私服の罪人③
ヘヴルスティンク魔法学院東都支部は、ほとんど街に差し掛からない、駅からかなり歩いた森の近く、要するに国を取り囲む城壁の少し手前辺りにあった。『あれ』が発生するからこういう場所に作られたのかもしれないけど、学院の発足と例の存在はほとんど関係がなく、この支部が出来たのも随分前で、森での演習に便利だからこのような僻地に作られているのだろう。リーグヴェン中央市街地からはかなり離れ、ほとんど農道のような場所だ。しかし、施設自体は横に長く作られ、講義室の固まった校舎、そして都外研修のためにやってきた生徒たちのための寮、天候が悪い時のための小さな屋内演習場など、きちんとしたものは揃っている。
事前に知らされていた建物の扉を叩くと、赤い髪の女性が出てきた。
「あら、えーっと、話は聞いているわ。研修に来たのよね」
「はい。ウィルフレッドと言います」
「アリサです」
「二人ね。ウィルフレッド君は四年生、アリサさんは一年生」
「はい」
「すごいじゃないアリサさん。ということは、トップ入学だったってことでしょう」
「たまたまですよ」
違う。偶然じゃない。頑張ってトップを狙ったのだ。そうじゃなければ、あのようにして壇上に立てなかった。こうして都外研修に特待生として早い段階から参加できなかった。トップだと、学院での行動は随分と自由になる。そうでなければ、ハルカを殺した犯人――ハイブリッド探しと、それを隠蔽した学院の陰謀を突き止めるために動けない。だからこそ、ハルカが死んでから今まで、どの試験生にも負けないように魔法を学んだ。トップで無ければ意味がない。
「私はローズマリーよ。リーグヴェンで教えているから、よろしくね」
女性――ローズマリー先生は、私たちを扉の奥に通した。
落ち着いた空間で、小さなテーブルが一つ、それを挟むようにしてソファが置いてあった。本棚が壁を埋めており、一方でシンクとコーヒーメーカーの置かれた簡易なキッチンが慎ましく片側を占めている。ここは事務所か、教員の休憩所といったところか。基本的に都外研修は期間は最高でも一年ほどだけれど、人数はあまり多くを擁しない。せいぜい五十人がいいところだ。あとはその寮と、本当に必要な時のための会議場と講義室、小さな図書館に、このような教員のためのスペースがあればいいのだろう。大陸最大の魔導士養成機関とはいえ、結局施設的な意味で最大なのは王都ヘルヴィニアだけなのかもしれない。もちろん、ここも充分に設備は整っているけれど。
私とウィルは一方のソファに座り、先生は向かいに座った。綺麗な先生だった。先生は適当な机に置いてあった資料のようなものを手に取ると、まるで面接のようにそれらに目配せし、うんうんと唸る。
「期間は一週間ね。ウィルフレッド君は風、アリサさんは炎……」
それから、しばらくは研修の説明を受けた。私たちは一週間なので、それに見合った教程を修めることになる。正直に言えば、そんなことはどうでもよかった。適当に済ますことが出来ればいい。先生に失礼にならないように、一緒に受けている他の生徒に迷惑が掛からないように、そつなく演習をこなせばいい……だけど目的を忘れてはいけない。
会話の合間に、無理がないように口を挟んだ。
「先生、ここにはヘイガーさんとアーニィさんがおられると聞いたのですが」
「え? そうね、いるわよ。知り合い?」
「はい。お世話になったことがあるので、挨拶に伺おうかと」
ウィルがこちらを見た。知り合いですらない。完全に嘘だ。
でも、嘘かどうかなんてローズマリー先生は知る由もない。
「そうなの。そうねえ……彼らは今年から東都に来たから、まだまだいるでしょう。会おうと思えばいつでも会えるわよ」
「寮、ですか?」
「ええ。二人は同じ班だから、ちょうど授業が終わってから会いに行けばいいんじゃないかしら。ヘイガー君とアーニィさんは、よく一緒に行動しているみたいだし」
「そうですか。ありがとうございます」
「それじゃあ、今日はこれで終わりだから寮に行って、教えた通りの部屋を使ってね。明日は朝九時に、そこの大広間に集合で」
■
「先生、特に変な反応はしなかったな」
寮へ移動する廊下の半ば、ウィルが小さな声で言った。
変な反応。
