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孤独な鳥がうたうとき④

 普段はあまり出さないような全速力と全出力の魔法浮遊で、ウィルと並んで街を駆けた。その最中にクレイドールを切り裂き斬り捨てる。数が多い。クレイドールはメリアとハヴェンの意志にある程度付き従う。つまり、二人がこれから行うとしていること――何かを破壊する衝動に猛々しさが強いほど、そこにクレイドールは勢いを増す。ハヴェンは……カルテジアスを壊そうとしていた? メリアも、きっとどこかで戦っているのだろう。何と戦っているのだろうか。

 多くのものに殺戮をもたらそうと決意したルクセルグの一件。

 けれど、がむしゃらに何かを壊しまくるというほど頭が悪い二人ではない。まず二人が狙うもの、その過程にあるものならばどれだけ切り捨てても構わないという思想だ。私と似たようなもの。結局憎しみに段階があるのだ。一番殺したいもの、壊したいものを放っておいて他に目移りしている場合でもない。二人だってそうだ。

 だとしたら。

「ねえウィル、ここにパーシヴァルが来ているんじゃないの?」

「どうしてそう思うんだ?」

「メリアとハヴェンがいるから」

「その可能性もある。けど、どうもあいつら、変な奴にカルテジアスが学院と手を組んだって吹き込まれたみたいなんだよな」

「学院と、カルテジアスが――?」

 古き歴史を考えれば、以前ヘルヴィニアとカルテジアスは両大陸のそれぞれ一強として屹立していたが、長い時間を掛けて統一され、今は王都ヘルヴィニアが中央都市的な役割を担い、各都市に帰属を配置している。だがそうした上でも規模と軍事力や影響力は昔と大差なく、やはり西大陸では今でも抜きんでている。そんなカルテジアスと学院が手を組んだ?

「だからカルテジアスを……」

「アリサ」

「――――」

 ある程度街を駆け抜けていった先に、大きな駅が見える。避難のためにそちらへと駆け寄る大勢の人々と、彼らを逃がすためにクレイドールを攻撃する人たちの群れが見える。私とウィルは一度だけ飛び上がって、威勢のいいクレイドールを素謡八つ裂きにした。私が炎を噴き上げ、ウィルが風で辺りに撒き散らす。キャットヘッドとドッグヘッドを落下の最中に剣で切り裂いて、人々が逃げる手助けをする。避難するための車両が駅についていて、大勢の人が冷静に、しかしどこか落ち着きの無い様子で車両に乗り込んでいく。クレイドールが頻発する今の時代、このような対応は皆叩き込まれている。

 その車両に乗り込んでいく群れの中に、フードを深くかぶった人間がいる。

「あれか?」

「そうね。奴がケイトリンを刺した」

「無事なのか」

「ええ、王様に治療していただいたわ」

「なんだ、王様に会えたのか。師匠は?」

「もちろん会ったわよ」

「どうだった?」

「あの人は……変わらないわね――――……それより」

 フードの、男もしくは女……。

 一般人に紛れて逃げる気ね。

 私とウィルはなるべき気付かれないように、避難の人々の波に入り込んだ。普段使用される一般車両の後ろに、こういった緊急事態のための特別逃走車両が何両も連結されて、大勢の人数を逃がすための措置がなされている。それが数十のホームに用意され、避難が最優先のために特に行先も決めないまま発車する。別の都市からの列車と激突する恐れはない。平原の最中にある緊急レールを急遽作動させるからだ。とにかく大勢の人間を載せて、ここから離れることが重要なのである。

 フードの人間と同じ車両に載るための列に敢えて入る。こんなことをしていないでクレイドールの殲滅に力を貸した方がいいのかもしれないけど、奴がクリスティンに繋がっていることは間違いがない。だとしたらクリスティンが信頼を置く人物ということで、真相を知っているかもしれない。それに、殺そうとした報いは与えなければ。

 列車の開いた扉に少しずつ、焦りとざわめきの中人々は入り込んでいく。空で時折ラプターが叫び声をあげると、避難を促す護衛兵たちが、人々を守る。彼らの魔法が列車の上で交わり光った。フードの人間が車両に入り、私たちは迷惑にならないように少しだけ波をかき分けて入った。それから後、列車は汽笛とサイレン、車掌らしき人の声で発射する。列車が揺れ動き、前へと移動する重みのようなものが伝わった。

