探偵夜話 解決篇③
「ハルカ・フレイザー目的は、自分を一旦死んだことにして身を隠し、学院と協力して何らかの計画を進めていた。その計画のためには、将来メリアとハヴェンが事件の関係者に出会わなければならなかった」
ウィルは続ける。
「事件の関係者――という言い方はよくありませんね。学院は確かにハルカ・フレイザー事件を隠蔽しました。しかし、たった一人だけ、世界にたった一人だけ、事件が隠蔽されても、その異変に気付くことのできる人間がいますね」
ウィルは思い出す。
泣き崩れた彼女を。
そのまま泥沼に溺れるように、沈み続けた姿を。
「アリサか……」
「その通りです。たった二人家族で、兄が帰ってこなければ、アリサはその異変に一番最初に、そして簡単に気付く。自分で調べ始めるでしょう。そして、いつかは兄の死を知ることになるはずです。もちろん、今回は僕の父親が伝言をしていたので、アリサはかなり早い段階で事件のことを知りましたが……どちらにせよ、ターゲットはアリサだった」
「…………」
「ハルカ・フレイザーはメリアとハヴェンが将来アリサと出会うことになるのを予見していた。そうなるように全てを計画したのです。メリアとハヴェンは過酷な計画によって学院を憎み、アリサは事件を隠蔽した学院を憎む。共通の狙いを持ったこの二つの陣営が将来出会わないはずがない。そして、実際に出会った」
場の空気は、犯人追求の話題から、またさらに静まっていた。
ハルカ・フレイザーの盤上。
ここは、彼の手の上だったのだから。
「ハルカ・フレイザーはアリサが将来、自分の仇のために学院を潰そうとすること、ハイブリッドを殺そうとすることを予見していたのです。二人家族なのですから、たった一人の肉親を殺した相手に復讐を誓うのは簡単に予想できることです。そして、アリサはやはりメリアとハヴェンに会い、学院への攻撃を仕掛けることになります」
ウィルは息継ぎをして、続けた。
「ルクセルグ襲撃もカルテジアス襲撃も、全て彼の手の上の現象だったのでしょう。その二つは、ハルカ・フレイザーが逃がしたメリアとハヴェンが首謀者なのですから。ハルカ・フレイザーは先日から起こっている二つの襲撃さえも予見していた、というよりも、そうなるように全てを整えたのです。彼がメリアたちを逃がす。自由になった二人は学院に攻撃を仕掛ける。学院に攻撃を仕掛ければ、同じように学院を憎むアリサといつか出会う。そのように、僕たちを、まるで物語の登場人物か、あるいは盤上のゲームの駒のように動かしていたのですよ」
「お待ちくださいっ」
ロヴィーサが焦りを表情に滲ませ、割り行った。
「ハルカ・フレイザーは自分の手で両親を殺したのですよね。けれど、アリサをターゲットにしていたって」
「ちょうど話そうと思っていたところです」
ウィルはアリサのことを考えて重たい気持ちになった。
「ハルカ・フレイザーは両親を『自分とアリサの二人家族になるため』に殺したのです」
■
「馬鹿な――そんな動機が……」
ヒストリカが呻いた。
「しかし、そうとしか考えられないのです」
ウィルは続けた。
「事実を逆算すると、それが動機としか考えられません。ハルカ・フレイザーは自分を死んだように見せかけ、アリサに復讐を促した。けれど、もし家族が他にもいて、自分が死んでも緩やかに立ち直っていけるような環境にあれば、どうなるでしょう。アリサは復讐に向かわず、ハルカ・フレイザーの死を悼んでも、やがて平穏な日々に戻っていくでしょう。しかし、それでは駄目だった。ハルカ・フレイザーはアリサに復讐をさせたかったのです」
カレンダーの細工。
それがアリサとメリアの邂逅を目的としていたとすれば。
アリサが狙いであり。
アリサの復讐をあらかじめ知っていた。
ずっと前から、アリサが復讐に向かうように仕組んでいた。
「アリサが両親を失えば、兄である自分に依存する。自分しか家族はいないのだから、当然誰よりも妹は兄である自分を大切にしてくれるでしょう。そして、失ったら復讐を誓う程度には、自分を愛してくれるでしょう。ハルカ・フレイザーは来るべき自分の死の偽装を最初から計画しており、自分が死んだと伝えられたアリサが復讐に動いてくれるように、二人家族になる必要があった。だから両親を殺した」
