輪廻の蛇
私たちが再びカルテジアスに戻った時、すでに戦いは終わっていた。
終わらされてしまっていた。
私とウィルはカルテジアスの倒壊の程度に愕然とした。私たちが人間型を追いかけて列車に乗り、それに時間を掛けている間に、私たちが寸前まで見ていたはずの街並みの半分以上がめちゃくちゃにされていたからだ。それも、ただのクレイドールが人間を食おうと襲い掛かるだけでは決して有り得ない、建造物や景観を軒並み破壊する、そして平たくしてしまうような一撃を受けてとしか思えない壊れ方。そしてカルテジアスは、恐ろしいほどに静かだった。
私とウィルは、魔法浮遊での移動を辞めて、カルテジアスの街を道なりに歩いた。都市を北側――つまり、城のある方の崩壊がひどく、南側はそれほどでもない。北側で何が起こったのだろう。城の方へ近づくにつれて人は減っていく。それまでの道なりでは、学院生が暗い顔で傷の手当てや指示の出し合いをしているのが目についた。道には粘土細工の破片と粉が散っているが、空にはもう何も飛んでおらず、視界には黒い影一つすらない。
「何か、あったみたいだな」
「……そうね」
それから城側へ向かうと、連なっている建物が唐突に切れた。
視界が開けたのだ。
それより先は、上から何かが押しつぶされたように建物が一切平坦にされてしまって、そこには今までの道のりにあったものとは比べものにならないほどの量の粘土細工が山のように散っていた。それが、ずっと向こう側まで続いている。まるで砂丘だ。突然ここに、粘土細工で作られた砂がふわりと丘を作っているかのようだった。
そして、その粘土細工の丘を、手を取り合ってこちらへ歩んでくる二人が見える。
「クイーンっ」
私は思わず声を上げる。
王妃様がゆっくりとこちらへやってきている。
手を取っているのは。
「ヘルヴィス王もいる」
ウィルが言った。
二人はどうにか大量の粘土細工を越えて、私たちが立っているような地面に降り立った。私とウィルに気付くと、二人は疲れを見せないで――ただ、少し複雑そうな表情のままこちらへ歩み寄った。そこでようやく、二人は微笑みを宿した。
「アリサ君とウィル君じゃないか。一緒だったんだね」
「ええ」
私は返しながら、粘土細工に目を向けた。それから、倒壊の激しい街並みも。
「あの、何があったのですか?」
■
ルクセルグ襲撃から数週間後に起きたカルテジアス襲撃は沈静化した。
ヘルヴィニアや各都市から応援と救助がカルテジアスに集結し、負傷者の対応、被害の確認などが急遽になされ、街に大量に散らばった粘土細工の回収が行われた。ほぼ全ての指揮を、ヘルヴィス王とロヴィーサ王妃が迅速にやってみせた。カルテジアス王のランドルが死去したからだ。西都カルテジアスはこの一夜をもってして、ほぼ完全に機能を停止した。
「もちろん、それが目的だったのだろうけど」
私たち一行はカルテジアスから南下した中都市マードレーへと移動し、待機することになった。カルテジアスの避難列車で逃げ出した大勢の人間もここにやってきて、つい先日まで暮らしていた都市の状況を慮る。逃げてきた人間には城で部屋を借りて生活することになり、また他国からの資金で大きな宿屋で生活することになった。それでも難しい場合は、またさらに南下した海港都市シュタッテルで難民を受け入れる。大勢の人間が住む場所を失い、途方に暮れることとなった。
