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私服の罪人④

「クレイドールが出たか――行くぞ、アーニィ!」

「ええ、ヘイガー!」

 二人はすっと立ち上がり、ローブを翻しながら即座にラウンジを去った。二人の後姿を見つめるだけだった私たちは、呆気にとられてすぐに動けなかった。もう少しで話が終わりそうだったのに――! もう少しで、何か訊きだせそうだったのに! そんな気持ちが湧き出して、ただ突き出した手のひらが、いつまでも炎を燻っているだけだった。もちろん、撃ち出すつもりはなかったけれど、悔しい。クレイドールなんてものに邪魔されるなんて!

 ウィルは立ち上がると、私の肩を叩いた。

「話は後でも出来るだろ。俺たちも行くぞ」

「ウィル」

「俺たちも加勢した方が、それは当然早く終わる。そうしたら、もう一度話を聴けるだろ?」

「……そう、そうね」

「とりあえず落ち着け。昂ぶるなよ。クレイドール相手だと油断するな」

「わかっているわ。私たちも行きましょう」

 ウィルの言葉に腕を下ろし、すぐに走り出した。

 ラウンジの横の階段を下りると、幾人かの生徒たちも玄関の方へ駆けていた。皆、ここで都外研修をしている先輩たちのようだった。私たちもそれに付いていくと、玄関の辺りでローズマリー先生が指示を出していた。先生は私たちの姿を見止めると、冷静に、しかし的確な言葉遣いで私たちを呼び止める。

「アリサさんとウィルフレッド君」

「先生――私たちも、クレイドールと戦います」

「そうね。少しでも戦力はあった方がいいわ。おそらく、先ほどの振動はドッグヘッドの咆哮――当然数は多いでしょう。近くの森から街への進行を食い止めるなら、あなたたちも戦ってくれるとありがたいわね」

 ドッグヘッド――犬型だ。

 クレイドールは幾つかの形を持っていて、それらは実在する動物の形を模している。しかし、まるで影絵で作られた模型のように全身が真っ黒で、赤い眼光が煌めく。また、口を開くとその内側も赤い。つまり、黒と赤しかその色を持たない、奇妙な化け物だ。

 その姿は犬の形をしたもの――ドッグヘッド。

 猫の形をしたもの――キャットヘッド。

 鳥型――ラプター。

 爬虫類型――レプティル。

 悪魔型――デモンズヘッド。

 この五種に分類され、ドッグヘッドとキャットヘッドは同時発生の数が異常に多く、その代わりそれほど強くない。しかし、ラプター、レプティルの順に強くなり、デモンズヘッドは非常に強力だ。しかし、強くなっていくごとに同時発生の数が減る。つまり、デモンズヘッドは基本的に一体での出現となる。もちろんデモンズヘッドの出現は非常に稀で、この十五年に一度しか報告されていない。出現率の高いのは圧倒的にドッグヘッドとキャットヘッドだ。

 今宵はドッグヘッド。

 彼の犬型は咆哮が凄まじく、大量発生によって建物も振動する。これは威嚇の一種ではあるが、出現の合図となってしまい、向こうにとっては習性のつもりでも、こちらにとっては即座に対応することができて好都合だ。だからこそドッグヘッドは一番弱い。キャットヘッドは鳴かず、ラプターは空から現れる。この二体は急襲が得意で、少し厄介だ。

「明日渡そうと思っていたけど、これが二人の剣ね」

 先生は前もって用意していた綺麗な剣を、私とウィルに渡した。

 




 魔法学院生がクレイドール討伐に駆り出されるようになったのは、奴らが魔法に弱い性質だからである。

 こうして都外研修に来ている生徒たちも、クレイドールが出現した場合、即座に討伐に向かうよう指示されている。そのための訓練もされているし、クレイドールが発生した十五年前以降、教育課程にもクレイドール対策が組み込まれた。

 その中で、彼らと戦うための方法論は学んでいる。

 魔法に弱い。だからといって、数の多いドッグヘッドに魔法を使い続けても魔力を消費し、逆に追い込まれるだけだ。だから基本的には剣で戦い、弱らせたクレイドールに弱い魔法でとどめを刺す。まったく体力に衰えが無く、ひたすらに快活なクレイドールを魔法で倒すには、それ相応の魔法を撃ち抜かなければならない。しかし、クレイドールは剣によるダメージで、倒せはしなくとも弱ることは証明されている。だからこそ、生徒たちやクレイドール討伐隊は剣と魔法の併用が基本として指示されているのだ。

