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滅びの讃歌②

 私の体は、どこかへ墜ちて行っていた。

 自分の周りに纏わりついている黒い霧を払おうという気持ちも湧かないまま、深い水溜りの中へ落ちて行っている。生温く、目を開いていても遠くまで見渡せない、濁り切った水。漂うよりも重苦しい体が、その重力に従って、私をただ水底へ運んでいこうとしていた。それでも、意識の中に流れ込んでくるものは、私の眼差しだった。こうしてどこかへ落ち続けていても、私は何かを見ている。見つめている。何も考えたくないくらいに重い。呼吸が限界のはずなのに、暴れまわることもしないで、黒い水の中に墜ち続けていた。そうして私の意識に流れ込んでくるのは、壊れていく街だった。大きな腕や、誰かの魔法が、街を砕いていく。途切れ途切れの映像のようなものが、私の頭になだれ込んでくる。どこなのか、はっきりとしない。けれど、とても生々しい映像だった。瓦礫が風に吹き飛び、地面はひび割れ凹凸を描く。轟音と、悲鳴が耳鳴りのように響き、私の頭を穿つ。けれど、何も感じなかった。

 私が見つめているもの、なの。

 何かを見ている。壊れていく街を。

 けれど。

 何も感じない。 

 どこでもない。

 黒い水に沈んでいく。

 何も感じなかった。

 ただ、墜ちていく。

 そうして。

 私は、壊していく。





 ガロウェイが騎士団に指示を始めたのとをほぼ同時に、ヒストリカはふっと勘付き、上だ――と、そう叫んだ。その場にいた騎士団の人間、ステラ、ウルスラは、すぐさま頭上に視線を向ける。大きな影がじわりと落下に伴って大きくなり、それが、悪魔型の強襲であることははっきりとわかった。捌き切れないと判断した一行は、すぐに落下地点と思われる場所から退ける。ヒストリカはウルスラに半ば引っ張られるような形でその場から離れた。ステラはメリアを抱えていたが、どうにか俊敏な動きで地面を蹴りあげ、ウルスラとヒストリカについていく。

 しかし、悪魔型の落下は予想以上に破壊力のあるものだった。元々強靭にして巨大な体躯であり、それがほとんどブレーキを掛けないで地面に自らの体を叩きつけたのだ、爆風に近い風と、勢いによって噴出した泥と瓦礫が、まるで竜巻のように辺りを掻き回した。騎士団の人間は吹き飛び、ウルスラ、ステラ、ヒストリカ、メリアも、どうにかその場に留まろうとするも、バランスを崩し、風に煽られて体が浮遊する。

「ステラ!」

 ウルスラは空中で叫んだ。

 ステラはメリアを――まるでこの少女だけは何とかするのだと祈るように、強く強く抱きしめていた。そうして抱きしめていては、ステラ自身が落下した際に、どうしようもない。そして、右方には、誤って手を放してしまったヒストリカの姿もある。ウルスラはステラの落下地点を予測すると、体勢を立て直して、その地点に向かって強い雷撃を放った。魔力を調節し、その地点にあった固い地面と瓦礫を粉塵に変えて、柔らかいクッションのようにしてみせた。それから、地面に向かってもう一度雷を放って、その反動で空中で自分の体を浮遊させると、ヒストリカに飛びついた。そして、抱きかかえるようにしながら、地面に降り立とうとする。

 だが、先ほど降り立った悪魔型の掌底が、ウルスラに迫っていた。

「――――――」

 ウルスラは寸前で、その手に全力の雷を撃ち放った。

 その掌底の勢いを少しばかり弱め、その皮膚と自分たちの間に爆風を起こし、どうにか直接の打撃を免れることはできたものの、バランスは大いに崩れ、ウルスラは落下した。勢いのある落下で、地面の直前で浮遊することが出来ず、ヒストリカもまた投げ出されて転がる。――しかし、ウルスラはヒストリカを守ろうと、彼女を投げ出してしまうのは、地面の寸前で、ヒストリカはほとんど地面との衝突を免れていた。ウルスラは、地面を滑るようにして落下し、ローブは大きく破れ、内側の腕に大きな擦り傷を作った。