私、ウィル、師匠、そしてヘルヴィス王にロヴィーサ王妃。私たちはマードレーの城の小さな部屋を貸してもらい、そこで少しだけ待機していた。しばらくはこの街で様子を見るつもりだった。私は窓際の椅子に座り、ウィルは壁際に。ヘルヴィス様と王妃様はその反対側に並んでいる。師匠もドアのすぐ横の壁に背中を預けて立っていた。そして、長く錯乱しつつあったお互いのすべての情報をひたすら話し合った。
私がルクセルグで、メリアとハヴェンに会ったこと。
そこで、二人が『エンブリヲ』として、学院で人工的にハイブリッドを作る計画の実験体となっていたこと。
二人の過去の話をほとんどそのまま伝える。
メリアとハヴェンがそれぞれ二種の魔法が使えること。
二人はクレイドールを操りは出来ないが、その意志によっては出現させることができること。
クリスティンが私を拘束して。
そこで私に話したこと。
両親がハイブリッドに殺されたこと。
身近な人を殺す、というような脅しを受けたこと。
私が動揺して、混乱して、逃げたこと。
それから今回の襲撃事件について。
「私とクイーンは……えっと、リンドベールでお会いして」
「そうでしたわね。あの時、この夫にほっとかれて残念残念でしたわ」
そう言いながらロヴィーサ王妃は王様の腕を抱き寄せた。
「うーん、まあそれはお互い様なんだけどね。まあ、その間僕はリンドベールで所要を済ませて、ロヴィーサと一緒にカルテジアスへ向かう旅に戻ろうと思った。その時に、ヒストリカたちに会ったというわけだ」
「少し散策すれば、アリサとロヴィーサ、二人が共に船に乗ったのがわかった」師匠は腕を組んで言った。王妃様のことも軽々呼び捨てだ。「だから、私たちもヘルヴィスの舟でカルテジアスへ向かった」
「そこで、クレイドールが発生したのです」
私が言う。
「もちろん、ヲレンさんに話を聞いてからでしたが」
「ヲレンさんに会えたんだな」
ウィルが私に問うた。
「会えたわ。話も聞いた。私はその時ちょっと落ち込んでいたけれど、それほど新しい情報はなかったと思うわ」
私はウィルにその話をすべて伝える。ヲレンさんから聞いたこと。あの時は、私はいろいろなことに惑わされて頭がこんがらがり、非常に擦れていた。クイーンが一緒に質問してくれたことや、その返答もウィルに教えた。ウィルは私の目を見て聞いていたが、話を終えると、すっと目を逸らして、唇を舐めた。「そうか、ありがとう」と言ったが、明らかにおかしい。
何か、何かを考えている。
けれど、話さないと言うことは、まだその思考が固まっていないと言うことだ。ウィルが私に、不都合なこと以外であればきっと話してくれるはずだから、今はその時ではないということだろう。
「そして、ケイトリンが刺された」
師匠が続けた。
「誰が刺したんですの?」
王妃様。
「わかりません。ただ、フードを被った奴だとしか」
私が答える。逃した悔しさが今も残っている。
「追っている最中に、別の相手に入れ替わられたんです。クレイドールの――人間型に」
「人間型?」
師匠が眉を寄せた。ウィルが何も話をしそうにないので、私が説明をした。人間の形をしているが、確かにクレイドールだった。倒しはしたが、きちんと粘土細工だった。フードを被っていた違和感。そして、腕で攻撃するためケイトリンを刺した相手ではないことも。強さは圧倒的という程でもなかったが、俊敏で強力ではあった。
「そんな、この局面で新種か……」
「でもご無事でよかったですわ。お二人とも」
「ありがとうございます。あの、それで私たちが平原にいた間に、何が?」
「悪魔型が出た」
師匠が言った。
「忘れもしない、あの巨大なクレイドールがな」
悪魔型――!