 私はまだ一年生だけど、剣は学んだ。

 クレイドールと戦うのも、初めてじゃない。

 ここで邪魔されたのが、少しだけ苛ついただけだ。

 私は先生に剣を受け取ると、すぐに玄関を飛び出した。





 ウィルは彼女が走り出すのを見ながら、また暴走しているな、と溜め息を吐いた。

 玄関を飛び出すと、夕闇がざっと降りてくるような、黒々しい影たちと、そろそろ沈んでいきそうな赤色が混じり合っている視界に包まれる。東都支部の建物の傍には、演習に使われる森がそびえている。おそらくクレイドールはあそこから発生したのだろう。続々と生徒たちはそちらに走り出している。――続々ととは言っても、まだ演習から帰ってきていない人たちも大勢いるから、それほど大仰ではない。けれど――皆もう四年生以上の魔法学院生だ。ドッグヘッドに手こずるはずがない。

 ウィルは地面に向かって風魔法を撃ちだすと、思いきり宙を跳ね飛んだ。

 それから空中で何度も撃ち出し、森の入り口の木の枝に立つ。

「アリサがもういない……あいつ、ちょっと苛立ってるだろうな。せっかく先輩たちに会えたっていうのに、クレイドールに邪魔されたんだから」

 それから再び魔法を撃ち出し、魔法で森の奥へ進んだ。

 ――――瞬時。

 上からドッグヘッドが牙を剥いて噛付いてきた。

 森が暗くて見えない。

 しかし、ウィルは鮮やかに剣で凌いだ。広く開けたドッグヘッドの口は、中まで、まるで絵の具を純粋に塗り散らかしたかのように赤い。それが目印の役割になって、ウィルは手首だけで口を一閃する。クレイドールは嘶き落下すると、地面でのた打ち回った。あとは下に降りて、もう一度魔法を撃てば――――。

 もう一匹。

 ウィルは左手で風を撃ち、ドッグヘッドの突進をかわすと、脚で一度そいつを蹴り上げ、剣で背中から切り裂いた。クレイドールと名付けられた由縁――それは、倒されると粘土細工が砕け散ったようになるからではあるが、生きているクレイドールはほとんど生きている獣と変わらない。ウィルの足には、まるで普通の犬を蹴り上げたかのような、柔らかな感触が残る。背中を切り裂かれたクレイドールは痛みに呼応するように叫び上げ落下する。それをめがけて、ウィルは風魔法を二発撃ち放った。地面に落下したクレイドールは、先ほど落下したもう一体と重なり、風魔法は同時に二体を破壊した。地面には、砕け散った粘土細工の欠片が残った。ウィルはそれを見届けると、もう一度風魔法を撃って体を安定させ、近場の木の枝に乗った。

「まだいるのか」

 安定したと思った瞬間に、二匹。正面と後ろか。

 ウィルはまず風魔法を一発、前方の一匹に撃ち出した。風を喰らったクレイドールは吹き飛ぶが、まだ倒せない。それでいい――彼はそのまま撃ち出した勢いで後ろに倒れ、地面に向かってわざと落下する。後ろからやってきた一匹はそれで避けることが出来た。今度は再び地面に魔法を撃ち出し浮き上がると、目標を失ったクレイドールに剣撃、魔法――これで一匹。

 最初の一発で吹き飛んだクレイドールが、それとほぼ同時にもう一度やってくる。噛付くために、口を開けている。今度は切らずに剣で突き、口の内側から思いきり体を貫いた。それから剣を右に薙ぎ払うと、その勢いで剣からクレイドールの体がするりと抜けて吹き飛んでいく。それをめがけて、風魔法を一発撃ち出す。直撃。砕けた体がぱらぱらと地面に落ちて行った。

 その地点に向かってゆっくりと地面に降り、クレイドールの砕けた部分を手ですくった。粘土細工が砕けたようなとはよく言ったものだ。手ですくって、すっと手を傾けると、風に吹かれたようにさらさらと粉が舞っていく。固形のまま残っている部分もある。手で触れると、すぐにまたひび割れて、小さな小さな塊になる。

