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たおやかな狂える手に③

 ハルカはよく、女性のような名前だと言われていた。いったい何をもって名前がそうであると判断されたのかはわからないけれど、私はどちらでも通る名前だと思った。しかし、ハルカは男だった。そして同時に、男の人のような厳密な強さは宿していなかったのかもしれないと思っていた。何もかもが、柔らかすぎた。口調もそうだし、言葉も、その在りようも。穏やかな佇まいがそうだったのかもしれない。別に、ハルカが女らしいとか、そういうことが言いたいわけではない。私をきちんと育ててくれて、兄としても、まるで親のようにしても、そうしてきちんと前を歩こうとする姿勢は、もちろん勇ましく素敵だった。けれど、その存在感は本当に慎ましく、何もかも自分のものじゃないかのような生き方をしていた。

「ぼくは」

 けれど、そう言って話し出す言葉には、不思議な優しさと温もりがあった。

 私は彼に、ずっとずっと甘えていた。両親が死んでしまったのは、とても幼い頃だった。その悲しみは忘れてしまったけれど、ハルカにただ身を寄せ続けることは、当たり前のようでいて、ただ積りに積もった申し訳なさのようなものもあった。いったい私は、彼に何をすることができたのだろう。彼の人生は、私のために費やされ、そうして積み重ねた向こう側に、やっと学問の道が開けかけた。それなのに、あのような残酷な形でその未来に幕が下りたこと。とても悲しく思った。

 私は、何が憎たらしいのだろう。犯人は、この手で殺してやる。だからその人間が憎い。けれど、そうして殺して見せた後、私は満たされる予感は無い。誰かに話したように、その後のことはその時に決めればいいのだろう。けれど、憎たらしい存在が犯人だけであるのなら、彼を殺した時、満たされる予感があるはずだった。けれどそんな気持ちがないのは、きっと、ハルカを失った喪失感は消えないということ、そして、彼の未来が失われたということの悲しさ。私が彼に、何も返すことが出来なかったという罪悪感。もう二度と会えないという事実。ハルカのいない世界を、これからも生きて行かなければならないという、どうしようもない切なさが、これからも私を縛り付けるだろうという恐ろしさが目に見えているからだ。

 もう五年も、そんな世界にいるというのに。

「ぼくはアリサの兄だからね」

 ハルカ。

 あなたは優しすぎた。

 そして私は、愚かだったのよ。

 なぜ私は――そしてあなたは、どうして自分の幸せを祈らなかったの。ずっと私の面倒を見てくれて、傍にいてくれて、多くのことを共にしてくれて、ありがとうと言いたかった。でも、もう伝わらない。それが、悲しくて悔しい。私のために潰された時間を取り返してあげられない。それが辛いの。あなたは幸せだったの? そう問うことができない。あなたには好きな人もいたはずなのに。多くの友達もいたのに。そういった、あなたと繋がりのある人々と、あなたは別れを告げる瞬間もなく、死んで行ってしまった。それがとても、痛くて、悲しい。





「――アリサ」

「…………」

「もうルクセルグに到着するぞ」

「……ごめんなさい、寝ていたわ」

 額を押さえながら呻き、すっと視線を車窓から外へ向けた。雄大な高原が遠くまで広がり、向こう側に白い城壁が見える。その城壁のさらに遠くには、大変に荘厳な山脈が見えた。白い雪を頂上から中腹まで一切に積もらせ、青空と雲を背景に、美しい景色を演出している。王都ヘルヴィニアのある大陸東南部には、あのような山脈は無い。ルクセルグは時折雪が降る。王都にはない、自然の恩恵と景観に囲まれているルクセルグは、こうして列車が交通機関として栄えるまでは、やってくるのにも一苦労だった。しかしそれ故に多くの人が行きたいと望む、とても優れた観光都市でもあった。何より、雪があるのが珍しい。もちろん水気質の魔法で雪は簡単に作ることが出来る。けれど、そんな人工的なものがあるからといって、静かに舞い降りてくる神秘的な雪に人は飽き飽きするわけではなかった。人は、ただ生まれてくるものが好きだった。誰の意志も加わっていない、本当の意味で自然の力が呼び起こした雪は、大陸の人間にとって、何よりも珍しく素敵なものなのだ。

