スネグーラチカ
かまくらの語源は、形が竃に似ているから「竃蔵」であるとする説や、神の御座所「神座」が転じたものであるとする説などがあるそうです。
それは、近年稀に見る大雪だった。
テレビではアナウンサーが何十年ぶりだと、大声で言っていた。
だけど、僕にはそんな情報はどうでもよくて、ただ単にとめどなく天から降り落ちてくる羽毛のような綿雪が嬉しかった。
窓からその、街灯に照らされる雪の幻想的な景色に魅せられて、すぐにコートに袖を通しマフラーを巻き、長靴を履いて外に飛び出した。
玄関を出てすぐ、目の前は真っ白だ。
すごく、ワクワクした。
半日前からの眺めからは一転して、只々なぜか嬉しかった。
僕の家は都内なのだけど、端の方だ。
周りには威高々と、傘となるビルの類はなく、住宅街を構成する家々があるだけ。
僕は玄関から出ると、野良猫の足跡すらない真っ白な絨毯へと、足を下ろす。
雪質はさらさらとしていて、水っぽくない。
ぼふっと僕の足を、長靴を包み込み、想像以上に深い跡を足裏に残す。
すごい、征服感と表現すればいいのか、わからないが、童心をくすぐられる。
踏み締める感触が心地良くて、ふぁ~と変な声が出てしまった。
頬は、冷たい空気と舞い降りる雪によって固くなるが、自然と緩んでくる。
僕の心の中を見れる人がいたのならば、あまりのボキャブラリーのなさに辟易するだろう。
すごい、と連呼しながら無節操に感動し、もふもふと今まで触ったことがないような雪の感触を楽しむ。
一歩、足を踏み出すごとに上りつめていく僕のテンションは限界知らずで、思わずと柔らかく繊細な絨毯の上に身を投げ出してみる。
……冷たい。
けど、思ったよりは冷たくない。
含んでいる水の量でそう感じるのかな?と考えるが、そんな雑念は邪魔なのですぐに脇にどける。
代わりに、ああ、これで外じゃなくて寒くもなければ寝ちゃうんだけどなあと思う。
顔に触れる雪は、体温によって溶け少し湿っているが、興奮して熱くなっていた頬には心地いい冷たさだ。
まあ、それもすぐに肌寒さに変わり、熱に浮かされていた僕の頭を冷ましてくれる。
起き上がる。
何をやっているんだ僕は。
雪の上に転がるなんて馬鹿みたいじゃないか。
冷静になった僕は、改めて自分の姿を見てため息をつく。
あ、ため息をつくと白い息になる♪――じゃない。
せっかくの雪が、もふもふの新雪が台無しになってしまった。
こんな贅沢な雪の楽しみ方をしてしまうなんて、僕はなんて罪深いのだろう。
僕は自分の行いを悔やみつつ、冷静になった頭で今後の的確な行動を思いつく。
そうだ公園行こう。
僕の家の近くには、公園がある。
周辺住民も、僕もあまり使ったことはないのだけど、ピンときた。
あそこならば、この誰も足を踏み入れていない処女雪が一面に見られるのではと。
僕は天才じゃないかと自画自賛したい。
今は夜だけど、もう何も恐くない。
お母さんのことも、おじいちゃん、おばあちゃんのことも、弟と妹のことも頭にない。
ただ、この雪を心ゆくまで堪能したかったので、走り出す。
ゆっくりと、慎重に。
急いではいるが、滑って転んでしまい怪我でもしたら雪で遊べなくなってしまう。
どこまでも冷静で、自分に対しても冷徹な思考でもって、踏み締める雪の感触を楽しみつつ、目的の場所へと向かう。
着いた。
時計は持ってきていないけど、だいたい十分くらいの長旅だった。
雪がなければ徒歩二分もかからない道のりだったのだけど、家の近くにあるかなり長い下り坂の景色に足を引き止められたり、桜並木の枝にかかる真っ白な葉に目を奪われていたりと、過酷な環境下での行動ならば仕方がないとも言えよう。
ともかく。
あ、そういえば兎も角って兎には角なんてないですよって意味らしいね。
誰だよ、こんないい加減なの思いついて広めた人は。
……まあ、それはともか――閑話休題。