「ウルスラっ!」

 ヒストリカは地面に転がった後、痛みの中、倒れているウルスラに駆け寄った。起き上がろうとするウルスラの背中に手を添えて、支えようとする。その最中に、ふと、ステラの方を見た。ステラは先ほど、ウルスラの援護によって地面を柔らかくすることでステラの落下の衝撃を防いだため、ウルスラよりも怪我は少ない。ウルスラと同じように、ゆるやかに起き上がろうとしている。だが――――。

「メリアは、どこにいった?」

 ステラが先ほどまで抱えていたメリアが、どこにもいないのだった。





 

「――――久しぶりだね」

 街の中央の舗装された道なりの向こう側に、ウィルはその姿を認めた。

 ケイトリン。

 すでにこの一画の人間は避難を済ませたのだろう、見ている限りでは近くに人間はいない。建物の倒壊もそれほど激しくはないが、片側をクレイドールの踏み荒らした後、倒された粘土細工の散らばりが見て取れた。一応戦闘はあったようだが、悪魔型はここを通ってはいない。建物の高さの向こう側、そのずっと向こうに、かろうじて悪魔型のうちの一体の角が見える。その周囲にまだクレイドールが飛び回り、軍と一般の魔導士が殲滅にあたる、魔法の音色が断続的に響く。その中で、ウィルとケイトリンは向かい合い、その間合いをにじり寄ることもなく退くこともなく固定したまま、その視線を交わし合っていた。

「…………ウィルさん」

「ケイトリンちゃん」

「できれば、お会いしたくはなかったです」

「どうして?」

「もう知っているんでしょう」

「君が、俺たちを裏切った――というより、元から味方ではなかった」

「はい」

「確認しておくけれど、ハルカのあの話は、本当なんだな」

「本当です。私は、クリスティン・ルルウの妹。名前は違いますが、確かに姉妹です。そして、私はあの入学式の日、壇上で高らかに言葉を放ったアリサちゃんをいつか打ち崩すため――アリサちゃんの友達になりました」

「全て嘘だった。そういうことなのか」

「全て嘘です。全て嘘なんです」

「だったら――――」

 ウィルは腰から剣を抜き、その剣先をケイトリンに向けた。

「君とここで相手をしている暇はない。俺は今から、アリサに会いに行かなければならないからな」

「残念ながら、通してはならないと姉に言われています」

「姉……全て、クリスティンの差し金か」

「そうです。姉は、絶対ですから」

 ケイトリンも同じように、腰から剣を抜き取った。ウィルに時間はなく、もし下級生の相手をするだけというのなら瞬時に吹き飛ばしでもして、ひるんだ隙にでも突破すればよいとまず考えた。だが――ウィルは眉を寄せる。ケイトリンの剣の構えには、戦い慣れの予感があり、ウィルは指の力の入れ方にあったほんの少しの余力を、結局失わせてしまった。きっと戦いが苦手なのだろうと過去の言動から見て踏んでいたが、それらも、いつかこうして剣を交える時のために偽りの姿を見せつけていたと、そういうわけなのか。

 次の瞬間に、ケイトリンは一挙に間合いを詰めて、ウィルに斬りかかっていた。ウィルは大きく仰け反って、バック転をするようにして地面に手を突くと、その接触面に風を噴射させて高く宙に跳び上がった。ケイトリンは剣を握ってはいないもう片方の手で、雷魔法を浮遊するウィルに撃ち放つ。ウィルは空を舞うラプター型のクレイドールを切り捨て、風魔法で周囲のクレイドールを瞬殺した。一挙に大量のクレイドールを粘土細工の粉塵にし、風で錯綜させることで、ウィルの周囲に煙幕を作り上げたのだった。ケイトリンは空中で炸裂する粉塵の爆発に雷を打ち込むが、標的にあたる感触を得られない。

