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孤独な鳥がうたうとき②

 メリアの剣撃を軽い身のこなしでパーシヴァルは避けた。銀のローブの隙間から長剣を抜き出し、メリアの剣に重たい一撃を加える。メリアの細い体はその剣圧に耐え切れず、ふわりと舞いあがるように吹き飛んだ。空中で体を捩ったメリアは、そこから手のひらから炎を拭き出し、練り上げて火球をパーシヴァルに向かって撃ち出した。一発、二発――パーシヴァルはそれを避け、その左右にいたカルテジアス兵が火球を被った。焦げる臭いと悲鳴が王の間に満ちる。絨毯が焼け、そして火球が破裂したための煙がその場に吹き荒れるように広がった。ヘルヴィスは声を上げる。

「ヒストリカ! 逃げるよ」

「わかっている!」

 二人は煙の中を駆け、黒い濃淡の中に突っ込んだ。それから目測で王の間の入り口を通り、廊下へと抜け出す。まだ煙はそこまで到達せず、明るい廊下が伸びていた。二人の脱出は兵士たち、パーシヴァル、そしてメリアには見つかっていない。そのまま廊下を駆け、道順通りにカルテジアス場を飛び出した。日の沈んだ街。だが。

 城門前に、大きな影が一つ蠢いていた。

「レプティル――」

 暗がりであろうとヘルヴィスはすぐさま剣を抜き、喰いかかろうと大きな口を開いた爬虫類型――レプティルを真っ二つに切り捨てた。しかし、クレイドールは剣では殺せない。弱らせるだけである。ヘルヴィスはクレイドールを剣で八つ裂きにした。黒い体を丁寧に区分けするかのような剣だった。その瞬間、上から迫る何か。――ヘルヴィスは面を上げる。嘴で攻撃を仕掛けるラプターだった。嘴を叩き切り――二匹目が視界に入ると、近くの門の石造りの壁面を駆けあがり、一網打尽にした。

「ヘルヴィス、これはまずい。カルテジアスはクレイドールの群れに襲われている」

「みたいだね」

 上空を見た。夜の空。日が落ち、群青の中。その空間に飛び交う黒い群れの飛行物。猛禽類型――ラプターのクレイドールだ。しかし、同時にレプティルも現れている。街の少し先で悲鳴と轟音が入り混じった声が響いている。何かの地響きのような、そして騒音がいろいろな音を織り交ぜたような、異様な空気。空はラプターの嘶きで満ちている。

「ヒストリカ、今すぐに学院へ走るよ」

「ヘルヴィス」

「さっきの少女がメリアだとすれば、もう一人……ハヴェンもいるんだろう。パーシヴァルもいて、そしてランドル殿が学院と手を結んでしまった。いろいろありすぎて混乱しそうだけど――状況が確実に動いている。早いうちにウィル君やケイトリン君と合流した方がいい。もちろん、ロヴィーサとアリサ君もね」

「そうだな。特にアリサ……」

「心配かい?」

「そりゃそうさ。可愛い弟子だからな。それに、今のあいつは何か崩れかけているようだ。早く会いに行くべきだな」

「ああ。行こう、走るぞっ」





「何の音――でしょうか」

 ケイトリンが辺りを見回した。

 静かだった廊下がゆるやかに騒がしくなりはじめる。廊下の向こうから誰かの声、それが何かに伝播するように別の声を生み、それが大きなざわめきになったようだった。ほぼ同時に、大きな鐘の音が響き渡った。重たい音、そして長く響き、建物自体を大きく揺らすような音だった。二人は動揺する。瞬間、目の前にあった先ほどの部屋の扉が開いた。ついさっきヲレンがいないことを告げた学院生だった。彼は緊迫した表情でローブの袖に腕を通している。

「あの、何が起きているんですか」

「お前、ここの学院生じゃないのか? さっきの鐘、聞こえたろ。――クレイドールだ」

「クレイドール!」

 ケイトリンが声を上げた。ウィルは舌打ちした。また――またクレイドール。自分が何かをしようとしている時、どこかを訪れた時、なぜいつもクレイドールが邪魔をする。リーグヴェン、ルクセルグ、そして今度はカルテジアス……こんな頻度で街に出現するのか。自分ばかりぶち当たっていると感じるのは……。偶然か、それとも誰かの策略か。でも、ここに来たのは偶然だ。それにクレイドールが何らかの意志を持って、そして自分の狙ったタイミングで現れるなど有り得ない。

