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奇跡なす者たち⑦

 悪魔型の大きな唸り、足音はもうここにはない。

 クレイドールたちは、消え去り。

 そして、ハルカも消えた。

 けれど。

 


 空に舞うものが生まれ落ちた。

 邪竜のクレイドール。

 灰色の空の中に、紫のどす黒い、鈍く濁った光を纏った巨大な体躯。どこまでも長く視界に収まらない。蛇行するように空を蠢く、その度に、何か耳の奥底に鈍痛を叩きつけるような、想像を絶する圧力が、存在そのものから迸っていた。邪竜の頭――黒く染まった影の中に、赤黒い眼球が見える。その眼が、じわりじわりと怒りにも似た形相に染まると、口の端々から、厳かに煙が噴き上げ始めた。

 そして――――。

「――――――――――――――――」

 竜は、口から炎の塊を吐いた。

 黒い太陽。

 竜の口から飛び出したそれは、目下の戦場となっていた王国より遠方に望む山脈に激突した。堅牢な岩肌と麓まで広がる森林に、黒い炎の塊が直撃し、そのかたちを残酷に削り取った。炸裂した爆発、遠くの空に噴煙が舞い上がる。あれほど遠くの山々だというのに、その爆発音は、王国にいた私たちの元に届いた。耳をつんざく重い残響。竜は、そうして自ら破壊した山脈には目もくれず、変わらず空を彷徨う。

「なんだよ、今の…………」

 ウィルが息を呑むように言った。

「邪竜のクレイドールなんて、ハルカのやつ、とんでもないものを残していきやがった」

「……そうね」

 私は拳を握った。

 強大、すぎる。

 あまりにも大きく、あまりにも圧倒的だった。

 これが、ハルカの遺したもの。切り札。ハルカは、これを狙っていたのだ。私とハルカ。殺戮の名のもとに生まれ落ちたハイブリッドという宿命が、たとえ破れようとも。ハルカ自身が消え去ろうとも、人間には立ち向かえないほど大きな存在を残して、あとは、ただ漫然と、無造作に、焼き尽くすだけ。

 遠くに、学生たちの姿が見える。

 先ほどまで国に蔓延ったクレイドールと交戦していた騎士たちも。そんなクレイドールたちが一斉に消え失せた代わりに、生まれ落ちた邪竜。彼らはその場に立ち尽くし、あるいは地面に崩れ落ち、空を見上げていた。誰も彼も、その圧倒的な存在に気圧されていた。目の前の敵をただ相手取ればいいのとは、もう次元が違う。今の、炎の塊が山脈を打ち砕く一撃を、見てしまった。もはや、勝てるはずがないと心が折れる――――。

 殺戮だけ、ではなく。

 立ち向かおうという、希望すら奪う。

 ハルカなら、そうするのだろう。

「…………アリサ」

「……ウィル、私は」

 でも。

 でも。

 それでも。

 私は、ハルカの死を、今、過去に出来た。

 乗り越えなくてもいい。乗り越えられなくたっていい。そう、ずっと思い続けて、復讐だけを胸に燃やし続けてきた心が、今、溶けてきている。自分という存在を今、これほど、大らかに受け止められたことはない。その、安らぎを、逃したくなかった。どうしても逃がしたくなかった。もう、絶対に離したくなかった。

 だから。

 もっと、生きたい。

 ここで、終わりたくない……!

