裁かれる花園③
「俺が、アーニィを?」
「はい。以前ここに来たとき、お二人とも随分仲が良さそうで……もしかしたらと」
「わざわざここまで来て、そんな質問をするとはな」
「申し訳ないです。けれど、とても重要なことなんです」
「重要? 俺がアーニィを好きかどうかが?」
「そうです」
「理由を聞いてもいいのか?」
「あまり答えたくはありませんね。教えてもらってから、どういう理由で問うたのかを答えるのはいいんですが」
「そうか」
ヘイガーは苦笑いするが、少しだけ考え、答える。それは悩んだ様子ではなく、何かを振り返って、自分の中で上手に整理をしているようなものだった。どちらにしても、唸ったり、どうしても難しいという問題ではないという様子はありありと見て取れた。
「好きだ」
「いつから?」
「何の調査だこれは……そうだな、予備校の時から」
「予備校時代から? 同じ予備校だったんですね」
「そうだな。もちろん、当時はそれほど話をしていなかったが、まあ、その時から。今みたいによく一緒にいるようになったのは学院に入ってからだがな」
「なるほど、距離が縮まっていいじゃないですか」
「どうだろう。あちらは俺に関心などなさそうだが」
「お気持ちは、伝えないんですか?」
「もう知り合って五年、予備校時代も含めればもっと長いからな……なまじ交友が長いと言いにくいこともあるもんだ」
「余計なお世話かもしれませんが」
ウィルはカップの水面を見つめる。
「僕やヘイガーさんは、『ハイブリッド』事件の渦中にいます。僕の方が随分と中心側ですが、あなたも無関係じゃない。むしろ、事件の現場を見ている。僕はあの時の事件の現場――事件の最中の皆さんの証言から、いったいどのような解決ができるのかを考えている。つまり、あの時の証言から犯人がわかるかもしれない。犯人がその重要な証言をさせないように、ヘイガーさんを殺してしまう可能性もある。あるいは、アーニィさんを」
「…………」
「だから、早くお伝えすることをおすすめします」
ヘイガーはウィルをじっと見据えた。
ウィルはヘイガーと視線を交えて、少し言葉を和らげる。
「余計なお世話がすぎますか?」
ヘイガーは首を振った。
「いや、ごもっともな意見だ。いつ今の生活が終わるのか、あいつと別れる日が来るのか、考えたらきりがない。だがウィルフレッド、それは俺が犯人ではないと仮定しての話だな。犯人に告白しろ、なんて言わないだろう? もう俺は除外されたのか」
「どうでしょうね。わかりません」
「まだ、保留か」
「はい」
ウィルは笑った。
「けれどヘイガーさん、僕があなたに事件のことで質問するのは、今度のことで最後だと思います」
「何か、掴んだのか」
「掴んだかどうかは、全てが揃ってからわかるものです。でも、もうすぐあなたが犯人かどうか、わかると思います」
「それはつまり、何か掴んだということだろう」
「そうですね……そうかもしれません」
「だが」
ヘイガーはカップの傍にあったスプーンを手に取ると、それをウィルの眼前に突き付けた。
「俺は犯人じゃない」
「…………」
「アーニィもな。あいつはそんな神経してないだろう」
「その言葉、アーニィさんに言ったら、きっと喜ぶと思います」
「考えておこう。ウィルフレッド、健闘を祈る」
「ありがとうございます……それでは先ほどの質問の意図ですが――――」
■
ウィルはヘイガーと少しの間話をして、そうそうに別れを告げた。日は沈んでいたが、そのまま列車で東都を後にし、すぐにルクセルグへ向かう。時刻はすでに夜になり、北都の学院支部へ行くにはさすがに時刻が遅いと判断したウィルはルクセルグの宿に泊まった。一夜をあかせる程度の安い宿だったが、ウィルは特に気にならなかった。