「それも、さっきの鐘は特大級だ。大群だな。学院生は全員出撃だ」

「大群……」

 先輩らしき彼は廊下を走り去った。それから後を追うように、寮の一直線の廊下の扉が連続で開き、颯爽と学院生たちが廊下を駆け抜けた。何十人何百人――全員出撃――大群……ルクセルグよりも規模が大きいのか? 二人はそんな学院生たちの荒波の中、置いてけぼりのように佇み、その流れを見つめているだけだった。騒々しい足音、状況を説明する声が混じり過ぎて聞こえない。ウィルはそれほど悩まなかった。

「ケイトリンちゃん、俺たちも戦おう」

「あ、あのっ」

「ん?」

 ケイトリンは目を泳がせ、唇を噛み締め、不安に表情を歪めた。

「わ、私……クレイドールと戦ったことが、ないんです」

 ウィルは思い出した。そうか、彼女はまだ一年生だ。一年生と言えば、クレイドールとの戦闘の座学を学ぶのが中心で、もちろん野外での授業もあるが、実際的に戦闘に赴くことはほとんどない。クレイドールが出現した際、そこに戦いに行くのは上級生。下級生は出撃しない。ウィルは四年生で、上級生としてもう何度か出撃した。ヘルヴィニアの城下町は一度もクレイドールに襲われたことがないが、南の森や、外れのような場所へは頻繁に出現したため、そこで幾度も戦闘したが――それに、アリサも彼女と同じ一年生だが、クレイドールと戦ったことが何度もある。彼女は森で修業し、ほとんど完璧な技術を身に着けている。戦闘なら上級生と遜色はなく、クレイドールの戦闘を理論で学ばなくとも一網打尽だろう。

 ウィルはケイトリンの怖気づいた表情を見て、それなら、と口を開いた。

「学院にはアリサと王妃がいる。クレイドールとは戦わなくてもいいから、探して、俺たちが来ていることを話してくれ」

「い、いいんですか」

「一年生だろ? それに、怖いんなら無理に戦わなくてもいい。アリサに会いにきたんだ。戦いに来たわけじゃない。ただ君は、そのままアリサに会いに行けばいいんだよ。それに、今一番アリサが会いたがっているのは君だと思う」

「そうですか? ウィルさんにも会いたがってると思いますけど」

 それはない。

 ケイトリンはアリサの閉ざされたいろいろなものに急に捻じ込まれた存在で、きっと自分よりも遥かに動揺に値する物だ。言うなれば、今回のアリサの逃走の理由の一つにはケイトリンのことがあるのだろう。だとしたら、それをうまく収束できるのは、やはりアリサとケイトリンの二人がもう一度出会うことしかない。ウィルにはその確信があった。

「そ、それでは……行きますね。ごめんなさいっ……!」

「いいって。それじゃあ、アリサによろしく」

「あ、あの、無事に帰ってきてくださいね! アリサちゃんのためにも!」

「わかってる。またあとで会おう」

 ウィルは学院生たちが駆け出して行ったのと同じ方向へすぐさま走り出した。

 アリサのためにか。

 よくよく考えれば、この五年間辺りはアリサのためにいろいろと行動していたようにも思う。まだ生きているとは信じているが、それでも父親を失った自分。そして兄を殺されたと知ったアリサ。自分は泣いていない。それなりに悲しくはあったが、それよりも怒り、そして行き場のない思いが強かった。しかし、アリサは完全にどん底だった。その姿を毎日見ていたから、きっとこんな風になってしまったんだろう。復讐も彼女にさせてやろう。家にだって住まわせてやるし、アリサの望むものなら、それは自分もきっと同じように叶えたいものだ。全てを捧げるわけじゃないが、彼女が立ち直れるのなら何でもできるのだろう。そんな気持ちでここまで来た。

