私服の罪人⑤
講堂と呼ばれる大きな部屋に、都外研修で東都にやってきている生徒が集まり、ローズマリー先生含む二人の教師から、先ほどのクレイドール襲撃に関する報告がされた。負傷者は無く、建物の損傷もほとんどなし。演習のために使用していた森の一部が魔法攻撃とクレイドールとの戦闘で燃えた程度で、大した被害ではなかったらしい。また、今回の生徒たちの迅速なクレイドールへの対応を褒めた。生徒たちは大体無傷で、ドッグヘッドなど、学院生にとっては大したことないのだろうとわかった。
こんなことに時間を使ってしまった。
講堂での話が終わり、各自解散になると、ぞろぞろと生徒たちは部屋から出ていく。時刻は夜の八時。演習授業が終わったタイミングでの襲撃だったため、大抵の生徒たちはお腹をすかせているのだろう、大体の足並みが食堂へと向かっていた。私もお腹が減っていないことはなかったけれど、そんなことより――私は、隣に立っているアーニィさんに目を向けた。
「なあに?」
「いえ。さっそくお話を聴かせてもらおうかなって、思いまして」
「お腹は空いていないの? 普段ならこの時間、私はヘイガーと食事しているわよ」
「食事なんて二の次です……ここに来たのは――」
途端、左肩に誰かの手が乗った。
振り返ると、ウィルだった。ウィルは私の顔を見て、目を細めた。
今の言葉を聞いていて、無理やり止めたのだと悟った。
ウィルは私の行動を肯定はするが、だからといって生活を蔑にすることを、喜んでいない。例えば、眠たいのに頑張って魔法の勉強をしていれば、ウィルは怒る。疲れているのに練習をすれば、咎める。同じように、復讐のために友達を作らないと言うのも、よくは思っていないと思う。だから、今。食事を二の次だとした言葉に、ウィルは呆れたのだ。
少し、居た堪れなくなった。
ウィルはそれから、アーニィさんのお辞儀をする。
「アーニィさん」
「ウィルフレッド君ね。あなたもクレイドールと戦ったの?」
「はい」
「そう、こっちに来てそうそう大変だったわねえ」
そんなウィルの後ろから、ヘイガーさんがやってきた。
「あら、ヘイガーも一緒だったの」
「なんで残念そうなんだ」
「別にィ、あれよ、可愛い後輩二人と、たまには新鮮な食事が出来ると思ったのよ」
「ほほー、俺との食事は飽き飽きしててつまらんというわけだな」
「そんなこと一言も言ってませーん」
「こいつはいつもこうなんだ」
二人は息の合った会話をする。
……アーニィさんは、先ほどまるで自然に、この時間はヘイガーさんと食事をしていると語った。その表情は穏やかで、決して飽き飽きしているとか、そんな風ではなかった。むしろ、楽しそうではある。こうして二人は喧嘩みたく会話しているけど、それだって本気で言い合っているとは思えない。普段からこんな感じで、喧嘩の範疇ですらないんだろう。
この二人、もしかして好き合っているのでは?
というよりも、こっそりとお付き合いしているんじゃ――。
もし二人が好き合っていたら、どちらがハイブリッドという可能性は大幅に下がってしまう。少なくとも、犯人は殺人鬼だ。だとしたら、誰かと恋をしたりするだろうか? 犯人自身が自分の罪に悔いているかどうか、それも問題だ。もし悔いている場合――自分のやった罪に苦しんでいる場合なら、進んで自分から誰かと恋をしようなどとは思わない。異性と同じ研修先を選んだりするのか? むしろ自分と相手が一緒にならないように、忌避反応――『こんな罪に塗れた自分に、誰かと恋仲になる価値など無い』として、積極的に異性と仲良くしようとは思わないのではないだろうか。となると、この二人はそんな後ろめたさを感じないから、犯人ではなさそうと考えることもできる。
一方、この二人のどちらかがハイブリッドで、かつ自分の犯した罪をまったく悔いていない場合。それなら、自分が誰かを殺したことを省みることなく、別に恋愛をしたって構わないと考えているだろう。自分中心、もしくは死んだ人間のことなど考えておらず、ただ普通に生きている。前者とは比べ物にならない悪と言ってもいい。二人の様子からすれば、もしどちらかが犯人の場合は、このパターンになってしまうけど――でも、そんな犯罪に手を染めた人間が恋愛というのも不思議な話だ。人間を焼き殺した人間が、純粋に誰かを愛する。そんな風に、人は変われるものなのか?
だとしたら、なぜハルカを殺した?