 その隙にウィルは寸前までいた位置から大きく左に迂回するようにして、ケイトリンの隙を突こうとした。煙幕から瞬時に飛び出ると、ケイトリンはまったくウィルの方向とは別の方向に目を向けており、ウィルはその隙にケイトリンにダメージを与えるつもりだった。――――が、ケイトリンは、ウィルのやってきた方向に素早く反応すると、ウィルに手のひらを向け、容赦なく雷を撃ち放った。ウィルははっとするより先に、無意識に右方に風を噴射して雷を避ける。しかし、無理な体勢が祟って着地に手間取った。足だけで上手く着地できず、手を使って地面をなだらかに滑走する。それから、こちらに手のひらを向けたケイトリンに、ウィルは剣を向けた。

「本当に一年生かよ……訓練でもしたのか」

「私は、学院の人間ですから。姉に随分と鍛えられました」

 姉。

 ウィルは剣を振りほどいた。

「さっきから姉、姉って――クリスティンの話しかしていないな」

「…………」

「ケイトリンちゃん。君、ただクリスティンの命令に従っているだけなんじゃないのか」

 ケイトリンは唇を噛み締めた。

「アリサに恨みがあるわけでもないんだろう」

「やめてください。誰も、戦いは全て恨みのためというわけでもないんです。私は、ただお姉ちゃんの手伝いがしたかっただけ。だから、お姉ちゃんのすることがどうであっても、私はそちらに付くだけです」

「どうであっても? ――その言い草では、クリスティンのやっていることがどうにも悪いことだって、君は自覚しているみたいだけれど」

「うるさいです!」

 ケイトリンは、表情を怒りに歪ませ、雷魔法を連続で撃ち放った。





「ハルカ」

 悪魔型の街を踏み締める音は、その巨体の表面が沈みこむような重苦しさに満ち、建物は、頑丈であったとしても触れただけで簡単に瓦礫とその輪郭を失っていく。悪魔型の肩に立っていると、私の耳には、下側の音はそれほど入っては来なかった。風の音の方が、ずっとよく聞こえた。とても高い。けれど、視界は澄み切っているのに、濁っているようで眩しい。

「アリサ、どう、なにかを壊すってとても楽しいだろう」

「楽しくはないわよ。楽しいことなんて、何もない」

「そう。まあ、それも正しくお前だ」

「ハルカは、お父さんとお母さんを殺すのも、楽しかった?」

「何にも感じなかった。ぼくはもう、自分の覚えている記憶の一番最初のときに、すでに二人を殺して、いつかお前をこんな風にしてやることを、知っていたからね」

「そう」

「怒らないのかい」

「怒るって、何」

 ハルカは――。

 私は、風を受けながら考えた。

 楽しいかどうか、怒っているかどうか。

 何をそんなに気にするのだろう。

 考えることが何もなくなった。

 自分には、壊れていく景色を、もっと壊していくことしか頭にない。

 こんな風な自分だったのかも、わからないけれど。

 いろいろなものに黒い靄と霧が掛かり、水に浸されている。

 ただ、これでよかった。

 とても楽なのだ。

 壊していくことは、何かを築き上げるより簡単だ。自分が何を為そうとしていたのか、何かを成し遂げようとしていたことも、そういうものを全て、忘れてしまった。その代わり、壊れていく街を見下ろしているのは楽で、何の痛みもない。忘れた、忘れた。何もかも忘れた。今はただ、頭の中を、壊していくことが満たしている。それ以外のものは、隅に追いやるよりずっと薄れて、もうどこかへ消えかかっている。そんなものは、きっといらなかった。意識と思考もはっきりしており、言葉も使える。だが、それらはすべて、きっとハイブリッドとしての殺戮の意志に包まれていた。

 ハイブリッドとは、世界を終わらせるために生まれ落ちた。

 そうしてその意志に包まれた今。

 それ以外の感情も記憶も、何もかも消えてしまった。

 ここにあるのは。

 破壊。

 崩壊。

 それだけだった。

「ハルカ、ひとつ聞いておくわ」

「なに?」

「どこに向かっているの」

 ハルカは、感心したようににやついた。

「気付いていたのか。悪魔型が決して、むやみやたらにヘルヴィニアを壊しているわけではないということに」

「ええ」

「――――ヘルヴィニアの城壁の、五角に移動しているのさ」

「五角……」

「そう」

「これだけヘルヴィニアを壊して、そのまま世界を壊せばいいのに、まだ何か他の思惑を立てているの」

「お察しの通りだ。すでにそこにはパーシヴァルが向かっているが――ぼくはたしかに、おまえをこうして本当のハイブリッドとして覚醒させることにさまざまな準備をしてきた。けれど、それだけじゃないのさ。おまえと再び世界を壊すに向きあうなら、もっと派手にするべきだと思ったんだ」

