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孤独な鳥がうたうとき⑤

 その瞬間、ロヴィーサの左側からドッグヘッドの黒い牙が唐突に彼女へ飛び込んできた。ロヴィーサはメリアを抱えたまま前にかがむようにして、それを背中に通過させてかわす。上からキャットヘッドが飛びかかり、それをすらりと避けてそのまま駆ける。腰の剣を使って一網打尽にすることもできると思われたが、ロヴィーサは確かにメリアを守ることだけに専念していることがメリアにも伝わってきた。避ける一挙動においても、メリアを抱えているという自負からか、メリアに負担をかけたり腕から落としてしまうような恰好や角度にはしないようにロヴィーサは動きを取り計らっていた。

「……わたしの所為でどれだけ、人が死んだと思う?」

「わかりませんわ。けれど、少なくはないでしょう」

「じゃあ、わたしをどうして治そうとするの。罪人みたいなものなのに」

「あなたへの裁きは必ず行います」一瞬だけ真顔になった彼女だったが、すぐに口元を緩ませた。「けれど、だからといって怪我を放っていいわけではないのです。それに――あのままあなたがやられてパーシヴァルの思うままになるのは、こちらとしても嫌なことですわ」

「捕まえるって、こと?」

「そうです。あなたは大切な証言者ですわ。これは保護です」

「やめて。パーシヴァルを殺させて、動きを止めないで」

「そんな体では倒したい相手も殺せないでしょう。今は甘えてもいいと思いませんか」

 それからも幾度となくクレイドールの強襲を受けたが、ロヴィーサは軽い身のこなしで避け続けた。空では多くの人間がクレイドールを倒し続けている。街中でもずっと戦っている誰かの姿が見える。パーシヴァルが彼女に諭されクレイドール討伐に回ったからか、確実に数は減っており、クレイドールが新しく生まれているようには見えなかった。戦いはもうすぐ終わるのだ。

「というよりも、これはあなた方の意志に従うのですから、辞めさせられないのですか?」

「出たものは……戻せないよ」

「そうですか」

「それに――――」

 メリアの言葉は寸断された。

 ロヴィーサは咄嗟にメリアの身体を空高く放り投げていた。

 やってきた影がロヴィーサに攻撃を仕掛けていたからだ。

 それは。

「あなたは――」

 メリアが宙で、その影を視界に据える。

 ハヴェン。

 ハヴェンがロヴィーサを攻撃していた。

 ロヴィーサはハヴェンの氷で作り出した得物の攻撃には、メリアを抱えたままでは対応できなかった。メリアの体を一旦空へと放り出して、剣を抜いてそれを受け止めるしかなかった。今までのクレイドールのように、無機質に飛び込んでくる獣ではなく、ハヴェンは確実に狙いを定めた攻撃をしてきた。ロヴィーサはその瞬間だけでハヴェンの攻撃を何とかいなしてから、メリアの落下を受け止めて、ハヴェンと距離を取った。

「あなたが、ハヴェンさん?」

「そうだ」

「なぜ攻撃を?」

「わからないか?」

「わたくしがあなたのお姉さんをこうして抱きかかえているから、ですわね?」

「というか、返してもらおうと思っただけだな。何をする気だよてめえは」

「別に、メリアさんは怪我をしていらっしゃいますから、治しに行こうと」

「けっ、どうせ治してはそいつを理由に利用するつもりだったんじゃねえの?」

「利用とは人聞きの悪い。彼女にも言いましたけれど、わたくしたちとあなた方はパーシヴァル含む学院を敵視する、いわば味方になってもよい関係なのです。それなのに、そんな乱暴な――ああ、それよりハヴェンさん、あなたも怪我をしていますわね? その焦げた服――炎魔法をお受けになったのですか?」

「うるせえな、ちょっとやられただけだ」

「…………アリサですか?」

「ああ、そうだよ。俺に一撃与えて、どっか行っちまいやがった。仕方がねえからパーシヴァルとメリアを探してたら、あんたがここにいた、そんだけだ。で、メリアを返してもらおうか」