 アリサのために戻ってくる。

 よくわからないが、まあそれも正解だ。どうにかその復讐の結末に、自分も関わっていたいのだ。





「――今の鐘は?」

 私がベッドに寝ているのを、クイーンは長く、私の手のひらを握って看病をした。熱だった。頭がぼんやりしたが、意識は異様なほどはっきりしていた。矛盾しているのはわかっているけれど、視界も揺らぐことはない。何かいろいろな思いが雪崩れ込んでくるようだったけれど、クイーンの手のひらがとても冷たく感じて、いつまでも眠りには就けなかった。その時、建物を揺らがすような大きな鐘の音が響いたのだった。

 部屋の入口近くの壁に背中を当てて立っているヲレンさんが、眼鏡を押し上げた。

「これは……クレイドールの出現を知らす鐘です」

「クレイドールが……」

「はい……しかし、これは……鐘の音の段階では一番大きなものです! 大群ですよ!」

 ヲレンさんが慌てた。――大群? クレイドールが……。

「それは、カルテジアスの街に、ということですの?」

 クイーンは冷静に問うた。

「そ、そうです。えーっと、これは学院生は全員出撃なので、僕も行こうと思いますが……」

「わかりましたわ。ヲレンさん、共に参りましょう」

「えっ、えー!? 王妃様も出られるのですか!」

「わたくしも一応は剣使いの端くれですわ」

「そ、そうですが――」

 私はゆっくりと体を起こす。

「私も行きます。街を守らないと」

 クイーンは私を、優しい顔で見つめた。気持ちを汲み取ってくれているようなのに、何かを宥めるような瞳だった。

「アリサ。あなたはおやすみなさい。わたくしたちで終わらせます。クレイドールが相手ですから」

「私が熱を酷くしても、誰かを守れるならいいじゃないですか! 大群相手なら……っ」

 クイーンは私を戦わせようとしたり、何かを託そうとしたり、でもこんな時は戦うなだなんて言う。めちゃくちゃだ。私は私のやりたいようにやってきた。ハイブリッドを殺すために、ここまでやってきた。努力も自分で選んだ。誰かに教わったのは、後にも先にも師匠やウィルだけだ。クイーンの言葉はひどく優しい。だからこそ、そんな風に押し留められなければならない私が悔しい。

 くらっとして、立ち上がろうとする力が一気に抜ける。

「あなたが無理をして、これ以上酷くしてどうするのです」

「戦局がひどくなるよりは……ずっといいじゃありませんか」

「アリサ……」

 声を荒げてしまった。それに跳ね返ってくるようにして、呼吸が欲しくなる。意識ははっきりしていると思ったのに、思ったよりもずっと体の方が動いてくれない。気だるさ、体も重い。こんな時に、どうして熱なんて。わがまま、だろう。私のために言っているのだろう。でも、戦えた方がずっと楽だった。何もかも、今の自分には何もかもが足りない。

「……わかってください。あなたは今、休まなければ」

「私に託すと言ったのはあなたです、あなたが、あなたがそう言ったんですよ」

「あなたと一緒に戦うことは、またいつかの話です。そのために、あなたは眠りなさい。行きますわよ、ヲレンさん」

「は、はい……」

 クイーンは私の手のひらを何の躊躇いなく離して、目配せもせず、何かを切り捨てるのと同じような素振りで私に背中を向けた。ヲレンさんは何度か彼女と私の間で戸惑ったような視線を行き来させると、クイーンに付いて行った。扉が閉まる音が響いて、その反響がいつまでも耳に響いた。待ってください。そう言おうと手を伸ばそうとして、ベッドから転げ落ちた。床に身体を打ち、転がって、じわりと脱力の感触に浸された。本当に襲われているのか分からないほど、静かで、余計に惨めだった。







「パーシヴァル、やっと会えたね。以前はクリスティンにしか会えなかったけれど」

「メリアか……探したぞ」

 パーシヴァルは髭を撫でた。メリアは剣をその顔に向ける。いつまでも余裕ぶった表情。もしその顔がいつまでも続いていくと考えていくならば、これまでもずっとそうだったのだろう。何もかも掌握した気持ちでいる。自分とハヴェンを、そして『エンブリヲ』の仲間を嬲っている時間も、そのまま。その顔を、めちゃくちゃにするためにここに来た。