人間を愛することが出来るのなら、なぜ――。
「アリサ」
「なに」
「そう怒るな。食事は大事だろ? それに、クレイドールは一度発生すれば、数日は発生しない。これからゆっくり話が聴けるじゃないか、機嫌治せよ」
「……別に、もう苛立ってないし」
「そういう態度が苛立っているんじゃないのか?」
「わかってるわ。食事をすればいいのね」
「うーん、釈然としないがまあいいや」
私たちの会話を見ていたアーニィさんが小さく微笑んだ。
「あなたたち、歳が離れているのに随分親しい感じなのね」
ウィルは十九で、私が十五だ。ただこの場合年齢はほとんど関係がない。ウィルが、自分には敬語を使わなくていいと言ったのだし、彼の家に住まわせてもらって五年が経った。家族みたいなものだ。だから、きっと他人の目にはそう映るのかもしれない。――でも、それをアーニィさんに言われたくない気もする。あなたたち二人は随分親しいですね、とウィルも苦笑いしている。
落ち着け。
まだ、二人が犯人と決まったわけではない。むしろ、まだ犯人候補が三人もいるのに早計過ぎる。もっとじっくり考えるべきだと、ウィルがいつも言っているのに。どうにも先を急ぎ過ぎ、深読みしすぎてしまう。それでいつも咎められるのだ。私は息を吐き、二人の反応に穏やかに返答した。
「私は彼の家に住んでいました。だから、そう見えるのかもしれません」
「一緒に住んでいたってこと? どうして?」
「その『どうして』について話すために、ここにやってきたのですよ」
■
食事をした。食堂は混んでいたので、事件の話はしなかった。ただ、事件に関することでも、周りには本当に世間話にしか聴こえない程度の話はすることができた。私たちは向かい合い、静かに食事をしながら会話した。
「美味しいですね、ここの食堂は」
ウィルが言った。彼はあまり物を食べない人だったので、本当に軽いものだった。
「そうだろう。まあ、基本的に学院支部の食堂は大抵美味しいと聞くが」
「そうなんですか。他の支部に行かれたことはないんですね?」
「ないな。四年生になってからは、俺とアーニィはずっとここだ」
「一応調べてはいるんですけど――ヲレンさん、ウルスラさん、ステラさんはそれぞれどちらに?」
あの時あの場所にいた、残りの犯人候補だ。ウィルは場所を一応調べてはいる――学院の事務室で、彼らがそれぞれどこの支部に行っているか確認ができる――けれど、もちろん彼らそれぞれの話について、彼らと交友のあるという二人に話を聴くと言うのは大事だ。私はあまり話さないで、ウィルの言葉から始まる会話に耳を傾けることにした。もちろん決して怒っていて口を閉じているわけではなく、やはり私はせっかちなところがある。不意に事件について、うっかり漏らしてしまいかねない。すぐ隣の席では、他の生徒たちが食事をしている。聞かれては良くないだろう。冷静なウィルの方が、きちんと聞くべき質問を、世間話に見立てながら聞くことが出来る。もちろん、周りに事件の話が聴かれないようにという配慮は、アーニィさんもヘイガーさんも理解してくれている。ちゃんとした事件の話は、また後ほどする予定だった。
「ヲレン君は西都カルテジアスねー。あと、ウルスラとステラはルクセルグ。つまりはまあ北都ね」とアーニイさん。「まあ仲良しの五人とは言っても、都外研修まで一緒ってわけにもいかないでしょうし」
「見事にバラバラなんですねえ」
「まあ、どこに都外研修に行くかは自由だからな」
ヘイガーさんが紅茶を飲んだ。
「ウルスラとステラは仲がいいし、ヲレンは俺たちとは付き合いがあると言えばあるが、どちらかといえば一匹狼なタイプだからな。勝手に申請済ませて、さっさとカルテジアスに行ってしまった」
一匹狼か。アーニィさんの話では、五人が五人とも仲良しという感じだったので少しだけ憤りはしたけど、さすがに彼らもに十歳。仲がいいの程度はわきまえていて、学業的な意味での分裂は別に普通の事なのだろう。もちろんそうやって各所に別れても、再会すれば楽しくやるはずだ。じゃなければ、仲良しだなんて言えない。しかし、ヲレンさん――一匹狼か。全員が全員仲良しという話だったので、そんなタイプの人がいるとは思わなかった。あまり群れない人なのだろうか。
気になる。
「『あのこと』は、誰が一番憶えている可能性が高そうですか?」
ウィルが、かなり婉曲的に問うた。ここではあまり事件の話はしないつもりだったはずだけど、それくらいなら……そう思ったのかもしれない。少なくとも、ハルカの死の状況などではなく、記憶の話だ。聞かれても大して気に留められないし、何の話かわからないだろう。食堂はまだ騒がしく、どのテーブルも会話で盛り上がっている。