「物わかりの悪いお方です。怪我は大丈夫ですか?」

「心配している余裕もねえだろ、てめえには。メリアもなに大人しく抱きかかえられてんだ?」

「彼女は怪我をして動けないのです」

「てめえがやったんだろ?」

「失礼な、わたくしはそんなに悪い人間ではないですわ。パーシヴァルにやられたところを何とか助けたというのに」

「そうか、そいつはどうも。だが関係ないね。治すならこっちにも治癒ができる味方がいる」

「……どなたです?」

「知らねえ。メリアの手を治したのさ。そんで、いろいろと情報をもらった。だからここを襲撃したんだよ」

「…………やはり、もっと詳しくお話を聞きたいですわね。ぜひ、あなたも一緒に来ませんこと?」

「黙れ」

 ハヴェンが氷の得物で再びロヴィーサに攻撃を仕掛けようとする。

 その時、すっと両者の間に割り込む者がいた。

「ここまでだ」

 ハヴェンはその聡明な声に立ち止まり、舌打ちをする。

 ロヴィーサはその背中を見て、声を震わせた。

「ヘルヴィス!」





 私の一撃をまるで軟体動物のように体を有り得ない角度に捻って交わした人間型は、腕で私の側頭部を殴りかかろうとする。しかし、ウィルがその腕を剣で斬り捨てた。粉が噴き出たが、相手の攻撃は止まらなかった。ウィルが一瞬だけこちらに目を向けたので、私はすかさず剣で人間型の両足を剣で斬った。――動物の形をしている今までのクレイドールとは違って、人間型は人間の形だ。足がその体を動かしている。ラプターなら翼をもげばいいように、こちらだって同じだ。下半身が安定しなくなった人間型はよろめき、ウィルはその身体に風魔法をぶつけることで遠くへと吹き飛ばした。平原のために、辺りにはもう何もない。遠慮がなかった。

「やったの?」

「いや、待て」

 人間型は倒れていたが、その黒々しい腕と脚の切り口がもぞもぞと奇怪な動きを見せ、そこから新しい腕と脚が生えた。ウィルの風魔法によって抉り取られた胴体も、まるで黒い綿が膨らむような形で修復され、人間型は裂けた口を笑みのままにぐにゃりぐにゃりと起き上がった。次の瞬間には、もう私の目の前にいて、奴の腕の叩きつける攻撃を剣で受け止めるに精一杯だった。早すぎる――さっきのウィルの時もそうだった――剣で受け止めるも、腕の殴打が重すぎて足で自分の体を支えきれず、後ろへ吹き飛んだ。受け身が取れず、平原の地面に何度か頭と腕をぶつけて転がり、最後はみっともなく地面にこすり付けるようにしてうちひしがれる。ウィルの私を呼ぶ声がした。

 地面に剣を突き立て、それを杖のようにしてゆっくりと立ち上がる。ウィルは人間型に押されつつあった。ただ、どうにも私への追撃を自分へ引きつけて私を守っているようにしか見えなかった。私のいる位置から遠ざかろうとしている。

 馬鹿。

 ウィルもさっき、素早い相手の一撃を食らっているのに、こんな時にまでお人よし見せている場合じゃないのに。ウィルはいつでも優しすぎるわ。そんな余裕があるというよりも、私にいろいろなことを与えてくれる。ウィルは人間型に剣と魔法、そして魔法浮遊でかなり上手な対応を見せているように見えたが、細かなダメージを受けていた。避けたつもりが避けきれず、肩や腕に斬り傷を負い、それが戦いが長引くほどに増えていく。スタミナが持たないかもしれない。

「馬鹿だわ、あなたは」

 私は剣を地面に突き刺したまま、右手のひらを人間型に合わせて、右の頬を右の二の腕にくっつける。それから左手で手首を握った。右手のひらと右の瞳がほぼ水平になるようにする。

