺から闇を少しづつ、消し去っていった。もう、寝ていて、昔の悪い仕事や嫌なことを思い出して飛び起きることがほとんどなくなっていった。(朝は百合の弁当を作るのだから、夜はなるべく早く寝るようになったし)
音楽も、レゲエやジャズを勉強しながら少しづつ、やりたいものの形がはっきりと出てくるようになっていった。腕が上がると友達も増え、それなりの立場にもなっていった。プロのインストのバンドで、ギャランティももらえ、CDも発売し、爆発的に売れはしないが、音楽のための金は音楽で得ることができるようになっていった。
気がついたら30歳をこえていた。
30までは絶対に生きないと思っていたのに。
百合には、過去の嫌な話はほとんどしていない。かいつまんだダイジェスト版だけを説明しただけだ。それでも百合は別に詮索しなかった。他の女のことも、過去のこともまるで興味が無いようだ。百合は「あんたがいればいい」とだけ言った。それで十分だった。
ワンルームのアパートで、布団をしいて二人で寝ていると、その、あまりのおだやかさに、訳のわからないジェットコースターに乗ったような俺の人生経験が、すべて嘘だったかのように思える。百合は隣で寝息を立て始める(面白いぐらい寝つきがいい女だ)
どんなふうでも落ち着く場所があるのだと、過去の俺に教えてやりたい。人は生まれ変われれるのだと。思えば逃げて逃げて逃げまくってきたような気がする。一人で何でもどうとでも生きられる、アウトローで結構、だった筈なのに。
もう俺はこの世を呪わない。百合にあえた事を、感謝する。そのことを伝えるために、ベースを弾く。音楽が大好きで耳のいい百合をうならせ、感動させるために弾く。
俺の死に場所はここでいい。
俺は百合の寝息を聞きながら、目を閉じる。明日も、あさっても、死ぬまで、このおだやかな日々が続きますように、と祈りながら。