孤独な鳥がうたうとき①
「ああ、びっくりした……」
ヲレンさんは深く息を吐きながら眼鏡を持ち上げた。
「まさか、ええっと、まさか……なんと言いますか、あのヘルヴィニア王妃様が僕を尋ねてくるとは思わなくって、ええっとですね」
「ヲレンさん、落ち着いてください」
私とクイーンが名乗る前に、私はお話があると言って時間を貸してもらった。友人たちを先に行かせたヲレンさんは、自分の部屋は散らかっているからと、誰もいない空き教室に私たちを連れて行ってくれた。しかし、そこで初めてクイーンがフードを脱ぐと、目を丸くして思いきり仰け反り、わなわなと表情を震わせたのだった。クイーンは私を見て肩をすくめた。
「ぼ、僕が何かしたんでしょうか……ああ……打ち首獄門かなあ」
「ヲレンさん、何もそのようなことは致しませんわ。今日は一つ、あなたにお話を聴きに参ったのです」
「話……王妃様が?」
「はい。ハルカ・フレイザー殺人事件のことですわ」
畏れ多いという風に焦っていた彼が、急に表情を固めた。反応有り……だけど、あの時一緒にいた六人の一人で、死んだハルカのことも当然知っているだろうから、この反応自体は大した意味がない。話を聞いてもらえるきっかけになったようでほっとしたけれど。押し返されてしまう可能性だってあったからだ。どの先輩も、一応は話をしてくれるようで助かった。もちろん、その中から犯人を決めなければいけないとしても――……私はヲレンさんの瞳を見つめる。
「名前に聞き憶えがありますわね?」
「あっ、えっと、はい、あ、ありますあります……」
彼は眼鏡を持ち上げる素振りをした。まだ非常に緊張しているようで、言葉が安定していない。
「五年前の、あの人のこと、ですか?」
「はい。あなたが五年前の入学試験で一緒の班になり、試験中に炎上して死んだハルカ・フレイザーのことです」
「はあ……」
彼はとても嫌そうな顔をした。私は周りを見る。部屋には、私とクイーン、そしてヲレンさんだけ。窓は開いているけれど、ここは三階で外からは見られない。私たちとヲレンさんが接触したことを知っているのは、先ほどの友人の方々……しかし、彼らもこれから演習で、学院に伝わる時間はない。……話しても、大丈夫なのかもしれない。
「私は、アリサ・フレイザーと言います。あの、ハルカの妹なんです」
「妹? 妹さんがいたの? ああ……それは、お気の毒に」
「それはいいんです。私は、兄を殺した犯人を捜しているんです。そのために、あの時現場にいた皆さんに話を聴いて回っていて……」
「そ、そうなんですか。あ、もうヘイガーたちとは話したってこと?」
「はいヘイガーさん、アーニィさん、ウルスラさんとはお話しました」
「じゃあ、僕と……ステラとも話をしたの? 彼女、その事件のことを思い出すといろいろと取り乱すんだけど……」
「それはウルスラさんに教えていただきました。ステラさんとは実際には話をしていないんですが、最近は落ち着いたとウルスラさんに聞きました」
「そっか。そ、それでなぜクイーンが一緒に?」
「わたくしも調査の仲間ですわ」
「あ、そ、そうでしたか。えっとね……うーん、何しろ五年前だから、何を話していいか……」
「誰か、怪しい動きをしている人はいませんでしたか?」
「いなかった……かなあ。いなかったと思うけどなあ……魔法射撃の所定位置に立って……そこで、炎上したんだっけ」
「その、炎の勢いはどれくらいでしたか」
「とても強かったね。ハルカ君の体を丸のみしてしまって、えっと、彼の黒い影が炎の中に蠢いていて……それで、どんどん炎が強くなって、急に炎が横倒しになったのかなあ……そんな感じで、最終的には炎が彼の影さえ見えないくらい大きくなって……僕たちはもうびっくりして……もう大慌てで。ステラは悲鳴を上げるし、皆茫然としてて」
「それから、どうなったのですか」
「クレイン先生が、教官室、だったかなあ。まあとにかく、クリスティン先生を呼んできて、僕たち五人はクレイン先生の先導で別室に避難したんだ。それから、クレイン先生は呼び出しを受けて……ええっと、僕たちはそれからずっと、その部屋で震えながら待ってて……しばらくして、クリスティン先生が来て、あの生徒は死んだこととかを教えてもらったんだ」
「ハイブリッドの存在は、なぜ知っていたんです」