悪魔型は情報がほとんどないが、巨大で、街の建物など軽々凌駕する体長だ。それから角を持ち、武器を持つ。同じく巨大な槍だ。非常に乱暴で、破壊の限りを尽くす行動で知られている。クレイドールは人間を喰う。だが悪魔型は人間を喰う以上に破壊欲求に行動が支配されているようだった。師匠が苦々しい表情で答えるのは、師匠が以前倒した相手であり、今はそれを倒すために力を使えないからだろう。悲しげでもあった。
「でも、パーシヴァルがほぼ一撃で倒してしまった」
「一撃で……」
「さらに、襲撃の発端であろうメリアとハヴェンも学院に攫われてしまった。一度二人を保護しかけたのに、不覚だったよ」
ヘルヴィス王は悔やむように肩を落とした。王妃様も彼の手に触れたまま残念そうだった。
「……パーシヴァルはどこへ?」
ウィルが久方ぶりに発言する。
「聞く耳持たず引き上げて行った。もちろん、学院生は今この街とシュタッテルで待機しているし、学院の人間もたくさんカルテジアスで援助活動をしているよ。けれど、パーシヴァルはどこにもいないね」
「クリスティンは?」
師匠だ。
「いや、いないみたいだけど……どうして?」
「私がケイトリンの側にいる間、クリスティンがやってきたんだ」
「クリスティン先生が?」
ウィルが問う。それは聞き返しているというよりも、何か確かめているようでもあった。
「特に大したことはない。話をして帰って行ったよ」
「何をしていたんでしょうか」
「さあ」
「服装は?」
「何だって、ウィル?」
「クリスティン先生の服装はどうでした」
「……そういうことか。ローブだ。だが、あれは――学院の教師のものじゃなかったな」
「なるほど」
「ちょっと待って。一人で納得しないで。それって、ケイトリンを刺したのはクリスティンってこと?」
私が割り行った。ウィルはこちらを見る。
「そうなる」
「直接、手を下したってこと? 私は確かに、クリスティンに誰かと親しくしていたらその親しい人間を殺すと脅されたわ。でも、クリスティンが自分で殺しに来るなんて」
「別におかしくはない」
「ああ。つまり、クリスティンはケイトリンを刺して逃げたんだ」と師匠。「途中でローブを着せた人間型と入れ替わり、入れ替わった人間型をお前たちに追わせたんだな。それから――戻ってきた。そこで私に会った、ということかな」
「なぜ入れ替わる必要があったんでしょうか」
「……わからない」
言葉が途切れる。
ウィルはそれに早い段階で気付いていたようだ。
どういうことなんだろう。
いつか話してくれるだろうか。
後で尋ねてみることを心に決める。
■
「とにかく、皆無事でよかった」
ヘルヴィス王が息を吐いた。
「あの」
私は会話がひと段落したのを機に、立ち上がって、頭を下げる。
「ごめんなさい」
顔を上げて、床を見つめたまま続けた。
「その――両親が、ハイブリッドに殺されていたことを知って、それに、親しい人を殺すと脅されて、混乱していたんです。それで、一人で勝手に暴走して……逃げたりなんかして、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
「まったく手間のかかる弟子だ。でも、立ち直れたならそれに越したことはない。無事でよかった」
師匠が言葉をくれる。
「仕方ないですわ。もう終わったことです」
クイーンが微笑む。彼女と一緒にならなかったら、もっと一人でぐるぐると落ち込んでいたことだろう。彼女の言葉は何度も突き刺さったけれど、今も沁みたままありありと思い出せる。
「ヘルヴィニアの王家のお二人にここまでお世話していただけるとは思っていませんでした」
「僕たちは大したことはしていないな。結局、こうして一同が会す機会を待っていたとも言える」
「それは……」
王様は目を閉じて、少しの間考え事をしたような素振りを見せると、ゆっくりと目を開いて告げた。
「ハイブリッドの歴史と伝承について語ろう」
■
大陸歴――大陸の歴史は三千年にもなる。
その最初期。
今はほぼ全ての人間が魔法気質を持っているけれど、当時の人間は魔法が一切使えなかった。戦う方法といえば、当時は剣が主流だったんだ。だけど、たった一人だけ魔法を扱える女性がいた。それが、初めて女王としてヘルヴィニアを統治した女性。彼女は圧倒的な才能と才気、そして世界でたった一人の魔法使いとしての求心力によって、初の大陸全統一を成し遂げたんだ。彼女の統治の下、大陸は平穏に包まれていた、かと思われた。