「そんな、そんな動機が、有り得るのか」
ヘイガーが思わずそう漏らしていた。
「有り得ます。何しろ、ハルカ・フレイザーは『ハイブリッド』なのですから。彼は時代に必ず生れ落ちる災厄。生粋の殺人鬼です。妹を操るために親さえも殺すことは、その存在から考えても……不思議なことは何もない」
ウィルは感情を抑えながら続ける。考えること、思うことはたくさんあった。それが引き摺り出した真実ならば、それを誰かに伝える時、自分の感情を練り込むのは良くないだろう。しかし、それを考えるだけで胸が張り裂けそうになるのは事実だ。言葉が震えないか、それだけが心配だった。今だけは、冷静でいるべきだ。
「ハルカ・フレイザーは、全てアリサのために、十二年前に両親を殺し、五年前に自殺を偽装し、メリアとハヴェンの認識をずらし、以降の戦いを操作した。ここまでの全てを、八歳で考え、計画し、実行したのです」
■
「――ハルカ・フレイザーは、全てアリサのために、十二年前に両親を殺し、五年前に自殺を偽装し、メリアとハヴェンの認識をずらし、以降の戦いを操作した。ここまでの全てを、八歳で考え、計画し、実行したんだ」
ウィルが、言葉を紡いで。
言葉だけが消えた空間に、言葉だけが響いている。
どこで反響するのか。
頭か、心か。
それって、どこにあるの。
私はいくらでも、いくらでもその話に口を挟む権利を持っていたはずなのに、少しずつ、何かが喉に詰まって、声の出し方を忘れた。私がここにいる、空気に触れている、ウィルと向かい合って、見つめあっているということ、その何もかもを忘れて、ウィルの言葉だけが響いたまま。彼が口を閉じていても、まだ、まだ私の中に馴染まないで。
今、私は、どこにいる。
わからなくなってしまった。
今、私の視線の置き方も。
何もかも。
けれど、口をついて出るものは、拒めない。
やっと、ここに、唇の感覚が、少しだけ。
「嘘」
「けれど、それしか考えられない」
「違う――」
呼吸って、どうやってしていたの。
わからない。
頭の中に、何かが渦巻いている。
「そんなの、そんな」
「もちろん、メリアの大陸歴の時間認識がずれているかどうかは、まだわかったものじゃない。ハルカがどこにいるかもわからないから、なぜお前にそのような焦点を絞ったのか……まだ不明だ。けれど、俺の推理は外れていないと思っている。それに、ハルカが犯人でハイブリッドだとすれば、全て説明が付くんだ」
ハルカ。
ハルカが、犯人。
ハルカ、が、生きている……?
死んだように見せかけて。
そして、代わりに。
私を戦いに導いた。
お父さんとお母さんも殺した。
ハルカがハイブリッド。
ハルカが、全ての元凶。
この戦いの。
この憎しみの。
悲しみの。
「やめて」
寒い。
ここは、とても寒い。
冷たい。
何かが、冷えていく。
嫌だ。
違う。
こんなの、真実でも。
私が追い求めていたものは。
ただ、憎しみが、簡単に、もっと簡単に、私の力で終えられるようなものだったの。ただ目の前に立っている誰かを、殺して、ざまあみろって、それで終わりにできるようなものだったの。それが、私の復讐だった。違う、こんなの、こんなの、私が求めていたものじゃない。
「違う、そんなの、間違ってるわ。ハルカじゃない、ハルカなわけがない……」
「アリサ」
動悸は止まらなくても。
目が渇く。
喉が。
意味の解らない何かが、渇く。
ウィル。
あなたは。
「ウィル、あなたは、何もわかってない。ハルカは優しいの。優しくて優しくて、本当に……大それたことなんかしない。静かに、穏やかに生きていた人なのよ。お父さんと、お母さんが死んでも、目の前で殺されても、優しく撫でてくれたのよ。傍にいてくれたの。微笑みの美しい人だった。それをウィル、あなたは、そんな風に言うの」
「俺はハルカのことを何も知らない」