 クレイドールは未知の化け物だ。

 十五年前、突然現れた獣。

 人間を喰らうが、出現率の高いドッグヘッドやキャットヘッドは恐ろしく弱い。少しだけ強いラプターとレプティルは出現率が低く、一年に一回現れるか否かだ。悪魔型のデモンズヘッドに限っては、まだ十五年間で一度しか確認されていない。デモンズヘッドは非常に強かったという話は聞くが、あれは西大陸での出現で、確かカルテジアスの討伐隊が倒したという話は聞いた。けれど、なぜ現れたのかは不明だし、いったい何が目的で人間を喰らおうと現れるのかもわからない。科学者や魔法学院も調査しているが、まだ最初の出現から十五年だ。魔法に弱いこと、剣で弱らせることができること、倒せば粘土細工のように砕け散ること……それくらいしか一般的には認知されていない。

 今後、知ることができるだろうか。

 ウィルは溜め息を吐いた。

 ――いや、そんなことはどうでもいい。

 俺は親父がなぜ死んだのか、それを突き止めたいだけだ。こいつらが人間を喰らおうとするなら、それは当然止めるけれど、目的とはほとんど関係がない。こいつらの存在に関して何かを求めても意味がない。今は、ただこいつらが邪魔をしてきたから、こうして倒しているだけだ。本当なら、親父がなぜ消えたのか、アリサの兄がいかに死んだのか、誰が殺したのか――そういった要素を突き止める過程に、こんな獣たちは邪魔な存在で、本来ならば入り組んでくるはずのない奴らだというのに。こんなものとは戦わずに真相を突き止めることができるなら、それでいいというのに。

 しばらくそこにいると、すぐ近くに誰かが降り立った。

 ヘイガーだった。

「――お前は、確かウィルフレッドだったか」

「ヘイガーさん、お一人ですか」

「アーニィとは二手に分かれた。お前の方も、あの怖い目の一年はどうした」

「さあ、知りません。どうもあなたたちとの話を中断されて、苛立っているみたいですね。俺も彼女を野放しにしておくと面倒になるので、一緒に行動したいとは思っていたんですが」

「どうやら、あの一年とは仲良しらしいな」

「仲良しというか、まあちょっとわけありで」

 ヘイガーは銀髪の青年で、鋭い眼をしていた。五年生だから、すでに二十歳かそれを超えているだろう。身長はウィルより少し高かったが、同じくらいの体格をしている。ウィルも四年生なのだから、ほぼ同い年だ。だが、明らかに手練れの風格があった。五年生とは何度も会ったけれど、この人はきっと、学年でも指折りの優等生なのだろう。――もちろん、優等生とはいい子であるという意味ではない。圧倒的に魔法の扱いに長けているという意味だ。この余裕そうな佇まいも、きっとそれが起因しているのかもしれない。ウィルは彼が頼もしく思えた。――――が、あの話題についてきちんと話さないことは別だ。

「その『わけ』っていうのは、五年前のことか?」

「――――」

 ウィルは表情を崩さなかった。

「やはり、知っているんですね……そして、憶えているんですね」

「さっきはあの一年をからかっただけだ。勿論憶えているさ」

「からかった……まったく、こっちは本気なんですよ?」

「悪いな。こちらも話すなと言われていたもんでね」

「やはり、箝口令が? だとしたら、今こうして話していていいんですか? 話すと、何か制裁とか……」

「そんなものは言われていないが……口止めはされている。話したら制裁があるとか、そんな話は一切ない。ただ、周りには黙ってけと言われた程度だ」

「制裁が……ない? それじゃあ口止めの意味がないじゃありませんか」

「ないな。まあ、あれは話したくなる事件じゃないが」

 この人は、目の前でアリサの兄が焼き殺されるのを見ているのだ。

「あの殺された奴、ハルカ・フレイザーって言うんだな」

「知らなかったんですか?」

「実技試験の同じ班の奴の名前なんて憶えてないだろ普通。お前は憶えてるのか?」

 憶えていない。

「だろう。アーニィの方は俺を憶えていたんだ。だから今でも付き合いがある」

「そう、ですか。では、さっきのアリサの言葉で名前は初めて知ったわけですね」

「そうだな。だから、ピンとこなかった。だが、五年前の不審死と聞けば、あいつしかいないだろう」

「……やはり彼は、焼き殺されたんですね?」

「――そうだ」

 手紙の文面以外で、事件について語られるのは初めてだった。文字だから現実味はなかったし、本当にこの事件は起こったのだろうかと疑うこともあった。もちろんターナー――親父を信じていないわけではないし、あの筆跡は確実に親父の物だ。それに、事件が起こっていないのならあれだけ詳細に嘘が書けるはずもないし、親父が帰ってこなかった理由も説明が付かない。だからほとんど事件が起こったことは確信していたが、その事件を、自分もアリサもこの眼で見たわけではないのだ。だからこそ、こうしてその事件を見聞きし、その場に在った誰かの言葉が聞けると言うのは、恐ろしく動揺するものがあった。