アリサを置いてきてしまったことだけが気がかりだったが、それも仕方ないことだった。一人の方が調べやすいことではあるし、一人の方が考え事がしやすい。ウィルは宿でベッドを整えながらひとりごちた。
「いや、俺もあんなこと人に言えたもんじゃないよな……」
ヘイガーにあのようなことを言ったのは、やはり自分でも不慣れなことだった。
自分はアリサの追及から逃げておいて、よくもまあ。
自分のことを傷つけたくなったが、今はそんなことを考えても仕方がない。話さないと決めたことは話さない。整理がつくまではとことん突き詰める必要があるのはわかっているのだ。
明日はウルスラさんとステラさんに会いに行こう。
■
目が覚めると、すでに外は明るかった。夕方に眠ったので、目覚めればきっと部屋は真っ暗だと思ったのに、そんなことはなかったので驚いた。自分の規則正しい睡眠時間が乱れてしまったのが不快だった。夢も見ない、途中に起きたりしない深い眠りだった。すっきりしたわけでもない。ただ、眠りは大事なので、最近の不眠を少しは取り戻せていたらいいと思う。
起き上がってシャワーを浴び、着替え、ローブを丁寧に身に着ける。それから剣の手入れをする。部屋の真ん中で軽い魔法の放出の訓練をした。
不安定だった。
――クリスティンに脅された時、私の魔法は弱まっていた。魔法とは精神によるものが大きいからだ。何か心にわだかまりがあり、思考が別の場所にぶれ、集中力が散漫な時、魔法はやはり弱い。形が不安定になり、揺れ動く。今の私は、どうにも不安定のようだった。師匠の下で修行した五年間で、精神的なコントロールは身に着けたはずだった。けれど、最近は少し鈍っている。下手になったのか、忘れたのか。きっと、私が外側からくるものに圧されているからだろう。世間知らずがようやく人と交流するようになって、そのことにまだ不慣れなだけだろう。
けれど、今、私が考えているのはウィルのことだ。
それは決して最近になって出会ったものではないのに。
「…………」
気まぐれにケイトリンに手紙を書いた。会いに行くこともできたけれど、わざわざ顔を合わせて話すのも変だと思ったからだ。それに、文字にした方がまだ、もう少し整理がつくと思った。友達というものは、もっとこんな風にいろいろなことを相談し合うような仲、でもあるはず。まだよくわからないけれど、相談するのは悪いことじゃないはずだ。私は最近の自分の心境――特に、ウィルのことについてしたため、適当なポストへ出した。返事は期待しなかった。
それから、迷わない足取りで出掛けた。
■
寮を出て、私の家を訪れた。
私が住んでいた家。
そして、家族が住んでいた家だ。
ドアノブに手を添えて、ひんやりとした金属に息を吸う。
――『訪れる』。
もうここは、私が帰ってくる場所ではないのね。
自嘲して、躊躇せずに扉を開けた。
玄関を通って、まず、よく家族が集まっていたダイニングを見た。
集まっていた、はず。記憶にはほとんどない。私が両親を失ったのは、もう十二年も前のこと。三歳。私は両親の顔を憶えてはいるけれど、自分がきちんと二人に相対して得た記憶はぼんやりとしてしまっている。愛してもらったことも憶えている。ここに映像を再現させたり、両親やハルカとの会話を一つ一つ思い出したりは出来ないけれど、そんな幸せな感覚は確かに私の内にある。これは確かなものだったし、だからこそ、今ここがひんやりとしていることが虚しい。
それからキッチンを見たが、もうここは埃を被っていた。
もう誰もここで何かを食べていないし、食べて生きることはしない。
私は二階へあがり、私の部屋へ入った。正方形の形に、北側の窓、西側のベッドに東側の本棚。勉強机もある、極めて典型的な部屋。個性も何もない。十歳の少女に個性も何もないかもしれないけど、我ながら呆れた。部屋は散らかっている。棚から本が落ちていて、ゆっくりと拾い上げながら考えた。
ここは。