目の前には素晴らしい白銀の世界が広がっている。
地面は処女雪に覆われ、遊具は一種の芸術品のように白を纏っている。
いつもはチラとも視線を寄越さずに通り過ぎるだけだった景色が、なんと新鮮で美しいことか。
なるべく接地面積を増やさないように、つま先立ちでその聖域の中にお邪魔する。
つま先立ちといっても、長靴を履いているのであまり効果はなかったのだけど……こういうのは気分だ。
まずはブランコ。
さすがに雪がある上で座るほどの猛者ではないので、腰掛け部分に積もっている雪をもさもさっと払う。
結構積もっていて面白かった。
払うついでに、2つあるブランコの片方、まだ雪を被っている腰掛けの部分に小さな雪だるまを2つ作って置いてみる。
雪質がぱさぱさしてたので、うまい具合に作れなかったけど、ひと仕事終えて満足できた。
ふぅ、と息を吐く。
白くて湯気よりも質量がありそうなその白息が、冷たい空気に溶けるのを眺める。
どうでもいいけど、白い息のこと白息って呼ぶのはそのまんますぎて、なんか釈然としないんだけど。
まあ、どうでもいいのでそんな心の呟きは夜空に投げ捨てて、ブランコに座りながらこれからの計画を立てる。
まずは雪だるま!
そしてあわよくば、かまくらを作ってやろうと思う。
いくら積雪が心躍るほどあるとはいえ、1から盛って作るのは難しい。
だが、滑り台を芯にすれば難しくないだろうと、僕の素晴らしく無駄に洗練された無駄の無い動きで無駄の為だけに働く脳細胞が答えを弾き出す。
するべき事を決定させたのならば、即行動。
まずは仕事前の英気を養うために、まだ緩やかに雪が降っているからか人が全く出歩いていない静寂を楽しみつつ、夜空を見上げる。
ふむ……真っ暗だ。
なにも期待していなかったので、がっかりなんてしていないけど、まあ案の定真っ暗だった。
月とか見えるかな?とかは全く考えていなかった。
なんとなく、勝手に気まずくなったので伸びをする。
うん、これから身体を動かすのだ、僕の気休め程度しかない筋肉に覚悟を促す時間は必要だ。
足も伸ばしておこう。
両手両足を一緒にピンと張ると、あ゛ーと変な声が出る。
それだけで、なんだかひと仕事終えた感じがした。
なんかもう、帰って炬燵の中に潜ろうかなあとか思う。
蜜柑あったっけかなあ……。
ふらふらと視線を彷徨わせていると、隣に座る雪だるま二人と目が合う。
いや、目は付けてないからその表現はおかしいし、雪だるまを人と数えるか個と数えるかと突っ込みどころはあるかもしれないけど、なんとなくそう感じただけで、せっかく丹念に作った雪だるまを個と呼ぶのはなんだか嫌だったので、そんな感じで許してもらいたい。
いや、だれに許してもらうのかは分からないけど。
まあ、そんな葛藤は置いておいて、当初の計画通り、雪だるまを作ることにする。
まずは足元の雪をひと掴み、ぎゅっぎゅと握って固める。
どうだ?
……崩れた。
水分量が足りないのがこんなに厄介なこととは思わなかった。
とりあえず、圧縮していく。
それはもう、石炭を握って金剛石に変えるが如くの気でもってやる。
どや?
……崩れた。
やっぱり、力づくはいけない。
元々、僕は魔法使いタイプだ。
ゲームをやるならば、遠距離を第一に考えて戦うスタイルなので、こんな脳筋な方法は似合わない。
そして思考する。
どうすればいいのか?
雪がすぐに崩れてしまうのは、雪同士をくっつける役割をしてくれる水分が足りないからだ。
ならばどうすればいいか?
足 せ ば い い 。
僕はぐむぐむと口の中の唾という名の水分を集めると、でろっと手の中の雪に加える。
あまりの自分の頭脳明晰さに軽く目眩を感じるが、うまくできたようだ。
今度は崩れずに、いい感じに固まってくれた。
後はこれを柔らかな雪の絨毯の上に転がしていけばいい。
ころころと転がすと、意外ともっさりと雪が付く。
これは、いける!