 駅に到着し、列車から降りた瞬間、ゆるやかに寒さが染み渡った。学院のローブは冬用のものではあったけれど、指先にじわじわと冷たさが広がる。荷物を持って、切符を車掌に渡した。駅の構内は平日の昼間で人はあまりいなかったが、正面の入り口から出ると、街中を視界におさめることができ、賑やかな空気に触れることが出来た。煉瓦造りに、傾斜の高い屋根、突き出た煙突は完全に雪国の建造物の特徴で、それが中央のメインストリートの左右それぞれ、一直線に連なっているのがとても綺麗に見えた。しかし、今日は雪が積もっていないようで、屋根の色は剥き出し、道も穏やかだった。

「支部は、メインストリートの途中にあるようだな」

「パーシヴァルはどこにいるのかしら」

 道を歩きながら、ウィルは支部への紹介状と書類を片手に話す。

「奴も支部にいるんじゃないか?」

「同じ建物にいるってこと? だったら、食事の時間や、演習の合間にばったり会えそうな感じね」

「どうかな。出張だから、城にも出向くんじゃないか? 忙しいだろ。第一、食事を支部でするわけないと思うけど。お偉いさん方と、豪勢な食事会だろうさ」

「確かにそうね」

 中央の大きな道からずっと先に、ルクセルグの城が見えた。パーシヴァルはここに、おそらく城にも出向くために来ているのだろう。ヘヴルスティンク魔法学院は大陸最大の魔導士養成機関で、今やその力は政治的な影響力も絶大だ。各都市の城主にも当然力は及んでいるし、こうした場所に来るなら、当然そういった城にも顔は出すのだろう。恐らく最初に城に行っただろうから、支部で会えるなんて考えでは駄目に決まっている。こちらがもっと、積極的に会いに行こうとしなければ、そもそも会うことすら難しいだろう。

 支部の建物は、建物の連なりにかなり自然な形で収まっていた。建物の形も、ルクセルグ的なものと完全に合わせている。リーグヴェンのように辺境に作られていなかったが、大きさは同じくらいで、それなりに大きかった。扉を開けると、まずは開けたようなロビーがあり、暖房が効いていた。窓口のようなところがあり、そこにまず近づく。

「ウィルフレッドと言います。今日からこちらで都外研修を受けにきました」

 そこにいたのは、眼鏡の若い男だった。

「ああ、話は聞いているよ。ウィルフレッド君と、もう一人」

「私です。アリサ・フレイザーと申します」

「そうそう、アリサ君。二人だったね。紹介状と書類を見せてくれないかな」

 ウィルは彼にそれらを渡した。彼は眼鏡を持ち上げて、感心するように頷く。リーグヴェンにいたローズマリー先生も、似たような動きをしていた。

「こっちの過程に合わせてもらうから、ここには一か月ほどいてもらうことになるよ」

「はい」

「しかし、そっちのアリサ君は特待生か。素晴らしい」

「ありがとうございます」

「まあ無駄話はいいだろう。明日の朝礼に出てくれれば、そこで演習の説明はしよう。寮は廊下の左が男子、右の奥が女子だ。今日は自由だからゆっくりするといい」





 それから一日は、ルクセルグ支部の建物を散策した。女子寮は扉の一つ一つに学籍番号と名前が控えてあって、それを確認しながら歩いた。寮の二階の半ばに、目的の犯人候補の二人、ウルスラさんとステラさんの名前があった。ウィルは傍にはいなかったけれど、試しにノックしてみた。――しかし、誰も出なかった。当然だ。研修のために今日初めてやってきた私たちは自由だけど、普段昼間は演習のために外に出ている。ルクセルグの駅を中央にした街を外れた、森や国内の高原で演習していると聞く。帰ってくるのは夕方だろう。私はゆっくりとその場を離れた。寮は非常に静かだった。