その最中。
『魔女』と呼ばれることになる一人の女性が、当時のヘルヴィニアに戦争を吹っかけた。世界でたった一人しかいないと思われていた魔法使いは、このもう一人の強靭な魔力を持つ『魔女』によって急襲されたんだ。各地の諸侯を次々と殺害して、国や街、人間に対してあらゆる限りの非道と破壊を繰り返し大陸を炎に包んだ。
女王はヘルヴィニア連合軍として大陸全土の騎士軍を結集させ『魔女』に対抗したが、『魔女』は非常に強力で連合軍は壊滅。最終的には女王と魔女が一対一で戦い、二人は相打ちという形で地上から姿を消した。
魔法を使える二人の死闘によって大陸は灰燼に帰した。
今存在するヘルヴィニアも、実は一度その戦争で滅びている。今ある城も都市も、その戦争が終わってもう一度立て直されたものなんだ。戦争が終わってから復興までに非常に尽力した男が新たに王になり、それからは一度も魔女は現れなかった。
けれど千年後に、再び魔女が現れる。
魔女は生きていたんだ。
魔女は自分に不老不死になる魔法をかけることで生きながらえ、再びその時代に現れた。
彼女はヘルヴィニアを乗っ取って、再び大陸に戦争を吹っかけた。ヘルヴィニアやカルテジアスのような主要国の騎士団の人間がかなり犠牲になったらしいけど、今度は当時のヘルヴィニア王家の姫が退魔の聖剣で倒したという伝説も残っている。とはいえ、この辺りは王家の記述がどうにも曖昧に書かれていて、よくわかっていないこともある。ただ、大陸歴初期、大陸歴千年の頃に同じ魔女が大陸を襲ったのは確かだ。
この『魔女』が一番最初の『ハイブリッド』だ。
当時はそのような呼び方はなかった。
人間は魔法が使えなかったからね。
けれど、長い時間を掛けて、人間は魔法を使えるようになった。それぞれに気質があり、一人一つだけその気質の魔法を扱えるということ。そういう区分が明確になってきて、技術も会得した。けれど、さっきのような戦いの歴史に現れる魔女は同じ人間なのに、必ず一気質以上の魔法を扱うことができる。五気質を完璧に操った。世間には公にしていないけど、これを、全ての気質の人間が混じったような、という意味で『ハイブリッド』と名付けられたのが、先ほど話した戦いからさらに千年後の、大陸歴二千年。
この時は静かな戦争だった。というのも、今まで二回の魔女――ハイブリッドは、いきなり国や大陸に攻撃を仕掛けるような過激なものだったからだ。けれど、大陸歴二千年――つまりは、今から千年前のことだけど、この時は目に見える戦争の始まりはなかった。ただ、唐突に人間が一斉に死に、都市が唐突に滅びるというようなもので、最初の『魔女』は宣戦布告を積極的に行ったのに、こちらは何もなくて、ハイブリッドの仕業だとはわかりにくかったんだ。けれど、そのことに異を唱えた人間がそれを暴き、白日の下に晒して、勝ち取った。この時初めて、五気質を使用できる魔法使いを『ハイブリッド』と呼んだ。
大陸歴初期と大陸歴千年の『魔女』。
そして大陸歴二千年の『殺人鬼』。
そして、今は大陸歴三千年だ。
こうした伝承は、実はもうほとんど秘匿状態だ。昔は歴史の学問では当たり前のことで教科書とかにも載っていたみたいだけど、今はもう王家や一部の人間しか知らない。そして、今。別に周期があるとはいわないけれど、宿命的に新しいハイブリッドがこの世に生まれ出でたという他ない。
ハイブリッドは、長い歴史で輪廻のように生まれ変わる魔法使いなんだ。
記憶を引き継いでいるわけでもない。
同一人物でもない。
ただ、圧倒的な力と魔法、知略と才気を尽くして、非道を尽くす。
そのために生まれ、人間を殺し尽くす悪の権化。
それがハイブリッドだ。
■
「ハイブリッドには……そんな歴史があったのですね」
私は唇を舐めて、目をどこに宛がえばいいのか迷った。受け止めきれないほど重くて情報の多い話ではなかった。けれど、その話を受けて、今自分が置かれている事態というものがどれだけ異常で危険なのかを、身を持って知ったのだ。一度目の『魔女』、二度目の『殺人鬼』。そして今……「輪廻」という言葉が染み渡る。ハイブリッドは今の時代だけではなく、大陸に繰り返し現れる殺戮をもたらす人間のことを示していたのだ。その時代に私は生まれ、兄を殺され、何か異常な事態に入り込んでしまっている。これがどれだけの重みなのか、まだ体がおぼつかない心地がした。