「派手? 悪魔型を五体も出して、まだ地味だということ?」

「そうだね」

「そう」

 私は、何も思わなかった。

「それより――――」

 ハルカは私から視線を外すと、前方に目を向けた。

「まさかここまで、走って追いついてきたのかな。アリサ、どうする」

 高い悪魔型の背から、下方に見えるその姿を認めた。すでに倒壊の激しい地域の地響きと地割れの影響を受けて、まだ悪魔型は決して踏み荒らしていないのに地面の一部が盛り上がり、砂と粉塵に溢れた平地。そこに、その影を見た。こちらを見上げている。きっと誰かが戦うも、紛失したまま落ちていた剣を手に、こちらを睨んでいる。

「私がやる」

「何を言っているんだ? 相手はぼくが魔法を奪った、ただの雑魚だ。ふみつぶしてやればいい」

「嬲り殺しにしても、彼女は諦めないわ。だったら、徹底的にやる」

「……なんだか、ハイブリッドが板についてきたな」

「ハルカ、彼女に炎魔法を貸してあげて」

「そう。なら、ぼくは先に行っているよ。あとでね」

「ええ――――」

 私は、腰から剣を抜くと、悪魔型の肩から飛び降り、ゆるやかに地面に降り立った。悪魔型は少しばかり進路の方向を変えて、私のいる場所へ進行するのをやめる。悪魔型の足音は、街の確かな一部を撃ち砕きながら歩いていく、その肩に、ハルカは変わらず佇んでいる。アリサはそれを見送った後、真正面に立っている少女を見た。

「せめて、師匠辺りに保護されていると思ったのに、なぜここまで来たの」

「――――アリサお姉ちゃん」

「私を殺しに来たの」

 血濡れの剣を構える少女を見た。

 メリア。







「聞いていた? あなたに、ハルカが魔法をもう一度授けたわ。今、あなたは再び、魔法を手にした」

「…………」

「私と戦いに来たんでしょう」

「…………」

「憎き、ハイブリッドだもの」

 メリアの灰色の髪が、乱れたために重苦しく前に垂れている。その隙間から、憎悪に満ちた、しかし瑞々しいような瞳が覗いていた。どうして私はこんな風に、煽るのだろう。こんな私ではなかった。けれど、今、メリアのその憎悪を受け止めて、それを逆に捻ってしまいたいという欲が溢れて止まらなかった。力が満ち満ちている。何か、制御が効かないし、壊したくてたまらなかった。殺したいなんて思わない。ただ、壊しては見たかった。

「お姉ちゃんが、ハイブリッドだったんだ」

「別に、あなたを騙していたわけではないわ。知らなかっただけ……だから、私を恨むのは本当はお門違い。でも、あなたの気持ちはとてもわかる。私がこうしてハイブリッドとして目覚めるために、あなたたちは利用されていたのだから。全ての元凶は私。だから、私を殺しに来た。そういうことでしょう」

「…………そうだよ、全部、お姉ちゃんが悪いんだ」

「そう。私が悪いのよ」

 私が悪い。

 今きっと、世の中の憎しみ全て、私に集っている。

 全ての、元凶なのだから。

 私が悪い。

 全て、私が悪いのだ。

「殺す」

 メリアは、鞘に収まってすらいないそのままの剣を振りかぶり、私に迫ってきた。メリアはきっと憎悪を力に変えるのだろう。きっとここまで走ってきたはずなのに、体力の衰えが感じられない。明確に憎む相手が目の前にいるから、躊躇も何もないのか。私はメリアの剣を受け止め、刀身を滑らすようにして、メリアの横腹に一撃を叩き込んだ。――メリアはそれを飛び跳ねて避け、私の頭上に剣を叩き込もうとする。私は地面を蹴って後ろに仰け反ることでそれを躱すと、仰け反ったままの体勢で火球を二発撃ち放った。自分で考えている以上の大きさの火球が、メリアの前に炸裂した。

