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私服の罪人①

「おお、アリサ」

「ウィル」

 入学式が終わり、荷物を持って廊下を歩いていると、ウィルがやってきた。彼は私よりも上級生だから、纏っているローブの肩に付けられた腕章の色が違っている。廊下にはそれなりに人が溢れていたが、ちらちらと私を窺う視線は否めない。当然のことではあった。そのことに気付いたウィルも、少しだけ辺りを気にして、私に向かって口を割る。

「ところでアリサ、お前、入学式で爆弾発言したって本当か?」

「本当よ」

「何やってんだお前……あまり口外すべきじゃない事だろうに。どこまで喋った?」

「ハルカが殺されたこと。犯人がハイブリッドだということ。あとは……学院を潰して、犯人を殺すこと」

「うーん……」

 彼は顎に手を添えた。

 ウィルフレッド・ライツヴィル。

 彼は私より四歳年上で、この学院の四年生である。気質は風気質。少し複雑な事情があって、彼とは前々から交流があった。私がこの学院に入学した理由――つまり、私の兄を殺した犯人に復讐をすること、そして学院を潰すということ、その理由について理解しているのは彼だけである。同時に、彼もまた一つ、この学院のことを快く思っていないのだ。

「まあ、事件の根幹は喋っていないようだな。まあいっか」

「別に私も、何の考えも無しに口走ったわけじゃないのよ」

「嘘を吐け。おおかた、壇上横の職員席にパーシヴァルの顔が見えたから、収まりがつかなくなっただけなんじゃないのか?」

「それもある」

「あるのか」

「でも、そうじゃないの」

 私があんな宣戦布告まがいの言葉を言ってのけたのにも理由はある。もちろん、彼が言ったことも一つの理由だ。もうちょっと温厚な言葉は選べたのかもしれない。こういうところが良くないと、いつもウィルに言われている。暴走しがちなのだ。別に、周りが見えていないわけじゃない。けれど、ああして壇上に上がった時、パーシヴァルの顔が視界に入ってしまい、どうにも収まりがつかなくなったというのは一理ある。学院長の顔は知っていた。彼は国の政治にも介入しているし、ヘヴルスティンク魔法学院の勢力を考えても、その頭にいるパーシヴァルの存在は今や知らない者はいない。しかし、同じ空間を共有したのは初めてだった。いつも遠くから見ていることしかできなかった。そして、奴もこちらを見ていない。それでは意思が伝わらなかった。だから、新入生代表として壇上に上がった時、パーシヴァルがこちらを見ているのに気付くと、ここで何か一言、恫喝のような、そして、宣戦布告のような言葉を吐かなければならないと、心の内側にある衝動が、性急に唸ってしまったのだ。だから、あのような言葉をわざわざ告げてしまった。もう少し、穏やかに告げようとは考えていたが、壇上に上がると一切真っ白になり、かなり攻撃的な言葉になってしまった気がする。そこはまあ、仕方がない。

 とはいえ、揺さぶりを掛けることはできたと思う。

「見てみなさいよウィル。皆、けろっとしているわね……」

 私たちの周りを動く、大勢の生徒たちに視線を向けた。

 先ほどの私の言葉が怪しくて、こちらをちらちらと見る人もいれば、私みたいに知り合いの先輩と相対して入学の喜びに体を跳ねさせる人もいる。寮に向かう人や、これからの予定に歩みを進める人もいる。ウィルも私と同じように彼ら彼女らを見た。殊勝な視線を瞳に宿すと、私も、まったく八つ当たりだとしても、少しだけ憤りを覚えずにはいられない。

「ハルカは死んだ――殺されたわ。五年前に、この学院の入学試験で。だけど、同じように入学試験を受け、そして合格した私たち新入生が、彼の死を知らずに、今ものうのうと笑っている。なぜ……? それは、学院がハルカの死を隠蔽したからよ」