 列車は極めて広く座席が用意してあり、かつ車両の数も多いために大抵の人が座われたが、やはり混雑している。フードの人間はそんな中を、まるで誰にもぶつからないように、異様な穏やかさで列車の前車両へと移動していく。その背中は、私たちが「通してください」とお願いするような必死さもなく、まるで透けていくような。申し訳ないと思いながら人の波をかき分けて、なんとかその影を追う。

 しかし、一番前の車両に到達した時、その誰かはいなくなっていた。

「いない? まさか、逃げられた?」

「確かに人が多くて、常に背中を見続けていたわけじゃないからな。車両の連結部分で一瞬姿が見えなくなっただろう」

「どういうこと?」

「上、だ」

 ウィルは二両目との連結部分の横の露出した隙間から梯子に手を掛けて登る。私もそれに付いて登り、列車の屋根に風の勢いを受けながら立った。平原を列車が猛烈な勢いで掛けており、後方には先ほど出発したカルテジアスの影が見える。動いていく列車がその影から私たちを突き放していく。炎や雷魔法の輝きが、時折城壁の向こうを照らして、高い尖塔や屋根、城のシルエットを浮き出した。冷たい夜の空気は移動速度に吹き飛ばされていく。線路に付き従うように電灯が立ち並んでおり、列車の後ろのずっと向こうまでも、屋根の上でさえもよく見えた。

 私たちの立つ一両目の屋根よりずっと後ろの、中央辺りの屋根に立つ影。

 フードを被っている。

「…………お前は、誰だ?」

 ウィルが声を掛けた。

 長い沈黙。

 列車の音。

 風の音。

 そして。

 フードが緩やかに外された。

「――――!?」

 こちらを見つめるのは。

 黒い顔。

 




「あなたの暗躍は様々なところからお聞きしていますわ」

「暗躍とはなんとも。私は愚直に働いているだけでありますが」

「もちろん、わたくしの得ている情報が間違っている可能性も否定はできません。けれどパーシヴァル様、あなたの化けの皮も崩れ落ちつつあることを御自覚なさった方がよろしいですわ」

「先ほどから遠回しなお言葉、何とも理解ができませぬが?」

「あなたがハイブリッドを擁していること。そして、あなたがそこにいる――メリアさん? 彼女にたいそう酷いことをなさったということですわ」

 メリアは自分の体を起こそうとし、しかし起こせない悔しさに狼狽えながら、口元の血を拭い女性を見る。ロヴィーサ――王妃様――ヘルヴィニアの王妃様――彼女は今、パーシヴァルを糾弾している。追い詰めようとしている。パーシヴァルがわたしに何をしたのか知っている。誰から聞いた? いや、そんなのはわかりきっている。

 アリサお姉ちゃん。

 ここにいるの。

 また邪魔を、するんだね?

 わたしは自分でパーシヴァルを殺せればいいし、こうしてひれ伏していることには何の価値もなくて、こんなのあの時と比べれば全然痛くもかゆくもない。だからいつか奴を殺すことは絶対に変わらない。もし変わってしまうとすれば、それは誰かが邪魔をすることだ。そして今、ここに別の誰かが介入してきた。そしてそれは邪魔だ。だってこの人もパーシヴァルを狙っているなら、いつか殺してしまうかもしれない。誰が殺すの? わたしかハヴェンじゃなければ、パーシヴァルは殺しては駄目だ。誰にもやらせない。やらせたくない。きっと世の中で一番、わたしとハヴェンがパーシヴァルを憎んでいるから。

「しかし、彼女をいたぶるのはもうやめにしては? クレイドールの殲滅が先ですわ」

「おっしゃる通りですロヴィーサ様」

「メリアさんのお世話はわたくしがいたしますわ。あなた方はすぐに戦いにお行きなさい」

 パーシヴァルは微笑み、一度だけメリアを、誰にも悟られないような一瞬を使って睨んだ。メリアも睨み返したが、立てなかった。その場にいた兵とパーシヴァルはメリアとロヴィーサを残して、街で暴れまわるクレイドールの殲滅に向かった。戦闘の痕が残っているその場は、パーシヴァルの強力な炎魔法の色が濃い。メリアはゆっくりと立ち上がろうとして、それからがくりと膝で折れかけ、よろける。ロヴィーサがすぐに傍に寄り、メリアを優しく抱き留めた。