 しかし、もう一度ロビーに戻ると、さっきの男の先生と女子生徒二人が何やら騒いでいた。男の先生は私に気付くと、慌てたように手招きした。

「ちょっと来てくれ」

「なんですか?」

 すぐに近づくと、様子がなんとなくわかった。女子生徒の人は、非常に顔色が悪そうだった。紫がかった、暗い色の髪をしていた。白い肌は普段からそうかもしれなかったが、今は青白かった。一方もう一人は、柔らかな茶髪が肩口で霧空得られている、落ち着いた印象の人だった。先生は私に、冷静に指示をする。

「どうにも彼女、体調を崩したそうなんだ。部屋まで運ぶのを手伝ってあげてくれないか?」

「わかりました」

 もう一人の女子生徒は、顔色の悪い方の生徒を支えながら、私にぺこりとお辞儀した。

「ごめんなさいね。こっちから手を回してくれない?」

「はい」

 指示に従い、丁寧に彼女を運んだ。女子寮の階段を上がり、廊下をゆっくりと歩く。ああ、ここだと言葉に出された部屋は、なんとウルスラさんとステラさんの部屋だった。私は、寄りかかられる微妙な重さをすっかり忘れ、静かに問うた。

「この部屋に住んでいらっしゃるのですか?」

「そうなのよ。私たちを知っているの?」

「少しだけ、用がありました」

「そうなの……でもまあ、後にしてね。ステラをまずは寝かせましょう」

 ということは、こちらの体調の悪い人がステラさんで、こちらの落ち着いている印象の人がウルスラさんか……思いがけない遭遇に幸運を感じながらも、ステラさんの苦しそうな息遣いに我を取り戻し、なるべく揺さぶらないように部屋に入った。とても整頓されていて、すぐにベッドに寝かせることができた。






「ありがとう。えっと?」

「アリサと申します。アリサ・フレイザー。先ほどこちらに都外研修のためにやってきました」

「あら、そうなのね。だから、あんな時間にロビーにいたの」

「そういうことになります」

「気質は?」

「炎です」

「あら残念。せっかくご縁が出来たけれど、私とステラは雷なのよね」

「知っています」

 ウィルがいないけれど、口走っても構わないだろうか。

 ステラさんは布団に入り、ウルスラさんの用意した氷の入った袋を額に乗せて、安静にしていた。時折小さく苦しそうにするけれど、聞けば単純に体調を崩しただけで、今は眠っているだけのような。部屋の真ん中にあった丸いテーブルで、私とウルスラさんは向かい合い、ウルスラさんはとても慣れた手つきでお茶を入れた。

「知っているの?」

「はい。私は、ウルスラさんとステラさんに会いに来たんです」

「さっきもそう言っていたわね。何のために?」

「訊ねたいことがあったんです」

「それは?」

「五年前の、お二人が受けた入学試験を、覚えてらっしゃいますか」

 ウルスラさんのカップを手に取る動作が、ぴたりと止まった。

「なぜそれを?」

 それでも、止まった素振りを見せないように、こちらにすっと視線を向ける。私は少しだけ、ここにウィルがいないということに怯えた。ヘイガーさんとアーニィさんには、ウィルがほとんど受け答えしたからだ。ただそれも細かなことで、こんなところで一悶着が起こせるはずがない、同時に、ウィルに頼らなくともきちんと言葉は選ぶことが出来ると自分に言い聞かせた。ウルスラさんはゆっくりとお茶を飲み、私は私の前に置かれたカップの取っ手に指を添えながら、反芻するように言葉を続ける。