「その『魔女』と一番最初に戦った女王様は、私の祖先だ」
師匠がさらりと口にした。
「えっ?」
「いや、その女王様の家系だがな。さっきの伝承も、元はと言えば私が語り部ではあるんだ」
「…………」
師匠は私に笑い掛けはした。
きっとハイブリッドの歴史の重みを一番よく知っているのは師匠だったのか。
私は何とも言えない気持ちになり、やはり視線を彷徨わせるしかなかった。
「つまり、ハイブリッドは人間を殺すために生まれてくるということですか?」
ウィルが問うた。ウィルは動揺していない。いつもよりずっと、今目の前にあるものとは違うことを考えていて、その過程に必要だから言葉を発しているというような、どことなく居所の掴みづらい様子だった。気付いているのは私だけかもしれないけれど、明らかにウィルは様子がおかしい。おかしいというより、何か悟ったのだろうか。
「端的に言えばそうかな。二番目の『殺人鬼』が語ったんだ。そういう風な運命にいるって」
「それは、遺伝とか、そういったものではなく?」
「違う。血筋はまったく関係がない」
「つまり――人間を殺さずにはいられない誰かが、それにふさわしい超絶的な力を持って生まれてくる。そういうことですね」」
「最初の『魔女』も不老不死の魔法を使ったけど、それも他人の命を吸い取るものだったみたいでね。どうもハイブリッドっていうのは、命を殺し尽くすことを大義とするかのような、そういった妄念が組み込まれているのかもしれない。人間の命をまったくものともしない存在のようだ」
「……なるほど」
ウィルはそれから黙りこくってしまった。
「これから僕たちは――そんな存在を相手にしなくてはならない。学院も敵だ。そんな相手とアリサ君は戦えるのかい」
そんな風に言われて、私は首を振った。
否定ではなかった。
「そんなこと、今更言われるまでもないことです」
ハイブリッドを殺す。
もしそんなに歴史が長い、強大な敵でも。
「どんな物語も、関係ありません」
誓いは揺るがない。
敵がそんなに非道だろうと関係ない。
ハルカを殺したことに変わりなどない。
きっと今までハイブリッドを倒した誰かを、そんな風に自分の大事な人が殺され奪われ、囚われ捨てられ、非道の限りを尽くされた誰かの信念が成し遂げたものだと信じたい。それに習おうというわけでもない。けれど、非道を尽くすということに変わりはなく、私が私の大事なものを奪われ、奴が私から大事なものを奪ったのは確実なのだ。歴史も意味も関係ない。
「ハイブリッドは必ず殺します」
■
私は師匠に話があると言って、先ほどの話が解散した後、建物のはずれの、誰も盗み聞きしないような廊下の端に呼び出した。それから向かい合って、師匠に問う。
「師匠が私を弟子に取ってくれたのって、もしかして、師匠とハイブリッドの間に因縁があるからですか?」
師匠が目を丸くした。
しかし、それからぷっと吹き出して、笑い出してしまった。
「あの、どうして笑うんですか」
「くくく、いや、すまん。あまりにも真剣なものだから。私がもし因縁でお前を弟子にとっていたんだとしたら、お前は嫌なのか?」
「もし師匠が初代の女王様の血を引いているという負い目があって、ただ歴史を繰り返さないということのために弟子をとり、別に私のことを想って力を貸したわけではないというのなら、少し嫌です」
師匠はその当時の女王様の子孫。女王様は『魔女』のハイブリッドと戦い、相打ちで消えた。師匠にはそのことがずっと頭にあり、伝承も引き継いでいる。だから、そういう戦いには人一倍敏感なのだろう。私が師匠に弟子入りを志願した時、ハイブリッドに兄が殺されたと告げた。師匠は師匠自身の気持ちではなく、ただ歴史とそのことを考えていて、私を見ていなかったのではないか。ただその血統を理由に弟子にしたというなら、複雑な気持ちだった。
「……なるほど、そういう考え方もあるな」
「真面目に答えてください」
師匠はぽりぽりと頬を掻くと、肩をすくめ、優しい目になった。
「確かに、お前が兄をハイブリッドに殺されたと聞いたときは、なんて因果だとは思った。だが、別にお前をそんな風に思ったことはない」
師匠は私を、先日の戦いの時のように抱き寄せた。