「知らなかったよ。でも、一目瞭然だろう? 僕たちは皆、雷魔法しか使えないんだ。クレイン先生もそうだよね。だから、その別室で待機してる時も、真っ青な顔で話してたんだ。ステラとウルスラは保健室に連れて行かれてたけど、僕とヘイガーとアーニィでね……あれはおかしいって。それで、やってきたクリスティン先生にヘイガーが質問したんだよ。『あれは誰の仕業なんですか』って」
「それでは――」
「他言はしないことを理由に、教えてもらったんだ。あ、今はその……調査のためって深刻みたいだから喋ってるけど、これは誰にも話してないよ。ヘイガーたちもそうだと思うけど……それで、クリスティン先生に、一人一気質の法則を凌駕したハイブリッドのことを教えてもらったんだ」
「その『ハイブリッド』が、皆さんの中にいるのに、仲良くしてるんですね」
「いや、僕は仲良くしていないというか……仲がいいのはあの四人さ。もちろん、ある程度は親しくしてたけど……でも、ヘイガーとアーニィが東都に行って、ウルスラとステラが北都に行ったみたいに、一緒に研修に行くほどは有り得ないと思ったね。ああ、ヘイガーとアーニィは同じ予備校だったかなあ……それに、ステラとウルスラはステラが失神したのを介抱したのをきっかけに仲良くなったみたいだし。ま、僕だけ一人っていうのは当然かもね。あんまり誰かと慣れ合うのは好きじゃない所もあってさ」
「他には、何か――……ありませんか?」
「逆に、何か訊きたいことはない? 訊かれたら思い出すかもしれない」
クイーンが口を挟んだ。
「ヲレンさん、あなたは十二年前のヘルヴィニアの予備校の入校式に参加しましたね?」
十二年前。
父と母が、殺された日。予備校の入校式。ハルカと同じ。
「十二年前……? ええっと、えっとですね、あまり憶えてませんけど、でも、多分参加したと思います。僕が通っていたのは、ヘルヴィニアに本社を置いていて、各都市に系列がある大規模な予備校でしたからね。僕はリンドベールのところに通っていましたけど、はい、多分入校式だけは、ヘルヴィニアの大きな会場でやったと思います」
「あなただけ、ですか?」
「どうでしょう。あ、でもヘイガーとアーニィも都市は違っても僕と同じ系列の予備校なので、多分あの日は、お互い入校式の同じ会場にいたんじゃないかなあ……ステラとウルスラも同じだと思います。確か、二人もルクセルグかどこかの都市の同じ系列の予備校だったと思うので……そうなると、僕たちはあの入校式の日に一度同じ場所にいたということになりますが……ええっと、こんな回答でよろしいんですか?」
「ありがとうございます」
「それで、十二年前に何があったのですか?」
■
カルテジアスに到着する頃には、すでに日が沈みかけていた。ヘルヴィスとヒストリカはフードを深く被り、顔を露出させているのはウィルとケイトリンのみだった。豪勢な街並みが夜の市場の賑わいに少しずつ溶けていく。細々した音が遠くから、そして近くからも聞こえて、まるでお祭りのようだったが、ここではそれが普通の夜なのだから驚きだ。ウィルは自分の少し後ろを歩くヘルヴィス王を見据えた。
ヘルヴィス・ロストウィード。
金髪碧眼で高貴さの全てを兼ね備えたような端正な顔立ちをした王様だ。まだ二十代で若くも、とても誠実な政治をすることで大変な人望もある。突然市民から夫人を選んだのはかなり世間を賑わせたが、その結婚式は随分と華やかだったので、ヘルヴィニアではとても人気のある王様である。王妃が市民ということで、各都市の諸侯は王妃に好感を持っていないという話もあるが、それでも彼女を選び、そんな諸侯の意見など飄々と無視して仲睦まじいというところがなんとも素敵だ、というようなことが逆に市民の好感を得ているとかなんとか。ウィルはあまり国のことに詳しくはないが、結婚のパレードは見に行った。アリサは当然ヒストリカの元へ修行に行っていたが、その時学院は休みになり、学院生はほぼ全員がパレードに赴いたのだ。王も王妃も豪奢な馬車に乗ってこちらに手を振った光景はとても煌びやかで、今も目に焼き付いている。
「王様が直々に動くというのは……遣いの者は出さなかったのですか?」
「それも可能だったけど、僕やロヴィーサが動いた方がどうにも事態が穏便でないことは伝わるだろう?」
ヘルヴィス王はカルテジアスへ、騎士団の力を借りる約束をするためにクイーンと共に向かっていたという。その途中ではぐれたというが、まさか王家まで動いているとは。ハイブリッドを中心に蠢く事態は、やはり深刻らしい。