 魔法射撃だ。

 それも、空中で撃ち込むものではなく、正確な射撃だ。炎の練り上げるイメージをどうにか直線状になるようにする。火球でもない、火柱でもない。一本の線を撃ち込むことだけを考える。それも、ウィルに当てず、二人が戦い動き続けるその最中、一瞬でも見せたその隙に、人間型の頭部に一撃を与えてみせる。普段の魔法はこうして視線を腕と手のひらに水平にさせることなどない。せいぜい肩と水平になるようにするだけだ。学院の入学試験も、肩と水平にする程度。だが、師匠がもっと、ずっとずっと正確に撃ち込むのなら、視線と魔法を撃ち出す手のひらを水平にすべきだと言った。

 私は息を吐き、止める。

 二人の動きが絡まる。

 剣。

 魔法。

 黒い腕がウィルの剣を薙ぎ。

 けれど躱して。

 そして、こちらを見た。

 私に、気付いている。

 やろうとしてくれることも、理解してくれている。

 ウィル。

 あなたは私を、いつまで守ってくれるの。

 そう。

 離れて分かったけれど。

 ずっと前に気付いていなきゃ駄目だったけれど。

 あなたはずっと私の側にいた。

 というよりも。

 私の傍に、いてくれたのね。

 ウィルは力を捻り出すように声を上げて、人間型の両足を斬り捨て、両腕まで切断した。空中で人間型は攻撃ができなくなり、動きを止めた。ウィルは剣をそのままどこかへ放って、力を抜いて体をふわりと浮かせながら人間型から離れた。それはそのまま、私に任せたというような動きにも見えた。

「――――――」

 今。

 私の手のひらから、炎が直線となって、まるで雷が空で一瞬煌めいたように、人間型の黒い体を撃ち抜いた。撃ち抜いたか所から炎が燃え上がり、その赤黒い熱はそのまま黒い体を蝕みながら奴は地面に落下した。少しだけ痙攣したがすぐに力を失い、炎は長く燃え盛っていたが、後にゆるやかに収まりはじめ、炎が消えると、そこには平原の焦げた草と、散らばったクレイドール特有の粘土細工の固形物と粉が残った。

 私は地面から剣を抜くと、少しだけ駆け足でウィルの元へ寄った。彼は最後に放り投げた自分の剣を回収して、溜め息を吐きながら自分の傷を撫でていた。すぐ傍には、人間型の遺物がある。

「ウィル、大丈夫?」

「アリサ、お前こそ」

「私は平気」

「そうか。それはよかった」

「よくないわ。時間を稼いだでしょう、私のために」

「横目で見えたからな。多分、かなり精密な魔法射撃をやるんだろうなって思ったのさ」

「だからって、こんなに傷だらけになって」

「お前こそ、怪我はないのか」

「擦り傷ならあるけど……あなたに比べたらこんなもの」

「怪我は他人と比べるものじゃない。そうか、まあ大したことないならそれでいいんだ」

 ウィルは柔らかく微笑んだ。

 私も上手に笑い返すことが出来ればよかったけれど、そして多分やってみせはしたのだろうけど、上手にできたのかはわからなかった。安心した、とても安心したということを表情で伝えるって、どうやったらできるのだろうと思った。ウィルはその辺りが上手、というよりも、そういうものは自分で意識してやるものではないのだ。無意識だから、それがきちんと意味を持って伝わってくれる。何もかも不器用だな私は、と思った。でも、今少しでもウィルがもっと傷だらけになるのを自分で止めることができたのだったら、それだけでも嬉しかった。