「純粋に、お前が見ていられなかった。将来的にお前に、ハイブリッドを殺す役目を託してしまうことになるとは思った。けれど、あの時のお前の悲しみ、苦しみ、それをどうにか拭い取ってやるにはどうしたらいいか、ちゃんと真剣に考えたからこそ弟子にしたんだ。歴史なんて知るか。私はそれを引き継ぎはしたが、生きているのは現代で、女王様でもない。ただアリサ、お前の願いのために、力を貸そうって決めたんだよ」
「師匠……」
抱きしめられ、師匠の顔は見えなかったが、いつもよりもとても近いところに声が響き、それがとても穏やかで、先ほどまでの複雑な心もゆるりと溶けていくようだった。そうだった。師匠はそんなに、何かに沈んだりはしない。想いを馳せることはあっても、きっと自分で決着がつけられるくらいさっぱりしているのだ。それが私の師匠だ。杞憂だった。
「どうだ、これがお前の望む答えか?」
「ありがとうございます……ごめんなさい、生意気なことを言って」
「構わない。気が済むのならそれでいいさ」
「本当に、ありがとうございます」
体を離して、師匠は私の頭を撫でた。
その少し後。
廊下を通りかかかった人が、私と師匠の姿を見止めると、私たちを呼んだ。
■
治癒魔法を受けて少しの間眠り続けていた彼女が目を覚ました。そんな呼びかけに誘われてここまで来てしまった。私一人で行ってもいいと優しく背中を押されたけれど、どんな風に会えばいいのかわからなくて、改まって顔を合わせるのがこんなにも不安定な気持ちにさせることなんてあまりなかったから、扉の前で長く止まったままだった。あの時確かに会話できたのだから今はそれほどでもないのだろうか。あの時は、暗がりだったから。
どうしようもない緊張など私らしくもない。
どうせ彼女が言葉を勝手にくれるのだろう。
適当な気持ちで扉を開けて、部屋に入った。
ケイトリンは、窓際のベッドで上半身を起こし、下半身に軽いタオルケットのようなものを掛けて、外を見ていた。私に気付くと、少し驚いたような素振りを見せて、それからいつもの快活な笑みに表情を変えた。私は何も言わないまま、ベッドの傍にあった椅子に座って、彼女に向き直る。
「久しぶりだね、アリサちゃん」
「一度会ったわ。あなたがこうしてここに運ばれる前に。少しだけ話をしたけれど、襲われた」
「うん。覚えてるよ。でも、あんまりお話できなかったから、実質は今が久しぶりかなって」
「そうかもしれないわね」
「元気だった? アリサちゃん」
「それはこっちの台詞だわ。あなたはもう、大丈夫なの」
「うん。あっ、ありがとう。私が刺されて、頑張って王様を探してくれたのはアリサちゃんなんだよね。本当に、ありがとう! 嬉しいな」
「目の前で刺された人を助けるのは普通のこと。それに――」
なんで自分はこんな言葉しか言えないのだろう。
距離感が分からない。
ケイトリンは首を傾げる。
こんな言葉しか言えない私のために、ここまで迷惑をかけてしまった。だったら、何よりも言うべき言葉があった。
「ごめんなさい」
私は俯きながら伝える。
目を合わせて言わなければいけないだろうけど。
臆病になってしまった。
戦うことにはこんなに臆病ではないのに。
「私、あなたに私のことを話さなければよかったのかもしれない。私のこと、ハルカのこと、復讐のこと……話してしまったから、あなたは傷ついてしまったんだわ。こんな風になるって、きっと簡単に想像できたはずなのに」
「でも、もう痛くない、よ?」
「だけど、痛い思いをしたのは事実でしょう。本当なら、誰も痛い思いをしないまま、静かに私の殺したい相手を殺すことができればよかったのに。ケイトリン、ごめんなさい。ケイトリンは本当だったら、ずっとずっと、その時間をもっといろいろなことに使って、誰かに殺されかけたりしないような、普通の生活が送れたはずだわ」
「もう、いいってば。なんだかアリサちゃん、とてもよく喋るね」
「よく喋っている?」
「うん。もし私が何も言わなかったら、そのままずっと謝り続けてそうだね」
そうかもしれない。ここに来るまではどのように話したらいいのかわからなかったけど、自分から湧き出るのは、きっと痛かっただろうなというあの瞬間のこと、それについて謝るための言葉だった。私がケイトリンをここまで連れてきてしまったのだから、当然謝らなければいけない。ケイトリンは私に謝られるべきだとも思ったからだ。
「だって、謝りたいのは本当だから。痛かったでしょう」