僕は自分の力に戦慄しつつも、鼻歌交じりで転がしていく。
転がし、少し力を込めて表面を固める。
転がし、少し力を込めて表面を固める。
繰り返していけば、直径六十センチくらいの球になった。
割と大きくなって満足だ。
転がしていくうちに愛着がわいて、僕の子供みたいで、ここまで大きくなって感慨深い。
こうなったら早速と伴侶を作ってあげようと、痛くなってきた太ももに活を入れて、また1から唾という命を吹き込んで雪玉を大きくしていく。
その過程は無心。
雪のように真っ白な心で、転がすという行為を遂行する以外の何かを考えるなどという雑念は生れず。
ただ手の中で大きくなっていく雪に愛おしさを感じながら、淡々と同じ作業を繰り返す。
できた。
どれくらい時間がかかったのか、それは分からないが、最初の子供を作るよりもスムーズにできた自信がある。
直径四十センチくらいまで育て上げた雪の玉を持ち上げ、生まれたての子牛とタメを張れるくらいの足の震えを、強靭なる精神でもって押さえつけて運ぶ。
これは、きつい……。
単純に転がす行為を楽しんでしまった罰か、最初の子の場所まではそこそこの距離がある。
普段は働かない背筋を叩きおこし、唸らせる。
いつもお世話になっている二の腕をなだめすかして、その悲鳴を聞かなかったことにする。
虚ろな目を虚空に投げているであろう太ももには、声援を送りながら鞭を打つ。
なぜか疲労しているお尻には、ただ無言でサムズアップしておく。
そして、咆哮する。
ぉ……ぉおぅ……と少し弱々しかったかもしれないが、力を入れて声が出しづらかったし、ご近所さんの迷惑もある、仕方がないだろう。
しかし心の中では獅子の雄叫びの如しだ。
身体中の筋肉を使い、一歩また一歩と我が子の近くに寄る。
離れ離れになってしまった親子が再会するというのは、こんな気分なんだなとしみじみ思いながら、三mほどの長い道のりを踏破した。
踏破したら即載せてあげる。
ふぅと僕の熱いパトスが白い息に乗って、ようやく1人前となった雪だるまにかかる。
肩の荷がおりたとはこの事だろう。
我が子がこんなに立派になって嬉しい。
によによと緩む顔が止められなかった。
まあ、そんな恥ずかしい表情を見る人間なぞいないので、止めるつもりもなかったけど。
一歩、後ろに下がり全体を見てあげる。
うむ、素晴らしい。
想像していたよりバランスよくできたようで、達成感が心の中に沁み渡り、身体中には乳酸が行き渡る。
一息、付く。
悲鳴を上げていた筋肉たちは大人しくなり、疲れも少しはましになったので、雪だるまの首の部分に少し雪を詰めて補強してあげると――
どっこおおおおおおん
…………。
雪だるまが、爆発した。
内側から。
まるで伝説の暗殺拳法で刺し貫かれたかのような悲惨な事態に、僕の頭は……考えるのをやめた。
もう数分、その状態を維持できたのならば悟りも開けたんじゃないかと思うくらい透明な心うちも、俗人の性なのか嫌々と元に戻る。
そして見る。
舞い上がる雪煙の中から現れる女の人を。
僕の心のシャッターは、音を立てて閉まった。
そのシャッターをこじ開けたのは、その、目の前の女性だった。
慌てたように僕の肩に手を置くと、僕の脳みそをシェイクして殺すかの勢いで前後に揺するのだ。
これではおちおち涅槃に散歩に行くこともできないと意識を戻す。
…………。
美人だ。
美人のお姉さんだ。
透き通るような真っ白な長い髪を背中まで流し、白無垢よりなお白い着物を着崩して触れたら溶けてしまいそうな雪細工のように滑らかな白い肌の女性が、立っていた。
その真っ黒な瞳と、薄桃色の唇がなんだか場違いのように浮いている。
そして、そういえばとそのお姉さんの足元へと目を向けると、我が子の、目を覆いたくなるような姿が晒される。
そう、雪だるまは、まだ名も付けていない雪だるまは爆発四散していた。
白い肉片は僕のコートにもへばりつき、まるで雪だるまなんてただの物体だと突きつけるかのようだ。
見知らぬお姉さんが目の前にいるにも関わらず、思わず涙ぐんでしまう。
僕の子供が、身体を痛めて精一杯育てた子供が、死んだ。
理不尽だとは分かりつつも、諸行無常などという言葉を生み出したどこかの誰かに罵声を浴びせたい気分だ。
僕が悟ったならば、絶対もっといい言葉を言ってやろうと決意する。
……悟れたらだけど。
――え?
