暗黒の祭祀①
「そんな、そんなのやっぱり、さっきの話とは違って、説得力もないですわ」
困惑の中の混乱。動揺の中の衝撃。
信じられないものは信じられない。だからこそ、何かを言葉にしたくなる。言葉に託したくなる。それを飲み込めないから、まだ口を閉じないでいるしかない。震える声でウィルに言ったのはロヴィーサだった。ウィルはざわめきに唇を噛み締めていたが、首を振り、彼女の声に冷静に返す。
「いくつか、論拠のようなものはあるのです。アリサが、ハイブリッドであるという事実のための論拠が」
「それは……」
「メリア。君は、操れはしなくとも、クレイドールを付き従わせることができる。そうだったね」
「…………そうね」
メリアだけは、冷たい顔で、クリスティンの傍に立っている。
クリスティン。
まだ、顔は揺らがない。
眼鏡の奥は、黒々しい瞳。
「メリアはハイブリッドの実験体でした。そして、様々な絶望の末に、ハイブリッドとなった。けれど、彼女は二種の魔法しか使えない。つまり、メリアとハヴェンは不完全なハイブリッドなのです」
本当のハイブリッドは、そもそもこの世にたった一人。時代が呼ぶ災厄。だから、すでにハルカとアリサという二人のハイブリッドが生れ落ちているという推論は、この前提に大きく逆らっているとも言える。けれど、ウィルにはそれが正しい予感さえしていた。常識を覆す純粋にして不純な何かが起こっているような、生々しい悪寒がそこにあった。
「ということは、完全なハイブリッドとは、確実なまでにクレイドールと関係がある。ハイブリッドはクレイドールを操ることができる。少なくとも、ハイブリッドはクレイドールの発生と関係があるように思われます」
「それが……どうしたというんだ」
ヒストリカが急かすように問うた。
「クレイドールが初めて報告されたのは――十五年前。アリサは今、十五歳です」
無視できない一致だ。
「つまり、アリサがこの世に生まれて、それに従うように、クレイドールは生まれたのではないでしょうか」
ウィルがそう告げた。
クレイドールは粘土細工の獣。その出生は不明。けれど、十五年前。もしアリサが本物のハイブリッドであるなら、彼女が生まれて、それに従者としてついてきた獣のようにクレイドールは生れ落ちたのではないか。主を崇める存在として。アリサがそんなにも大それた存在でないというのなら、それでもいい。否定できるのならそれこそが最善の道だった。だが、この真実に辿り着くように明らかに操作されている。――本当なら、ここまで話を聴いてどうようするであろうアリサを、どうにか自分が宥めるつもりであったのに、逃がしてしまうなんて。ウィルは板挟みにいた。話さない方がよかったのか、けれど――それとも――。
アリサ。
お前は、今。
その場の空気が沈み。
その瞬間。
大広間の天井付近に据えられた、大きな窓が割れた。
■
「お前が生まれたからこそ、クレイドールはこの世に生まれたのさ」
ハルカが私の頬から手を放した。
それが私の体を支えていたかのように、全身の力が抜けて、膝が崩れて、私は床に座り込む。
息ができない。
呼吸のやり方が、わからない。
「つまり、ぼくとアリサは能力を分かち合ったのさ。ぼくは生まれた瞬間に、自分がハイブリッドだと悟った。けれど、お前は悟らなかった。そして、魔法の強さはぼくが勝っていて、アリサはぼくに劣っている。一方で、クレイドールを真に操ることができるのは、お前なんだ」
「わ、私が――クレイドールを、生み出した……」
「ぼくもちょっとは操れるけれどね。ほら、少し前のカルテジアスの襲撃。あの時に現れた、悪魔型と――人間型。あれはぼくが作りだした。街を壊すためと、お前の目を欺くためだ。パーシヴァルの力を誇示するためでもあったけどね」
「欺く――何、どうして」
「お前は忘れてしまったかもしれないけど、あの時、ケイトリンが刺されたね」
「ケイトリン……」
朦朧とする視界と意識でも、ケイトリンの笑顔が浮かぶ。はっきりと、柔らかく、脳裏に浮かんで、こちらを見ている。どうしても落ち着けない、こんなにも喉が熱くて、頭が熱い状態なのに、その笑顔は少しも変わっていなくて、ずっとずっと、私の中でケイトリンは大きな存在だってことを、こんな時に痛感している。ハルカは笑った。
「彼女を刺したのは、だれだと思う?」
「誰……誰って――」
ケイトリンはあの時、刺された。学院の支部で、私を追ってやってきたケイトリンは何者かに刺され、その何者かには逃走を許してしまった。それを追いかけている途中で、人間型とすり替わったのだ。それが誰か、師匠とウィルが話していた。あの時の夜、師匠はクリスティンと会ったという。その時、彼女のローブは教師のものではなかった。だから、クリスティンがケイトリンを刺した犯人だって、そう話していた。
けれど、それが。
なんだというの。
ハルカは告げた。
「彼女を刺したのがクリスティンだということには、気付いていると思う。でも、どうしてかわかる?」
私の後ろにそびえていた部屋の扉が、ゆっくりと開く。
そして。
私は振り返った。
部屋の入り口に立っていたのは、何度も目にした冷徹な瞳を眼鏡の奥に秘める、クリスティン。
そして彼女の横に。
「嘘」