「殺してやる」

「やれ、拘束しろ」

 パーシヴァルは周りに立っていた大勢のカルテジアス兵を顎で指示した。剣と槍を持った騎士兵か。ほぼ全員が鎧で武装をしているのなら、魔法兵はいない。さっきここに立っていた二人は――誰だ、見たことのない人。だけど、どこかで見たよな人。いつの間にか女の人と一緒に逃げ出している。その二人のためにこの兵士たちは用意されたのだ。だから、自分のために用意されたわけでもない。しかし、負ける要素などない。メリアは剣を持つ指先の力を抜いた。

 自分を取り囲む兵士たちが、きちんと円を中央へ収縮させるように狙ってくるのをいいことに、回転しながら魔法を扱い、炎を鞭のようにして全員を強く薙ぎ払った。炎は透けているが、熱の噴射が兵士たちを吹き飛ばす。何人か避けていた兵たちが床に降り立ったメリアの背中に槍を撃ちこもうとするが、メリアはすっと前かがみになってそれを交わし、そのまま右足を軸に左足で回し蹴りを繰り出す。左足の回転と連動するように動く左手で炎を撃ち出し、王の間の絨毯が赤黒い炎で燃え尽き、熱が部屋を充満した。

 そこに、炎の中を突っ込んでくる初老の男。パーシヴァルではない。もっと小さな男だったが、手には細身の剣が握られ、メリアに向かっていた。先ほど玉座に座っていた男――そうなれば、カルテジアスの王か。

「カルテジアス王、あなたもパーシヴァルの味方?」

 細身の剣の連撃は、追突の連撃。兵士などよりもずっと洗礼された動きで、メリアは巧くステップを扱いながら後ろへと下がり、時折自分の剣で弾きながら躱した。パーシヴァルは遠くで、やはり不敵にこちらを眺めている。なるほど、聞いた通りこの王もパーシヴァルにとっては駒でしかないのか。国のことなどどうでもいいが、墜ちたね。

 メリアはすぐに立て直せ無さそうな方向へと剣を弾き、片手に雷を纏わせ、そっと王の体に触れた。震動が音になって伝わり、閃光が王の服を焼き払い、王は呻き声を上げて痙攣すると、その場に倒れた。死んだかわからなかったが、どうでもいい。王の間は熱に満ちている。後は――メリアはゆっくりと、炎の渦に同じように立っているパーシヴァルを見た。

「あなたは、どれだけの駒を用意してる?」

「わからんな。しかし、お前もその一つなのだぞ」

「わたしを捕まえて何がしたい?」

「いずれわかる――が、少し遊ばせすぎたな」

 パーシヴァルは長剣をメリアに向ける。剣の長さはメリアの身長と同じほどだった。大きな体躯で構えたパーシヴァルの威圧はメリアにもはっきりと見て取れた。が、だからといってどうということもなかった。殺すか殺さないか、それだけしかなかった。メリアは床を蹴り出し飛び上がると、高い位置から剣をパーシヴァルへと強く振り下ろした。長剣で防がれ、そのせめぎ合いの中で剣を持つ手のひらから炎を噴出し、パーシヴァルの顔へと撃ち当てようとする。しかし、長剣とただの剣の拮抗は長く続かず、パーシヴァルはメリアを思いきり上へと弾き返した。魔法による力の後押しか、メリアの体は城の天井へとぶち当たり、さらに勢いがあったのか天井を突き抜け、城の上空へと体が投げ出された。

「っ――」

 夜の街に浮遊するメリアの真下から、パーシヴァルが追撃する。長剣がメリアの嬲ろうとする瞬間に身体を捩って避け、パーシヴァルの腕に剣を当てた――が、装甲の感触が金属音だけで勢いをかき消した。ローブの下に防具……それでこの速さか――その一瞬に驚きに隙が生じたのか、パーシヴァルは火球を撃ちこもうと手のひらに炎を溜めていた。負けるものか。同じ瞬間に、メリアもありったけの炎を溜めこみ、パーシヴァルの体を蹴って距離を取ると、同時に火球を互いに放った。