「私も、ウィルが無事でよかったわ」





「やあロヴィーサ、無事かい?」

 ヘルヴィスが優しく問うと、ロヴィーサは少しだけ驚き、それからむうっと唇を尖らせた。

「無事かい? じゃないですわヘルヴィス! もう、どこへ行ってらしたの?」

「っておい! アリサ君と逃げたのは君だろ?」

「そ、そうでしたわね……けれど、こちらへ来ていることはわかっていましたわよ」

「うん、まあ。それはありがとう。僕も君が心配で仕方がなかった。それよりまあ、話は後だ――そちらの、抱えているのは」

「メリアさんですわ」

「そう、彼女がメリア。そして」

 ヘルヴィスは今にも飛びかかろうとしていたハヴェンを見る。

「君がハヴェンだね」

「なんだてめえは」

「ヘルヴィニアの王をやらせていただいている、ヘルヴィスと言います」

「あっそ、どうでもいいことだな」

「どうでもいいことはない。もう何度目の説得になるかわからないけど、君たちと僕たちは戦う意味がない」

「意味なんてなくてもいいんだよ。メリアだってそう思ってるぜ」

「なくていいわけがない。無益なことは避けるべきだ」

「無益だとか無意味だとか、逆に意味のあることなんてあんのかよ」

「ない。でも、被害が出ない方がいいだろう? それに、見たところ彼女はメリアを治療するために僕を探していたようだ。こちらに敵意がないことはわかってもらえると思うのだけど」

 ハヴェンが唐突な風魔法で浮き上がり、その場に風が吹き荒れる。

 メリアを抱えたロヴィーサはヘルヴィスの視線を合図に静かに後ろへ下がり、ヘルヴィスは柔らかく剣を構え、風魔法で飛び上がり落下する勢いを使って氷剣を繰り出すハヴェンの動きをいなした。ハヴェンは氷の剣でヘルヴィスを攻撃するが、ヘルヴィスは澄ました顔でその氷自体をカウンターの形でへし折った。仰け反るハヴェンは、地面に水を撒き散らして、そこからヘルヴィスへと氷柱を一斉に逆立てる。

 ヘルヴィスは軽く飛んで氷柱を避けると、回転する形で全ての氷柱を破壊する。壊れた氷柱がそのままハヴェンの視界を狭くし、その隙間を縫うようにしてヘルヴィスは剣の柄でハヴェンの腹の辺りを軽く殴り、怯ませた。それからハヴェンの背後に回って腕を取り、地面に力強く抑えつける。ハヴェンは小さく悲鳴を上げたが、それ以上はもう動けなかった。

「ごめん、こうするしかなかった」

「離せ、くそっ、くそっ!」

「魔法は手を使って放つものだからね。手が不自由だと出せない。今の君はもう抵抗する力がない」

「何をする気だてめえ」

「ちょっと待ってくれ。これはハヴェン、君が僕とロヴィーサに危害を加えそうだから仕方がなくやっていることなんだ。君が攻撃をやめてくれればこんなことはしなかった。何度も言ってるけど、僕たちは君たちと敵対したくない。一緒に来てくれないか?」

「…………ちっ、メリア!」

 ハヴェンは声を上げる。

 ロヴィーサは傷だらけのメリアを近くまで運ぶ。彼女もぐったりとしていたが、ハヴェンを見つめているのはわかった。意識はあるようだ。彼女の腕の中で首を動かし、押さえつけられているハヴェンを見る。

 ヘルヴィスはメリアを見た。

 瞳が黒い。

 この少女は、なんなのだろう。

 そんなに傷だらけだというのに、何を見つめているのだろうか。ハヴェンとメリアが瞳を交えているというのに、メリアは同時に何か別のものを見ているのか。視線だけで、意志疎通でもできるのか――? けれど、不可能とも言い切れない。この二人の境遇は知らないが、明らかに異質だ。ここまでロヴィーサが無事でいられたのが不思議なくらいには、決して弱っているだけの人間の目ではない。ヘルヴィスは何も言わず、メリアに言った。

「君たち二人のことは僕たちが保護する。従ってくれるね」

「――――」

 その時。

 叫ぶような声が響き渡り、空の様々な光が一瞬途切れたように感じた。


 



 ウィルはローブの袖で傷を拭ってから、残った粘土細工にしゃがんで触れた。

「確かにクレイドールだ。間違いない」

「ねえ、やっぱり」

「新種だって言いたいんだろう?」

「ええ」

「それはあり得る。クレイドールはまだ初めて発生が確認されたから十五年だからな。まだまだ新種がいる可能性も大きい。にしたって、人間の形っていうのはどうもなあ……新種にしては、こう自然と生まれてくるにしては、ちょっと違和感があると思わないか?」