「わかってる、アリサ」

 ウィルは、歯を見せて笑った。

「終わりたくない、よな」

 私は彼と見つめ合った。そのとき、すでに確信していた。私たちにとって、これが、私たちがずっと追いかけ続けてきた戦いの終止符を打つものであること。ウィルは――――私の願い続けた道に、複雑に絡み合った、途轍もなくよく似た命そのものだった。だから、私の戦いの終わりとウィルの戦いの終わりは、間違いなく同じもので。その『終わり』の予感を、ウィルも同じように感じ取っていることが、その目配せの最中に分かった。

 終わりたくないから、終わらせる。

 私は、ウィルに笑いかけた。

 そのとき、だった。

「ウィル! アリサ!」

 ――声が響いた。

 私とウィルは、その声の方へ目を向ける。

 立っていたのは――ヒストリカ師匠だった。

 その後ろには、ヘルヴィス王と、ロヴィーサ王妃。

 メリアとハヴェン。

 そして、ケイトリンがいた。

「アリサちゃん!」

 彼らが私たちの元へ、駆け寄ってくる。

 私は、茫然とした。彼らが私とウィルを取り囲み、微かに笑みを零した。

「アリサ、お前……元に戻ったんだな!」

 師匠が私に駆け寄り、私の頬を撫でた。

 私は、すぐに何も言えなかった。それぞれの顔を見つめて、見回して、そのまま言葉を失うばかりだった。このひとたちの顔を見るのが、本当に、ずっと長い時間が経ってしまったかのような気がしたのだ。このひとたちに最後に会ったのは、まだそれほど――何かを懐かしんだり、時の流れに想い馳せてしまうほど、昔のことではないはずなのに。猛烈に、懐かしかった。胸の内側に、言葉にしようもない感覚が溢れ始めた。

「アリサ」

 師匠が、私の名前を呼んだ。

 静かに、穏やかに。

「師匠…………」

 私は、そんな風にしか零せなかった。師匠は私の名前を、大きな慈しみを持って呼んだ。これまでも、ずっとそうだったことを思い出した。私は、師匠の、私を呼ぶそんな声が、好きだった。だから今このとき、私はどうしようもなく師匠の胸に飛び込みたかった。でも――まだ、そのときではないことを私は知っていたし、師匠も、そのことをちゃんとわかっていた。

「お前、その魔力は…………」

 師匠は、すぐに私の変化に気付いた。今の私は――――もうひとりの私である、ハイブリッドの力を授かっていた。私が生きてゆくことを引き換えに、強靭な魔力を受け継いでいる。滾る力が私の周囲にあることを、師匠はすぐに感じ取った。私は言った。

「みんなの……皆さんのおかげで、私は、戻ってこられました」

 師匠から視線をずらし、私とウィルを囲む彼らに、頭を下げた。

 何もかも、そのおかげとしか言いようがなかった。ウィルの声を引き金に、私がここまで歩んできた中で、私の名前を呼ぶ声、その全てが私を闇から救い上げてくれた。だから、ここにいる。きちんと戻ってこられて、再び彼らの前に立てたこと。そして、こうして言葉を交わせること、その喜びに胸が打ち震えていた。

「信じてましたわ。貴女は、ここで終わる方ではないと」

 ロヴィーサ王妃が言う。

「ああ。とにかく、よかった」

 ヘルヴィス王もそれに続いて、優しく目を細めた。

「……アリサ、ハルカは…………」

 師匠が私に、そっと問いかけた。

 私は、何も言わず。

 師匠の目を見つめ返した。

 それだけで、すぐにわかってくれた。

「そうか。頑張ったな、本当に……よく頑張った」

「ありがとう、ございます」

「話したいことはたくさんあるが、まだ――あいつがいる」

 師匠は、上を見上げる。

 大きな火球を口から迸らせた邪竜。一撃一撃の強大さのためか、今はただ、空を舞いながら時折嘶き、咆哮するのみだ。力を溜めているのか……。邪竜は、その真っ黒な体躯をぐにゃりぐにゃりと捻じ曲げながら、空を覆いつくすほどの大きさで地上のいる者たちを圧倒している。その口の端から、黒煙のような、陽炎と見紛う渦を巻く黒煙が微かに漏れているのが見える。――あまり時間はありそうにない。師匠は空から顔を下げ、私を見た。