「でも、君たちの探しているアリサ君と、僕が探しているロヴィーサ。それがまた一緒に行動しているとなると話は早い。目的地は――」
「学院のカルテジアス支部か、あるいは城のどちらかだな」ヒストリカが答えた。「しかし、もう日が暮れる。そのどちらかへ行ったとしても、すでに宿を取っているのかもしれない。もし城に赴いたのだとしたら、城の部屋を借りているかもしれないが……」
「でも、今度のアリサちゃんは都外研修の申請を出していないんですよね? そんな中、支部に行くことができるんですか?」
ケイトリンの質問にウィルが答える。
「支部に行くことはできるんじゃないか。学院生だって分かれば、研修でなくとも建物には入れる。そこで、ヲレンさんを探して話を聞いているのかもしれない」
しかし、今の彼女が事件について追及しているのか。クイーンが一緒なので、どのような状態なのかはわからない。王妃様もハイブリッド事件に関心があって、その調査にも加わる意志があり、それにアリサが感化された場合、どのような精神状態であれヲレンさんの元に向かうという可能性もある。何がどうあれ、アリサもそれを望んでいるはずだからだ。
「ロヴィーサは城には行かないだろうな」
ヘルヴィスは息を吐いた。
「難しいなあ……」
「二手に分かれようか」とヘルヴィス。「一方はカルテジアス城へ、一方は学院の西都支部へ」
「それはいいかもしれないな。じゃあ、ウィルとケイトリンは学院へ。私とヘルヴィスは城へ向かおう」
「それで、どうするんですか?」
「アリサと王妃様に会おう。最終的には合流したいから……そうだな、すれ違ってもいけないから、場所を決めて……」
「それなら、後で僕とヒストリカで一つ、宿を取っておこう。そこを拠点にするんだ。お互い二人を見つけても見つけなくても、明日の朝までにはそこに来ること。それでいいんじゃないかな」
ヘルヴィスは宿の場所と名前を話す。ヘルヴィスと親しい中年の婦人がやっている宿屋だという。ウィルとケイトリンはその場所と名前を頭に叩き込んだ。それから少しだけ決め事をすると、四人は二手に分かれた。
■
私は何も言わないで部屋を飛び出すと、廊下の半ばにあった手洗い場の蛇口をひねって、思いきり咳き込んだ。何も出なかった。しかし、逆流した何かが空気となって口から漏れ、息苦しくて胸を抑えて、しばらく急激に流れて行く水の音を聴いていた。頭がくらくらして、眩暈がした。蛇口が冷たい。指が震える。圧倒的に空気が足りなかった。
「っ……――」
駄目だ。
逃げていたけど、こんなところまで逃げてきたけど、誰かがあの事件の話をして、その光景を頭の中で描いて、まるで何かの映像を見つめるかのようにその動きを再現して見せると、どうしても私の中の何かが煮え切らない思いで反抗しようとした。でも、私は、どうしたいのかわからない。何か、抜けてしまって。でも、きっと抑えつけようとしたのだ。でも、無理だった。何かが湧き上がってきて、自分の体から何かがふわりと分離しそうな何かがあった。
お父さん、お母さん。
ハルカ……。
どうして、殺されてしまったの。
どうして、死んでしまったの。
私、こんなにも弱いのに。クリスティンにあなたたちが死んだことを告げられて、殺されたと知って、なんだかおかしいの。いろんなことが……私、こんな風になるだなんて思ってなかった。もっと簡単だと思った。自分のことも、体のことも、復讐も。もっと簡単に、私が求め続ければ、いつか絶対、そしてきっと確実に復讐は成し遂げられるんだって。でも、全然そうじゃなかった。複雑で、私だけの考えだけが渦巻いているわけじゃなかった。もっと、もっといろいろなことが隠されていて、それを誰かが隠そうと必死で、でもやっと明かされたらまた苦しめようと襲い掛かってきて。何もかも予想外だ。こんなの、知らない。あんなに苦しんで苦しんでここまで来たのに、まだ苦しいまま、わからないまま……修行している時の苦しみとは違うけど、でもずっと分からないことが増えて、知らないことも増えて、それに踊らされて。折り合いが付けばいいのに、でも、体が思い通りにならないの。こんなの、嫌なのに――有り得ない。何をしているの、私は。何をやってるの……今まで何をしてきたの。馬鹿だ。こんなことで、折れるなんて。
部屋から追ってきた二人は、私を見て切なそうにした。