「そう、だな」

「別に、同級生たちが憎いわけじゃないわ。彼らには何の罪もない。ただ、知らないという状態が私を苛むの。彼らが笑っていると、この学院の陰謀のようなものが見え透いて……どうして皆、ハルカの死を知らないんだろうって、恐ろしくなるのよ。だから、彼らに事件があったと訴えることは、学院への反抗の一つでもあるし」

「でも、あまり深いことは言っていないんだろう?」

「深くない方がいいと思って。『関係者だったら意味が分かる』くらいの言葉の方が、学院は揺れるでしょう?」

 もっと詳細に、学院のことを開け放しても良かった。私の兄が試験中に殺されたことも言っていないし、その事件が学院に隠蔽されたことも告げていない。犯人がハイブリッドであること、そして殺されたハルカの妹がこの私であるということ。そして、私の目的を告げただけだ。長々と喋っても、きっと誰も気に留めないだろう。学院に揺さぶりをかけるには、まだ大きな行動に出るのは早すぎる。あれくらいでちょうどいいのだ。『どこまで詳細を知っているんだ?』と思ってくれればいい。そして、同級生たちには少しばかりでも心にわだかまりが残れば……。

 ウィルは頬を掻いた。

「あまり無茶はするんじゃないぞ。今度のことも事前に相談しといてくれればよかったのに」

「ごめんなさい」

「……まあ、いいけど。それより荷物、寮に運ぶんじゃないのか?」

「そうだったわ。またあとでねウィル」

「ああ」







 私の兄、ハルカ・フレイザーは五年前に死んだ。

 殺されたのだ。

 そのことを私たちに知らせたのは、一通の手紙だった。

 差出人は、ターナー・ライツヴィル。

 ウィルのお父さんだ。






 いつまで経っても帰ってこないハルカを、私は迎えに行った。

 私には、両親がいなかった。

 祖母も、親戚もいなかった。

 だから幼い頃から、私には兄しかいなくて、兄だけが私の家族だった。ハルカはとても頭のよくて、才能に溢れた人だった。穏やかな性格をしていたけど、するべきことはきちんとするし、そのどれもが完成度の高いやり遂げ方をしていたから、魔法学院の予備校ではすごく高い評価を得ていたし、学院のトップ入学は確実だと言われていた。私はそんなハルカが誇らしかったし、彼と一緒に暮らすことには何の不自由もなかった。両親がいる家よりも、ハルカがいてくれる家の方が、もしかしたら幸福でいられるのかもしれないと思った。

 ハルカは魔法学院の試験を受けた。たった二人だけの家族なのに、一人が学校に通いだしても大丈夫なのかと言われていたけど、両親の遺産はたくさんあったし、ヘヴルスティンク魔法学院は比較的自由で、生徒の拘束もそれほど厳しくない。成績が良ければ特待生になれるし、ハルカにその素質は十分にあった。それに、ハルカが遠くに行ってしまうなんてこと、考えもしなかったのだ。学校が終われば家に帰ってきて、一緒に食事を作る。家事も一緒にする。それくらい当たり前のことが、消えてしまうなんてことは有り得ないと、私は甘えるように考えていて、だからこそ、あの日もそうだと信じ切っていた。

 試験の日の朝に、変わったことなんて一つもなかった。

「がんばってね」

 私はそれだけ言って、学院へと歩いていく兄を見送った。

 今までと同じだった。

 だから、その後も同じだと思うなんて、間違いだったのだ。



 

 いつの間にかお昼寝の延長でソファに沈んでいた私は、夕方の不安定な紫に窓が染まっているのを悟ると、おかしいなと思った。試験はお昼過ぎに終わるはずなのに。どこかで寄り道でもしているのかなと、どうにもハルカのいる気配がない家をうろうろしながら考えた。力を出し切ったから、予備校の先生の所に挨拶に行っているのかもしれない。きっとそうだろうと思った。だから少しだけ食事の準備をして、あとは適当なことをしてハルカの帰りを待つことにした。