「俺の親父は、ターナー・ライツヴィルと言って、事件当時ヘヴルスティンクに務めていた教師なんですが……事件の詳細について書いた手紙を俺に送った後、失踪して行方がわからないんです」

「そうか。それが、あの一年と一緒に行動している理由と言うわけだな」

「そうです。その手紙は、ハルカ・フレイザーという生徒が焼き殺されたこと。その場にいた試験生と監督の教師の名前――つまり容疑者の名前が書かれてありました」

「それで、俺たちのところに来たと言うわけか。納得だ――で、あのことも書いてあったか」

「はい。その場にいたのは『雷気質の人間だけ』なのに、ハルカ・フレイザーは『炎魔法』で殺されたこと」

「そうだ」

 瞬間、上からクレイドールが嘶きながら攻撃を仕掛けてきた。

 ウィルは反応が遅れたが、ヘイガーは瞬時に剣を抜き――ほとんど動かずにドッグヘッドの体を切り裂いた。一撃だった。吹き飛んだドッグヘッドは悲鳴を上げて砕け、同じようにばらばらになった。ヘイガーの剣は生徒用の剣ではあったが、その剣の刃には弾けるような光が纏っている。じりじりと焦がすような細かな音が響き、煌めく刀身が度々明滅した。

 剣に雷を纏わせたのか。

 ウィルは息を呑んだ。

「これで、俺が雷気質だと納得してもらえたか」

「それは納得しました――が、犯人である『ハイブリッド』は五種の魔法が使えるんですから、雷も炎も使えるわけで……だから、ヘイガーさんが、実は炎も使えるのに雷を使っている可能性は否定できませんよ」

「手厳しいな」

「疑ってかからなきゃ、ハイブリッドに辿り着けませんからね」

「確かに。そちらの心情を組めば、この程度の事では信じてもらえないだろうな」

 ヘイガーはお手上げたと言う風に肩をすくめた。

 いったい誰がハイブリッドなのか、それについては、容疑者全員に話を聴いてから考えるべきだ。全員を疑う。ヘイガーさんと話をして、この人は違うだろうと、この段階で決めてしまわないことだ。まだ容疑者は残っている。ここにいるアーニィさんにだって、まだ話は聴きたい。アリサはきっと、判断を急いてしまう。ヘイガーさんが怪しければ、そのまま炎を彼に叩き込んでしまいかねない。冷静ではあるけれど、彼女は危なっかしい。それを制するのは自分の役目だ。

「でも、気を悪くしないでくださいね。疑ってはいますが、嫌っているわけではありません。基本的に俺自身は、こうして容疑者を回っている間は、その人たちが犯人じゃなければいいなと思っているんですよ」

 それはウィルの本心であった。

「だって、同じように魔法を学んでいる、同じように学校に通っている生徒の誰かが犯人だなんて思いたくないし、ましてやあの時監督をしていた先生が犯人だなんて思いたくない。俺は犯人を捕まえて、できるなら殺したいし、まあアリサに殺してもらってもいいと思いますけど、でも、こうして一度話したこと会える人や、まったく無関係でない誰かが犯人じゃない方が、それはやりやすいじゃないですか。願わくば、事件があった試験会場に、ほとんど俺たちとは無関係の犯人が紛れ込んでいた、というような真相だといいんですが」

「なぜだ」

「俺の親父は行方不明。アリサの兄は殺された。その二つともが、その犯人によって生み出された不幸なんです。だから、その犯人には然るべき断罪が下されるべきです。その犯人が死のうが、真っ当に罰を受けようが、どちらにしろ、きっと穏便には済まない。犯人が平凡にその罪を許されるなんてことは、アリサが許さないし、俺も許さない。そんな気持ちでいるんですからね。だから、無関係の人の方がいいし、こうして出会ったことのある人、話したことのある人が犯人でない方がいい。アリサにとっても、そっちの方がいいはずです。あいつはあれで、なかなか優しい奴ですからね」