「なぜそれを、と問い返すということは、あの時の人間の名前を覚えていないということですね」

「…………あなたは、あの時の彼の、知り合い?」

「妹です」

「今、四年生なのね?」

「違います。私は一年生で、先月入学したばかりです」

「そう、特待生……というわけ」

 どうやら、ヘイガーさんとアーニィさんの時とは違い、話をしてもらえるようだ。あの時は、知っているのに話さないというのなら魔法を撃っても話させるつもりでいた。しかし、ウルスラさんは澄ました顔で、落ち着いたように息を吐いている。この様子だと、そんな風に脅したりしなくてもいいようだ。私は彼女に、できるだけ丁寧に経緯を説明する。

「はい。私は兄の死を、ある人物による情報によって知りました。しかし、それは公にはならなかった……学院によって隠蔽されたからです。ですが、だからといってこちらが納得するはずがない。私は個人的に調査に乗り出し、こうしてその当時の試験生の先輩方に直接会い、お話を訊ねて回っているのです」

「なるほど。お兄さんの……事件を、解決しようと」

「はい。ですから、ウルスラさんにも話を伺いにきたということになります」

「……それはいいけれど」

 彼女は、ベッドで眠っているステラさんを気にするように目配せした。

「ステラの前では、その話はやめてくれないかしら」

「なぜ、ですか?」

「……彼女は、なんというか、その事件にひどくトラウマを抱えているの」

「トラウマ……」

 私は、同じようにステラさんへ視線を向けた。

 トラウマ?

 ヘイガーさんやアーニィさんは、その事件を、もう過去のもののようにして、なるべく振り返らないようにしながら生活していた。あまり覚えていることもなかったし、もちろんその事件に心は痛めてはいたけれど、それをずっとずっと引きずり続けているような雰囲気ではなかった。しかし――……ステラさん、彼女は、事件を引きずり続けているというのか。

「どのような――いえ、訊き方が悪いですね」

「いいのよ。ステラは、その……彼……名前は、なんというのかしら」

「ハルカ・フレイザー」

「そう……そんな名前だったのね。そのハルカさんが突然燃え上がった時、すごい悲鳴を上げたのよ」

「悲鳴、ですか」

「そうよ。それからステラは泣き叫んだように崩れ落ちて、失神してしまったの」

「失神……」

「それを支えて抱きかかえたのが、私。それが縁で、今も仲良くしているのよ」

 ステラさんを見つめる瞳は、緊迫したものから、何か温かいものを見据えるものへと変わっていった。事件の時、ステラさんが悲鳴を上げた。そして泣き崩れ、失神した……それを介抱したのが、二人の交友の始まりということか。五年も一緒にいるとすれば、二人は大変に仲がいいのだろう。

「ステラさんは、その、体調を崩しやすい方なんですか?」

「そうね。よく貧血になるし、朝にも弱いの」

「それで、トラウマというのは……」

「あんな風に人が突然燃え出したのだから、彼女のような子はとても衝撃的で、ショックだったはずだもの。それは抱え込むものもあるわ。具体的には……やっぱり、あの事件の話をすると、落ち着かなくなる。一年生の頃なんか、炎を見ただけで呼吸困難になったりしたのよ」

 それも、当たり前か。

 目の前で人が死んだのだ。それも、直接体を炎に呑み込まれて。それが病弱的な体質と関係あるのかは別として、きっと精神的に引きずるものがあるのだろう。そういったものに強く影響を受けてしまうことは、不思議なことではない。

「今は大丈夫なんですか?」

「炎を見ても、一応は平気になったわ。事件の話も、昔よりは少しだけどできるんじゃないかしら」

「してもいいのでしょうか」

 こちらの都合で事件を切り出し、ステラさんに迷惑が掛からないだろうか。もちろんこうして、五年前に起こった事件の再考だといきなり押しかけ、このように話をすること自体が迷惑ではある。だから、すでに何人もの人に迷惑を掛けている点では、すでに否めないことだ。だけどステラさんは、今までのように、話をするか否かという次元の話ではなく、その事件のことで体調に影響を及ぼしている。そんな人には、もっと気を遣わなければならないかもしれない。