 だけど、帰ってこなかった。

 窓をじっと見つめていると、雨が降ってきた。私は駆け出すようにして家を出ると、予備校へ向かった。魔法学院に入学するための学科試験の勉強は、基本的にこういった場所で受けるのが普通だ。もちろん独学で学んでも構わない。大陸に存在する認可の教育機関は、ヘヴルスティンク魔法学院しかないので、そこに至るまでの道のりは各々自由だ。ハルカも例に漏れず、この王都ヘルヴィニアの一番大きな予備校に通っていた。

 予備校に訪れると、そのまま雨に濡れてハルカの恩師に会った。

「ハルカは来ていませんか」

「ハルカ君? いや……それよりも、今日が試験だったんじゃないのかい?」

「そうなんですけど」

「まさか、帰っていないの?」

「いえ、多分寄り道しているんだと思います……すいません」

 私はすぐに予備校を出て、学院へ向かった。

 学院は真っ暗だった。

「…………」

 完全に試験は終わっていた。

 他にどこに寄り道する可能性があるのだろう。どこかですれ違ったのか。それとも……。

 私は校門の前に座り込み、ハルカを待った。

 雨は冷たかった。



 それから夕方が終わり、夜になった。

 それでも、ハルカは現れなかった。

 家に戻っているのかな。

 逆に私が、ハルカを待たせてしまっているのかな……。

 そうだといいな。

 一度家に戻った。

 けれど、家は真っ暗だった。

 ハルカがいない。

 どこにも……。

 私はもう一度予備校に行った。

 だけど、予備校はもう真っ暗だった。

 どこも、もう真っ暗。

 建物のあかりは、もう団欒のような温もりに変わっている。

 だけど、私の家はまだ。

 もう一度学院の校門へ向かった。

 でも、やっぱり誰もいなくて。

 暗かった。

 雨はまだ、私の体を打っていた。

 そんな時。

 カンテラを片手に歩み寄ってきた人がいた。

「……君は、そんなところで何をしているんだ?」

 茶髪の男の子だった。

「……兄が、いないんです」

「兄?」

「帰ってこなくて……今日が、試験だったのに。もう終わってる、はずなのに」

「……奇遇だな」

 彼は優しい微笑みを見せた。

「俺の親父も帰ってこないのさ。親父は教師だ」





 それから私は彼の家に連れて行ってもらった。

 ウィルは私に温かい飲み物を出してくれて、静かなダイニングで向かい合っていた。

「俺はウィルフレッド……ウィルフレッド・ライツヴィル」

「アリサ・フレイザー」

「アリサちゃんか。いくつ?」

「ちゃん付けはやめてほしい、です。十歳です」

「あ、そう。えーっと、俺は十四歳なんだ。来年、学院を受ける」

「そう、なんですか」

「お兄さんの名前は?」

「ハルカ・フレイザー」

「そうか……まあ、聴いたところで、別に知り合いじゃないけど」

「そうですか」

「まあ、お互い身内が帰ってこないんだし、ゆっくり……」

「…………」

「じゃなくて……そうだなあ。気長に待とうよ。この家のものは、何でも使っていいぞ」

「もしかしたら、もう家に帰っているかも」

「かもね」

「帰っていいですか?」

「ここから近いの?」

「はい」

「そうか……でも、あまりいい感じがしないな」

「いい感じ……?」

「なにか変だ。俺の親父は教師だけど、もうちょっとちゃっかりしてる。こんなに夜遅くなったことはないし、もし試験の残業で不手際があったとかで長く掛かりそうなら、一度家に帰ってくるのさ。この家は学院から近いからな。昼休みなんか、一度家に帰ってくることもあるくらいだから。なのに、こうも帰ってこないっていうのは……」