「そう、知らない……知らないから、そんな好き勝手なことが、言えるのよ。違う、絶対に違う。私、見てきたの。ハルカのこと、妹として、家族として……そんなこと考えるはずがない。そんな、そんなことしない。ハルカは、ハルカはそんな人じゃない……」
ハルカの笑顔を忘れたことなんてない。
いつだって憶えている。
「そんな風にお前が兄を庇うのも、ハルカの思い通りかもしれないんだ」
「どうして……」
私は立ち上がった。
「どうしてそんなこと言うの! 私の心なんて、誰にも推し量れない! この気持ちを操るなんてできないわ。誰にも、誰にも私の時間も、心も操れるはずがない。ハルカだってそう。私を、私を自分に依存させるために両親を殺したですって? 笑わせないで! 私がどう動くかなんて、そんなのわかるはずもない。復讐させるため? 戦いに導くため? そんなこと、誰にもわからなかったはずよっ……誰にも、私は、私――……私は、そんなに」
言葉がわからない。
今まで自分がどうやって言葉を操ってきたのか。
ウィルに対して、何かを伝えようとする行為に。
歯止めがきかなくて、枠も用意できない。
口からついて出る言葉が暴走する。
ウィルはじっと私を見ている。
「わかるんだ。ハルカはお前がどう感じて、どう動くか、全て知っていたんだ」
「嫌。違う、本人なんて、いない。ハルカは死んだ、死んだのよ」
「やめろ。逃げるな」
「逃げてなんて、ない」
「ハルカが全ての元凶と知って動揺するのはわかる。だが」
「違うって、言ってるのがわからないのっ……! 何にも、何にも知らないくせにっ! ハルカなわけがない。ハルカが……私を、そんな風に扱うわけがない。ハルカは私に優しかった。優しかったの……ウィルの言葉でも、そんなの、信じられない」
見ていられなかった。
何もかもを。
視界にウィルの、宥めるような、悲しげな瞳を見ているのが。
彼と向き合うのが。
言葉が浮かび上がって。
私が崩れていきそうで。
私は目を逸らして、部屋から飛び出していた。
「待て、アリサ!」
呼び止められたけれど。
止まることなんてできなかった。
私はそのまま廊下を駆け、逃げ出した。――逃げる。否定でも、何でもなくて、ただ、ウィルから、彼の言葉から、離れていきたかった。いろいろなものが崩れていく。私の中の何かも。大きなものが、崩されていく、揺らいで、墜ちていく。黒々しい霧が胸に掛かり出すのを、ウィルに見られたくない。そして、ウィルなんかに、ウィルなんかにわかるはずもないことを、わかったような言葉で説得されるのが、嫌だった。私だって、あなたの言葉は信じたいのに。そして、それは信じるに足るくらいの様々な説得力があるのに、でも、でもそんなの、認めたくない。知っている。ウィルが、私のためを思って、言ってくれたこと。だけど。
だけど、でも。
逃げるしかなかった。
■
ウィルはアリサがいなくなったアリサの部屋で、溜め息を吐いた。
「くそ、あの馬鹿!」
ウィルは額を抑えた。
しまった。
アリサを今、一人にすべきではないのに……。
冷静に、ひたすら冷静に、話しているという無理が祟った。綻びは出ていないはずだが、アリサの前だけでも強がって冷静に行こうというのも、いったい自分は何がしたいのかと自嘲する。彼女が動揺することは知っていた。だからせめて、自分だけは落ち着き続けようと考えていたが、やはり大変なことだった。それに、冷静でいられたのはいいものの、アリサを一人にしてしまった。今、アリサが一人になることは、きっと危険なことだ。彼女自身も、そして彼女に起こり得る何かも。
「…………」
話さなければ。
今の自分の推理を、考えを、そしてこれからどうすべきかを、全て皆に話す。
ウィルは手紙を書いた。この事件に関わる人たちを、ヘルヴィニア城に集めるのだ。
それに、ひとつ足りないものを埋める必要がある。その場にメリアを呼ばなければならない。そして、自分の語りの証人となってもらうために、クリスティンか、パーシヴァルを……。そして、突きつける必要があるのだ。自分の推理を、考えを。