 夜の城の上に火球が衝突し、闇を燦々と照らした。





 ウィルがまず屋根から浮き立つと、左右には学院生がいて、かなり手練れた様子でラプターを切断していた。巧い。連携も取れている。部外者の自分が攻撃に邪魔にならないだろうか。そんなことを考えながら、まずは一匹ラプターの嘴にぴったりと刃を宛がうようにして斬り、竜巻を練り上げて球体にした風球を一撃当てる。その一撃をそのまま魔法浮遊として利用してさらに空へと舞いあがり、二匹、三匹と剣で切り裂いては風でとどめを刺した。それから魔法を辞めて、重力に任せて体が落ちいくのをそのまま勢いに変えて、ラプターを何匹か切り裂いた。落下地点に一体、レプティルの図体がのさばっている。落下を予測して、下突きでその体を貫き動きを止め、魔法で倒す。周囲にはドッグヘッドとキャットヘッドがうろついており、ウィルがレプティルを殺したその位置に一気に襲い掛かってくる。ウィルは自分の足元に風を撃ちこみ、風起こしと突風の要領で何十匹のクレイドールを消し飛ばした。粘土細工が風に吹き飛び、地面を細やかに揺らした。

「――――ッ!」

 その瞬間、地面が一気に凍りつき、まるで生えるようにその氷が鋭利な棘となってウィルを突き刺そうとした。かろうじて足を使って数歩後ろに跳び下がり、棘を躱す。凍った地面はしかし、ウィルを追ってくるようにさらに棘を生やした。際どい位置で避け、最後には魔法で空中へ浮かび上がってそれを避け、どうにか普通の地面へ降り立つ。

「また会ったな」

 氷の地面に、少年が立っている。

「……ハヴェン」

「俺の名前を知ってんのか」

「ルクセルグであれだけ派手なことをしでかしたんだ。有名に決まっているだろう」

「だが、名前は明かした覚えはないな。そうか、あんたはパーシヴァルの味方だったか。あんたとはどうもよく会う。名前くらい覚えといてやるよ、名乗れ」

「生意気だな。いいだろう、ウィルフレッド・ライツヴィルだ」

「ウィルフレッドだあ? どっかで聞いた名前だな」

「アリサだろ。アリサに聞いたんじゃないのか」

「そうそう、あいつに聞いたんだ」

「ちょうどいい。ハヴェン、お前に聞きたいことがある」

「あ?」

「お前たちはなんだ? 『エンブリヲ』とはなんだ? なぜパーシヴァルを狙う? 何をされた?」

「誰が質問していいって言ったんだよ」

 ハヴェンは手のひらに氷で長細い鈍器を作り出すと、一気に距離を詰めて殴り掛かってきた。質量を持った氷は分厚く重い。ウィルは剣で受け止めるが、じりじりと自分の足が押される。ハヴェンは狂ったように、しかし冷静に笑いながら何度も何度もウィルに攻撃した。受け止め、魔法で空まで浮遊するが、すぐに追いつかれ、再び剣での応酬。

「仲間を殺されたのか!」

 頭の中にメリアの声が甦る。

 ルクセルグでクリスティンと対峙したメリア――『――二月六日』から始まる、あの日付は、『エンブリヲ』の仲間が、死んだ日だと言う。それを学院に提示するのなら、そしてそれが復讐だと言うのなら、やはりそのエンブリヲの仲間が学院に殺されたということでしかない。

「復讐のためなのか!」

「うるせえ! ちげーんだよ!」

「何をされた! アリサに話したのなら、俺にも話してみろ!」

「仲間のこともあるかもしれねーけどな、それはメリアだ。メリアは仲間が殺された復讐と、自分のされたことのために戦ってるだろうな。俺はちげえ。俺は仲間なんて特に記憶がないからな! 俺とメリアのためだ!」

「だから、何をされたのかって……聞いてるだろ!」

 ウィルは近くを飛んでいたラプターを切り捨て、その粘土細工の粉を上手くハヴェンに当たるように誘導した。ハヴェンはその粉を直に被って一瞬だけ動きを止めると、風球を思い切り撃ちこんで吹き飛ばした。ハヴェンは短い呻き声を上げて吹き飛び、近くの建物の壁にぶち当たる。腹部を押さえて何とか持ちこたえ、ウィルを睨んだ。

「それにどうしてカルテジアスにいる? パーシヴァルはヘルヴィニアにいるだろう?」

「へっ……パーシヴァルはカルテジアスにいるんだぜ」

「なぜだ?」

「カルテジアスと学院が手を結んだから、だろ?」

「なんだって?」

 カルテジアスと学院が手を結んだ?