僕がめげずに現実逃避をしていると、お姉さんが抱きついてくる。
一瞬、柔らかい感触とか暖かい体温とかを幻覚したけど、そんなことはなかった。
柔らかいというよりさらさらとして滑らかな、これはこれで気持ちがいい肌触りと、雪の塊のような冷気を感じた。
そして、耳元で囁かれる。
私の名は、硬締雪ですよと。
……?
それは名前なのだろうか?
聞いてみると、頷いてくる。
まあ、仮名かなにかだろうと納得しておく。
どうせ聞いてもこれ以上の答えは出ないだろうし。
それにしても、このお姉さんはどこから来たのだろう。
正直、あんな表れ方されたら怒るところだけど、美人さんなので怒るに怒れない。
その、微妙な表情になにを見出したかは分からないけど、硬締雪……ユキさんは、一人小さな雪だるまを手早く二つ作ると、両手に乗せて僕の方へ食べ物を勧めるかのように突き出してくる。
これを、僕にどうしろというのだろう。
雪さんの行動の意図が分からず戸惑っていると、ぼふんと爆発する。
雪だるまが。
雪煙を舞い上がるのが、嫌な予感しかしない。
そして案の定、女の人が現れる。
雪さんの、それぞれの手に片手を乗せて現れた女の人が。
僕から見てユキさんの右に立つ女の人、というか女の子は小締雪と名乗り、左に立つ女の人は潤締雪と名乗り、微笑んでくる。
小締雪……コジマちゃんは小学低学年くらいの女の子で、ユキさんと同じ白い髪を肩で綺麗に切りそろえていて、着物一枚では寒いのかその唇は血の気がない。
マフラーくらいならば貸せるので、寒いならと聞いてみるが、大丈夫とのことだった。
こんな小さな子が雪の中、本当に大丈夫かなとも心配になるが、くしゃみの一つでもしたらそれをきっかけに注意すればいいかと納得する。
潤締雪……ベータさんはユキさんよりも少し年上に見える、艶っぽい女性だ。
なんだか、着崩した着物からチラチラと見えるうなじやら鎖骨やらが、すごく目を引きつけて何とも言えない。
腰まである髪をしっとりと揺らし、お辞儀してくる姿は大人の色香が漂ってきて、目の置き所に困るというか嬉しいというか。
まあ、そんなことはどうでもよく、どうしてこの3人の美女たちはどうやって現れたのか、そしてどうしてこんなところにいるのか、僕に何の用かと聞いてみる。
すると、なんと三人は雪の妖精と言うじゃありませんか。
だけど、雪の結晶は小指の先ほどの大きさしかないのになんで僕より身長があったり、それほどかわりないほどの身体をもっているのかが分からない。
ユキさんが言うには、プランクトンの集合体みたいなものよとの事だけど、意味がわからない。
補足するようにコジマちゃんが、星座みたいなものと言い、ある程度の個の集合体で一つの形をもっているのよぉとベータさんが説明してくれたので、なんとなく納得した。
……信じるかどうかは別として。
そんなわけで、精霊が形をとれるほど雪がある程度の量まとまっていればそこから現れられるわけで、姿を現した時にびっくりしたのならごめんなさいと謝ってくる。
まあ、かなり驚いて精神をどこかよくわからない場所へ飛ばしてしまったけど、せっかくの美人さんがこうして腰を折ってくれているので、愚図るわけにはいかない。
慌てて顔を上げてもらうと、再度ごめんなさいねと謝られて恐縮してしまう。
そして、そんな恐縮していながらも身体の一部を熱くしている僕に、ベータさんがかまくらを作ろうとサムズアップしてくる。
その際にたゆんと胸が大きく揺れて、おおぅ……と思わず歓声を上げてしまう。
ちなみに、バストサイズはベータさんが大でユキさんが中、コジマちゃんが小だ。
AとかBとか、詳しい数字まで見切れる眼力はないので、ただ純粋に僕は滾る。
美人の頼みであり、僕の雪遊び計画の一部だったので、喜んでと返事をする。
実際、かまくらをつくるのなら人手があったほうがより簡単に、より立派に作れるだろうから願ったり叶ったりだ。
そうして僕ら四人は、それぞれが雪を集めて、固めていくという作業をしていく。