「おかしいってこと?」

「おかしい、すごくおかしい。こんなことは初めてだ」

「じゃあ……じゃあ、どうするんですか。このまま、待つんですか」

「どうかなあ。あ、俺には敬語は使わなくていいよ。待つか……でも、学院は真っ暗だったよな」

「真っ暗、だった」

「あれって、どういうことなんだろう。教師は皆、帰っているってことでいいのか。別の場所にいるのかな」

「でも、校門は閉まってた」

「うん。あれは入れないな。いざとなったら力付くで、だけど……」

「そんなことして、いいの?」

「良くないな。もし親父が無事だったとしても、教師の息子が不法侵入したなんて、ちょっとね」

「じゃあ、どうするの?」

「どうしようもない。待つしかない」

「…………」

「アリサはどうする?」

「一度家に帰る。帰ってるかもしれない」

「そうだな。もしお兄さんがこんな遅くに戻っていたんなら、親父の事も何か知っているかも……」

「来るの?」

「そうだな。まあ、こんな時間だし送っていってやるのも含めて付いて行こう」





 私は入学式の前に渡された生徒用の茶色いローブを纏いながら、廊下を歩いた。私の顔に気付くと、廊下ですれ違う人たちは皆、すっとその身を翻すようにして私を避ける。それから近場の人と耳を寄せ合い、ひそひそと何かを囁き合うのだった。当たり前か。この廊下を歩いているのは、今から一人ひとりに割り当てられた寮へと向かっている最中の同級生――つまり、先ほど私の大仰な挨拶を聞いてしまった新入生たちなのだ。私に対して妙に警戒するのも仕方がない。変な奴だから近づかないでおこうと距離を取るのも当然なのだ。それくらいのことを私はやった。それだけの言葉を吐いたのだ。

 それでも構わないから、結果的によかったのかもしれない。

 私はそんな廊下を通り抜けて、事前に案内されていた女子寮へ向かった。

 さすがに大陸最大の学院であるから、校舎自体も随分と大きい。それに見合う形で隣接された寮も、それはもちろん大きかった。学院の姿かたちに似せられて造られた寮も、それはそれで荘厳な様子で佇んでいる。しかし、あまり用もないだろう。とりあえずは適当に持って来た荷物を割り当てられた部屋に運ぶだけだ。この本校舎にもそれほど居座る予定はないし。

 女子寮の四階に上がり、片側の壁にずらりとドアが連なった廊下を見据える。それからドアに架かった札番号を注視しながら歩き、言われた通りの部屋の前で止まった。預かった鍵でドアを開ける。

 入ってすぐ短い廊下があり、片方にキッチン、片方にお風呂がついている。部屋は思っていたよりも広く、綺麗だった。

 不満を一つだけ述べるとすれば、それは相部屋だということだ。

「相部屋か……あまり人と話をしたくないのに」

 扉を閉め、私はふっと溜め息を吐く。左右に一つずつベッドがあって、勉強机も二つある。ちょうど部屋の中央に鏡を置いたみたいに、様々な家具が左右対称になっていて、それがこれから二人の人間を受け入れる用意だと考えると、少しだけ嫌な気持ちになった。一人部屋はこの寮にはない。こうして生活を共にするということに、空虚な思いしかなかった。すでに心は決まっている。だからきっと同居人も、私の事を奇特な目で見るに違いないと、それを知っているのに、それを回避せず受け入れなければならないということがあまり快くない。どうせそれほど寮に帰らないとしても、会話することさえ億劫に思えてしまう。

 私は扉の前から動き、適当な場所に荷物を投げた。大したものは入っていない。どうせ制服は茶色いローブで、その下は人に見られるわけでもないから、服も数さえあればいいとしか考えていなかった。ベッドを確認した後、お風呂を一応見ておいた。それから部屋に戻り、木彫りの扉がはまっている窓を開けた。学院の外が見えた。ここは四階で、見えたのはたくさん並んでいる魔法の練習場ばかりだった。景色が良いことを望んでいたわけじゃなかったから、あまり関心はしなかった。ただ、あまり窓を開けないようにしようとは思った。件の練習場が視界に入る度に、胸の奥に燻る何かを諌めなければならないからだ。