ウィルは自分の思考は間違っていないと思っているが、アリサの悲しい顔だけは見たくなかった。そして、実際に悲しませたのだと思うとひどく胸が軋んだ。けれど伝えなければならなかったから、伝えた。これが誤りであればそれもまたいい。でも、導き出せるものはこれ以外になかった。誰か自分を正せるのなら、アリサが自分で別の答えを証明できるのなら――そしてアリサが悲しまないのなら、それが一番いいのだが。それが叶うのなら、いくらでも間違いだと認めよう。
でも、そんなものが見つかるのか。
アリサのことを考えながら、ウィルは一人立ち上がる。
ウィルはまだ冷たい夜の廊下を歩み、副学院長室へ向かった。
「アリサ」
ウィルは廊下の窓際で、名前を呼んだ。
空間は虚しく、空気が震えただけだった。
■
ウィルは息を吐いた。
ここまで話し終えて、記憶から戻ってくる。
「アリサに話したのはちょうどここまでです。ですが、ここでやはり否定されて、逃げられてしまいました。これは僕の失敗です。さっき話した通り、ハルカ・フレイザーの狙いはアリサなのですから、アリサは今、もしかしたら危険な目に遭っているかもしれない。だからいち早く皆さんにお話して、アリサを探すのを手伝ってもらおうと思っていたのです」
「なるほどな……」
ヒストリカが言った。
「そんな話をされても、動揺するに決まっている」
「すみません」
「謝ることはない。一番真実を求めたのは、アリサだろうからな」
「はい。僕も、少し前にはすでに……一連の事件が全てハルカ・フレイザーによるものだと気付いていました。だから、とても迷いました。アリサは間違いなくショックを受ける。ですが――……これを話さないままにしておくのは、アリサにとってあまりにも不誠実だし、アリサが求めているものは、アリサがどう思っても、伝えるべきだと思ったのです」
「それで正しい。いずれにせよ、それが本当なら受け入れなければならないからな」
誰が犯人でも間違いなく残酷さは免れなかった。けれど、一番残酷なものが真実なのではないかと考え始めた時から、それを話す時、アリサがどんな顔をしてしまうのか、そればかり考えていた。きっと悲しむだろう。怒りで殴られるかもしれない。ハルカをそんな風に言うなと。結局殴られはしなかったが、怒鳴られ、ついには逃げられた。
あれでよかったのだろうか。ヒストリカさんは、それで正しいとは言ってくれているけど、でも、結局悲しませたのは事実だ。真実を見つけ出して、それを伝えることが、こんなにも虚しいものだとは思いもしなかった。
ウィルが複雑な心境に揺られていると、ロヴィーサが口元を抑えながら言った。
「けれど」
ロヴィーサが口元を抑えながら言った。
「それほどまでに、アリサに復讐させたがったのは、なぜなのです」
そう。
それが問題だ。
全ての、ハルカがアリサを操ってここまで導いた、動機。
ウィルは頷く。
「――――それは僕にもわかりません」
だが。
「今までは、様々な事実から推測ができました。悲鳴がないとか、時間間隔がずれているというような、論理を導くための起点があったのです。ですが、『ハルカ・フレイザーがなぜ偽装自殺をして学院と手を結んでまでアリサに復讐を促したか』というのは、手がかりのようなものがまるでない。それだけは、非常に曖昧な位置で漂っている問題なのです。もちろん、本人を連れてきていただければ困らないのですけれど」
ウィルはクリスティンを皮肉な目で見た。
「まだ私が何かを言う場面ではないと思いますが」
「でしょうね」
断られるのは承知の上だ。
「でも、何か考えているんだろう?」
ヘルヴィスが言う。
「そうですね。一つだけ……たった一つだけ、考えていることがあります」
ウィルは、それだけは違うとだけ考えてきた。
有り得ない。
けれど、そうかもしれないと、一瞬でも思ってしまった。
最低だ。
それが違うのなら、否定されて欲しい。
こんなものは、砂上の楼閣だ。
薄っぺらな論理。
でも、もしかしたら……。
ウィルは息を呑んだ。
「それではお話します。ハルカ・フレイザーの、本当の目的を」