「今はもう痛くないよ! 傷は治ったの! 元気だよ元気。それに、私はアリサちゃんのところに自分の意志で行ったんだから、アリサちゃんは何にも悪くないんだよ?」
「…………どうして」
そうだ。
それを聞きそびれていた。
どうしてケイトリンが私のところに来てくれるのか。
私のために来てくれたのか。
「どうして、私に会いに来てくれたの。会ってくれるの」
尋ね返すだけの声は簡単に出てくれた。
タオルケットからはみ出たケイトリンの手が、私の手に触れる。
「友達だから」
触れて、掴む。
腕の途中に小さな傷もあるケイトリンの腕はとても白かった。
何より。
温かい。
「ねえアリサちゃん。私、アリサちゃんに嫌いって言われてすごく辛かった。アリサちゃんはあまり誰かと親しくしないから、私もどんどん首を突っ込んでいかないようにしようって決めてたんだけど、でも放っておけなくて。それに、やっぱりあのままお別れしたくないって思ったんだ。アリサちゃん、今も私のこと嫌いで、もう関わってほしくないのなら、もう一度、きちんとお別れしよう?」
そんなこと、どうして笑って言えるのだろう。嫌いって言われて辛かったって、今言ったばかりなのに、まだ私がケイトリンのことを嫌いでも構わないというような言い方をするなんて。もう一度お別れなんて、そんなこと、こんなにも温かな手で、こんなにも柔らかな笑顔で。動揺はしていない。でも、あの時廊下で私が告げた言葉を思い出して、それを言い終えてしゃがみ込んだ自分の気持ちも思い出した。あの時、確かに証明されてしまったのだ。私が彼女に伝えたのとは、全然違う気持ちが私にもあることを。虚構が例え唇から漏れたとしても、結局私だって傷ついてしまった。
「――違うわ」
「アリサちゃん」
「私、人に言われたの。もしこれ以上事件を追うのなら、あなたの大事な人がどんな危険に遭うかわからない。そんな風に言われて、それに、両親のことで動揺していて……こんなの言い訳だわ。あなたを傷つけたのは本当なのに。でも、これだけは言わせて。ケイトリン、私は、あなたのことを嫌いだなんて思っていない。あれは嘘よ」
嘘を吐いていたのは、彼女に。
そして自分にも、だ。
「私、あなたがとても大切なの。あなたが私にそんな風に言ってくれるのと同じ。――その、友達っていうのかしら」
「アリサちゃん……」
ケイトリンは体をこちらに寄せて、私に抱きついた。
なんだか最近、とてもよく抱きしめられる。師匠に抱き留められて、そしてもう一度抱き寄せられた。師匠は、私がいることを実感したかったと言っていた。きっと抱き寄せたり、手を繋いだりするのは、そのまま誰かと自分が繋がっていることで、そこにいてくれることを確かめられるからだ。安心できる。ここにいてくれることを自分の感覚で理解できるからだ。
私も同じように、彼女の背中に手を回した。
「アリサちゃん、忘れないでね。ずっとずっとアリサちゃんが、昔のことを思い出し続けても、今、アリサちゃんのことをとても大事に想ってる人がいること。過去に囚われた時間と同じくらい、手を繋いだままでいてね。そうじゃないと、またアリサちゃんが離れて行ってしまいそうだから」
「……私はどこにも行かないわ。過去のことはもちろん引きずる。けれど、今度のことで教えてもらった。私はとても大切な人に囲まれて、いろんな人たちに助けられて生きていること。あなたもその一人」
「うんっ!」
「だから、ごめんなさい。ありがとう。ケイトリン……」
■
私は少しケイトリンと話して、廊下に出た。
そこで、ウィルが待っていた。
「ウィル? 何をしているのここで」
「いや、お前の話が終わるのを待っていた」
ウィルは深刻な顔をしていた。今だけじゃなくて、さっきの皆で話している時もずっとそうだった。
「何か、あったの?」
「何かあったわけじゃないけどな……王様は一人でカルテジアスへ行くそうだし、王妃様はいろいろと回るところがあるようだ。ヒストリカさんは王妃様についていくようだし……つまり、あの人たちは少し仕事があるってことで、同じように俺たちもヘルヴィニアに戻らなきゃいけないわけだ」
「そうね」
「そこでだアリサ、俺と一緒に行ってほしいところがある」
「……ウィルが行くところならどこにでもついていくけど、どこへ?」
「ヘヴルスティンク魔法学院の地下、だ」
「――――」
「メリアとハヴェンが実験をさせられたという地下施設に潜入する」