「……」

「もちろん、それは小さな願いで、ただ犯人を早く見つけたいとは思っていますよ」

 ヘイガーは、しばらく考え込んで、ウィルに告げた。

「そんなこと平気で言える程度には、苦労したんだな」




 

 手紙が届いた朝のことは、できるなら思い出したくはない。

 あの時目に入ってきた文字列を、言葉にしてアリサに伝えることが出来なかった。

 だから、無理やり自分のてから手紙を奪い取ったアリサは、自分でその手紙を読んだのだ。

 その後のアリサは、酷いなんてものじゃなかった。

 丸一日泣き続けて、一週間はベッドに潜り続けた。何を言っても反応しなかった。ベッドの傍に食事を置いても、手を付けないまま時間が経った。ウィルは一人で時間を過ごして、同じように途方に暮れた。結局手紙の通りターナーは帰らず、確認のためにアリサの家に行ったが、真っ暗なままだった。すでにヘヴルスティンク魔法学院は試験を終了している。一か月立てば春が来て、校門の前に、試験を合格した新入生たちの笑顔があった。

 それから一年後。

 ウィルはヘヴルスティンクに入学。

 アリサは、犯人の殺害を決意する。





 炎で自分の周りに円を書くように回転させると、一斉に襲いかかってきたクレイドールの群れを一網打尽にした。苦しむような咆哮と共に地面に落下するドッグヘッドたちは、ほぼ地面に辿り着く前に砕け散った。それがまるで雨のように地面に降り注ぐと、粉塵が舞いあがり、叩くような音が響き渡った。森の奥で、まだ誰かが戦っている音がする。けど、さっきよりは随分と落ち着いた。そろそろクレイドールの襲撃も終わりだろう。数はそれほど残っていないと見た。

 大したことない。

 ドッグヘッドとは、ヘヴルスティンクに入る以前から何度も戦った。ハイブリッドを殺すために、今の自分を磨こうとベッドから這いあがったのは、もう五年も前の話だ。それから今まで、確実に魔法を会得するために、色んなことをした。他人はそれを、血の滲むようなと表現した。いったいなぜ、そんなに頑張るの? そう問われたこともある。だけど、兄が殺されたのでその復讐に――だと、答えることはなかった。別に教えてもよかったけど、そんな言葉で何が変わるというの。今はもう、学院の一人としてここにいる。だからケイトリンには教えた。だけど、あの当時誰かにそんな理由を教えても、その人たちに求めるものは何もなかった。ただ一心不乱に、ハイブリッドを八つ裂きにできる炎を、この手に宿すことだけを考えた。

 だから、こんな獣たちなんて相手にならない。

 そもそも、ドッグヘッドによる死傷者はほとんどいない。彼らが現れて十五年、ドッグヘッド、キャットヘッドによる被害者は大した数じゃなかったし、確か死者はいなかったと聞く。死傷者が大幅に増えるのは、ラプターとレプティルの出現がほとんどで、デモンズヘッドの時はかなりの被害が出る。――……だから、こんな犬型程度に手こずることは、多分ヘヴルスティンクの学生ならば有り得ない。私だけが特別なのではなく、ドッグヘッドは元々弱いのだ。数が多いので面倒ではあるが、返り討ちにされることはほとんどない。

「おーい、アリサちゃん!」

 地面に降り立つと、上から同じように人が下りてきた。

「アーニィさん」

 先ほど別れた一人、アーニィさんだった。

 短めの金髪が、今は森の夕闇で赤黒く見えた。

「あなた、すっごく強いのねえ」

「ヘイガーさんはどちらに?」

「二手に分かれたのよ。まあ、一緒に行動するメリットはほぼ無いしね。ドッグヘッドは大量に湧くけど弱いから、二人で一緒に戦う必要はない」

「それって、ドッグヘッドやキャットヘッド以外の強い相手だったら一緒に戦うって意味ですか?」

「うっ、痛いところ突いてくるわね」

 アーニィ先輩は苦笑いした。

 一瞬沈黙。

 ヘイガーさんがいれば、ここで話をしても良かったけど……ウィルがいないのに、アーニィさんから話を聴きだしてもいいのだろうか? もちろん、後で彼に報告すればいいだけの話ではあるけど。こういうのは、実際に相手と話して受け取った感覚というのも大事だと思っている。だって、相手がハイブリッドで、ハルカを殺した人間かもしれないと疑ってかかるのだ。その相手の印象や話し方、そんなところもきっと、犯人像と結びつくところがあれば、それだって参考にできる。