「何か声をかけるでもなく、行くつもりか」

「はい」

「頼もしい弟子を持ったもんだなあ」

「……ここまで、ありがとうございました」

「馬鹿」

 師匠は笑う。

「何もかも終わったようなこと、言うんじゃない。何も手を貸してやれないことばかりで、ふがいなかったのは私の方だ。お前は……私の誇りなんだ。これまでもこれからも。だから、どうか、何もかも、お前の願う通りに戦って、帰ってきてほしい」

「……ありがとうございます」

「約束だ」

 師匠は、私の頭に手を置き、ぽんぽんと軽く叩いた。

 嬉しかった。これまでもずっと、私は師匠の言葉にたくさんの喜びをもらってきたけれど、本当に自覚しながら受け止められた。私は、師匠にこうしてもらえたら、とても嬉しいんだ。こんな喜びを、もう忘れたくなかった。だから、この温もりを胸に、私は再び戦いに赴ける――――。

「アリサお姉ちゃん」

 私は、呼ばれた方へ目を向ける。

 メリアとハヴェン。

「メリア……ハヴェン……」

 私は、メリアの元へそっと近づき、彼女の頬に手を当てた。

「メリア、ごめんなさい。私…………私は……」

 あのとき、闇に堕ちていたとしても、私は、私のことを覚えている。メリアと戦い、彼女を痛めつけた。ハイブリッドの能力に目覚め、闇に堕ちたことを言い訳にするように、メリアを傷つけた。メリアを否定し、メリアがこれまで戦ってきたことすらも否定した。その光景は、私の目の奥に今も焼き付いていた。メリアの傷は、きっとヘルヴィス王に治癒してもらったのだろう。彼女の顔は綺麗だった。しかし、服のいたるところに残る煤や血は、私との戦いの名残を思わせた。私の胸がずきっと痛む。

 メリアは、頬に添えられた私の手に、自分の手を重ねた。

「何も言わなくていいよ」

「メリア…………」

「もう、わたしとハヴェンの願った因果は、あの大きな竜を打ち倒すだけ。それで、何もかも終わるの」

「私は、あなたの殺したかったハイブリッドの片割れだった。それは、確かだったのに――――」

「そうだったね」メリアは微笑んだ。「でも、パーシヴァルを倒して――――とても、晴れやかな気持ちになったんだ。そして、もう一度ハヴェンと会えて、とっても穏やかな気持ちになれた。もしかしたら、もうわたしの戦いは終わったのかもしれないって、思ったの。だから、お姉ちゃんとの戦いは、おしまい」

「…………メリア」

 私は、メリアの頭を撫でた。その資格があるのかすら、わからなかったけれど。そうして、私のことを「お姉ちゃん」と呼んでくれているという事実だけが、ほんのすこし、ほんのすこしだけ、私にそうさせてくれることを許してくれているような気がした。まだ、メリアには伝えたいことがたくさんあったけれど、そのための時間が無い。その時間を作るために、私はまだ戦いたい。私は視線をずらし、ハヴェンを見た。

「ハヴェン。あなたも、無事でよかった」

「けっ、あれだけ息巻いていたくせに、すっかりやられちまってたみてえだな」

「ごめんなさい」

「謝るんじゃねえ。謝っていいのは、何もかもに敗けたときだけだ」

「――――その通りね」

 私は未だ、負けていない。敗けていない。憎しみの対象を失ってなお、ここに立って居られている。戻ってこられたということは、まだ勝つ望みがあるということだ。ハヴェンの言葉は重かった。私たちは負け続けてきた。けれど、何もかもに敗けたわけじゃない。。自分の中に残る、信念がある。だから、まだ希望がある。

「ありがとう、ハヴェン」

 ハヴェンは私の言葉に反応するように、拳を突き出してきた。

 私も同じように、拳を突き出し、彼のそれを、コツンと叩いた。

「アリサ君」

 ヘルヴィス王が私を呼ぶ。そして、隣にはロヴィーサ王妃も。

「アリサ。改めて――ご無事で何よりです」

「ありがとうございます」

「ああ」

 王様が静かに言う。そして、私の前に手をかざした。王の手が、ふわっと柔らかな光に包まれる。私とウィルの身体が光に包まれ、少しずつ傷が治っていった。私はハルカとの戦いの中で目覚めたとき、治癒の魔法も使えるようになっていたが、その後の戦いの中で受けた傷を治すことを忘れていた。傷はすぐに治る。