キャッキャウフフと笑い合って雪を弄ぶ三人はとても微笑ましく綺麗で、眩しいほど目の保養になる。
僕がかまくらの芯となる滑り台より遠くの雪をかき集めていると、いつの間にか近くに寄っていたコジマちゃんが、顔を傾けるようにして田植えポーズをしている僕に、楽しい?と聞いてきた。
僕は、もちろん一人の時でも楽しかったけど、三人と一緒にかまくらを作れてすごく楽しいよと返すと、満足気な笑顔になる。
その笑顔がすごく素敵で見とれていると、くるっと戻り二人の元に戻っていってしまう。
名残惜しかったが、ここで引き止めてしまうと、なんだか自分の守備範囲が大幅に広がってしまう気がして、グッと言葉を飲み込む。
あんな子と付き合えたらじゃなくて、妹にいたらいいなあとか思いつつ、煩悩退散させるべく黙々と雪をかき集めてどんどんと滑り台まで運んでいく。
この繰り返しはいい。
まるで修行僧になったかのようになにも考えずにできる。
……目の端に可愛くて綺麗な女の子や女の人の素足や襟元がちらちらと入らなければ。
次にはベータさんが訪問してくる。
着崩すというより、もうはだけてると表現したほうがいいような有様になっているベータさんは、私たちの他にも雪の精霊はいるのよぉと教えてくれる。
水締雪さんに粒雪さん、凍雪さんとたくさんいるらしい。
紹介したいけど、水締雪さんは濡れすぎて僕には刺激が強すぎるからと呼ばなかったらしい。
なにが濡れすぎているのかは聞かなかったけど、ちょっと気になった。
そして、粒雪さんはツンデレで、凍雪さんはヤンデレだからめんどくさいのよねぇ、とのことだった。
ツンドラも止んでるも、よくわからなかったのでとりあえず訳知り顔で頷いてみる。
ベータさんは少し困り顔だったけど、説明が難しいのか僕の知ったかをスルーしてくれた。
ありがたい。
あと、今上げた名前は精霊で、雪の妖精もいるらしい。
乾雪さんと潤雪さんという妖精だそうだ。
ただ、雪の妖精はお茶目が過ぎて、特に潤雪さんの濡雪さんなんて濡れ濡れ過ぎて危ないと注意された。
もし出会っても、ゆっくり歩いて離れなさいねと。
だが、例外的に乾雪さんの灰雪さんはとてもしっかりしたいい子で、気がついたら挨拶の一つでもしてあげてもらえれば、丁寧にお辞儀を返してくれますよと教えてくれた。
その話を聞いていた僕の顔は、笑うでもなく困ったように歪むでもなく微妙な表情をしていただろう。
いままで妖精なんて見たことがないのだから。
だが、真摯に、とても普通で重要なことを口にするように喋るベータさんの顔を見ると、軽々しく否定の言葉を出す気もなくなってしまう。
むしろ、こんな綺麗な女の人の言うことなら全部本当で、精霊さんなんじゃないかと思える。
まあ当然だろう、こんな美人がそうそう歩いているわけではないし、僕とただかまくら作りを楽しみたいからと話しかける道理がない。
そして些細なことだが、彼女たちは雪の上を歩いても足跡を残さない。
よほど体重が軽いのか、僕はそれにもびっくりしたくらいだ。
ユキさんも話に加わり、最近は雪遊びをしてくれる人が少なくなって寂しいと呟く。
神様と呼ばれる方たちは、他の生き物からの信心によってその存在がこの世に固定されているのだけど、精霊や妖精は他の生き物と直接触れ合い心通わせることで存在が確かになるのだと。
今回の大雪は、あまりに弱くなってしまった彼女たちの力では地球を巡る、彼女たちを構成する力を制御しづらくなってしまったから起きた出来事だと言う。
人に例えるのならば、内臓の働きが衰えて病を起こすようなものだそうだ。
その症状が深刻になれば死んでしまい、発熱によって身に潜む微生物たちが被害を受ける。
難しい話はよくわからなかったけど、ただ僕にもはっきりわかったことは、ユキさんもベータさんもコジマちゃんも、寂しくて寂しくてしょうがないんだなということだけだった。
でも、僕にできることなんてなにかあるのだろうか?