「そうね。ちょっと、異様だわ」

「それにさっきも言ったが……こいつがケイトリンちゃんを刺したってのは変だ」

「……こいつが、腕を使うから?」

「そう。つまり、誰かを攻撃するときは腕を使うってことだ。ケイトリンちゃんは剣でやられた。でも、剣を使って攻撃はして来なかったし、何よりここに剣がない。奴は剣を持っていなかった」

「……変ね」

「それに、どうしてこいつがフードを着ていたのかも気になる。クレイドールがフードなんて着るか? それに、どこから調達してきたんだろう」

「……結論は一つしかないわ」

「そうだ」

「ケイトリンを刺したのは、別人。きっと列車の人ごみに紛れて、このクレイドールと入れ替わったのね? そして、犯人は逃げおおせた。列車はあの人数だし、車両から車両への移動で姿を見失う一瞬もあった。つまり、途中までは犯人だったけれど、きっと列車の上に逃げたと思わせて、そこにフードを着せたこいつをあらかじめ用意していたんだわ」

「その通りだ。そうなると、その犯人が誰なのかってことになるが……」

「クリスティン直属の部下よ」

「だろうな。しかし、そうなると今回のために新しいクレイドールを用意できた……――」

 ウィルは言葉をフェードアウトさせてしまった。何かを喋っている途中に、何かが割り込んだわけでもなく、急に言葉を静かに萎ませてしまった。それから粘土細工を見つめて、視線をそこに集中させながら、ゆっくりと自分の右手で口元を覆った。落ち着かないと言うように「待て」とか「いや」といった言葉をぽろぽろと零す。

「ウィル?」

「――待て。違う、いや、違うか……どうしても足りない……」

「ウィル、どうしたのよ」

「すまん。ちょっと思いついたことがあったが、駄目だった。全然的外れだ」

「何を思いついたの?」

「それはまた話す。今はまだだ」

「何よそれ」

「落ち着いてから、だな。それより、カルテジアスに戻った方がいいだろう」

 ウィルはゆっくりと平原を歩きだした。

 私は釈然としなかったけれど、ウィルがそう言うのなら仕方がない。

 残された粘土細工の欠片を一瞥してから、私は彼に駆け寄って隣に並び、カルテジアスへと歩いた。

 その時、巨大な音が遠くで響いた。




 

 ヘルヴィスとロヴィーサは空を見上げた。空ではたくさんの兵や学院生がクレイドールと戦い、魔法が空の暗がりの中で線を描くように交わっている。さらに、本来は国の外壁から外を照らすものを無理やり都市の内側に向けて照らし出したサーチライトが空を照らしている。その中で、カルテジアス城に近い側の空で、黒い塊が生み出されつつあった。

「なんですの、あれは……?」

 ロヴィーサの言葉の一瞬一瞬でさえ、黒い塊は大きく成長する時間となっている。

 塊は球体のまま大きくなり、ある程度の大きさになると、急に轟音を響かせて塊を開放した。――つまり黒い球体だったものは、『それ』が丸まっていた形だったのだ。丸まっていたそれが身体を広げることで、それは姿を現した。巨体に四肢、だが頭には尖った角と、手にはやはり長くも尖った槍があった。風が唸りを挙げ、空中に散っていた様々な光と点が捩じれたようにも見えた。巨大な牙を持つ口を開け、揺さぶられるような大轟音を波立たせる。

「あれは……」

「ヘルヴィス――……」

「悪魔型だ!」

 ヘルヴィスはハヴェンを押さえつけていることを忘れ、その姿を見ていた。ハヴェンは悔しそうにしながら、だがしかし同じようにそれ――空で唸り声を上げる巨大な悪魔型のクレイドールを見つめているのだった。ロヴィーサも目を見開き、その黒々しい姿から目を離せないでいる。今この瞬間、この都市にいるほぼ全ての生物が、その姿に目を奪われるほかなかった。