ハルカが殺された事件は、学院側に隠蔽された。となると、学院全体が、ハルカの事件を揉み消そうと動いているに違いない。あの手紙の内容では触れられていなかったけど、おそらくハルカの死は当時の教師陣全員が知っていることだろう。学院側に知っている人間と知らない人間を二部するとしたら、ターナーさんが知っているのはなぜだろう。つまり、ターナーさんが知っているということは、教師陣全員に知らされている可能性は高い。隠蔽工作の話、犯人がハイブリッドの話、これらがパーシヴァルによって告げられたとするなら、ローズマリー先生も事件については知っているはずだ。
事件について知っている人間なら、私とウィルに関わった場合、必ず引っかかりが生まれる。
まずは、フレイザー姓だ。
あの事件を知っているならば、私がその被害者であるハルカの親族であると思い当たるのが普通だ。ローズマリー先生がどれだけのあの事件に関わっているかはわからないけど、ハルカ・フレイザーという名前くらいは知っているだろう。だとすれば、研修申請で提出した私の資料の名前――アリサ・フレイザーを目にして、内心ひやっとしているのかもしれない。もしくは、入学式で堂々と事件について触れた私の事も、きっと何らかの伝手で伝わっているだろう。
しかし、それらについては何の反応もなかった。
動揺する素振りすらなかった。
そして、ウィルのことだ。これもやはり、ライツヴィル姓が関わる。ターナーさんはウィルの父親で、彼はハルカの事件を調べるために何らかの行動に出たが、結局帰ってこなかった。とすると、その陰謀を暴こうとしたために、身の危険にさらされたか、少なくとも帰ってこれない状況に陥ってしまったのは確かだ。そのことをもしローズマリー先生が知っていたとしたら、やはりウィルの名前を見た時点で何か反応をしても不思議じゃない。あのターナーさんの息子だからだ。
だけど、こちらも反応はなかった。
ローズマリー先生は、普通の笑顔で、普通に、事務的にこなしている。
私たちに対して、不自然な素振りは感じられない。
「あれは演技だと思うか?」
廊下に無機質な足音が響く。まだ授業時間で、生徒たちは外に出ているのだろう。
「わからない。でも、不自然なところはなかったわ」
「ローズマリー先生は、無関係だと?」
「そこまでは言えないけど、でも、普通にいい先生って感じね」
「まあ、そんなこと言ったら誰でも、いい先生に見えちゃうだろうな」
「別に信頼しているわけじゃないわ。疑ってかかるべきよ」
「ローズマリー先生がいつから着任しているか、調べておくべきだったか」
「若いといえば若い先生だけど」
「五年前に学院にいたのなら、まず間違いなく事件には関わっているだろう」
「それは――ヘイガーさんやアーニィさんに問うたらいいわ」
五年前に、あの試験場にいた試験生。
ハルカの死に際を、その目で見た人。
ようやく、その人たちに会える。
■
寮は正方形の箱の真ん中を切り抜いたような綺麗な形をしていて、その全ての部屋が生徒の部屋として割り当てられているようだった。とはいえ全ての部屋が使われているわけではなく、当然こちらの研修にやってきている生徒の人数は限られているから、無人の部屋もたくさんなるようだった。ローズマリー先生から言われた通りの部屋に荷物を運んだ後、別の棟に部屋を宛がわれていたウィルと合流し、ひとまずヘイガーさんの部屋に向かうことにした。
時刻は夕方。もう少しで日が沈む。確か都外研修は夕方までに終わるはずだから、今頃ちょうど帰ってくるか、すでに部屋にいるかのどちらかだろう。もし今から赴いていなかったとしても、そこで待っていればいい。
「どんな人だろうな」
「さあ。どんな人とか、どうでもいいことじゃない」
「いや、もし真面目な人だったらどうする?」
「どうするって?」
廊下に、足音が響いた。窓の外には男子寮の中庭が見え、生い茂った草木が夕闇に落ち込んでいく。
「箝口令が敷かれてたら、性格によっては真っ当に守り抜くぞ」
「だったら脅せばいいわ」
「それも一つの手だ。まあ、できれば事を荒立てたくはない」
ウィルが自分の手のひらを見た。
その時、廊下の奥から、数人の男子生徒が歩んできた。生徒の証であるローブを纏って、何かを話しながらこちらに向かってくる。横並びに歩んでいた私たちに気付くと、ふっと物珍しそうに彼らは目を細めた。それから無言で私たちとすれ違い、再び会話が始まる。向き合った時は何か魔法の話をしていたみたいだったが、私たちの後ろに通過しきると、私たちのことを話題に挙げたようだった。彼らは廊下を曲がっていき、私とウィルは彼らの曲がっていった角を振り返った。
「今の人たちの中に、ヘイガーさんがいたかもな」
ウィルが息を吐いた。