 だとすれば――ヘルヴィス王とロヴィーサ王妃が内密にここへやってきた目的を、さらに先回りされたということか。ヘルヴィニアとカルテジアスで手を結び、学院との対決に備えるつもりだった。――のに、出し抜かれたのか……? 城に学院との内通者がいる? いや、これは完全に王と王妃の独断だったはずだ。完全にタイミングが一致したのか。それに、学院がそんなに手を伸ばしているなんて、ますますパーシヴァルの思い通りということだ。何を企んでいるのかはわからないままだとしても、大陸の半分を手中に収めたのと同じではないか。

「……なぜ、お前がそれを知っている?」

 そうだ、それがおかしい。

「お前は学院に対抗している側だろう? パーシヴァルは隠密にカルテジアスと手を結ぶはずだ。それなのに、なぜお前が知っているんだ?」

「教えてもらったんだよ。治癒師の男に」

「――治癒師の、男?」

「メリアが怪我したろ。たまたま会ったそいつに治してもらったのさ」

「……その男が、学院とカルテジアスが手を組んだことを知っていたっていうのか?」

「そうらしいぜ。来て見りゃ案の定だ。だから、こうやって襲ってやっているのさ」

 上空では学院生たちが懸命にクレイドールを倒しているが、数が多すぎる。魔法の唸る音。指示の声。

「……お前たちがクレイドールを操れるというのは本当か?」

「ちげえな。操れねえ。だが、意志に反応する」

「意志?」

「てめえを殺そうと思ったら、クレイドールも狙ってくれるってこった」

 左側からドッグヘッドが唐突に飛びかかってくるのを、反射的に剣で切り捨てた。後ろ、キャットヘッド。二匹。剣で薙ぎ払い、風で打ち上げて空で破壊する。それに気を取られていたからか、ハヴェンが剣で撃ちかかってくるのに対応が遅れていた――剣で受け止めるも、勢いにやられて後ろに仰け反り吹き飛ぶと、ハヴェンはウィルの足元から噴水のように水を上へ召喚し、ウィルを空高く持ち上げた。ウィルはバランスを崩すが、その隙を突くようにハヴェンが剣でウィルの首元を狙う。ウィルは敢えて水の噴射から身体を投げ出して落下し、それに追随するハヴェンの剣を同じように受け流した。

「ハヴェンっ! 訊きたいことがある!」

「んだよっ!」

「――なぜ、俺を攻撃している?」

 ウィルが攻撃の最中に魔法浮遊で浮き上がり、ハヴェンとは少し距離を取った位置に着陸する。ハヴェンは口元を拭った。空での別の戦闘が、街に粘土細工の雨を降らせている。それは粉であったり、大きな質量を持ったものとして、時折地面に音を唸らせながら、そして時には視界にきらきらと瞬くようにしながら。ハヴェンは舌打ちする。

「お前が学院側の人間だから、だろ?」







 無様だ。

 惨めでいいし、無様でもいい。それで復讐が叶うならいくらでも惨めになってやる。そう思っていたのに、今の自分はどうだ。何一つ生み出せない。勝てない、勝てそうにない、踊らされて、敗北した。クリスティンに……パーシヴァルに……そして自分にだ。この程度でハイブリッドを殺せるのか。こんなことで……。

 守るって、何だろう。

 私は、ハイブリッドを殺すためにここまできたはずなのに。誰かを守ろうだなんて思ったこと、なかった。危険なことがあったら、もちろん戦うけれど、誰かが危ない目にあって、それを救うために動こうだなんて気持ちは一つもなかったはずなのに。そういう経験が今までなかっただけだろうか。もしこの五年の間に、ウィルが殺されそうになっていたら、もう少し早く今と同じような気持ちになったのか。師匠が同じ目に遭ったら……でも、そうならなくていいならそうならなくてよかった。危険なことにならないのなら、それが一番のはずなのだ。