 まずい。

 これは。

 どうしようもなく、まずい。

 ヘルヴィスは奥歯を噛み締めた。

 悪魔型はその体で大地を震わせながら街に降り立ち、その場を踏み荒らした。

 ヘルヴィスたちのいる場所からは遠くだった。

 明らかな荒れ狂い方が、街の崩壊の音と共に絶望的な感触を宛がっている。

 悪魔型は手に持った槍を建造物に叩き落としては、横に薙ぎ払い。

 破壊の限りを尽くし始めた。

 槍は巨大で太く、強靭だった。

 一撃で建物を完膚なきまでに撃ち砕いては、地面を揺るがし、風を吹き荒らす。その衝撃にヘルヴィスたちは耐え兼ね、吹き飛び転がった。ヘルヴィスはハヴェンから手を放してしまい、ロヴィーサは風に体勢を崩され前倒しに倒れ、メリアは投げ出されたように地面に転がった。ハヴェンも同じようにその衝撃にしばらく堪えていたが、ヘルヴィスの抑制から放たれたのをいいことに、すぐに立ち上がってメリアを抱えると、その場から走り出した。

「待てっ、ハヴェン!」

 ヘルヴィスが声を上げると、一度倒れたロヴィーサが剣を抜き、ハヴェンの後を追うようにして飛び上がった。ハヴェンはメリアを片手で抱えて、一度宙へと浮き、後ろに追ってくるロヴィーサを振り返りながら氷魔法を矢のように大量に作り出してロヴィーサに撃ち放った。ロヴィーサは表情を変えずにそれらを弾くが、ハヴェンは魔法浮遊で、ロヴィーサのような魔法が使えない人間では届かない遙かな高さへと飛び上がっていた。

「駄目ですわっ――……!」

 空高く浮遊するハヴェン。今この時、自分に魔法浮遊が使用できないことにヘルヴィスは舌打ちした。自分の運動能力ではあれほど高く飛べない。何か弾みになるものがなければ――どうする? 今もまだ、遠くで様々なものを打ち崩しつつある音と叫びが聞こえる。住民の避難はある程度住んでいるはずだが、暴走を止めない理由にはならないし、あそこで戦っている人間たちはどうなるのだ。ヘルヴィスの思考は目まぐるしく回転したが、今どのような動きをすべきか、明確な答えを出せなかった。

 だが、飛び立ったハヴェンを左から飛来した火球が急襲し、ハヴェンは吹き飛んだ。短いうめき声をあげて、右方向へと放物線を描くようにして落下していく。動きが重く、ゆっくりと落下していくように見えた。

「――――あれは」

 パーシヴァルの炎魔法だ。

 ヘルヴィスがロヴィーサの隣に寄る。ハヴェンは仰け反りメリアと共に落下していく。ロヴィーサと目配せしたヘルヴィスは、今も街を荒らし続ける悪魔型を横目に見ながら、二人の落下地点を目指して移動する。移動の最中突撃してくるキャットヘッド・ドッグヘッドを、二人は剣を唸らせ瞬殺した。剣ではとどめを刺せないが、二人の剣撃を鋭く、黒い体を砕き切るような剣捌きだった。

 だが、そうして移動しているなか、ハヴェンたちが落下していくのを浮遊して何者かが捕獲した。

 ――学院のローブ! しまった。二人は学院に……。

「こんなところにいらっしゃいましたか、ヘルヴィス様」

 二人が一瞬立ち止まる頃、近くの建物の屋根の上に、男がすっと降り立った。

「パーシヴァル……」

「王妃様だけでなく王様もいらっしゃったとは、何事ですかな」

 パーシヴァルは口を不敵に吊り上げた、異様な微笑みで二人を見下ろしている。ヘルヴィスはロヴィーサをかばうように一歩だけ前に出てすっと彼女の前に手を出すと、パーシヴァルに向かって声を上げた。

「何事だとか、そんな悠長なことを言っている場合ではないよパーシヴァル。君に聞きたいことがある、いやありすぎる。今、ハヴェンとメリアを――」

「悠長なことをおっしゃっているのはあなたですな。あの悪魔型が目に入らぬのですか」

「っ――それはわかっているが」

「私は今、それを退治しに参ったのですよ」

 悪魔型を、パーシヴァルが倒す?