ただこうして彼女たちの言葉を受け止めて、一緒に雪遊びをするくらいしかできない。
もっと、皆も外に出て精霊や妖精たちと輪になって遊べたらいいのにと思う。
その思いは思い上がりであろうと分かっている。
だけど、思わずにはいられなくて、せめて僕だけは今この時を彼女たちと楽しもうと三人に笑いかける。
話しているうちに雪はあらかた集まった。
滑り台は大きな雪の山に変わり、ご近所さんが見たら激怒されるであろう様相になっていたが、気にしない。
後のことなぞ考えずに、今を楽しもうと家を飛び出した時から決意したことだ。
さて、まずは成形だ。
無造作な山を滑らかな釣鐘型にするために、ぱんっぱんっと叩く。
手はとっくにかじかんで真っ赤になって感覚はないけど、すべすべとした雪肌を撫でて作ることくらいはできる。
ベータさんが頂上付近を担当し、ユキさんが中腹部分を、コジマちゃんが接地付近の雪を滑らかにしていく。
僕はそれぞれを手伝ったり、凸凹の部分を埋めるために雪を追加で運んだりして、その合間にも色々話しをした。
雪が降るのは自然現象で仕方がないけど、ある程度は彼女たちが制御しているおかげで無節操に吹き荒れたり、より酷くならないようにしているのに、感謝しろとは言わないけど文句を言われるのは嫌なものねと愚痴をこぼされたり。
時々、空を見上げて雪に喜んでくれる顔を見るのは凄く嬉しいのよと、僕の頬を撫でながら微笑んでくれたり。
僕みたいに遊んでくれる人が、昔に比べて減ってしまったけど、決していなくなりはしない事に不思議に感じていたり喜びを感じているのよと言葉のキャッチボールをしていく。
雪玉で。
綺麗な釣鐘型にできたら、今度は蔵とするべく中心部から抉っていく。
この作業を雑にしてしまうと、せっかく滑らかにした形は崩れて、積み上げた雪も無駄になってしまうので、大胆かつ繊細に行う。
最初の窪みが大切だ。
そこを基準に穴が広がっていくので、心持ち中心から下よりにする。
さすがに穴を開けるのは何人も同時にできる事じゃないので、交代しながらやっていく。
……のだが。
ユキさんが四人で押し固めた雪を、僕の作った窪みを基点に白魚のように美しい指でかき分け、締まっていて固いわねえと言い、ベータさんが初めてのほうだから締まっているのは仕方がないわよぉと相槌を打つ会話にどきどきしてしまう。
いや、どきどきする要素なぞあろうはずがないのだけど、なぜか僕の心の中の獣が吠えているのだ。
なので、僕が変な行動を取ってしまわないうちに作業を代わる。
ユキさんは少し物足りなさそうだったけど、僕は四人で回すからこれくらいのペースがいいと言いくるめる。
ふむ。
ユキさんが中に侵入したことで、手触り的には結構さらさらしているかもしれない。
おそらく、押し固めるときに叩いて効果があったのはかまくらの表面部分だけで、中心部は圧力が伝わっていなかったからそれほど固まっていなかったのだろう。
なんだか簡単な部分を横取りしたみたいで申し訳なくもなったけど、ユキさんが気にしないでと手を振ってくれたので、少し頑張る。
そして、穴は幅はそれほどでもないけど、深さはそこそこというところまで抉ると、ベータさんが、あぁ……そんなに深くに入れちゃ駄目よぉ、壊れちゃうのぉと蕩けそうな声で止められたので、休憩がてらにコジマちゃんと交代する。
穴は僕の体温で濡れていて、積もっている雪よりも冷たく感じるはずだったけど、コジマちゃんはそんなことは欠片も感じさせない動きで指を動かし、舐めるように中を愛撫して雪を削り取っていく。
