私服の罪人②
「友達はできたか」
「……わかってて訊いているんじゃないの、それ」
「いや、そんなことはないさ。学院の寮は二人で一部屋だからな。誰かと話したんじゃないのか」
ウィルはこちらを見ないで、向かいのホームを見据えたまま言った。
王都中央の駅で、列車を待った。高い楕円を描くような高さを持った構内に、古めかしい雰囲気の壁の色合い。列車のやってくる前の黒い線路に、天窓の明るい陽光が反射する。向こう側のホームでも、多くの人が列車を待っている。ウィルと私は横並びで、大きな旅行鞄を持っていた。
都外研修は、四つの都市から選択できる。
王都ヘルヴィニアに東西南北。実際にはヘルヴィニアの北に存在するが、東都リーグヴェン。東大陸を北上した、北都ルクセルグ。西大陸で最も大きく、ヘルヴィニアと対を成す大都市・南都カルデジアス。そして西大陸を北上した西都・ミルドレード。基本的にどこを選択して都外研修に向かっても構わないが、研修や授業の内容はそれぞれ異なり、東都が最も容易で、南都が最も大変だという。段階をこなしていくのが鉄則という話もあるし、本来ならば簡単なものから取っていくべきだけど、そんなことは言っていられない。
ターナーさんの手紙に書いてあった、容疑者リスト。
あの場にいた試験生たちは、今都外研修にそれぞれ散らばっている。
そこに直接赴き、話を聴かなければならない。
寮の部屋に置いてきた荷物は、学院に買わされた魔法の教科書がほとんど。ここに持って来たのは大抵が生活に必要なもので、本の類はない。都外研修では学科や座学はほとんどなく、基本的には体一つで事足りる。真面目に授業を受ける気はないから、あちらの寮に入って、しばらく生活できる程度の準備があればいいのだ。都外研修は、ただ生徒の手を使い、そして魔法を使うだけなのだから。身軽で、準備もほとんどいらなかった。
ウィルの質問に、あまり考えないようにしながら答える。
「話はしたわ。変な子がいたのよ」
「ほう」
「結局、事件のこと、包み隠さず話しちゃったわ」
「そうか」
「怒らないの? 話したのに」
「別に、お前が話したいと思ったんなら、それでもいいさ。他人に触れ回ったりするような子じゃないって、お前も判断したんだろう」
ウィルはこういう人なのだ。
結局、何か釘を刺したとしても、私がやることなすことをきっと認めてくれる。あまり話をするんじゃないぞなんて言ったくせに、私が話をしたと言えば、それでもいいと言う。いつも笑って、私のすることを受け入れてしまう。
「そう……そうね。でも、それより先に、誰かに知ってほしかっただけなのかも」
■
「そっかあ……そっか……うん、そうなのかあ……」
「さっきからずっと、同じことばかり言っているけど」
「仕方ないよ、だって……」
ケイトリンは表情を歪めた。ずっと関心したような、困惑したような言葉遣いで息を吐き、唸ったり頷いたりしている。私の話を、そして私の過去を事細かに誰かに説明したのは初めてだった。だから、いったい他人がどんな反応をするのか、そういうところはまるでわからなかった。だけど、彼女は真っ当な反応を示している。先ほどまでのような、私にずっと笑い掛けるようなものとは一転して、やはりいろいろと掴めてない、そんな印象のある反応だ。これが普通だし、そもそも私の壇上の挨拶の時点で殺伐とした話題になる事はわかっていたはずだから、今、いったい彼女の中にどれだけの後悔があるのだろう。できれば、そこは温めたままで、ひっそりと私から距離を置いて欲しいものだけど。
向き合う私と彼女。
「どう? さすがのあなたも、嫌な気持ちになったでしょう」
「嫌な気持ちというか、びっくりした……」
「だから、学院に本当の意味で通うなんて、私は考えていない」
「…………」
さすがのケイトリンも、言葉が減った。
私も、その静けさに口を閉じた。