ハルカが死んだ、あの日のまま残されている。
私はあの日、ここにいて、そしてここを出て行った。
そのままの時間が、ずっとずっとここにあった。
この本も、あの日ここに落とされたままだった。
ベッドを見ると、布団が捲り上げられたままだ。
机に飲み干して置きっぱなしのカップが置いてある。
何もかも、あの日のまま……。
けれど、変わったのは、私。
私は五年間、ここを置き去りにして。
そして私だけが変わって、ここに戻ってきた。
静寂。
窓の外で鳥が鳴く。
何もかもあの日のままだけど、私はいないし、ハルカもいない。
ここで生きていた私たちは、もうここで生きていない。
それだけの時間が、残酷に流れたのだ。
あの日。
何もかもが捻じ曲がった。
私は本を棚に戻して、廊下へ出、ハルカの部屋に入った。
ここにはあまり入ったことがない。
入ったことがあっても、ハルカがいる時だ。
私だけが一人で入ることは、なかった。
私の部屋とほとんど間取りは同じだったけれど、本の数が違った。本棚にはたくさん本が入っているのに、それだけでは足りないくらいの本があって、床に積み上げられたり、箱に詰められて積まれていたりした。勉強家だったのだろう。私も一応、学院にはトップで入学した。トップで入って、あの壇上で学院に喧嘩を吹っかけたかった。それに都外研修が必要だった。でもそれが目的ではなくて、私はそれくらいでなければハイブリッドや学院に対抗できないと考えたから、結果としてトップになっただけだ。こんな風に、何かの知識を貪欲に追い求めたりはしていない。ハルカは本当の意味で賢かったのだ。
いろいろと見回して、机の上を見る。
私は動きを止めた。
私の写真……。
■
ウィルは歩きながら、ルクセルグにいるウルスラとステラの基本的な情報を頭の中で整理した。
二人は同じ予備校の出身。二人とも当然雷気質。
二人が親しくなったのは、あのハルカ事件の時……ステラが悲鳴を上げ失神してしまい、ウルスラがそれを介抱した。恐らく、ステラが後にお礼を言いに行ったり、お互いに心配し合ったりする形で、そして事件の痛みを引きずる形で一緒にいることが増えたのだろう。ステラなどは特に、炎や事件がトラウマとして刻み付けられてしまっていた。それを特に労わっていたように思うのはウルスラだったから、どちらかと言えばウルスラがステラにべったりな印象もある。また同時に、ステラもウルスラに大きく感謝しているのも事実だろう。彼女たちには、ヘイガーよりも質問が多いだろう。
恐らくは演習の始まった頃に、ウィルは学院を訪れる。研修の申請は出していないので、一人で勝手に入り、受付には何も言わずに人を探した。学年はリボンの色でわかる。二人の学年の色の誰かに出会ったら、どこにいるかを聞けばいいだけだ。
確か、アリサは俺とは別にウルスラさんと話をしているんだったかな。
もちろん、その話の内容も教えてもらっていた。ほとんどが、自分が別の機会にウルスラと話したものと同じだったが、ウルスラさんはステラには無理だと断言し、アリサはそんなことはないと反論したようだ。犯罪者でも、人を殺した後に悲鳴を上げて失神することだってある。確かにあり得るが――いや、もし『この考え』がそうであるなら……。
ウィルは前方からやってきた上級生に声をかけた。ウルスラとステラは研究室で、外には出ていないという。研究室へ赴くのは非常に複雑だったが、やむを得なかった。ウィルは上級生にお礼を言って、足早に教えてもらった研究室へ向かった。ノックをすると、眠たそうな男の人が出てきて、何? とウィルを見て言う。二人の名前を出すと、彼は部屋に振り返ってウルスラとステラの名前を呼び、お客さんだと告げた。そうして、やっと二人が現れる。
「あら、ウィルフレッド君じゃない」
「お久しぶりです」
「久しぶりって、そんなに経ってないと思うわ」