「大丈夫ですか?」

「……わたしに、触らないで」

「あら、どうしてですの? こんなにも傷だらけだというのに」

「知ってるんだよね? わたしが、メリアだってこと? 殺されたいの?」

「殺せないでしょう、その傷では」

「こんなの傷には、入らない、のに」

「パーシヴァルとまともに戦ったようですわね」

「邪魔。離してくれないかな」

「いいですか? わたくしもパーシヴァルと戦う側にいるのです。ですから、あなたとは本当は一緒に行動するのが当たり前なのです。アリサとも一緒に行動したことがあるのでしょう?」

「アリサお姉ちゃんは役に立たないし、弱い」

「そんな思ってもないことを。とにかく、パーシヴァルを倒したいのならその傷では駄目ですわ。治療しないと」

「わたしが、わたしたちが、クレイドールを連れてきたのに……」

 ロヴィーサは弱弱しいメリアの背中に手を添え、それからひざの裏に手を入れてふっと持ち上げると、そのまま駆け出す。メリアは誰かにそういう風な扱いをされるのがあまりにも不慣れで、不安定な意識の中違和感ばかりに惑わされていた。薄い視界の中でも、ロヴィーサの微笑みだけは消えなかった。

「どこへ、連れて行くのっ……」

「治せる人を探しますわ」

「治癒――誰」

「うふふ、わたくしの愛しい人がこの街にいらっしゃるはずですから」



 


「さて、僕もそろそろ行こうかな」

 ケイトリンをソファに寝かせると、ヘルヴィスは呟いた。勝手に学院に入り込んで、中央の部屋の待合のために置かれた感そうなソファで、ケイトリンは眉を寄せたまま静かに眠っている。治癒魔法によって傷は治るが、意識だけは治療では取り戻せない。彼女にはもう、命の心配はない。その横に椅子を付けて座っているヒストリカは、そんなケイトリンの顔を見ていた眼差しをヘルヴィスに向けて微笑み返した。部屋に窓はなかったが、戦いの音だけはとてもよく聞こえる。

「そうだな。お前の剣は、こんなところで燻らせるにはもったいない」

「守らなくても平気なのかい?」

「彼女を抱えて逃げるくらいできる。それに、お前は行きたいんだろう?」

「そうだね。いくら彼女が一人でも十分強いとはいえ、一緒にいない理由にはならない」

「向こうさんもそれを望んでいるだろうさ。安心させてやった方がいい」

「ありがとう。また会おう。アリサ君も含めて、全員で話をしないとね」

「ああ、お前も無事でな」

 ヘルヴィスは口元を柔らかく吊り上げると、剣を携えて正面玄関の方へ駆けて行った。

 ヒストリカは決して、彼が負けるなどということは可能性として有り得ないとは思っていた。クレイドールは雑魚だ。剣で殺すことはできないが、切り捨てれば形を保てない。噛み付く行動も数が多いだけでかなり予測がつく。だから、クレイドールによる死者は基本的には少ない。基本的にというのは、たまに例外があるからだ。その例外が、ここ最近は常に起きている。というのも、クレイドールは人里離れたところで一度発生し、それから街を襲う傾向にある。だがこの最近は、ルクセルグ、カルテジアス共に、『人の住んでいる場所に突然現れれ』ている。この唐突さには対応しきれない面が多く、食われる場合も多い。今回のカルテジアスはルクセルグよりも……ヒストリカはケイトリンに視線を戻して、彼女の頬に引っかかった髪の毛をそっと顔の横に下ろしてやった。

 それに、クレイドールのことではなく、きっと人間と戦わなければならないのがとても心配なところだ。ヘルヴィスだけではなく、今ここで戦っている多くの人間。それらに人間の介入があると考えるだけでも厄介である。学院がいったい何人人員を割いている? それに、カルテジアスと手を組んだ。けれど同時に、こうしてクレイドールがカルテジアスを襲ってその機能を押さえようとしている。何が起こっているのかよくわからない。よくわからないままなのは気持ちが悪い。全体の把握までは、まだ時間がかかるか。

「…………」

 ここで一人、思慮している場合でもなくなったか。

 学院の規定では、確か鐘の音が鳴れば学院生はクレイドールの討伐に赴くことになっている。ここに都外研修に来ているのは上級生なので、クレイドールへの対処はある程度慣れたものだ。教師も変わらず、また戦えない学院生も避難している。クレイドールの戦闘の渦中にあってこの学院に残っている人間は少数だ。それも、北側の建物から飛び出たような場所で負傷した生徒の手当てをする場所に集中している。待機している学院生は部屋に籠っているだろう。