「また、君に戦いを押し付けるようですまない」

「いいえ。いいんです。私が戦いたいんです」

 王の治癒は――ただ人を治すだけではない。何か、自分の中にほのかな力をもらったかのような温もりがあった。それは王の心そのものだ。私がこれまで歩んできた道を、信じてくれた、その心と同じ色の温かさだ。

「アリサ、これを」

 ――王妃は、私にひとつ、剣を託した。

「私の片方の剣です。お邪魔かもしれませんが、お供してくださる?」

「……ありがとうございます」

 受け取る時、微かに王妃の手に触れる。初めて会ったとき、王妃に多く、厳しくも優しい言葉を思い出した。王妃は、世界有数の剣の使い手。そんな彼女にとって、剣とは半身に近い。常に傍に置き、常に共に歩んできたものが、王妃の剣だ。そのうちの片方を――私は受け取った。重かった。剣そのものが重いのではなく、託されたことの意味の重さが、大きかった。けれど、その重さはそのまま、私の武器だった。

 片手には、ウィルの剣があり、もう片方に、王妃の剣があった。

 私は、その剣たちの心強さに打ち震えながら、静かにそちらを見る。

 ケイトリン。

「…………アリサちゃん」

 途轍もなく、懐かしい声に思えた。

 私は、しばらく何も言えなかった。

 ただ、ケイトリンと見つめ合うことしかできなかった。

 私にとって、ケイトリンとは、いったいどんな子なのだろう。初めて会ったとき、この子は、随分と他人の領域に入り込んでくる子だ、と静かに疎ましく思った。その煩わしさを跳ねのけるため、冷たく当たったこともあった。それでも少しずつ――私は信頼して、彼女を友人だと思い始め。そして……裏切られた。

 パーシヴァル側に付いていた人間、だったのだ。

 そのことは、今も、私の心の中に疼いている。

「アリサ、彼女は…………」

 ウィルが何かを言おうとした。何か、事情を知っているようだ。

 けれど、私はそれを制する。

 彼女を責めるつもりはなかった。

 今、憎いという気持ちも、怒りの気持ちさえもない。

 裏切られたという事実が、ここまで糸を引いていたとしても。

 私の中には、それ以上のものが、残っていたからだ。

 ケイトリンの笑顔や、言葉たち。

 私のことを、アリサちゃん――と、呼んでくれている、その声を。

 それだけは、疑っていない。

「ケイトリン……あなたも、無事でよかったわ」

「アリサ、ちゃん」

「…………私は、あなたと話したいことが、たくさんあるの。あなたには、もしかしたら無いかもしれない。でも、私には、話しても足りないことがたくさんある。だから、待っていて」

 ケイトリンは、口元を押さえて、ぼろぼろと泣き始めた。大粒の涙が頬を伝って、覆った手の指に絡み、手の甲を伝って流れ落ちた。そして、嗚咽をあげながら、何度も何度も頷いた。私はそれだけで嬉しかった。これまでずっとケイトリンと話をしなかったこと。私はケイトリンと再び、ふたりきりで、静かに話がしたい。そのためだけでも、今、戦う力が湧いていた。

「――――ありがとう」

 私は、私たちを囲む、全員に目配せをした。

「……ありがとう」

 そのほとんどが、私より大人だった。

 私は、いったいどれほど子どもだったのだろう。自分の復讐のために、たくさんのひとたちに迷惑をかけた。自分の目標ばかり見据えて、そのために多くの犠牲を強いてしまった。それなのに、ここにいるひとたちは、私に何の疑いもなく、力を添えてくれた。温かな言葉をくれて、優しいまなざしを注いでくれた。私は、どれほど恵まれていたのだろう。どれほど、幸福だったのだろう。どれだけ返しても、返し足りない。