 もし、ステラさんがハイブリッドであったなら、話は別だけど。

 今までの中では、もっと事件に向き合った人の中で、その事件への反応が大きい。悲鳴を上げ泣き崩れ、失神したのだから犯人ではありえない? それは暴論だ。人を殺した後に悲鳴を上げて泣いて、失神してもおかしいことじゃない。そんな生理現象は、自分の意志とは決して相容れないものだからだ。それに、悲鳴が演技の可能性もある。泣くのだって、泣き叫べば簡単だ。失神だって、本当にしたのかわからない。ハルカが燃えている真っ最中、他の人たちがステラさんの失神を優先させるはずがなく、そもそもそんな状況で、ステラさんが失神だと判断できる、冷静な人間などいなかったろう。誰もがハルカの燃え盛る姿に目を奪われていたはずだ。だとすれば、ステラさんが自分の失神を上手く誤魔化した可能性だってある。言うなれば、ハルカというとても大きすぎる注目対象が、ステラさんの失神が本物かどうかの判断をさせる冷静さを欠かせたと言ってもいい。そうすれば後で、『彼女は失神したのだから犯人ではない』という論拠が生まれ、犯人から逃れることも可能だ。

 もちろん、本当に失神した可能性も考慮しなければいけない。

 どちらにせよ、ステラさんが重要な参考人であることは確かだ。

 とても話をしてみたい。

「でも、あなたはお兄さんを亡くされているのだから……ちょっとくらいのわがままなら許されるわよ」

「そういう言い方は……あまり好きじゃありません。私が兄を亡くしたから誰かより特別だなんて、そんなことはこれっぽっちも考えていないし、そういう扱いを受けたいわけでもないので。ただ静粛に、話をしたいだけです。ですが、ステラさんの体調を考慮すれば、やはり話をすべきではないのかなって」

「私がついていれば大丈夫じゃないかしら。今は以前よりもずっと、事件のことを話してくれると思うわよ」

「いいのですか?」

「わざわざここに来てくれた人を追い返すわけにもいかないし、それに、家族の死の真相を確かめたいって思うのは、当たり前のこと……それに協力するのは、もっと当たり前のことじゃないかしら」

 事件の真相を確かめたい、それは正しい。

 でも、そうじゃない。

「……ウルスラさん、そうではないのです……私は事件の真相を確かめたい。それはつまり、あの場にいたあなたたちを、犯人かどうか確かめるためにやってきたということです。私はあなたたちが犯人かどうか見極めるためにここに来たのです」

 ウルスラさんは、しばらく押し黙った。

「私たちが、犯人だと疑っているということ?」

「違うのならそれでもいいのですが、もし犯人だというなら」

「……犯人なら?」

「その人を、容赦なく殺します。あなたであろうと、ステラさんであろうと、この手で」

「殺すの? 犯人を」

「殺します。そのために生きてきたのです」

「……犯人が、憎たらしいのね?」

「はい……」

「殺して、その後は……どうするの? 殺人――魔法による殺人は、単なる殺人よりも刑が重かったんじゃないかしら」

「確かにそうです」

 殺人は重罪だが、魔法による殺人はより重罪に課される。魔法は一歩間違えば、誰にもできる殺人が成立する。子どもも大人も、誰も彼もその手に、誰かを殺すための力を宿していることになるのだ。しかも、先天的にその力を得る。言うなれば、誰もが生まれた時から人を殺せる凶器を持っている。だからこそ、厳しい罰則が作られている。魔法はそのような、誰かを殺すための力じゃないのだ。