 二人は眉をひそめた。

 悪魔型はクレイドールが初めて現れてからこの十五年間、一度しか現れなかった。それを倒したのは、当時のカルテジアスの精鋭隊。そしてとりわけ当時異彩を放っていたヒストリカの尽力だ。しかし相当苦労し、精鋭隊もかなり消耗、かつヒストリカは相打ちに近い形で悪魔型を討伐するも大怪我を負い、剣は持てなくなり、魔力は消失した。それほどのクレイドールが今、街を叩き潰そうとしている。それを、パーシヴァルが一人でやるだと?

「一人でやるというのですか?」

 ロヴィーサ。

「そうです」

「そんな無茶なことを。相手は悪魔型だというのに」

「無茶かどうかは、実際に見ていただきたいものですな」

 パーシヴァルは銀色のローブを翻して、その場を飛び立った。ヘルヴィスとロヴィーサはその姿が見えるように建物の上に登った。外壁の上から内側である都市へ向けたサーチライトが、まるで美しい黄色を持って空を照らしている。暴れまわる悪魔型に、パーシヴァルが何の躊躇いもなく突っ込んでいく。

 無謀だ。決してパーシヴァルの魔力と実力が、あの当時のヒストリカに劣っているとは言わない。だがヘヴルスティンク魔法学院の頂点にいる男だ。ヒストリカに追随することもあるだろう。だが、ヒストリカはたった一人で勝ったわけでもない。あんな風に、たった一人で戦いに行ったわけではない。それなのに、馬鹿な。

「まさか、本当にやるんですの――?」

 ロヴィーサが驚きおののく。

 暴れまわる巨体に、パーシヴァルが近づき。

 悪魔型の首筋に火が上がった。

 それは円形に広がり、その炎が悪魔型の全身に少しずつ散っていくと、悪魔型の黒い体は爆発に包まれた。黒さが、炎の赤黒く、そして黄色い輝きに包まれていったのだ。波紋のような炎だった。悪魔型は身体に響くような重い方向を轟かせ、仰け反り長く暴れた。暴れる最中、長い槍がカルテジアス城の高い尖塔を撃ち砕き、吹き飛んだ瓦礫が街に次々と落ちて行った。

「ロヴィーサ」

「ヘルヴィス」

 二人はほとんど同時に声を出し合って目を合わせ、そのまま立っていた場所から横並びに駆け出した。建物から建物へ、十全な速度で飛び移り、時折攻撃を掛けるクレイドールを斬り捨て、戦闘中のパーシヴァルのいる場所へと走る。

 だが、異変を感じ取ると、やはり二人は適当な建物で立ち止まり、悪魔型の巨体を見上げた。

 崩れていた。

 悪魔型の腕が外れ、炎に包まれながら落ちていく。腕に当たる部分が一度地面に到達すると直立し、それからやはり高い塔が横倒しになるようにして崩れ、粉塵を舞い上げた。悪魔型の動きはほとんど止まり、暴れ方が収まっている。次は反対の腕が崩れ、槍は霧散した。腕が消えた悪魔型は嘶きを震わせながら、唐突後ろ側へ倒れていった。

「――――まさか、本当に」

 二人は再び駆け出し、先ほどの悪魔型が倒れた場所へと至る。

 建物は完璧に崩れ、街としての形はほとんど残っていなかった。悪魔型が倒れた形にちょうど街の輪郭が切り取られ、その姿が今寸前までそこにあったように形を成していた。そこにあるのは黒々しい姿でも影でもなく、大量の粘土細工。その粘土細工の山の中央で、パーシヴァルは一人佇み、笑っていた。



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