「行ってきます――…………」





 すでに一区画が崩れ去った、ヘヴルスティンク魔法学院の最上階。パーシヴァル学院長の部屋だ。ここが、ヘルヴィニア城と並んでこの国で最も高い場所にある。戦いの痕。学院長の部屋は、天井に穴が開き、切り取られたように空が見える。私とウィルはそこに立ち、空を見上げていた。灰色の空、雲に満ち満ちた空。その中を、強大な体躯を横たえながら徘徊する、夥しい邪気を放つ存在。

 邪竜。

 あれがクレイドールだとは到底思えない。

 圧倒的な、威圧感。

 空を支配する、邪悪の権化。

 ハルカの、遺したもの。

「…………行ってくるわね」

 私は、ウィルに言った。

 少しだけ見つめ合った。もし、きちんと話をするとすれば、何もかもが終わった後だ。それは師匠やみんな、ケイトリンたちであっても変わらない。ウィルときちんと話をするのも、きっと何もかも終えた後が正しい。脅威が目の前にある中で、長い話はできない。言葉も、きっとそんなに多くは出てこない。

 だとしても。

「ありがとう」

 何度言っても、きっと足りないだろう。

「ウィル、私は……あなたがいなければ、ここに立っていなかった。誰とも、正しく向き合えなかった。あなたが、何もかもを解き明かしてくれたから。私の歩む道に立っていてくれたから、私は、ここにいられる」

「アリサ…………」

「私の炎を、復讐の炎じゃなくて、未来を切り拓くための炎として、使うことができる」

 私の中に、温もりが広がっている。温かさ、吹き抜けていく春風のような居心地の良さ。脅威がすぐそこにあるというのに、不安は微塵もなかった。『ただ、勝つ』ということ――復讐を誓ったあのときと、同じ気持ちのままなのに、そこに宿る魂の色合いが違った。ただ勝つだけじゃない。勝つということの意味が、そのまま、私の幸福に繋がる。復讐さえ果たせば何もかもどうでもいいと思えた、あのときの私とは違う。

 ウィルは微笑んだ。

「俺はお前の炎が、どんな形で、何を焼き尽くそうと構わないと思っていた。アリサ自身の魔法を、復讐のために使ったって、俺はよかった。アリサが望むなら。でも――今のアリサの炎の方が、俺は好きだな。ずっとしなやかで、綺麗だ」

「…………ありがとう」

「叩き込んでやれ」

 ウィルは頷いた。

 そして。

 私の足元の床に、両手を宛がった。――瞬間、光のような輪が私の足元を囲い、そして柔らかな風になった。私はその風に乗り、空に舞い上がる。その風に、私は自分の炎を混じらせる。風は勢いを増して、私の身体は高く高く舞い上がっていく。――ウィルの風が、私を邪竜の元へ連れていくのだ。

 私は身体を風に任せて浮き上がりながら、ウィルを見下ろした。

 ウィルも、私を見上げている。

 ウィルは変わらず笑っていた。

 託すように。

 傍にいるように。

 私は少し切なくなったけど――――すぐに、微笑み返した。

 傍にいるのだから。

 ウィルから視線を離し、空へ顔を上げる。

 邪竜が近づいてくる。





 私は、ウィルの風にさらに魔法を加えた。炎を噴射し、風にさらに勢いをつける、自分の身体が反動と浮力でさらに舞い上がる。高く、高く――ずっと、高く、高く。自分の周囲の色が変わっていく。城や街並みがずっと下にいき、遠くの山々、そして、広がりゆく海が見える。それらの色合いは、空の高みに上り詰めるにつれ、少しずつ霞んでゆく。代わりに、邪竜の嘶きが耳に響くようになる。呼吸の音さえ聞こえる。