 私の兄……ハルカはあそこで――殺されたのだ。

 





「お風呂、湧いたから――まあ、自由に入ってくれ」

 私は床のなんでもない一点を見つめ続けるくらいのことしかできなかった。

 ハルカは帰っていなかった。

 どうしてなのか、わからなかった。

 こんなこと、今までずっとなかったのに。

 連絡もないなんて。

 結局、ウィルフレッドさんの家に泊めてもらうことになった。彼はこちらにあまり深く入り込んでこなかった。私に質問はしたけど、それが無理に場を和ませようという意図の物なのは、簡単にわかった。彼もまた、不安だったのだ。お父さんが帰ってこない。父親代わりの兄が帰ってこないのだから、状況は似ていた。彼もまた、父親と二人暮らしだったのだ。彼は基本的には笑っていたのに、私を気遣った言葉の後、ふっと神妙な顔つきになる。何か別の事を考えていて、そのことにひどく思い詰めているような。私のように、怯えてばかりではいなかった。けれど、彼も思考の宛がい場所に戸惑っていたのだ。帰ってくるはずの人が帰ってこない、どうしようもない空虚な感触に、ただ無理やり言葉を捻りだして、私の相手をしているだけなのだ。

 でも私は、そんな彼の不安を気遣う余裕さえなかった。

 自分の中に、ただ怖さばかりが芽生えて。

 不安定な非日常に、怯えた。

 彼にお風呂を借り、ご飯も食べさせてもらった。会話はあったけれど、虚しかった。すぐに途切れた。

 二人とも、思考が明後日を向いていたのだ。

 それから彼は眠りにつき、私はリビングのソファーで眠った。彼は自分のベッドを使えと言ってくれたが、そこまで甘えることはできなかった。きちんと眠るべきなのは、彼も同じだと思った。それに、きっとどこでも変わらないだろうと思っていた。ベッドでも、ソファーでも、あるいは床でも。泣き腫らした瞳では、誰かを待つために起き続けるには重すぎた。私はソファーで横になると、いつもと違った寝心地であっても、すぐに夢に沈んでしまった。

 気持ちの悪い夢を見た。

 だけど、内容は憶えていない。起きた瞬間は憶えていたかもしれないけど、すぐに忘れてしまった。忘れるくらいだから大したことのない夢だったとも考えられるけど、忘れなければやっていられないくらいの夢だったのかもしれない。その印象だけは、強く覚えている。きっと、恐ろしくて、怖い夢だったと思う。



 そして、翌朝。

 彼の父親――ターナー・ライツヴィルから手紙が届く。







 外を長く見つめていると、後ろで扉の開く音がした。

「あー、重かったぁ……」

 澄んだ声が響いて、それから部屋に入ってきた人物と対峙した。

 金髪の少女。

「あ――っ! あなた! さっきの変な挨拶の人!」

「変な挨拶って……」

 私と同じく茶色いローブを羽織っていて、顔はとても快活で、明るい雰囲気が声にも表情にもすっかり宿っているようだった。彼女は荷物を反対側のベッドの傍に置くと、微笑みながら私の傍に寄ってくる。

「初めまして、私はケイトリンっていいます。同じ部屋だったんだ」

 握手を求められる。

 なんかちょっと予想と違うような。ここで相部屋なことを悟った時点で、やってくる同級生は私を見てきっと恐れ戦くだろうなとなんとなく考えていたのだ。ところがこの様子だと、こちらに怖気づいている様子が微塵もない。伸ばされた指先に一切迷いがないのを、私は少しだけ釈然としないまま握った。よろしくするつもりはなかったけど、求められたのだから仕方がない。私は彼女のにこやかな表情を見ながら、同じように名乗った。