私の中で、また、映像が壊れていく。
笑顔が、浮かんでいたのに。
「ごめんね」
クリスティンと並んで立つ。
ケイトリン。
「クリスティンとケイトリンは、腹違いの姉妹なんだ。ケイトリンは、こちら側の人間なんだよ」
■
「嘘――嘘、嘘、そんなの、嘘……」
言葉でも、頭でも、私の体の全てが、その一言を繰り返す。
嘘。
嘘。
嘘。
「残念ながら嘘でもない。アリサ、不思議に思わなかったかい。お前は入学式のあの日――試験の成績がトップだったために、壇上で新入生代表の挨拶をした。あの時、お前は学院とハイブリッド――つまりはぼくに対して、宣戦布告のような口上を述べたね。だったら、そんな言葉を学院に投げ掛けたお前の部屋に『学院が何もしないはずがない』だろう」
――私はこの学院を潰します。そして、兄を殺した犯人を、この手で殺します。
あの時、私は高らかに告げた。
殺してやる。
潰してやる。
復讐心の赴くままに、ハルカのことを想いながら、そして憎しみだけを吐き捨て。
学院にしてやったって、そんな風に思った。そこで学院が私にどう仕掛けてくるのか、それを知るためでもあった。学院が私に何か反応をしたら、学院がハルカのことを隠した立派な証拠になる。そこを糾弾しよう。私は、そんなことを言った。たった数か月前の事だけど、はっきり覚えている。そして、学院は大したことは私にしてこなかった。
けれど。
本当は、あの言葉にしっかり反応していた。
あの言葉だけではなくて、私という存在に、学院は目をつけて。
目には見えないところで、私を捕えて。
「ケイトリン――嘘、でしょう……?」
私は、ケイトリンを見つめた。
ケイトリンはいつものはつらつとした笑顔ではなくて、眉を少しだけ寄せたような、少しだけ困ったような、翳りのある顔をしていた。口は一文字に刻まれたまま、私を、見ている。私を見つめている。
「何か、何か言って……」
私は縋るように、その場で言う。
ケイトリンは口を開いて、開いたまま一呼吸を置いて、話す。
「ごめんね、アリサちゃん……私、クリスティン先生の――お姉ちゃんの言う通りに動いていたんだ。最終的に、アリサちゃんを絶望させるために、アリサちゃんの友達になること。そのために、相部屋になったんだよ」
ケイトリンは笑った。
「最後にアリサちゃんを裏切るために、アリサちゃんに近づいたの。私とアリサちゃんの絆を深めるために、お姉ちゃんには――あの日、私を刺してもらった」
私のところへ来てくれたケイトリン。
話の最中。
彼女の後ろからやってきた影が、ケイトリンを突き刺して。
けれど、あれは。
姉妹の、自作自演だった、というの。
「面白いようにうまく行って、驚いています」
クリスティンは眼鏡を持ち上げた。
「きっと怪我をして死にそうなケイトリンを見れば、あなたとて憐みを持って見つめ、ケイトリンを拒むことはできないと思いました。だから、刺しました。あなたはケイトリンと仲良くなり、結果として、裏切られた時の痛みを強くするための材料になりました」
クリスティンは冷たく言い放つ。
「嘘――って、言ってよ。脅されてるの――何か、何かあって」
「残念ながら」
クリスティンは隣にいるケイトリンの頬を、長細い指で撫でた。
「この子は私の味方で、従順な妹です。あなたの友達などでは決してありません」
友達じゃない。
友達じゃない。
ケイトリンの温かな笑顔は。
最初からない。
「アリサ」
ハルカの声が聞こえる。
けれど、聞こえるだけ。
私。
今、どこに立っているのだろう。
繋がりがない。
私がハイブリッドで。
私がクレイドールの、元凶。
ハルカは私を裏切っていて、敵だ。
ケイトリンも。
信じることができるようになった、ずっと信じていたものが。
墜ちていく。
嫌だ。
けれど、拒めないで、染み入るような。
黒い。
何かが墜ちていくのと一緒に。
溢れてくる。
やめて。
「お前はぼくと一緒に――――」
ハルカは、そっと、床に手を置いた。
ただのカーペットだと思っていた床が、青白く光り出す。
幾何学模様。
魔方陣。
私がいるのは、その中央。
青白さが、黒に変わっていく。
黒い。
泥のような。
沈むための色。
墜ちていくための色。
私って、何だったんだろう。
どうして生まれてきたの。
わからない。
でも、知りたくない。
だから、どうでもいい。
痛い。
「世界を壊すんだ」
その瞬間。
私の意識は全て、黒に墜ちた。
■
天井から割れたガラスが降り注ぐ。
そして。
一人。
降り立った。
「――――お前は」
その場にいた、全員が、そのたった一人の姿に目を疑った。
降り立った人物は、全員にとって自分の中の像と、顔立ちだけは確かに一致した。同時に、彼女と話した記憶や佇まいまではっきりと思い出せた。一連の事件の、渦中にいた少女だったから。だが、あまりにも挙動が静かで。そして、降り立つまでの一瞬一瞬に、威圧が走っていて。何より、容姿が、その少女とあまりにも違いすぎたから、誰もが呼吸を忘れた。意識を停止して、視線だけが少女に集中した。それだけの何かが、その場に確実に降り立ち、場を支配したのだ。
「アリサ……?」
黒い髪。
黒い瞳。
黒いローブ。
何もかも黒に塗れた。
アリサ・フレイザーだった。