「かもしれませんね」
「私たちに、何か用?」
「今、お二人は時間とか空いていますか? 少しお話をしたいんですが」
ウルスラは研究室内を振り返り、二言三言ほど部屋の中にいる誰かに問い、もう一度ウィルに向き直る。
「いいみたいね。本当はこちらもやることはあるんだけど、どうせ『あのこと』についての話なんでしょう?」
「そうです。ステラさんも、大丈夫ですか?」
ステラは少し不安そうな表情――とはいえ、いつもそういった仄かに暗い雰囲気だが――のまま、こくりと頷いた。
「必要なことでしたら、もちろんお手伝いします」
「ありがとうございます。場所を移したいんですが……」
「それなら、開いている会議室でも使いましょうか。私たちが普段使っているところがあるのよ」
三人は研究室を離れ、少し廊下を歩いた先の小さな会議室を使うことにした。テーブルが中央にあるだけの、少人数で利用するための部屋だった。ウルスラとステラは並んで座り、ウィルはちょうど向かい合うようにして座った。ウィルはどうにも、ここしばらく、誰かと反対側に向かいあうようにして座ってばかりいるな、と自嘲した。
「それで、今日は……もう一度、あのお話ということですね」
ステラさんが切り出す。ウィルはテーブルの上で手を組んだ。
「大抵の話は……もう済んでいます。今日は、少しだけ別のことです。もちろん、ハイブリッド事件のこともあるんですが、今日はお二人の昔のことです」
「昔のこと?」
「昔と言っても、お二人が学院を受験されるまで……予備校時代のことです」
「どうしてその頃の……話を?」
ステラがいつになく不穏に唇をきゅっと結んだ。
「その頃の話が、事件に繋がる可能性があるからです」
「どういう可能性?」
ウィルは思考を口に運ぶことにする。まだ考えはまとまりきらないが、求められた答えをどうにか言葉に、そして文脈に籠めるのには時間が掛からない。きちんとした論理は、またそのうち話すことになるだろう。
「ええと、つまり……あの場所にいた七人は、いくつかの組に分けられます。同じ予備校出身のアーニィさんとヘイガーさんの組、やはり同じ予備校出身のウルスラさんとステラさん……それと、一人で行動しているヲレンさんに、試験監督をしていたクレイン先生、そして殺されたハルカ・フレイザー」
「待って。同じ予備校出身だけど、私とステラは面識はなかったのよ」
「それはまあ、置いておきましょう。問題なのは、『殺されたハルカと誰も知り合いではなかった』ということです。同じ予備校出身でもない。もちろん、だからといって面識がないとも言い切れませんが、明確な接点がない以上、彼が殺された『動機』が見えてこない。だから、きっとあの事件以前の過去に、何かヒントがあると思うのです」
「…………」
「すでに、ヘイガーさんには教えていただきました」
「アーニィは?」
「アーニィさんは今、マードレーにいるようです。後日向かいます」
「そう……でも、何を話せばいいのかしら」
「簡単なことです。予備校時代のこと……そうですね、十歳から十五歳のこと、憶えていることならなんでもいいので、教えてください。何かお二人の人生に大きく影響することがあるのなら、それもいいですね。後は、ウルスラさんとステラさんが、予備校時代に面識がなかったとしても、お互いについてどれくらい知っていたか。その辺りです……あの、言いたくないことは別に言わなくてもいいんですが、できるなら、お願いします」
ウィルは柔らかく条件を提示したが、最も聞きたいのは、最後のもの――ウルスラとステラが予備校時代に面識がなかったとはいえ、断片的でも情報を持っていたかどうか、ということである。ヘイガーとアーニィが互いにどの程度親しかったかを訊ねはしたが、それに通じるものがある。それが自分の推理にどれだけ手がかりになるか。