 爆風も巨大で、煙が辺り一帯を大きく包む。

 ハイブリッドとは、これほどなの。

 力が有り余っている。

 壊すために、使いなさいと。

 そういうこと。

 煙の中から、メリアがふっと目の前に現れ、剣を振るう。それを横に避け、メリアの手首を掴み、回転するようにして上に投げ飛ばした。空中に投げ出されたメリアに、指先で地面から空をなぞる。すると、地面から火柱が、まるでその下でくすぶっていたものが噴射したかのようにそそり立ち、メリアに襲い掛かった。メリアは炎を柱に撃ち当てて相殺しようとするも、防ぎ切れず、身を捩ろうとして炎に飲まれ、吹き飛んだ。

 メリアは近くの、すでに崩れ落ちた人家の外壁の一部に、その背中をぶつけて、ようやく停止する。

 私は、ゆっくりとメリアに近づいた。

「メリア」

「お姉、ちゃん……」

 メリアは煤と怪我に片目を閉じて、だらりとしたまま、そう言った。

「懐かしいわね、メリア……私はルクセルグの騒乱で、あなたをハイブリッドだと思い込んで戦った。けれど、本当は反対だった。そんなに以前のことではないのに、もう随分昔のことのように感じる」

 壁に背を預けたまま、座り込んでいるメリアは、こちらを見上げ睨みつけている。以前はこんな女の子ではなかった。もう少しだけ、虚ろだったのに、明確な殺意がある。何もかもを奪われたから? ハイブリッドを殺すための力を、あの地下施設で手に入れたと思ったのに、本当はそれは、お情けのように本当のハイブリッドから受け取っただけのまがい物だったから? 本当は何の力もないくせに。どうしてそんな目をするのだろう。もう、何もかも終わりなのに。

 メリアは手のひらをゆるりとあげて、私の顔に向けた。

 火球が静かに集い出して、私に放たれる。

 けれど。

 小さくて、弱い。

 私は指に炎を纏わすと、メリアの放った弱すぎる火球を、その指で弾いた。

 それだけだった。

「勝てない……」

 メリアは悔しそうな目で、そう言った。

「どうして、いつも勝てないの。誰にも勝てない。大人にも、パーシヴァルにも、アリサお姉ちゃんにも……誰にも勝てない……どうしてっ、どうして、勝てないの。こんなに、こんなに憎らしいのに。殺して、やりたいのに。あんなに辛かったのに、頑張ったのに、どうして、どうして、どうして……」

 私に告げた言葉のはずだったのに、喉に粉塵でも入り込んだのか、擦れまじりで、次第に言葉の覇気は下降していき、最後には、まるで独り言のように呟くだけになってしまった。そうしてだらりとするメリアの眼の前に立って、彼女を見下ろす私は、今すぐにでも剣で、あるいは炎で、殺してやろうと思っていたのに、すぐに動けなくなった。

 勝てない。

 あんなに、辛い思いをしたのに。

 辛い思いをしたから、なんなのだろう。

 それで、勝てるなんて、思わないで。

 悲しくても、たくさんのものを失ったって。

 負け続けた。

 メリアを見下ろしているのに、自分と現実が切り離されて。

 自分の立っている位置がわからなくなる。

 勝てない。

 パーシヴァルと戦った記憶が、ゆるやかに脳裏に浮かぶ。

 私の炎。

 私の悲しみは、あの炎と、この剣に宿した。この炎に私の全てを託して、いつかハルカを殺した者を煉獄に投げ入れてやると誓った。けれど、何の役にも立たなかった。あんなにも苦しい日々と、苦しい修行を耐え抜いたのに。それは自分から入り込んだ世界だけれど、きっといつか、その悲しみも苦しみも、私の力となって、敵をねじ伏せると思っていた。