「ご、ごめん。無闇に喋って……えっと、配慮が足りなかった」
ヲレンさんは申し訳なさそうに謝った。彼の言葉は、とても優しかったが、質問に答えるその言葉が、まるで冷たいナイフがじわじわと私を追い詰めるように、様々なことを思い出させたのは事実だった。私が両親の死を知って、容疑者の一人と話すのは初めてだったから、きっと動揺して、こんなことになった。それに、いろいろな要因が重なり過ぎた。今の私は、何をやっても駄目だ。どうしてこんなことになったのか、わからない。弱い、なんて弱いの……。
「ごめんなさい……私が勝手に、動揺しただけですから……」
口元を押さえて、ゆっくりと立ち上がる。
クイーンは眉を寄せると深刻な表情で私に近づき、頬と額を押さえた。それから、振り返ってヲレンさんに言った。
「あの、どこか開いている部屋はありません?」
「部屋ですか? どういった部屋でしょう」
「女二人が寝泊まりできる部屋ですわ」
「それを男の僕に、き、訊くんですか?」
「お願いします」
「た、確か研究室の女子が、女子寮の隅の部屋が一つ空いてるって話をしていたような……」
■
「私と一緒ということは、私を守ってくれるのか?」
「そうか。僕とヒストリカとなると、まともな攻撃魔法を使うことのできる人間がいないね」
ヘルヴィスの魔法は癒し――治癒の気質である。
魔法は血統ではない。父親が水気質であっても、子どもが炎気質であることもある。魔法は個人の資質であり、才能である。王家の人間も代々様々な気質を持ち得ていたが、治癒気質はそもそも扱える人間の絶対数が少ない。ヘルヴィスはその中でも久方ぶりの治癒魔法の王となった。しかし、治癒魔法は逆に攻撃に使用できないという弱点もある。ヘルヴィスはその弱さを剣術に当てることでカバーしたが、実際熟練の攻撃魔導士とは差が生じるのも事実だった。ヒストリカは魔力が失われ、かつ剣も怪我のため扱えない。今この場において戦闘が出来るのはヘルヴィスだけである。それも、剣一本だ。
「もちろん、お前の実力を疑っているわけじゃないが……」
「ああ。でも、その――二人の子どもや、ハイブリッドのこと、学院の刺客みたいに、いつ襲われてもおかしくない状態だ。突然僕のような王を襲って、戦争の口実を作るなんてことも、パーシヴァルなら考えそうだしね」
「襲われたら、私は一目散に逃げるぞ」
「それで、今までどうやって森の中の一軒家で過ごしてきたんだい? 学院が何らかの策を講じるなら、一人暮らしの君を一番最初に狙うと思うのだけど」
「魔法も剣も使えない女なんて放っておくだろうさ。でも、まさか弟子を作っていたなんて思わないだろう。学院はびっくりだろうな。入学式で、いきなり学院の隠蔽工作を暴露するんだから。大した弟子だよ」
「アリサ君か。ロヴィーサも会いたがっていたから、今頃は話が弾んでいるだろう」
「その奥さん放って、別の女とゆるゆる散歩か……」
「今、その奥さんを探している最中なんだけど」
「冗談だ」
「そういう冗談はロヴィーサの前では言わないでくれないかな。あれで嫉妬深いというか、根に持つんだ」
「可愛らしいなあ」
「可愛いだろう?」
「しかし――いいのか」
「何が?」
「お前たち夫婦がこの問題に関わるだなんて、思ってもみなかった。深刻なんだな」
「思った以上に。それはまあ、君も予測できたことだろう?」
「戦争にはしたくないな」
「そのために僕たちは動いているんだ。パーシヴァルに交渉を持ち込みたい」
「カルテジアスとヘルヴィニアの騎士団で連盟を作って、武力介入か」
「もちろん準備はしよう。しかし、戦いはしない。こちらはパーシヴァルの計画に対して十分に対応する用意ができていることがあちらに伝わればいい。パーシヴァルが下手に今動けば返り討ちにされると考えてくれればいいんだ」
「本当にそれだけか?」
「もちろんそれで済めばいい。だが、それで収まらなかった場合の準備だ」
「ヘヴルスティンク魔法学院の兵力は――」
「教師陣、あるいは教育者、パーシヴァルの賛同者辺りだと思う。どれくらいだろう。でも、本当に戦争になったら、僕たちとカルテジアスの連合軍には勝てないだろう」
「だが、あちらにはハイブリッドがいる」
「――――その話は」
ヘルヴィスがヒストリカを見つめた。
「その話は、アリサ君には……もうしたのかい」