ステラは俯き、何も喋ろうとしなかった。元々積極的に口を開く人ではなかったけれど、今は殊更言葉にするのを拒んでいるようにも見える。何かあったのだろうか。過去に、何か自分の質問の中で、あるいは事件に関係することが思い当たったのだろうか。ウィルは無理に話すように勧めはしなかったが、何かありそうだと心の中でひとりごちる。
ウルスラは話をする前に、ステラの様子を窺っていて、心配そうに一瞬だけ眉を寄せたように見えた。彼女も何か……二人で共通の何かがあるのかもしれないと感じる。ウルスラは滞りなく自分の事を話す。
「私は特に何かあったってわけでもなかったかしら。自分で言うのもなんだけれど、真面目だったと思う」
「ハルカさんのことは知らなかったわけですよね」
「知らなかったわ。試験会場で初めて会ったと思う。でも、なんというか彼……すごく空気っていうか、印象に残らないタイプの人だわ。存在感が薄いっていうのか……あ、これはアリサさんには失礼に思われちゃうかもしれないけど、でも悪い意味じゃなくて……本当に、あまりにも中庸な印象が逆に印象的っていうか」
「わかります。僕は会ったことはないんですけど、アリサも同じように言っていました。慎ましく柔らかいと」
「そう……そんな感じね。名前はともかく、ああいった雰囲気の人は一度でも会話したりしたら、しばらくは忘れないと思う。だから、試験以前に会ったことがあるっていうのは考えにくいと思う」
「ありがとうございます。ステラさんは……」
ステラはしばらく何も言わず、やはり唇を一文字に刻んだままだった。やはり、何かあって、けれど自分には話せないことがあるのかも……それが事件と関わるから黙っていよう、という意図があるのか、それとも単純にそれほど親しくない自分には話せない内容、という意味なのか。ウィルはどちらでも構わなかったが、話してくれることを願った。
それから、ステラは一度ウルスラを見る。
二人は視線を交わし合う。
そして、ステラは少し辛そうだが、微笑んで見せた。
ウィルに向き直る。
「あの、私、予備校時代はずっと一人だったんです」
「一人?」
「はい……つまり、誰も友達がいなくて……独りでした」
「そうでしたか……」
それが言葉を渋っていた理由のようだった。それは話しにくいだろう。
「当然、ハルカさんともお会いしたことはなくて……でも」
ステラはウルスラを一瞥する。
「ウルスラのことは知っていました。彼女は友達も多くて、勉強もできる……憧れの人でした」
「ステラ……」
ウルスラさんは泣きそうな顔をした。
「すみません、そんなこと、話し辛かったですよね」
「いいんです」
ステラは首を振った。
「今はウルスラと友達になれました。彼女と一緒にいられて、あとは彼女と一緒にいられたから、学院でいろいろな人と友達になれました。しばらく事件のことがトラウマで悩みましたけど、今、すごく幸せなんです」
それまで複雑だった彼女の表情も、今はとても安らいでいた。ウィルは驚いた。トラウマなどは相当厳しいものがあって、受け止めるのにも随分と苦労するはずのもののはずだが、それを考えても今幸せだと言える、彼女の精神に感服したのだ。それだけ今が充実しているということでもあるし、彼女が予備校時代に味わった孤独を考えるなら、こうしてウルスラのような誰かが隣にいるということ、それだけで十分に嬉しいことなのだろう。
「ウルスラさんはステラさんのこと、昔から知っていましたか?」
「いいえ……事件の後に初めて知ったの」
「なるほど――――」
「今のお話で、何かお力になれるでしょうか」
ステラさんが言う。
「わかりません。でも、お話してくださったことを無駄にはしません」
ウィルはそれから、大事なことを問うた。
「最後に。お二人は――――犯人ではないと、断言できますか?」