私たちはあの手紙に記された目撃者の顔をまったく知らない。情報は名前だけだ。ウィルが懸念するように、まったくもって性格もわからない。もし学院が箝口令を敷いていて、しかも誰かに喋ったら何らかの制裁が下るといったような脅しを掛けられているのかもしれない。となれば、当然話したがらないだろうし、もし脅しが無くても、きちんと制約を守るような真面目な人だったら、何も話してくれないかもしれない。もし会えたとしても、私たちは完全に初対面だから、そんな人に事件当時のことを細かく話すなんてこと、そう易々としないかもしれない。繊細な人で、事件を引きずっているとか、ハルカの死体を思い出したくなくて話したくないという人かもしれない。
でも、彼らや彼女がそうだとしても、私には関係ない。
「部屋に誰もいなくても、そこで待っていればいいわ。長い時間帰ってこないなんてことはないでしょ。相部屋で二人で使っているなら、もう一人に入れてもらって待ってもいい」
「いてくれるといいけど」
「いなかったら、アーニィさんが先でもいいかも」
「えっ、女子寮には行きたくないな。白い眼で見られそう」
「ああ、さっき男の子たちが私たちを見て変な顔していたのは、男子寮なのに私がいたせいかしら」
「珍しいって感じではある。どちらにしろ、さっさと終わらせた方が良さそうだな。ヘイガーさんが部屋にいることを祈ろう」
視線を交わして、曲がり角から身を翻し、もう一度廊下の先に足先を向けた。
そこに、人が立ち塞がっていた。
二人。
「俺の名前が出ていたが……いったい何用かな?」
「そして、あたしの名前も出ていたけど……そちらも何用かしら」
■
「さて、それじゃあ話を聴かせてもらおうか」
東都支部の男子寮のラウンジは、開放的な窓が外の景色を映し出す空間に居座っていた。ガラステーブルに四つの席、近くに自由に使っていいティーセットが構えてある。どうやら生徒たちは休憩時間にここを使い、お茶をしたり談話をしたりして時間を潰すようだ。しかし、まるで用意されたみたいに今は誰もおらず、向かい合って座った私とウィル、そしてヘイガーさんとアーニィさんが静かに視線を交わしていた。
「とりあえず確認ですが、あなたがヘイガーさん、そしてあなたがアーニィさんでいいのですね」
私は二人を交互に見た。
「そうよ。あたしはアーニィ。こっちがヘイガー」
ヘイガーさんは短めの銀髪と鋭い瞳が目を引き、アーニィさんは綺麗な金髪と微笑みが印象的な人だった。彼女は隣のヘイガーさんの肩にポンと手を置き、にこやかに首を振って見せる。ヘイガーさんはそんな彼女の動作に一瞬不服そうな顔をしたが、すぐに気を取り直し、口を開いた。
「お前たちは四年生か? 見ない顔だからな。どうせ、今日東都に来たんだろう」
「僕は四年ですが、こいつは一年です。あ、申し遅れました。僕はウィルフレッド、こいつはアリサです」
ウィルは、フレイザー姓を言わなかった。
まだ様子見だ。
「一年? ってことは、入試トップだったってわけか」
「すごいじゃないの! 気質は?」
アーニィさんがうっとりしたように頬の横で手を叩いた。
奇異な目だ。
それは一年生で都外研修。珍しいのもわかる。けれど、どうしてそんなことまでしてトップで入ったのか。私はそれをあなたたちに問いに来た。そして、あなたたちが忘れていないかも確認しに来た。そして、それを踏み台にして何かを掴もうと、ここまでやってきたのだ。だから、戸惑っている余裕もない。その瞳に、あなたたちが見たと言うのなら、聴かないわけにもいかないのだ。時間はあるけれど、早いがいいに決まっている。記憶にあるその死に際の光景を、吐いてもらわなければ。
「――炎です」
「炎か。ちなみに俺とアーニィは雷だ」
「知っています」
『あの場』にいたのは、全員雷だからだ。
「知っている? なぜだ? さっきも俺たちを探している風だったみたいだが」
「もちろん、『関係者』だからです」
私はゆっくり立ち上がると、手のひらを二人に向けた。
握手を求めるような、温かな手のひらではなく、魔法を放つための構えだった。
二人は冷静に、しかし穏やかに驚いた。
ウィルは黙っていた。
それでいい。ウィルはわかってくれている。できるだけ穏和に、できるだけ事を荒立てないことが彼の望みだとしても、いきなりこうして発破を掛けることに、意味があるのだとわかってくれているはずだ。だから黙ってくれている。
「なんのつもりだ。まさか魔法を撃つのか? ここはラウンジだぞ」
「会話によっては撃ちます。それさえも厭わない程度には、覚悟はしている」
「続けろ」
ヘイガーさんが睨む。
その眼で、何を見た?