 だが一つ。

 明らかに異質な気配が入り込んできていた。

 ケイトリンを見つめる。

 ケイトリンは刺された。

 アリサは語っていた。これ以上事件に関わるなら、親しい人間を殺すと。そして、ケイトリンがここまでやってきた。そして刺された。彼女を連れてきた自分に責任が無いとは言わない。後でそれはきちんと謝らなければならないが――しかし、こんな風にとんとん拍子で進んでいるのはどのような意味がある? ケイトリンが刺されたのは、アリサにもう一度近づいたから。脅しに従わないで、アリサとケイトリンがもう一度出会いそうになったからか。

 だが。

 今、ここに。

 近づいている奴がいる。

 何のため?

 私か?

 ヒストリカは思考した。

 自分が一体、殺される価値があるのか? いや、あるだろうな。ありすぎる。今まで森で一人暮らしをしていて無事だったのが幸運だと感じる。けれど、その時は殺される立場になかっただけで、今はその『中心』にかなり近い位置に自分がいることは自覚している。『語り継いでいる』のは自分だからだ。

 まさか。

 ケイトリンを殺すつもりなのか。

 なぜだ。

 『親しい人間を殺す』、だから『親しくしていたケイトリンを殺そうとした』のではないのか? 親しいとか親しくないなんて関係なく、ケイトリンを殺すことが狙いだった、なんて仮説は……ありえない、何の意味がある? 人殺すに意味も何もないのはわかるが、ケイトリンが狙われる理由はない。彼女は基本的に『無関係』だからだ。

 ヒストリカはゆっくりと立ち上がった。

「少なくとも手元のナイフで共倒れならできなくはないな」

 怪我塗れでろくに動かない体だが……この娘だけは死守できるだろう。ここまで連れてきてしまったのは自分だ。それに、あんなにも狂った瞳をしていた愛弟子が、こんな風に誰かと一緒にいるようになった。その大事な繋がりの一つ。自分よりもずっと大事にしてほしいものでもある。

 彼女は静かに、近づく気配の方へ振り返った。

「…………」

「またあなたですか、ヒストリカ」

「クリスティン」

 ローブに身を包んだクリスティンだった。





 黒い顔。

 まるで、影。

 それなのに、にたあと笑った口元が深々しいまでの紅色。

「まさか――クレイドール!?」

「待て。そんな、有り得ない。クレイドールが自立している? しかも、人を刺すだと? そんな話は聴いたことがない」

 ウィルが眉をひそめた瞬間、私の視界からウィルの体が消えた。――ように見えた。一瞬で間合いを詰めた奴が、ウィルを殴って吹き飛ばしていた。ウィルは列車の屋根から弾き飛ばされて平原の方へと小さな呻き声を上げながら落下していく。

「ウィル!」

 彼の名を呼ぶ瞬間にも、奴の顔は目の前に迫っていた。――いや、顔なんて、ない。あるのは口だけだった。目がない。表情もない。耳もない。口だけが赤い半月を持って光っているようで。丸い楕円形の頭がそこにあるだけだ。けれど、笑っているのはわかった。なんだ、この異様なものは。クレイドールなの? 私は腰から剣を抜いて、奴の打撃をなんとか受け止める。腕――腕で攻撃している! ローブの袖からはみ出している奴の手は、異常に爪が長かった。

 押されるわけにもいかないと剣を奴に連打する。

 ここまで大人しかったけれど、こんなにも危うい存在が列車の中を通ってきたのか。今にも誰かを殺しそうな勢いだ。現に留まることを知らない力で私を抑えつけようとしている。もしここで私がやられたら、今も真下で走っているこの列車を破壊するのでは――私とウィルは、ちょうどその行為に移ろうとするその瞬間にここにやってきたのでは。

 どちらにしても、放っておけない!