 だけど、それは犯人のハイブリッドにだって同じことを言ってやれる。

 あなたも、殺したのよ――。

「でも、私はどうなってもかまいません。最終的にはどうなっても構わないのです。ただ、犯人を殺したい。不思議な因果ですが、ハルカは――兄は炎に焼き殺されました。そして私は、この手に炎を宿している。だから、もし犯人に辿り着くことができたら、彼をハルカと同じ方法で葬り去ることができる」

「私ではないわ」

「それを証明することが、できますか?」

「できない。きっと、あの場にいる人間には……ただ、ステラには無理でしょう」

「なぜ、ですか?」

「とても怖がりなの。そして、私がいなければ何もできないような、とても大人しい子。体調を崩しやすいし、あの時だってすぐに悲鳴を上げて、失神してしまったのよ……? 彼女には無理だわ」

「わかりません。誰かを殺した後に、失神をする人だっています。怖がりな人だって、怖がりだからこそ殺すことのできる人間がいる。人を殺した後、何の気なしに、とても穏やかに生きていくことのできることができる人なんて、きっと過去の殺人犯にはたくさんいるでしょう……言うなればそのような人たちは皆、私服の罪人なのです。誰もがまったく、自分そのままの姿のまま、その狂気を秘めたまま生きることができる。きっと今回の犯人も、そんな人間なのではないか。私はそう思います。だから、ステラさんがいかに犯罪とは無縁の方だとしても、今の時点ではまだ、彼女を犯人候補から降ろすことはできません」

「ステラが殺人犯だっていうの?」

「ウルスラさん。先ほどは厳しい言い方をしましたが……誤解してほしくないのは、こうして会う人が犯人でなければいいと思いながら、会っています。だから、気を悪くしないでください。形式的なものですし、最終的な判断はずっと先です。お二人を疑っているとはいえども、断定できない段階で敵意を向けるのは違うと考えていますから……。ステラさんの人格を否定しているとか、そういうことじゃないのです……もちろん、理解はしていただけないかもしれませんが」

「……いつ、犯人が誰という判断をするの?」

「あの時演習場にいた方々に話を聴いて回っています。すでにヘイガーさんとアーニィさんには会ってきました。今回は、ウルスラさんとステラさん……ここでの演習が終わり次第、ヲレンさんに会うためにカルテジアスへ向かおうと思います」

「そう……ヘイガーとアーニィには会ったのね。二人は、どうだった?」

「今のところ、怪しいところはありません」

「全員に会ってから、誰が犯人かを考えるということね」

「はい。今はまだ、聞き込み捜査の段階、と言ったところでしょう」

「……そうね。あなたは、一か月、ここにいるのよね?」

「はい。気質は違いますが、またお世話になることがあれば……」

「また会う時間を設けましょう。アリサさん。今は、ステラのこともあるし、いろいろと思い出す時間も必要だから……」

「わかりました。それではまた、近いうちにお邪魔します」





 ウルスラさんは、とてもいい人だろう。ステラさんを気遣う瞳が、いつも心配そうな潤いに満ち満ちていた。それには紛れもない、心配の気持ちが宿っていたし、あまりそれが嘘偽りで、自分に対しての演技だとは思いたくなかった。けれど、まだ彼女を犯人ではないとするには早すぎる。ヘイガーさんもアーニィさんも、保留だ。ただ、ステラさんは今までの話の中では一番興味の引かれる人ではある。失神した。それは彼女にとって事件がとても痛ましいものであった証拠だし、何か覚えていることがあるのかもしれない……彼女が犯人だとは、まだ言い切れない。可能性はあっても、やはり話を聴くのが先だろう。