「私はアリサ。アリサ・フレイザー」

「知ってるよ。さっき言ってたもんね」

「そう。あなたも新入生だから、それはそうよね」

 新入生全員が私の名前を覚えたのだろうか。それはあまり心地のいいものじゃない気がする。

「それで、さっきの挨拶はなんだったの?」

 やはり聞かれてしまうか。

 説明が上手ではないし、上手にできる話ではない。それに、できれば話したくない。

 私たちは互いの手を離すと、真正面に見つめあった。

「あなたには関係ないことよ」

「えー、関係あるよっ! だって、これから一緒に暮らすんだよ?」

「一緒に暮らすって……相部屋ってだけじゃない?」

「それが一緒に暮らすってことだよ」

 調子が狂うテンションだ。

「私、あまりこの寮に戻ってくるつもりはないの」

「どういうこと?」

「私、特待生だから、四年生と同じ扱いなのよ」

「あー……というか、それって特例って意味だよね? じゃあ、都外研修に行くってこと?」

 私は自分のベッドに座り、ケイトリンはそのまま窓の辺りに佇んだ。

「そう。それが目的で特待生を狙ったみたいなものだから」

 試験の際に充分な魔力と精度、技術を会得している段階の場合、学年は一年生でも飛び級ができる。つまり、上級生の受けている授業をすでに受けることができるのである。特に、都外研修。都とはそのまま王都ヘルヴィニアのことであり、外とはそのままヘルヴィニア以外での魔法研修を意味する。この学院では四年生になると、王都にあるこの学院を出て、各学院支部でより専門的で実戦的な魔法の訓練をする。この王都では栄えすぎてあまりない森での訓練など、室内での学科や理論の勉強、練習場での基礎的な訓練が多い王都での学習とは違い、都外での魔法訓練はより高度な技術を擁する。学院の四年生になると、そういった各学院支部とこの王都を往復する機会が増えるのである。

 私は四年生級の実力があるらしく、都外研修の許可は下りている。比較的自由で、授業による拘束もそれほど厳しくはない。

 だから、ハルカが殺された時にその場にいた五人の先輩に直接会いに行くことができる。

 ハルカが生きていれば五年生だ。つまり、五人の先輩もすでに五年生で、各支部で都外研修をしているはずだ。だからそこに直接赴いて、あの時の話を聴かせてもらう。ハルカがどんな死に方をしたのか、何かおかしなことはなかったのか。そして、話を聴いている本人こそが犯人なのかどうか……。憶測だけではわからないところまで、直接だからこそ知ることができるものもあるはずだから。私はこの権限のために、特待入学を狙って自分の魔力を高めてきたと言っても過言ではなかった。

「都外研修が目的って、すごいなあ。じゃあ、授業一緒に受けられないんだ」

「一緒に授業って……あなた、気質は?」

「雷だよん」

「じゃあ、元々学科が違うじゃない」

「アリサちゃんは?」

「炎――」

 その気質が自分に宿っていることに、憤りを感じる。

 私の兄は――ハルカ・フレイザーは雷気質だった。

 そして、その兄は……炎魔法で殺された。

 それと同じ炎を、私はこの手に宿しているのだ。

 神妙な気持ちになったこともお構いなく、ケイトリンは口を割った。

「そっかあ。でもまあ、気持ちの問題だって! 共通科目は一緒だったかもしれないでしょ」

「そうだけど……」

 でも、誰かと仲良くしたい気持ちは、これっぽっちもなかった。

「というかあなた、あの私の言葉を聴いて、気持ち悪いとか思わなかったの?」

 正直、思われるだろうと考えていた。

 同級生に友人は作るつもりはなかったし、基本的に一人で行動するつもりであったからだ。一緒に行動するのなら、事情を知っている馴染みのウィルだけで十分だった。寂しいわけでもない。ただ、私はここに魔法を学びにきたわけではないし、学生になろうという心地は一切なかった。この場所に来ること、それはそのまま、この学院を内側から潰すためであり、ケイトリンのような明るい雰囲気に、自分がひどく不釣り合いなこともわかっていた。だからこそ、あんな言葉を吐いたとしても、自分の元に人が寄ってこないだろうという点では好都合だったろうに。