ヒストリカには、まだ話していないことがあった。『ハイブリッド』に関して。正確に言えば、ハイブリッドと名のつくよりずっと以前にある伝承の話である。この話をするべきか否か、自分の弟子であるアリサの修行の姿を見据えながら考えた。結局、全ての情報が味方になるのなら話すべきだったのかもしれない。しかし、話すことも憚れるないようだった。それでアリサの復讐の足枷にならないか、心配だったのだ。彼女の心に何らかの遮断を与えてしまうような気がしてならなかった。
「だが、やむを得ない。まさか、アリサの両親まで犠牲になっていたとは」
「うん。それこそ、伝えるのは難しいけれど」
「そうだな……きっと落ち込むだろう。話していいものか」
「でも、いつかは話さなければ。ここまで事態が大きくなったんだ。アリサ君がこれからもハイブリッドを追い続ける選択をするなら、やはり話しておくべきことだ」
「……ああ。しかしヘルヴィス、重要なことが一つある」
「何?」
「ハイブリッドは、誰なのか」
「……残念ながら、僕は知らない。ロヴィーサも同様だ。きっと、それを知っているのは――パーシヴァルか、クリスティンだけだろう」
「誰なのか分かれば、いくらでも対策は立てられるが」
「しかし、ハイブリッド候補は学院生だ。うまいことやったねパーシヴァルは。だって、もし監視を付けても、それが見つかれば学院は城を糾弾するいい口実にするだろう。そういう拮抗状態だし、それを狙って、敢えてハイブリッドを生徒にしたのかもしれない」
ハイブリッドが六人の中に紛れ込んでいる。その一人は教師だが、彼は最初から学院側にいるとすればすでに手籠めだ。では残りの五人はどうするか。学院は実技試験の最中で中断したにもかかわらず、五人とも合格にした。もちろん五人の成績がよかったのかもしれないが、『学院生にすることで様々な面から守ることができる』メリットを取ったのだ。世間は五人の中に殺人者が紛れているとは知らない。城が騎士に一般学院生を監視させていたと公にされては城の信用も落ちる。学院は堂々とハイブリッドを自分の陣営に持ち込むことができるのである。
「誰なのか、見当は付くか?」
「それであってもよくはないね」
「そんなことはわかっている。だが、いつかは殺すんだぞ」
「ああ。しかし、どんな証拠をもってすれば、誰がハイブリッドだと特定できるんだ?」
■
「ウィルさんの魔法気質は?」
「俺は風。ケイトリンちゃんは……」
「雷です」
「雷――か」
ウィルは近場の店先で売っている果物に視線を向けて、それを買いに来た風貌の女性たちに目を向けた。もう晩御飯の時刻だ。マーケットは賑わい出している。まだ日は沈んでいないが、軒先の電灯が光り出して眩しい。
「ハイブリッド候補の先輩方は、皆雷気質なんですよね」
「そう。だからって、どうとういうことはないと思うけど」
「そうですか?」
「だって、ハルカさんを殺したのは炎だからな」
「炎――アリサちゃん……」
「あいつにとっては、雷を相手取るよりも、炎と向き合う方がよっぽど苦しいだろう。兄を殺した炎が、自分にも宿ってるんだからな」
「それは違います! アリサちゃんの炎と、犯人の炎は一緒じゃないですよ!」
これはアリサもびっくりするような女の子だとウィルは思った。アリサの一番傍にいたのは自分か、あるいはヒストリカであろうけれど、きっとこんな言葉は言えないだろう。自分がアリサにどれだけの言葉を掛けてやることができたのか、一つ一つ思い出すことはできないが、こんなにも素直で真っ直ぐな言葉を、真面目な顔で言えるなんて。アリサが今まで浸かってきた環境を考えれば、途轍もなく異質で、緊張してしまうのかもしれない。だからこそ、受け入れるか、あるいは拒絶するかの二択しかなかった。恐ろしかったのだ。でも、拒絶するにふさわしいくらい、アリサの中で、ケイトリンの存在が大きいと言うことでもある。大したことのない相手ならば、おおみえきって拒絶して、揺らぐ必要もないからだ。
「何度も言うけど、君がアリサの友達になってくれてよかった」
■
ウィルとアリサは学院の支部に辿り着いた。堅牢な建物だ。ロビーから入ると、ちょうど夕方の時刻のために、演習を終えた学院生たちが疲れた様子で、そしてこれからの夕食を楽しみにしたような空気を醸しながら歩いている姿が目に入った。ウィルとケイトリンは部外者だったが、ある程度の人数のためにそれほど目立つことはなく、ウィルはそのままロビーの受付にいる教師の元へ歩み寄る。今回は都外研修ではないが、尋ねるくらいならば大したことではない。