多くの人に知ってほしいことではあるけど、まだ掴めていないことがあるのに、多くの人に触れ回ってもいいわけがない。彼女は知りたがった、だから教えた。些細なことだ。不確定なことが、また動き出すわけじゃない。彼女はそれを知って、いったい何を感じるのだろう。私に言葉を与えないでほしい。静かに、その理由を知ったのであれば、ただ静かに送り出してくれればいいのだ。知ってほしいけど、干渉はしてほしくない。その権利を持つには、まだ私とケイトリンは、無関係すぎるだろう。
「私はこれから、都外研修の申請に行ってくるわ。そのまま列車で東都へ行く」
「東都……」
「ウィルが調べてくれていたの。あの時あの場所にいた他の試験生は皆合格して、今はすでに五年生。実際に事件を目にした彼らのところへ行って、話を聴く。箝口令なんか関係ない。教えてもらうだけでいいのよ。彼らのところへ行き、ありのままの事件の姿を教えてもらう。手紙だけでは見えなかった部分をより集めて、真実を探すの」
「……探してどうするの?」
「言ったでしょう。犯人を殺す。学院も潰す。それだけ」
「殺すの?」
「殺すわ。そのための準備もしてきた。躊躇ったりなんかしない。罪悪感だってない」
「戦えるの? だって……怖い相手かもしれないのに」
「私が弱いってこと?」
「そういうことじゃ、ないけど……」
「確かに――相手はハイブリッドだわ。全ての魔法が使えるでしょう。私の炎では太刀打ちできないかもしれない。だけど、そんなことはすでに考えている。別に勝てなくたっていいわ。殺せればいいの」
「それって、アリサちゃんも死ぬっていうこと?」
「結果として、私は死んでも構わないわ」
「どうして?」
「ハイブリッドを殺すことしか考えていないから。その後のことは考えてないの。だから、そこで終わったならそれでもいい。もし終わらなかったら、それはまたその時に、続きの事を考える。それだけよ」
「そんな――」
「何も言わないで、ケイトリン」
彼女に、片手を向けた。
手のひら。
それは、制止の合図だった。
「私の事は何も考えないで。生きるとか死ぬとか、私が死ぬなんて駄目だなんて、言わないで。あなたにそんなことを言う資格はないのよ。私はあなたにいろいろなことを伝えたけど、別に、私の行為を止めてほしくて伝えたわけじゃない。むしろ、わかってもらいたかったのよ。兄を殺された。だから、殺した人間を殺す。まかり通っているでしょう」
「…………」
「変ね、ケイトリン。さっきまでの笑顔が嘘みたい」
「笑えるわけ、ないよ」
「あなたが教えてと言ったのよ」
「言ったけど、でも」
「聞かない方がよかった?」
「わからないよ……」
「そんな悩みに五年も浸れば、終わらせたいと思うのも普通じゃないかしら」
「普通――いや、違うよ。普通ではないよきっと、アリサちゃん……そんな、そんなことは」
「そうかもしれないわね」
何が普通で、何がおかしいのか。
わかっても、わからなくても構わない。
ただそのためだけに生きてきたのだから、それを否定する何かに出会ったとしても、別にそんな言葉なんて、聴かないだけで済む話なのだ。ケイトリンが笑わなくなった。それくらい、それくらいの話題だし、それくらいの意志なのだ。彼女には権利はない、資格もない、言葉を掛ける必然すらない。ただの相部屋同士に、諭される理由などないのだから。ただ知っていてほしかっただけ。介入するのは、私とウィルだけで構わない。
「ケイトリン、この部屋はあなたが自由に使っていいわ。私の荷物はここに置いていくけど」
「…………」
「それじゃあ、さようなら」
「アリサちゃん」
「何」
「荷物を置いていくってことは、帰ってくるんだよね?」
彼女は、なんとか笑った。
ああ、無理してるな。それくらいのことはわかった。でも、どうして笑うんだろう。初対面なのに、まだ出会って少しなのに、無理しなきゃ笑うことができない話題でも、どうして笑うんだろう。それがケイトリンなのだろうか。