 先が思いやられる。

「気持ち悪いは言いすぎだよ。変なことだとは思ったけど」

「そう……かしら。私があなたなら、気持ち悪いって思うけど」

「むしろ気になっちゃったり?」

「気になるって、何がなの」

「そういう変なところに、逆に興味が湧いちゃったりする人もいると思うよ」

「それが、ケイトリン?」

「正解」

「変な子……」

「変かな?」

「ええ、すごく変よ」

「えへへ」

「褒めてない」

「アリサちゃん、意外と話してくれるね」

「別に話したくはないんだけど…………」

「ひどーい」

 彼女の言葉には、会話に無理やり連れ込まれてしまう妙な力があった。中断するのが難しい。このままずっと、彼女と会話を続けてしまいそうな予感さえしてしまう。彼女はずっと微笑んでいて、そこにまったく裏は感じない。逆に私がおかしいのかと思ってしまうくらい。あまりよくない。こういうことをするために、ここにやってきたわけじゃないのに。

 ……でも。

 いい機会かもしれない。

 隠されたことに反抗するのなら、問うてきた人に答えたって構わないのかもしれない。

「…………――さっきの言葉は、私の本心よ」

「アリサちゃん」

「隠すことでもなかったわ。知ってほしいと思っていたのは、本当だった。ええそうね、あなたが最初の一人でもいいかもしれない」

「何を言っているの?」

「あなたが言ったんでしょう? 私が壇上で告げた、あの言葉の意味が知りたいって」

「知りたいけど……話していいの? さっきはあんなに拒んだのに」

「さっきと言ってることが違うじゃないの」

「いざそういう態度に出られるとね」

「ルームメイトだし、向こうから尋ねられることは稀有なのよ。だから、話すきっかけにはいいのかもしれない」

 私はベッドから立ち上がり、彼女の隣へ歩んだ。

 そして、その傍の窓際に手を置き、外を見据える。

「……私の兄はね、五年前、学院の入学試験の最中に殺されたの。そして、その事件は隠蔽されてしまった……」





 この文章は、深夜に書いている。あまり時間が無い。状況を整理するための自己満足な文章でもあるから、起こったままをあるがままに書こうと思う。できれば、クリスティン女史辺りには見つかりたくないものだな。

 ウィルフレッド。

 この手紙は必死の抵抗ではあるが、できればこの手紙が読まれていないことを願う。つまりはこの手紙が読まれているということは、私が帰ってきていないということでもあるのだから。もし私が帰ってきていたら、この手紙はさっさと没収しているだろう。そうなったらあの事件は、少しは前進しているのかもしれない。この手紙はその事件のひとつの参考になるだろうし、まあ、後にお前と笑いながらこれを読むのも悪くはないだろう。できれば穏便に事が済んでいることを願おう。

 単刀直入に書くと、試験生が一人、殺された。

 試験中に突然体を燃やされ、完全に燃え尽きている。死体はかなり酷い焼損で、顔の判別もつかない。しかし、試験生の一人であるから、名前は分かっている。死亡した試験生の名前は、ハルカ・フレイザー。前評判では大変に優秀な子で、トップ入学も夢じゃないと言われていた少年だ。だが、彼は不可思議な状況下で殺されてしまった。

 ウィル、お前は風気質だね。つまり、お前には風以外の魔法は使えない。当然炎は使えないだろう。人間は、一人一気質の原則に支配されている。複数の気質を宿している人間はいない。もちろん、上級の魔法使いであってもだ。

 だがこの試験生殺人事件は、おかしい。

 彼が殺された現場にいたのは、全員雷気質だったからだ。担当教師はクレイン・エクスブライヤ。彼もまた雷気質。他の試験生も全員雷気質だったのは書くまでもないことだ。それなのに、炎魔法によって死亡している。ちなみに現場に外部の人間が侵入した形跡は無く、鍵も盗まれたはずがない。抜け穴もない。その場にいた人間の名前を一応記しておこう。