「すみません。僕はウィルフレッドと申しますが」
「はい」
「ここに、誰かが訪ねてきませんでしたか? ――例えば、ヲレン・リグリーさんがどこにいるのか、と尋ねてきたような」
「ああ。ちょっと前に来られました。ヲレン君を探していて……裏の射撃場へ案内しましたけど」
やっぱりアリサはこっちに来ていたんだ。そうなると、王とヒストリカさんは無駄足だったことになるけど、それは二手に分かれたのだから仕方がない。約束通り、アリサを探さなければ。もちろん王妃も。
「そうですか。でも、それって演習の時間中のことですよね? となると、今はもうそこにいないから……ヲレンさんの寮の部屋はどこですか?」
「男子寮へ入って……最初の廊下の真ん中辺りですね」
「ありがとうございます」
二人はそこから離れる。
「ケイトリンちゃん、どうする? 男子寮まで行く?」
「えーっと、アリサちゃんもそこにいるんでしょうか?」
「いるかもしれないし、いないかもしれない。まあ、男の部屋に行くのはいろいろとあれか」
「行きます! アリサちゃんがいるなら」
「でも、確実に会いに行ってるはずなんだよな……いなくても、ヲレンさんに場所を教わろう」
男子寮らしい方向へ二人は歩き、途中で支部の学院生の奇異な視線に時折ケイトリンが俯くも、意外とあっさりヲレンの部屋は見つかった。ノックをする。はーい、と中から返事が聞こえて、すぐに男が出てきた。粗野な格好で、自由時間を満喫していたように見える。ローブすら着けていない。
「誰?」
「僕はヘルヴィニアから来たライツヴィルと言います。ヲレンさんですか?」
「いや、俺は違う。ヲレンは確かに同室だけど」
「そうでしたか、失礼しました。それで、ヲレンさんはどちらに?」
「んー、なんか今日の演習が終わってから女の子となんか顔の見えないフードの二人組に呼びとめられてな、どっか行っちまった。まだ帰ってきてない」
アリサだ。
「どこにいるか検討は付きませんか?」
「わかんねえなあ。でも、ここまでもたつくってことは、なんかやってるんじゃないか」
「でしょうね。ありがとうございます」
男はドアを閉める。
ウィルは息を吐いた。
「弱ったな。部屋に帰っていないとは」
「どこにいるんでしょう?」
「部屋で話をしていると思ったんだがな……でも、学院に来ていたのは確実だ。すでに話が終わって街のホテルの部屋にいるかもしれないけど、だったらヲレンさんが部屋に戻っていないのがおかしい。ヲレンさんが部屋に戻っていないということは、まだ話をしている最中ってことだろう」
瞬間、大きな音が響き、寮が震えた。
■
二人はカルテジアスの城へと辿り着き、会話を中断すると、門番らしき兵士に話しかけた。
「僕はヘルヴィニアからやってきたヘルヴィスと言います」
「はっ。ヘルヴィス王でいらっしゃいますか」
「そうです。お聞きしたいのですが、こちらにロヴィーサはやってきていませんか?」
「ロヴィーサ王妃様はいらっしゃっています。王の間におられます」
ヘルヴィスは振り返り、ヒストリカと視線を交わす。どうやらこちらに来ているようだ……しかし王の間? ロヴィーサはアリサと一緒にいるはずだ。アリサは一緒じゃないのだろうか。それとも、二人で王の間に招かれているのだろうか。しかし、来ているというのならそうなのだろう。ヘルヴィスとヒストリカは門番に話を通して、城へ入った。
「カルテジアス王に会うのは久しぶりだ。緊張するよ」
「ヒストリカ、君でも緊張することがあるのかい」
「私が戦えなくなる前に、カルテジアスの精鋭隊にいたのは知っているだろう。その頃にお世話になった王様だからな」
二人は先ほどの門番に話を通して、堀に掛かった大きな橋を渡って、城の大扉を開けてもらった。それから、赤い絨毯の敷き詰められた大広間、その左右から上の階へと直角を描きながら伸びている階段を上る。そこかしこに立っている武装した兵士が、ヘルヴィスの顔を見て度々お辞儀をする。
「完全に王様だな」
「それはそうだ。僕は王様だからね」
「出世したなあ」
「貴族は世襲制だよ」
「真面目に答えなくてもいい」