 雲の中に、私の身体が飲み込まれ。

 そして。

 まもなく、目の前に邪竜の肌が接近した。

「――――」

 私は剣――ウィルの剣――を腰の鞘から抜き、間髪入れずに邪竜を斬った――――が、硬い。傷一つつかず、また反動で私の身体が吹っ飛んだ。炎を足元に噴射して飛び上がる。邪竜の身体に着地すると、バランスをとりながら、剣を構えた。そして剣に炎を伝えながら、邪竜の肌に思い切り突き刺した。固かった表面が燃え上がり、剣が深く侵入する。邪竜が悲鳴を上げた。邪竜の身体が大きく回転し、ねじれ、私を吹き飛ばそうとする。

「くっ…………!」

 剣が抜け、私は空中に投げ飛ばされた、剣が突き刺さったところに傷が入り、細切れになった粘土細工の粉が、空中に噴出する。――――ダメージはある。魔法が通る! だが、あの一撃であの程度の傷ならば、いくらやっても倒せっこない。私は空中で炎を噴射し、邪竜の蠢く方向へ共に飛び上がった。狙うは――顔だ。

 邪竜は、思わず耳を塞ぎたくなるような鳴き声で、私を威嚇する。

 風の音、邪竜の声。

 自分の身体がどこにあるか、わからなくなる。

 けれど、私は。

 乗り越えたい。

 戦いたい。

 みんなの待っている、居場所のために。

 私はさらに炎を噴射した。邪竜の動く速度より、もっと、もっと速く。

 そして、邪竜の眼前に辿り着く。

 私は腰からロヴィーサ王妃の剣を抜くと、炎を伝え、邪竜の眼を叩き斬った。炎の刃が、残像と火の粉を打ち広げながら邪竜の眼を八つ裂きにする。眼のあった場所がひび割れ、やはり粘土細工のように風解しながら破裂した。邪竜は再び轟音を上げた。動きが停滞し、身体をねじらせて蠢くものの、大きくは動かなくなる。私は邪竜の正面に向かった。ウィルの剣、ロヴィーサ王妃の剣、両方を構える。

「うあああああああああああああああッ!」

 私は叫び声を上げながら、両方の剣に、自分の魔法を宿した。自分の手のひらに籠った熱量、その全てが二つの刀身に立ち上る。剣の表面から溢れ出した炎が、次第に剣の形を逸脱していく。剣と剣を重ね合わせるようにすると、溢れ出した炎は互いに寄り添い合う。私は、自分の中にある、全ての魔力を放出し、剣につがえた。

 炎の剣は――――やがて巨大な一本の剣となった。

 炎の刀身は、邪竜に匹敵する長さに至った。

 邪竜が、私に向けて大きな口を開けた。

 邪悪な妖気、煙が邪竜の喉奥に集い始める。先ほど地上に放った巨大な光線を、直接私に打ち当てるつもりだろう。周囲から黒々しい粒子が吸い込まれるようにして、邪竜を目指していく。邪竜が大きく開けた口の中央に、巨大な黒い球が完成していく。――――黒炎。何もかもを絶望に叩き落す、殺戮の炎だ。

「――――――――」

 けれど。

 私を包む炎は、金色だった。

 巨大な金炎の剣。

 この炎は。

 私だけの、炎じゃない。

 私を見つけてくれたひとたち。

 私の名前を呼んでくれるひとたち。

 出会い。

 その、何もかも。

 歩み。

 魂。

 想い。

 願い。

 希望。

 ひとつひとつ。

 その全てが『混ざりあった炎』なんだ。




 邪竜の口から私に向かい、漆黒の火球が放たれる。

 瞬間。

 私は。

 ――――巨大な炎を宿した剣で、横薙ぎに一閃した。

 火球は、金色の炎に叩き潰され。

 そして。

 剣は、邪竜の身体を斬り裂いた。

 金の炎が、邪竜のあらゆるものを塗り潰してゆく。

 黒煙を、殺戮を、闇を、邪悪を。

 それにまつわる何もかもを。

 光が、塗り潰してゆく。




 どこまでも。

 いつまでも…………――――。

 

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