 ウィルの顔を、最近見ていない。

 何をしているのだろう。

 学院で逃げ出すあの一瞬だけ、ウィルの顔を見た。師匠も一緒だった。何をしているのだろう。私が逃げ出して、怒っているか、それとも何もしないで自分で調査しているのか。でも、師匠が一緒だったから、私がクリスティンに拘束されたのを相談して、二人で学院にやってきていたんだろう。そこから逃げた。そこに事情があると察してくれそうな気もするけど、二人で調査しなければ意味がないと思って、何もしていないかもしれない。いや、ウィルはもっとさばさばしている。私なら大丈夫だろうと放っておくか……だけど、師匠に話をしたってことは、やっぱり心配をかけているのだろう。

 無理やりにでも自分を駆り出さなければ、状況は変わらない。クイーンはとても、とても優しい。きっと私を想ってくれている。私がこんな状態で戦って、死ぬかもしれない。私の両親が殺されているとわかって、そしていろいろなことに惑わされていると知ってこんな風に惨めになっている私を、とても理解しようと努めてくれている。だから、戦わないで休んでいてほしいというのは、とても素敵で、ありがたい言葉だ。でも、それに甘んじてなるものか。

  私はゆっくりと体を起こして、部屋を出た。冴えているような気がした意識でも、体は重かった。熱はある。だから、何だ? 熱があっても戦うことのできる人間はたくさんいる。そのたくさんよりも弱いのなら、ハルカの敵を取る資格なんてあるのか。通常に埋もれては駄目だ、こんなことで止まっては……。部屋を出て、廊下の壁伝いに指を這わせながら歩いた。廊下には誰もおらず、外では度々爆発音が響き、誰かの声と嘶き、クレイドールの破裂音、そして建物が揺れる。

 そして、廊下の先に、一人の、影。

「アリサちゃん――」

 なぜ、あなたがここにいるの。

 一瞬だけ、逃げようと思った。けれど、足が思うように動いてくれなかった。恐怖とか、そういうのとは全然違う。

 一番会いたくない人だったからだ。

「ケイトリン…………」

 廊下の整列した窓から入り込む外の薄らとした灯りは、ケイトリンの顔に不思議な光を当てていた。距離があってよかった。近くでは話せない。声は聞こえるけれど、表情も見えるけれど、息遣いまでは聞こえないような、痛みまで伝わらないような距離だ。

「どうして、あなたがここにいるの」

「追いかけてきたんだよ!」

「どうやって、ここに」

「ウィルさんと、ヒストリカさんに連れてきてもらったの」

「ウィルと師匠に……」

「アリサちゃん、王妃様は一緒じゃないの?」

「……どうしてそれを知っているのかはわからないけど、王妃様は戦いに行かれたわ」

「そうなんだ。じゃあ、アリサちゃん一人?」

「私は置いて行かれたわ。休みなさいって」

「――休む?」

「……今、私が壁に当たっているから、でしょ」

 熱なんて些細なことだ。それは、きっと私自身が原因だから。

 その原因の一つが、ケイトリン、あなたかもしれないのに。

 動揺している。

 今は笑っている彼女も、一度私が泣かせた。

 どうすればいいのか、わからない。

「ウィルはどこ? 師匠も」

「戦いに行ったよ。アリサをよろしくって」

 ウィルは変わっていなさそうだ。きっと、どうしようもなく意味不明な行動に走っている私を心配しながら、同時に怒っているだろう。でも、変わらない。そんな風に思っているって、わかるから。予想がつくから。

 変わったのは、私だ。

「ウィルさん、すごく心配していたよ。たくさんアリサちゃんの話も聞いた」

「……そう、それは、嬉しくはないわね」

「ふふ」

 ケイトリンは優しく笑った。

「何?」

「いや、アリサちゃん、意外ときちんと話をしてくれるなって、嬉しくて」

「それはこっちの台詞だわ」

 私は彼女を見つめた。

「私、あなたに酷いことを言ったのに。どうして平気でいられるの。私から離れればいいのに。私なんかと、もう仲良くしなければいいのに……あんなこと言われて、悲しかったでしょう? それなのに、どうして私に会いに来たの」

「それは――」

 その瞬間だった。

 ケイトリンの後ろに、深くフードを被った、誰かが、静かに、忍び寄って。

「ケイトリン――――――」

 刃が彼女の腹部を貫いた。

 


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