その小さな手は片時も止まらずに蠢き続け、別の生き物のようだった。
だけど、コジマちゃんばかりに任せるわけにもいかないので、ベータさんと交代してもらう。
ベータさんはユキさんとコジマちゃんよりも体温が高いのか、少ししっとりとした手を使って緩くなってきた穴をさらに広げていく。
それにより、かまくらはその形を微かながらも主張し始め、僕の体温と三人の汗によって表面とその中がきらきらときらめく。
少し溶けてまた凍り、表面をコーティングしてくれたことにより、多少なりとも強度も上がり万々歳だ。
後は、再び僕も手伝いかまくらを完成させた。
かまくらの大きさは、その中を抉る際に出た雪をさらに被せたことにより、一回りほど大きくなって満足できるできになった。
たまらず、踏み固められはした固い雪の上に腰を落とし、脱力する。
本来ならば、このかまくらの中に入り込み、独り達成感に浸りしばらくして帰るところだったけど、今は三人の女性が傍にいる。
なので、驚くべきか案の定というべきか、息一つ乱していない彼女たちに目を向けて、お疲れ様と白い息交じりに言う。
彼女たちも、お疲れ様と僕を労ってくれる。
彼女たちの手伝いのおかげで、僕が計画していたものより早く、立派なものが出来上がって満足だ。
三人の精霊さんの手前、僕だけがかまくらの中に入ってはしゃぐのもみっともないので、少し……いや、かなり心引かれもしたけど、眺めるだけで帰ることにする。
楽しかったけど、全力を振り絞った分、体力が限界に近く、雪玉当てっこすらできないほど疲れた。
三人にその旨を知らせると、少し悲しそうに目を伏せると、僕は人だから仕方ないねと頷く。
そして、また遊ぼうねと約束すると、少しふらつきながら立ち上がった僕へと抱きつき、別れ際に頬に口付けをしてくれた。
顔が、頬だけが燃え上がったように熱い。
恥ずかしいけど、頬が勝手に緩んでしまうほど嬉しくて、幸せな気分になった。
それを、三回。
僕はこのためだけに家を飛び出して、雪と戯れていたんだなとしみじみと苦笑してしまう。
彼女たちは、街灯の光を受けてきらきらと輝くかまくらのように、その綺麗な肌も髪も、そして着物も輝かせている。
別れたくない、ずっと一緒に遊んでいたいという誘惑が鎌首をもたげるが、彼女たちと生きている場所も環境も何もかも違うので、無理だとすぐに断首する。
僕は手を振る。
筋肉の代わりに疲労という名のなにかが取って代わり重くなってしまった腕を精一杯上げ、ご近所さんに迷惑にならない程度の声で再び会うことを願って挨拶をする。
彼女たちは、僕が公園の敷地から足を踏み出すと、まるで灰が風にさらわれるかのように消えていなくなった。
僕が経験した出来事は夢や幻だったかもしれなかったけど、それでも少し遠くから眺めた先に立つかまくらの姿は、誇らしげにきらめいていて、それでもいいかと思う。
もちろん、彼女たちとの遊戯が全て現実で、もう一度でも会えるのだったら、それは凄く素晴らしいことなのだけれど。
僕は疲れた足を引きずりながら、三回雪に足を取られて転びつつも家へと帰った。
手を洗い、うがいをして、炬燵へと潜り込む。
じんじんと手足に血が巡る感覚がこそばゆい。
ふと炬燵の上を見ると、蜜柑が一つだけ残っていた。
明日、かまくらの中に蜜柑を置きに行こう。
彼女たちへのささやかなお供え物になるだろうか……。
ああ、眠い。
今日はいい夢見れるといいな。
僕は心地よい疲れに押されて瞼を閉じ、先客である白の邪魔にならないように、炬燵の中で丸くなる。
僕くんは次の日、風邪を引きましたとさ。
炬燵で寝るのはやめましょう。