ウルスラとステラは顔を見合わせる。
それから肩を竦めて笑い合い、ウィルに向き直った。
「私は犯人じゃないし、ステラでもないわ」
「私はやっていません。そして、ウルスラでもないと思います」
■
私と、ハルカの写真……。
写真立てを静かに手に取り、しばらく眺めた。音が無くなる。
自分の思考や、感覚が、全てこの写真の中へ閉じ込められたように、一旦停止した。
ハルカは細い。身長もそれほど、高くない。これを撮影したのは、いつだろう。決まっている。五年以上、前。私の身長と、変わっていない。ハルカは私より少し高いくらいの背の高さで、あまり男の人に感じるような大きさはなかった。例えば、ウィルのような。この写真を撮ったのは、でも、ちょうど五年前の辺りなのだろう。私とハルカは並んで、撮影主の方を笑顔で見ている。私は、笑っている。
こんなにも幸せそうに笑っているなんて。
まるで私じゃないみたいだ。
私はハルカの腕を取って。
ハルカは眩しそうに目を細めて、微笑んでいる。
私、こんなにも笑う子だったの。
今の私が、写真立ての表面の艶に反射する。
こんなに自然な笑顔が、昔の私にはできたのだ。
今、笑っても、きっと口元を歪ませて、細やかな声で微笑むだけだ。
笑わせてもらっても、自分で笑ったりしない。
もうこの頃には、戻れないんだわ。
「……――ハルカ」
私は死んだ後のハルカがどう思っているかなんて考えない。そんなのは関係ないからだ。ハルカが私に復讐を願っていたならそれでいい。もし、私にそんなことはやめろと祈っていても、関係ない。ハルカがそう思っていたって、そんなの私が悲しいだけだ。死んだんじゃなくて、奪われて、私はここに残された。だから、悲しいのは私だ。悔しくて憎いのも、私。
ここに、私がハルカの腕を取った、確かな記録がある。
もう涙は渇いた。今更泣いたりはしないけど、こんな風に、残された私ではなく、いなくなったハルカの持ち物に、私とハルカが共にあったことを示す証があることは、どうしても感傷に浸らざるを得なかった。ハルカが死んだ後にここに入ったのは初めてで、ここはもう入ることのない場所だと思っていたからだ。五年前より以前に、ここに入ったことはある。勉強するハルカに相手をしてもらいたくて、無理やり引っ張ろうとして、ここへ……話し相手になってもらいたくて……ただ、ハルカがいなければ私の生活は完全に何もない、退屈な日々だった……私には、ハルカしかいなかったからだ。
両親も、ハルカも、殺されてしまった。
私には何もない。
けれど、手に入れたわ。
力も、友達も。
でも、だからってマイナスからプラスになれたかどうかに自信はない。
こんな風に、ぐだぐだと考えてばかり。
今もまだ、何か胸に燻っている。
手のひらを届かせたいところへ届くかどうか、わからない。
ここへきて、何か整理がついたり向き合うことができるかどうか知りたかった。どうやらあの時よりは、ここに入ることに躊躇いはないようで、少しだけ安心した。五年前は、もうこのハルカの部屋なんて禁断で口に出してはならないと言うように、自分の中で完全に忌避していた。けれど、今、ここに入れた。それは、前に進めているということで、いいんだろうか。
私は写真を机に戻して、一度深呼吸をする。
部屋を見渡してハルカの名残を探すのは、もうやめよう。
意味がない。
■
ウィルは二人としばらく話をして、今度はマードレーに向かうことにした。あちらにはヲレンとアーニィがいるはずだった。アーニィは先日のカルテジアス襲撃に見舞われた親族の元にいるはずだから、そこへ突然向かうのは気が引けたが、あまりアリサと会わない時間を長くするのは良くないことだと思われた。それがなぜかはわからない。ではなぜ連れてこなかったのかと自分に問うと、やはり一人の方が考えがまとまること、まだ話せないこともたくさんあったからだった。