「まー、ヘイガーの話はいいのよ。それで、さっきの話」

 アーニィさんは溜め息を吐き、続けてそう言った。

 自分から切り出すのね。

「話してもいいんですか? 言い渋っていたので、てっきり口止めされてるものだと」

「されているわよ。そりゃもちろん」

「されてるんですか」

「少なくともあたしたちはね……あの時、試験で一緒になった四人……まあ、ヘイガーも含めて、皆今でも付き合いは続いているのよ。不思議な縁だわ」

「そういうの、縁って言葉で片付けていいんですか?」

「……ごめんなさい。事件のことを共有しているから付き合いが続いているなんて、あなたは傷つくわね」

 別に、事件がきっかけで知り合ったから、それについて触れたことが私に対しての安易な言葉だとか、そういう意味で言ったわけじゃなかった。ただ、付き合いが続いているということに、どうにも疑問があったのだ。バツの悪そうな顔になっているアーニィさんを宥めるつもりで、そして誤解を解消する気持ちで返事をする。

「いえ、私が傷つくとかそういうことではなく、その四人の中に犯人が……つまり、ハイブリッドがいるとは考えないんですか? ……というよりも、クレイン先生も含め、その中に犯人がいるのは確実なのに、今でも付き合いが続いているっていうのが、ちょっと私にも不思議だなと思ったんです」

「ああ、そういうこと。どうなんだろう。別に、疑ったことはないわ」

「疑わないんですか?」

「だって、皆いい人よ?」

 いい人……か。

 もちろん、いい人だから犯人じゃないと言うのは暴論だ。論理に見合わない。いい人だと思っていたのに! という事件の例はよく聞く話だ。普段はとてもいい人、だけど実は悪い人だった。こんなことは別に珍しいことじゃない。ということは、アーニィさんも含めてその五人の中の『ハイブリッド』は、極めて普通に生きているということになる。悪事を働き続けているというよりも、生徒に溶け込んで、今もずる賢く、さもいい人のように振る舞って生きているということだ。

 どれだけ狡猾なんだろう。

 この五人が今でもいい付き合いだと言うのなら、そいつは他の四人を裏切っているというのに。

 疑いもしないなんて。

 …………。

 それは正しいこと、美しいこと。

 だけど、私にすれば暢気だとしか思えない。

 殺人鬼が、あなたたちの中にいるかもしれないのに。私たちと同じ格好をして、同じように笑って、こうして誰かに『今でも付き合いが続いている』と言わしめるように演じている、そんな罪人がいるというのに。

 私は奥歯を噛み締めた。

「……事件のことは、憶えていますか? ヘイガーさんはあのような感じでしたが……」

「ああ、あいつね。多分生意気そうな一年だったから、からかったのよ」

「生意気……」

 それもそうか。だって、いきなり魔法を撃つなんて脅しをかけたんだから。

「まあ、あまり気にしないでね。ああいう奴なの」

「謝ります。でも、こちらは本当に知りたかったんです」

「わかっているわ。はったりでも、あんな風に魔法を撃とうとするなんて……あれ、撃つ気あったの?」

「撃たずに済むならそれが理想ではあるけど撃っても構わない、くらいの気持ちではありました」

「危なっかしいわね」

 瞬間、大きな音がした。

 何かが吹き飛ぶような、風の唸るような、そんな音だった。急に違和感を感じて上を見上げると、木々の隙間から見える空が明滅していて、異様な赤が照っていた。

「これは――」

「これは撤収の合図ね、ローズマリー先生の炎魔法よ。森での演習で生徒が散らばったら、先生が空に向かって炎を吹き上げるの。そしたらこんな風に、空が明るくなって、遠くからでもわかるでしょう?」

「じゃあ、クレイドールは全部倒したってことでいいんですか?」

「そうね。帰りましょうか! 今度は邪魔も入らないし、ヘイガーと……えっと、ウィル君? 四人で話をしましょう」





 

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