ある程度廊下を歩き、最深部の方へ入っていく。カルテジアスは大きな城で、今は少し追いついたところもあるが、昔は軍事国家として非常に荘厳な城の佇まいで、敵が侵入したところで迷ってしまうかのような複雑な城だった。その名残が今もここにある。ヘルヴィスは慣れた様子で廊下を歩くが、初めて訪れた人間は、どこに王の間があるのかわからないだろう。ヒストリカも何度か訪れたが、それは案内があったためであって、自分一人で王の間へ訪れる自信はない。
だが、王の間が近づく頃に、ヘルヴィスが唸る。
「兵士がいないような気がする」
「――――確かに、王の間に近づいたら、もう少し警備は厳しくなってもいいようなものだが」
廊下の中ほどの大扉が王の間だが、この廊下一直線に兵士が一人もいなかった。
「ヒストリカは剣を持っていないんだったね」
「持っていても使えない。料理をしたりとか、軽いことならできるが、ある程度重くなると指の力が足りない」
「そうか」
「だが、確かにこれは…………」
二人は駆け出して、王の間の大扉を押し開けた。
■
「カルテジアス王――」
玉座の前に立ってる初老の男。
「ランドル殿、久しぶりですね」
「……ヘルヴィスか」
重苦しい声だった。ヒストリカはヘルヴィスの後ろを付いていくように王の間へゆっくりと侵入する。大扉が大きな音を立てて閉じた。赤い絨毯と、巨大な柱が左右に整列して高い天井に到達する。それ以外には何もない、そして三人以外には誰もいない空間だった。ヘルヴィスは玉座から一定の間合いで立ち止まり、ランドルに話しかけた。
「そして、そちらは……ヒストリカ。久しいな」
「ランドル様。お久しぶりです」
「変わらないな」
「何しろ、森で引き籠っておりますから。苦労はしておりませんので、そのように見えるのでしょう」
「何を言う。おぬしは現役の頃は、随分と苦労した。悪魔を倒したではないか」
悪魔型、デモンズヘッドか。
クレイドールではもっとも強い形のもので、人間の二倍くらいの大きさではあるが、凶暴で、ただ腕を振るうだけでも随分な威力がある。大きな翼を持っていて飛行能力にも長けているし、長い爪や異様な牙は見るものを恐怖させる。ヒストリカはカルテジアスの精鋭隊時代に悪魔型と戦闘し、奴を倒したものの、その戦闘の怪我が原因か、魔力を完全に失い、怪我のために剣は持てなくなった。体の外観は完治しているが、激しい動きもできなくなってしまった。
「あれは私の力と言うよりも、皆の成果です。どういうわけか私がまつりあげられていますが」
「しかし悪魔は、ヒストリカ、お主がいなければ倒せなかったろう」
「ありがとうございます。しかし」
様子がおかしい。
世間話をしている場合じゃない。
「今回は思い出話を語っている余裕はないのです。――ヘルヴィス」
「うん。ランドル殿。――ロヴィーサはどこにいるのです?」
そう、この部屋に入ってから、ランドルとの会話のために仕方なく言葉を発するしかなかったが、二人ともそのことが気になっていた。王の間にいる。あの門番はそう言った、はずだった。だが、そんな姿はどこにもない。そして、一緒にいるはずのアリサもだ。ここにいるのは、ランドルとヘルヴィス、ヒストリカの三人だけだった。
「…………」
「ランドル殿」
「すまん、すまんな……」
カルテジアス王は眉を寄せた。
「ランドル殿――どうしたのですか」
「王妃はこちらには来ていない」
「ランドル殿……?」
瞬間だった。
後ろの大扉が勢いよく開き、武装した兵士たちが雪崩れ込んできた。瞬時にヘルヴィスとヒストリカを取り囲み、二人は背中合わせになる。ヘルヴィスは剣の柄に手を触れて、今にも攻撃をする恰好になったが、困惑の表情を隠し切れなかった。
「ランドル殿! これはどういうことなのですかっ!」
「どうも何も、ランドル殿は――つまり、カルテジアスは、ヘヴルスティンク魔法学院と手を組んだということだ」
雪崩れ込んだ兵の、またその後ろ、大扉からやってきたのは。
銀色のローブに身を包んだ、やはり初老だが、全てにおいて厳格な空気を身にまといながらも、顔に不敵な微笑みを浮かべた男。カルテジアスの兵が彼を避け、彼はヘルヴィスとヒストリカの前に立った。
「パーシヴァル殿……なぜ、あなたが」
「今話した通りだ、ヘルヴィニア王」
「カルテジアスと学院が手を組んだ……? ランドル殿、本当なのですか!」
ランドルは目を逸らした。
ヒストリカはヘルヴィスと同じように視線を辿り、状況に唇を噛んだ。
馬鹿な。
騙されたのか!