ウィルはそのまま宿を引き払って、すぐに列車でリンドベールへ向かい、そのまま舟でグレーノへ行く。その日はそこで夜になってしまったため、グレーノで一夜を明かした。宿は再び安いものを選び、少しだけ魔法を放出する訓練をして――これはアリサがよくやるもの――から、早めに寝た。
そしてまさにマードレーへ向かおうという次の日の朝、グレーノの駅でアーニィとばったり会うのだった。
■
私は息が詰まりそうになりながら、けれど昔より随分受け入れた心地で家を探索し、夕方に家を出た。
自分の部屋にあったハルカの似顔絵を自由帳に書き記したものなどは複雑な気持ちになったが、両親の写真のようなものはほとんど出てこなかった。きっと、ハルカはなるたけ私が両親のことに触れないように、そういったものを処分したのだろう。私は両親の死も、きっと途轍もなく悲しんだはずだからだ。その悲しみがぶり返さないように、そっと両親の痕跡を消した。そういうさりげないこともハルカは悟られないようにやる人だった。
それからは学院の寮へ戻り、本を読んで眠った。今は何をしている時間なのかわからなくなった。ウィルを待っている。先日までみたいに容疑者の先輩たちの元へ向かうことも、今はとりあえず小休止になっている。今までそうやってこれをやって、次はこれ、というような道筋がないので、何かぼんやりしている。もちろん、今から学院長室に乗り込んでパーシヴァルに戦いを吹っかけても構わない。それが一番いいのかもしれない。けれど、ウィルがいないのでは意味もない。
次の日は図書館で時間を潰した。膨大な蔵書があり、とても一日で回り切れなかった。私はとにかく講義を欠席し続けているが、本当なら日中は講義や授業は行われている。だが、やはり今は出る意味がない。ケイトリンが出れないのに私が出る、というのもどこか申し訳なさを感じるし、そんなことをしている場合じゃないのも承知しているからだ。
何か、何かが足りない。
もっと、考え直した方がいい。
私が殺したいのは、ハイブリッド。
ここで、本を読んでいる時間さえ惜しかった。
あの時間と、あの執念はどこへ行った……。
私は、どこへ行った……。
どこへ向かおうとしているの……。
部屋へ戻り、手のひらの上で炎を出しては消すを繰り返す。それから本を読んで、食堂で食事をした。食堂で、こちらを見て何か噂話をしている二人組の女の子がいたが、無視した。自分はここでは有名人だったことを忘れていた。けれど、大した問題じゃなかった。あなたたちは悪くないわ。あなたたちが私をそんな風な奇異な目で見るのは、あの入学式の日、私があのような口上を口走ったから。なぜ口走ったか。そうせずにはいられなかったから……。
だが、もし今の私があの壇上に立ったとしたら、あんな事を言うだろうか。
あの時は、純粋な復讐心だけが私の口を割り裂いた。
今は……何か、私の中で揺らいでばかりいる。
そんな仮定は無意味だ。
今も、殺したい。恨んでいる、復讐のためなら何を賭しても構わない。
そんな気持ちはあるのに。
何か、何か足りない……。
部屋に戻って眠り、次の日の朝、ケイトリンの手紙がやってきた。私が出したのは朝一番だったから、届くのが早かったのだろうか。ケイトリンの返事が早いのも、もしかしたら彼女も暇だったのか、あるいは喜んでくれたのか。私のあんな乱雑な文章で喜ぶはずもないだろうけど。私はシャワーを浴びて、丁寧にローブを付けた後、魔法の訓練と剣の手入れをして、それからやっとベッドに座り、ケイトリンの手紙を開いた。
――こんにちは。アリサちゃんからお手紙がもらえるなんて嬉しい。
ケイトリンの言葉遣いは、そのまま文字であっても笑顔が浮かぶようであった。
私は、そのまま続けて文章をなぞる。
そして。
■
アリサちゃん、それは恋だよ。