 けれど。

 何の意味もない。

 私は、負けた。

 パーシヴァルにも。

 ハルカにも。

 何に負けたのかすらわからない。

 けれど。

 私には、勝利なんてない。

 勝利なんて、なかった。

 私の炎は、砕け散った。

 それだけなの。

「どうして、まだ勝ちを望んでいるの。あなたは、負けたわ。ハヴェンも負けた。私たちはみんな、負けるのよ。ハイブリッドには誰も勝てない。あなたのそんな憎しみも、全部無意味なの。見て、ヘルヴィニアも壊れていく。ハルカはこれから、もっと大きなことをして、世界を完全に壊し切ろうとしているの。まだ、戦うの?」

「世界とか、国とか、戦うとか、どうでもいい」

「…………」

「わたしは――――ただ、復讐、したかっただけ」

 メリアは言った。

「お姉ちゃんも、同じだった、はずなのに」

 メリアは、私に似ている――似ていた。まだ、いつまでもいつまでも変わらないまま殺しのために燃えるその瞳が、その涙を使ってみせるその意志が、その小さな顔に宿っていること。それはつまり、以前の私にも、それらしい瞳があったということなのか。そのときの、気持ちですら思い出せない。記憶を失ったわけではないのに、まるで他人の物語をまったく無関心で語りなおすかのように、白黒の映像として静かに頭を浮遊するだけだった。果たして、あの時の私は、本当に私だったのか。自分のやりたかったこと、いろいろなことは憶えているのに、他人のようだった。

「違うわ」

 違う。

 あれは、本当の私ではなかった。

「本当の私は、今の私。今の私が、本当の私だったの。あのときの――あなたと、学院に対して、パーシヴァルに対して憎しみを募らせて、目的を共にした私は、本当の私じゃなかった。だから、あなたと同じだったことなんて、そんなことは一度もなかった。本当は、私とあなたは何もかも違ったのよ。あなたが私と同じだったことなんて、一度もない」

「……お姉、ちゃん」

「あなたには、誰も殺せない」

 誰かを殺したところで、意味のない世界だったのだから。

「メリア。本当は私たち、ハイブリッドと殺戮の運命に少しでも絡まった時点で、きっと何もかも、最初から終わっていたのよ。始まってすらいなかった。私たちには何もなかった。誰も殺せないし、何かのために戦ったって、こんな風に全部終わってしまうのだから」

 私はあの日から、メリアもあの日から、それこそこの戦いに関わり続けている誰もが、何かの時点で、こんな崩壊の終局に行き着くように仕組まれていたのに、どうして足掻いたり、戦ったり、苦しんだりしたのだろう。何の意味もなかったのに。ハイブリッドとしての役割が、焼き払え、薙ぎ払えと、私の力の開放を望み続ける。もう私は、以前の私がやりたかったことを成し遂げて、それで終わりだなんて満足できるほど満たされていない。満たすための器もない。何もいらない。何もかも、壊して、壊して、それでも始まりも終わりもないんだ。

 メリアは何も言わないで、静かに、項垂れた。もうきっと、喋る気力もない。

 その反対に、私はゆるりと空を見上げた。嫌でも視界に入り込んでいた建物の屋根や城の尖塔が崩れて、空が随分と広くなったように感じた。けれど、縦横無尽に飛び回る黒い影が、そうやって広くした空を再び黒く染めて、時折その中を魔法使いの攻撃が分断すれど、いくらでも唐突に湧き続ける。ああいったものも、全部私が生み出したのだ。私はそれらに、何の命令も下していない。けれど、私がここにいるだけで、クレイドールは生まれ続ける。ハイブリッドという主を取り戻した彼らは、今までのように、断続的でも消極的でもなく、眷属として限りある命のままに、この世界に降り立つのだった。それでも、何の気持ちも湧かない。意志を通わせるような、感慨も。

「さようなら、メリア」 

 放っておいても、きっともう、立ち上がれない。

 さようなら。

 私は、一瞬だけ目に入った、忌々しいヘヴルスティンク魔法学院の、まだ陥落していないまま空を衝く尖塔に向けて、ひっそりと歩き出した。壊すための役割があるとすれば、まず、あの場所を砕かなければ。



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