なぜだ。
しかし、その後ろめたい表情は……まさか、何か弱みを握られているのか。堂々としていればいいものを、そしてランドルの意志であればこのような回りくどいことは……もちろん騙して、自分とヘルヴィスを追い詰める手筈だったのだろう――いや、私は偶然来たのだから、本来はヘルヴィスとロヴィーサ……ヘルヴィニア王と王妃を捉えるということは、そのままヘルヴィニアの全権を掌握することだ。そして、ここでカルテジアスを籠絡すれば、それはそのまま全大陸を掌握したことに繋がる……その操り糸がパーシヴァルだったとするならば。ここで奴の登場もあり得る。
まさか先手を打たれていたのか。ヘルヴィスは、このカルテジアスに学院と対抗するための連合軍を作るためにやってきた。協定を結ぶためだ。ロヴィーサがはぐれたために代わりに自分がやってきたとはいえ、しかし、いざやってくればこのような事態になっているとは――真逆の結果……完全に真逆だ……。
「ヘルヴィニア王、大人しく負けてはくれないかね?」
「負け? 戦争など始まっていないでしょう」
「これから起こるのだよ。我々は勝つ」
「パーシヴァル――貴様は何を考えているんだ」
ヒストリカが割り込んだ。
「これはこれはヒストリカ嬢。久方ぶりだね」
「貴様に名前を呼ばれる筋合いなどないな。聞こう。貴様の勝利とはなんだ? ヘルヴィニアとカルテジアスを手中に収めて天下取りのつもりか」
「それもよいな。考えておこう」
「その程度ではない、と?」
「知る必要もないことだ」
「パーシヴァル、貴様は動きすぎだ。教育者がそこまで悪に手を染めすぎて、学院の信用を失うとは考えないのか」
「あれだけの規模の学院が一切の信頼を失うなど有り得ないと思わんか。現代は魔法の時代だ。学院無くして魔法の発展はありえない。時代は学院が担うものである」
「狂っているな。『ハイブリッド』を味方に付けて、つけあがったのか」
「それこそ、知る必要のないことだ」
煙に巻く事すらできないか、この余裕の男は。明らかに状況はあちらが優勢だ。ヘルヴィスの剣一本で、このカルテジアス兵を凌ぎ切れるか――それに、パーシヴァルもいる。奴は魔法の使い手だが、学院トップに恥じぬ優れた使い手でもある。ヘルヴィスは剣の達人ではあるが、この人数では――くそっ……ヒストリカは拳を弱い力で握る。なぜ、自分に魔法がないんだ。剣がないんだ。どうして失った……悪魔を倒したのは結果として良いことだった。しかし、実際に戦う場面が再び訪れて、その時に自分がこれほど無力だとは……。今ここで自分が戦えたとしても、もちろん勝てるなどと自惚れているわけではない。だが、これではヘルヴィスの枷になっている――……。
カルテジアスの兵たちが槍を構えた。
ヘルヴィスが剣を抜く。しかし、勝算がないことは一瞬で分かった。
どうすれば――。
二人が奥歯を噛み締める、その時間の隙間を縫うように、王の間の天井が爆発した。鋭い音だった。煙が針のような勢いで部屋を満たして、瓦礫が兵士たちの上に落下し呻き声が響く。パーシヴァルは慌てることなく佇んだままだったが、ヘルヴィスとヒストリカは口元を押さえながら咳き込み、それから爆発元らしき天井側に視線を向ける。同じように入り込んだ風が煙を吹き飛ばすと、天井に開いた円形の穴の淵に、少女が佇んでいた。
「パーシヴァル、見つけた……」
こちらを見下ろす、冷たい瞳。
あれは……。
ヒストリカは、ウィルから聞いた話を思い出す。パーシヴァルを憎む、少女。
あれが、メリアか!