「帰ってくるわ。最終的な意味では、わからないけどね」
■
「その子とは友達になったのか」
「いいえ、友達じゃない」
「でも、話はしたんだな」
「話をしたからって、友達ってわけじゃない」
「……うーん」
「ウィル。あなたが何を言いたいのか、私にはわかるわ」
結局のところ、ウィルは私の新しい家族だった。
ウィルの家にはターナーさんという父親しかいなかった。そして私の家には、ハルカ――つまり、私の兄しかいなかった。それぞれのたった一人の家族が、同時に、同日に、消えてしまった。いなくなってしまった。それも、きっと同じことが理由で。同じ時間に大切な家族を失って、そして、それぞれひとりぼっちになってしまった。私は家を出てウィルの家に住み、二人で暮らした。ウィルは四つ年上で、ハルカより一つ下だった。だから、ほとんど変わらない。二人で住むようになると、時折ハルカの事を思い出した。ハルカと暮らしていた時の事。親がいないから、私より年上の誰かが、何かの代わりを埋めるようにして一緒に暮らしてくれたことを。私はウィルと暮らして、そしてウィルは私と暮らした。それはつまり、私はウィルを親のように思い、ウィルは私を娘のように思ったということだ。そして、私は彼を兄のように思い、彼は私を妹のように思ったということ。そうなると、ウィルが私に、いったいどのような生き方をしてほしいのか、どう思っているのか、それくらいのことなら察しが付く。兄が妹に求める生き方。それはつまり、今の私のような生き方じゃない生き方だ。友達がいて、もう少し笑っていられる。そして、こんな不可解な謎に身を投げ出すような理由ではない、もっと真っ当に、そしてありふれた理由と進み方で学院に通ってほしいのだと。
「友達くらい作っておけと、そう言いたいんでしょう」
視界の端に映っていた線路の向こうから、煙を吐きながら列車がやってくる。高らかな駅員の声に、列車を待つ人たちの雑踏が重なる。
「まあ、作っておいた方がいいんじゃないかと思うが」
「いらないわ。面倒なだけよ」
「でも、全てが終わった時、どうするんだよ」
「それはその時に考える」
「……まあ、それもいいけど」
「そういう自分はどうなの? ウィル」
「なに?」
「ウィルは友達がいるくせに、いつも後回しにしてるんじゃない?」
「どうしてそんなことわかる?」
「学校終ったら、すぐに帰ってきてくれたでしょう」
「あー……」
列車が目の前に止まった。
扉が開き、無言のまま二人で乗った。適当な座席に向かい合うように着く。
「気付いてたか」
「それは気付くわ。私も、もう子どもじゃない……」
ウィルは私を育ててくれた。ハルカの代わりになってくれた。
食事も作ってくれたし、家事もしてくれた。私のためにいろいろなことをしてくれた。
もうそれも、終わりにしなくてはいけない。
だから学院に入り『どうして二人が一緒にいるようになったのか』、その原因を断ち切らなければいけないのだ。
「もう、子どもじゃないのよ」
「ああ」
「だから、戦わせて」
「それは止めない」
「他の事は止めるのに」
「ハイブリッドは、俺も殺したいからな」
ウィルは窓の外を見た。
列車は動き出す。
ウィルは私に、真っ当な人生を歩んでほしいと思っている。私に友達を作ってほしいと思っているし、きちんと魔法を学んでほしいとも思っている。けれどたった一つだけ、それはやめてほしいと願わないものがある。なぜそのような考え方に至るのか、彼の他の考え方を見ても、少しだけ不思議だ。けれど、その気持ちはきっと、途轍もなくまともで、当たり前の発想なのだ。
私が、ハイブリッドを殺すこと。
それだけは、ウィルは止めない。
どれだけ真っ当な人生を送ってほしいと彼が望んでいても、それだけは許してくれる。
むしろ、それを願っている。
ウィルは、私の殺人を止める気はない。
そして、彼自身も、それが成し遂げられることを祈っている。