「私の名前は、アリサ・フレイザー……何か憶えはありませんか?」
「お前と以前、会ったことがあると?」
「違います。『フレイザー』と聞き、思い当たる節はないかと問うているんです」
「ないな」
「アーニィさんは?」
「ないと言ったら、どうするわけ?」
この人たちは、冷静だ。
私の手のひらが魔法を放たないだろうと余裕に思っているのだろうか。それとも、例え放っても私の魔法では脅しにもならないと高をくくっているのか。もしくは、本当に知らないのか。まさか、知らないはずがない。覚えていないのか? 馬鹿な。あれだけのことが起こったのに、覚えていないはずがない。実際事件は隠蔽されているのだ。
本当に覚えていなかったとしたら、二人ともその程度の人間だ。目の前で人が死んだのに、そのことを覚えていないなんて。別に、忘れてしまう人間だって居てもいいけど、たったの五年なのに。あなたたちが今通っている学校の、その時間の一番始まりに位置する入学試験の最中に、私の兄が死んだのに。その死を忘れてのうのうと生きているなんて、許せない。
話せないなら、話してもらう。忘れているなら、思い出してもらう。
だけど、忘れているはずがない。
忘れてもらっては、いけない。
……落ち着け、私。
「いいでしょう。どちらにせよ、直接問うつもりでしたからね。私は、五年前にヘヴルスティンクの入学試験で不審死を遂げた……ハルカ・フレイザーの妹です」
「…………」
二人の眼は、私を見つめて動かない。
――思い当たる節は、あるということか。それとも。
「あなた方は学院側に口止めをされているのかもしれません。何も言うなと。しかし、それでは納得できない人間がいる。私と、ウィルです。私たちは五年前のあの事件を解き明かすために、ここにやってきました。ヘイガーさん、アーニィさん。あなた方は、あの事件があったその場にいましたね。ハルカの死を――ハルカが炎に包まれ、死に行く姿をその目で見ている。まったくわからない場所から解き明かそうとするよりも、あなた方のような人たちの視点があれば、真実は近付くはずだと思ったんです。だから、ここに来ました。そして、こうしてあなた方に訊ねているわけです」
「じゃあ、この手はなんだ」
ヘイガーさんは表情を変えない。
「知っているのに喋らないと言うのなら、魔法を撃ちますという意志表示です」
「末恐ろしいな。本当に知らなかったらどうするんだ?」
「知らないわけがない。あなた方は見ているはずです。五年前の事件を」
「…………」
「撃ちますよ。それくらいの心づもりなら……――」
言葉の途中、その瞬間だった。
大きな振動が、建物を揺らした。明らかに視界が左右に揺れ、足元の不安定さに言葉が詰まった。
「何――」
ふっと顔を上げた瞬間、アーニィさんの声が響いた。
「クレイドールが出たんだわ!」
■
クレイドール。
十五年前、突然現れた黒い獣。
赤い眼光。
様々な動物の形を模した姿。
倒すと、粘土細工のように砕け散る。
正体は不明。
何時でも現れる、何処でも現れる。
そして、人間を喰らう。
それがクレイドール。