 女子寮の建物は、とても静かだった。まだ演習で、大半の生徒は外に出ているからだろう。

 夕方まで時間がある。先ほどの話をウィルにしておこうか――――。

 女子寮側へ通じる廊下から、今朝手続きをしたロビーに戻った。

 瞬間、固いものを踏んだ。

 足元を見下ろす。

 それは、砕けた眼鏡だった。

 急激な冷徹が、その場に舞い降りた。

 そこに。

 あったのは――そこに、いたのは。

「……なに、よ……これ」

 受付をした、男性教師の上半身が、血みどろに横たわっていた。

 そして同時に、その向こう側にいる黒い影に気付く。

「レプティル――!?」

 ロビーの中央に、黒い獣が蠢いていた。

 それは、紛れもなく爬虫類――ワニの形をした、黒いクレイドール……レプティル型だった。赤い目を光らせ、巨大な口で、何かを少しずつ咀嚼していた。牙から食み出たもの――それが、教師のローブだと悟った時、瞬間、私は片手を口元にゆっくり添えた。レプティルの口の動きは、ゆるりと、しかし着実に、何かの砕ける音を演出する。私は、息を止めた。

 ――――喰わ、れている。朝、やり取りをした男の先生が、食べられ、ている……?

 なぜ屋内のロビーに、クレイドールが一匹だけいるのか。

 それも、出現率の低い、レプティル。

 凶暴な牙が、豪快な音を立てて上下し、体を捩る。傍に転がっている先生の、上半身は――食いちぎられたのだ。死んでいる。目が、黒い。肌に、血が飛び散って、辺りは水溜りのよう。私は立ち尽くした。何が起こっているのか、理解できたのに理解できなかった。なぜここにいる、なぜ食べた、何をしている、何が起きているの!

 ほぼ無意識に体を動かした。指と指をはじくようにして、右手に炎を蓄えると、食べることに夢中のクレイドールに一撃、火球を撃ち放った。炎は黒い体を一瞬で包み、獣は声を上げた。まだ足りなかった。ロビーは私の炎で、内側から照らされたような、黄金色の明滅に晒された。それでも足りない――、二度三度と、連続してクレイドールに火球を撃ちこんだ。最後に、最も大きな嘶きが響くと、炎は少しずつ威力を失い、それが消え果ると、ロビーの中央には粘土細工の大きな欠片が、いくつも散らばった。少しだけ黒い煙が途切れ途切れに立ち上る。

 私は、決して魔法に無理をしたわけではないのに、息を切らした。引き千切られて倒れている、先生のひどい姿を見ないようにしながら、ゆっくりと中央に近づき、散らばったようなクレイドールのなれの果てを、ゆっくりしゃがんで触れてみる。血が、ひどい。崩れ落ちた破片は真っ白な粘土細工なのに、どれも血に濡れている。本物……確かに、今のはレプティル型のクレイドールだった……何を言っているの……本物に決まっている。当たり前だ。人を喰らったのよ。クレイドールは肉食の化け物――知っている、そんなことは! ならなぜ、こんなところにいたの?

「他に人がいたんだ――――」

 そして。

 再び静かになったはずのロビーに、声が響く。

 私は反射的に立ち上がり、声のした方向に片手を向けた。

「――――」

「……いつかのお姉ちゃんだ」

「あなたは……!」

 学院で、一度だけで出会った。

 灰色の髪が、左右で結ばれ。

 大人びた、瞳の。

 少女。







「あの時の――」

 表情は、重たく暗かった。

 魔法のために構えた片腕から、すっと力が抜ける。

「何を、して――……?」

「その男の人に、訊いたの。パーシヴァルはどこ? って……でも、答えてくれなかったから、殺したんだ」

「何を言っているの? 訳が、分からない」

「お姉ちゃんは知っているの? パーシヴァル・イグニファスタスが、いったいどこにいるのか……」

「パーシヴァルの場所……それを知って、どうするの?」

 少女は、片手に炎を滾らせた。彼女の指先から波打つような覇気が、大らかに熱を放ち、紅い輝きが宿る。

「殺すんだよ」

 そしてもう少女のもう片方の手のひらに、鋭い音が煌めき、糸のような黄色い光が溢れた。

「炎と、雷――」

 この子。

 まさか。

 気質を、二つ――……。

 


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