 剣を横に擦らした後、片手で炎を練り上げて奴の側頭部にぶち当てた。――が、首を捩じって回避された。剣で切れるのかわからないけど。指を使って剣を逆手に持ちかえ、奴の首の付け根に素早く押し当てた。そこに当たった感触は、完全にクレイドールのそれだった。本当にクレイドール――なの? 色も、口だけが赤いのも完全に当てはまっているけど、こんなにも、人間の形をしたものは聞いたこともない。私が知らないだけ――いや、勉強はした。無知な私でもそれくらいは……犬、猫、猛禽類、爬虫類、そして悪魔。それだけのはずだ。まさか、目の前にいるのは。

 新種のクレイドール?

 首の付け根を切り裂いたはずなのに、弱すぎたのか切り裂ききれずに終わり、体勢が崩れそうになった私の腕を片手で掴むと、ウィルにやってみせたように線路とはまったく外れた方向へと投げ飛ばした。自分の意志とはまったく相容れない浮遊に頭に血がのぼったが、これくらい――私は空中で頭を下に向けた逆さ状態ながら、その位置で火球を列車に当てないように奴に打ち放った。奴はしなやかに動いてそれらを全て避け、やはり不気味な赤い唇で笑った。

「くっ……――!」

 そこに、ウィルが随分とすり減り汚れたローブで右側から戻ってくる。

「ウィル!」

 彼は不意を突いて竜巻を奴のところに水平に宛がうことで、奴を列車の屋根から平原の方へ吹き飛ばすことに成功した。私とウィルは近場に降り立ち、黒い影と向き合う。列車は何事もなく、きっと何かに気付いたかもしれないけれど、それでも戦いのことなど知らないというように線路に従って走って行った。ここにあるのは、線路の横に備え付けてあった電灯の並列。そして、線路を挟んで向かい合った私たちだった。黒い影はぐにゃりと奇怪な動きをしている。

「やっぱり、クレイドール……なの?」

「わからないが、どう見てもそうだ。新種か?」

「新種なんて、そんなの」

「だが、クレイドールが現れてまだたったの十五年だぞ。有り得ない話じゃない」

「だったら……だったら、あいつは」

「さしずめ、『人間型』だな」

「あんなにも、気持ち悪い動きをするのに、人間型」

「できれば生きたまま捕えて研究機関に持っていきたいけどな……」

 ウィルは小さく笑ったが、どうしても緊迫した中での笑みだった。

「未知数だ。いざとなったら殺すしかない」

「やれるわよ、私は」

「俺だって努力はする――しかし、妙だな」

「ウィル?」

「あいつ、ケイトリンちゃんを刺したんだよな。だったら、どうして剣を持っていない」

「――――」

「クレイドールだとしたら、どうしてローブを着ているんだ?」

「…………」

 奴――人間型が、地面を蹴ってこちらに攻撃を仕掛けた。

 私とウィルは、ほぼ同時に剣を構えた。






「学院生がお世話になったようですね」

 クリスティンに敵意はないようだった。

 少なくとも、今は。

 ヒストリカはケイトリンをもう一度簡素なソファに寝かせて、傍の椅子に座った。クリスティンも同じように、ケイトリンの傍に座り、ヒストリカとは隣り合ったような格好になった。クリスティンは穏やかな顔をしていた。微笑んでいるとか、爽やかというわけではなく、いつものように無表情だった。しかし戦う意志はまるで見られない。ヒストリカは先ほどからの警戒をほどほどに――忘れたわけではないが――して、クリスティンと肩を並べて会話する。

「私はお世話なんてしていないさ。治したのはヘルヴィスだ」

「ヘルヴィニア王がこちらに来ているのですか」

「ああ。お前たちの策略のために、城も動き出しているぞ」

「きっと、カルテジアスと何らかの約束をするためやってこられたのでしょう」

「――そして、お前は」

「言えませんね」

 彼女はケイトリンを見つめている。

「私は知っている。お前たち学院はカルテジアスを籠絡した」

「ご存知でしたか」

「実際に行ってきたんだ。パーシヴァルにも会った。ランドル様にもお会いした」

「そうですか」

「何を考えているか教えろだなんて、通じないだろうな」

「さあ……私には決定権などありませんから」

「だがクリスティン」

「……」

「お前たちは今まで、暴れすぎた。そして、いろいろな情報を残しすぎた。もうあまり余裕がないんだろう」

「どうでしょう。こちらはやるべきことを、そして言われたことを粛々とこなすだけですから」

 クリスティンは昔から可愛げがない。整った顔立ちをしているのに、眼鏡の奥の瞳はいつも穏やかで幸福な印象に包まれ行くことがない。学院生時代はよく一緒にいたものの――そして当時も決して全てに無頓着だったわけでもないが、今よりはずっと表情があったようにも思う。笑わないけれど、怒ったりも悲しんだりもしないけれど、もう少し何を考えているのかわかりやすかった。だが、今の彼女の横顔は、とても冷たい。学院生を労わる言葉も、どこか空虚だ。決してそれが嘘だとは思いたくない。いや、本当に考えていることなのかもしれないが、言葉と思考と、表情が乖離しているかのようだ。