「さあな。何しろ五年前だからな」
「そうね。もちろんずっと憶えていたわよ。すっごく怖かったんだから」
「だが、時間が経てば経つほど、思い出す回数は減っていった」
ヘイガーさんが、重たく言った。
時間。
……時間。
五年も経ってしまった。
私がここに来るまでに、多くの証拠が失われた。
だけど、五年の時間を使わなければ、私はもっと自分の辿り着きたいところまでいけなかった。きっと、ハイブリッドを殺すための力も手に入らなかった。学院にも入れなくて、こうして実際に誰かの話を聴くところまで、来れなかった。それだけは、きっとずっと、いつまでも肯定できる。だけど――……だけど。
私は、少しずつ泣けなくなった。
思い出しもしなくなった。
あの朝届いた手紙。
ウィルが読んだ手紙。
それが私の心を突き刺した時、何も言えなくなって、崩れ落ちた。それから、ずっと泣いた。朝も夜も、ただずっと、泣き続けた。頭には兄の――ハルカの顔がずっと浮かび続けて、笑って、私の名前を読んだ。だからそれが逃げないように、ベッドに包まって泣いた。そして、ずっとずっと思い出し続けて。だけど、そうしなくたって勝手に甦る記憶たちが、私の中に溢れ続けていた。
だけど、時間が経って。
私はもう、少しも悲しくなかった。
ただ、いつまでも犯人を殺すことだけを考える。ウィルのこと、そして学院のことも。
ハルカに思いを馳せることは、減っていった。
「だから、事件当時は憶えていても、忘れたことはたくさんあるだろう。申し訳ないが――」
「いいんです。別に、本当ならあなたたちは無関係なのですから」
ウィルは微笑んだ。
私は俯いて、唇を噛んでいた。
ハルカの顔を、きっといつか忘れるのだ。
この人たちが何も憶えていないのと同じように。
――だから。
……だから、どうしたというの。
ハルカは死んだ。
死んだのだ。殺されたのだ。
だから、少しずつ忘れて行っても仕方がない。
それだけ、時間は残酷だから。
だけど、悲しみも癒してくれた。
代わりに怒りをくれた。
そして、力を手にするだけの時間も。
ハルカのことは忘れない。
ずっと忘れない。
だけど、代わりに手放した悲しみや涙は、もう要らないから、そのままでいい。時間が奪い去ったそれらは、要らないものだったのだ。泣いている時間、その間に消えて行った何かが、きっと今は無性に欲しい。この五年間で手に入れた物の代わりに、失われたものがたくさんある。だけど、取り戻せないもののために、今を生きている。だとしたら、別に何かを失うことなんてもう怖くない。ハルカは死んだ。もう生き返らない。消えて行った思い出も、戻らない。だけど、それを消した張本人が生き続けているということに、ただ怒りを燃やすことだけは忘れないで。そうして燃え盛る炎が、私の手に在る。それを手に入れるために力を尽くした五年間は、決して無駄ではなかったのだ。
例えば同じように、灼熱の瞬間のために。
ハイブリッド。
あなたが、ハルカにやってみせたのよと同じように。
あなたが灼熱に飲まれる瞬間のために、私はここにやってきたのだ。
こうして時間の経過により、事件が風化することも、あなたの予想通り――計画の範疇だったろう。けれど、こうしてあなたの跡を追い続けるという意志がある限り、決してあなたに勝ちは訪れない。私は、そして私たちは、必ずあなたを地獄に叩き落としてやる。ハルカと同じように、この手であなたを煉獄の内側に葬り去ってやるのよ。
■
ヘイガーさんとアーニィさんとは、再びラウンジで話をしたけれど、事件に関してはほとんど既知の情報ばかりだった。ハルカが突然炎上したこと。試験官のクレイン先生が、クリスティン先生を呼びに行ったこと。ほとんど、ターナーさんの手紙に書いてあったことばかりだった。二人はやっぱり、五年のうちに多くの事を忘れたようだった。仕方がなかった。恐ろしい記憶だとしたら、逆にそんな記憶を抑制したという可能性もある。二人を責めるべきではない。
ただ、やはり外部犯の可能性は薄い。
目の前で炎上した時、完全に他人はいなかった。
あの場にいた、七人以外は。
完全な密室だった。
それだけが、あの場にいた実際の人間によって確かめられた。
それだけでも十分だ。
■
私とウィルは、とりあえず申請を出した一週間、きちんと東都で演習をした。森での戦闘や、魔法理論の応用、かなり専門的なことをしたが、あまり苦ではなかった。その間、クレイドールは発生しなかった。また、ローズマリー先生は私とウィルに何らかの働きかけをするでもなく、普通に、何の気なしに私たちに指導をした。
そして一週間後、私たちは王都に帰還することとなった。