「クリスティン」

「なんですか」

「どうして、こんな風になってしまった?」

「何のことですか」

「お前のことだ」

「私は何も変わっていません」

「なぜアリサを脅した」

「結局会えたのですね」

「しかも、ケイトリンを刺した。それは、お前が命じたものか」

「あなたと話すことは何もありません」

「私にはある。全て話してくれないか。それとも話せないのか。パーシヴァルに何かされたのか」

「決してそのようなことはありません」

「その言葉遣いもなんだ? 私にも敬語を使ったりして」

「いけませんか?」

「距離が置かれているようで嫌だな」

「距離を置いているので構わないです。そもそも、私はあなたと親しくした覚えはありません」

「そうだな。私もお前は嫌な奴だと思っている。今も昔も」

「そうですか」

「――だが、お前のやっていることが正しいとは思わないし、嫌な奴だからといって距離を取るのも癪だ。だったら親しくして仲間になってくれた方がいい。友人になってくれた方が楽しくもあり、悲しくない」

「戦略的ですね」

「本当に友人になれたら僥倖だがな。そんなに賢くもないさ」

「有り得ませんね」

「残念だ…………話が逸れたな。お前たちは何を企んでいる」

「ヒストリカ」

 クリスティンはケイトリンを見つめたまま、言葉を推し留めるようにヒストリカの名を呼ぶ。

「私は今すぐにでも、あなたを殺せます。同じように、多分たくさんの人を一瞬で殺すことができる立場に私たちはいる。それくらいのことに、あなたは気付いているでしょう」

「またそれか。アリサにも同じことを言ったんだろう。そして、誰かに命じてこの子を刺したな」

「言いました。けれど、事実です。あなたたちはいつ殺されてもおかしくない」

「私たちが『生かされている』というのか?」

「そう。この学院生も――」

 静かに寝息を立てるケイトリンの腕に、クリスティンは軽く触れた。

「誰も彼も、本当はもう死んでいてもおかしくないのです。けれど生きている。生かされている。殺されないまま今も息をしている。だから平穏でいられる。それなのに、あなたたちはわざわざ首を突っ込んでくる。死にたいのですか? それとも、殺されたいのですか? どうにか、見逃されているだけだというのに」

「詭弁だ。お前たちは、実際に殺している人間もいるんだろう」

「それは仕方がないことです」

「だったら、やり返されても仕方がないとお前も思え」

 クリスティンとヒストリカは、視線をぶつけ合う。

 生かされているだと?

 なぜ、生き死にの選択肢が、お前たちに握られている?

 それは驕りだ。

 傲慢さと、計略の上に立つ何の意味もない余裕の綻びだ。

「何も、誰かを助けるためなんかじゃない。もちろん、誰かが救われるのならそれも構わない。だが、ここでお前たちにぶつかりに行くのは、全て身内のためだ。お前たちがやってみせた多くの計画の中で失われた、命の清算だ。やったらやり返される。見ず知らずの人間がその最中で巻き込まれるなら、助けもする。だが、結局――個人的な感情なんだよ」

 アリサとウィル。

 失われた命。

 ヒストリカは考える。

 自分は失った誰かなどいない。

 だが、失ってしまったことがどれほどの苦痛か、理解には程遠くとも、寄り添いたくはある。

 だから。

「待っていろ。アリサとウィルが必ず、お前たちの野望を撃ち砕く」

「…………」

「その時が近いことを、忘れるなよ」

 長い沈黙があった。

 ケイトリンが苦しそうに口元から声を上げて、眉をひそめる。今にも起き出しそうな雰囲気だった。クリスティンはヒストリカを長く見つめ、それからケイトリンを一瞥すると、眼鏡を軽く抑えて静かに立ち上がった。ローブがはためき、空気が揺れる。

「楽しみにしています」

 クリスティンはそう言い残して、廊下の奥へと消えて行った。




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