 

 ハルカ・フレイザー

 クレイン・エクスブライヤ


 ヲレン・リグリー

 アーニィ・ミシェル

 ウルスラ・ウェントワース

 ヘイガー・マーティネリ

 ステラ・タウンズリー


 下の五人は、その時いた試験生だ。ちなみに、この手紙を書いている時点では、不合格になる要素のない、皆優秀な試験生たちである。彼らを疑いたくはない。しかし、殺人はこの七人の中で、つまり六人のうちの誰かが起こしたということには相違ない。この手紙が読まれないでほしいというのは、つまりそういうことだ。犯人として捕まえたのが試験生であったなら、それはやり切れないことである。また、犯人には早急に名乗り出てもらいたいが、無理だろうな。

 なぜなら犯人は、ハイブリッドだからだ。

 「ハイブリッド」というのは、上級の魔法使いたちの間で流布している呼称で、おそらく公の認知度は極めて低い。ハイブリッドとは、本来一人に一つしか存在しないはずの魔法気質を複数所有している、極めて特殊な人間のことを示す。およそ普通の人間ではない。学院長によれば、その才覚は普通の人間を軽々凌駕し、圧倒的な力を持っている、言うなれば希代の大天才の様であるという。王都ヘルヴィニアにかつて存在して、一度だけ大陸を完全統治した「古代の魔女」、千年後に甦った「対極の魔女」などもそれに分類されるとか。とにかく、ひたすらに人智を超えた存在であるらしい。しかも恐ろしいことには、そうしたハイブリッドは時代を流転するように、何千年に一度、必ず生れ落ちるとのことだ。

 つまり言いたいのは、この七人の中に、そんなハイブリッドがいるのかもしれない。そして、そんな存在がハルカ・フレイザーを殺したのかもしれない、ということだ。これは全てパーシヴァル学院長の判断と推理ではあるが、そんな存在があるとしなければ、このような犯罪は起こりえない。可能なのは、そんな異様な存在しかありえないのだ。学院長の言葉には、それに納得するには十分な説得力がある。

 





 あれだけの言葉を響かせれば、学院も黙ってはいられないはずだ。

 ハルカの死と、その事件は隠蔽された。

 もし王都警察に連絡していれば、事件はなかったことにはされなかったし、ハルカの死が学院の陰謀に手を貸す形になることはなかったはずなのに。ハルカが死んだことを――殺されたことを、ただ自分たちのために忘れ去ろうとした。それが許せなかった。だから、思い出させてやらなければならなかったのだ。妹が生きて、ここにやってきたことを告げなければ、止まるわけがないのだから。

 もしパーシヴァルが私を殺そうとしたら……それは、入学式で私の言葉を聴いていた人間が全員証人になる。いったいなんのことだろうと、今はまだ戸惑いがちな同級生たちも、私がもし殺されれていなくなれば、あの言葉を思い出して、学院が何かしたに違いないと考えるはずだ。あの時の変な新入生代表の言葉が、何らかの引き金になったのではないかと、あれだけの印象を残せば誰かは思い当たってくれるだろう。そしてもし私に何か異変が起きた場合、その思い当たりと私の言葉を繋げて試行してくれる誰かだって生まれてくるはずだ。そうなれば、学院側に一つ疑惑が生まれ、そこからは時間をかけてでも信頼は生まれなくなり、自然と没落する。私のあの言葉は、きっといつか何らかの力になって学院を滅ぼすはずだ。

 それに、私は学院側がハルカの死を隠蔽したという確実な証拠をさらに手に入れる必要がある。もし誰か刺客が私を殺しに来れば、それがつまり、『私の言葉が学院側にとって不都合なものだった』ということであり、それはつまりハルカの死が学院側にとって重要な物であり、掘り返してほしくないものであったという何よりもの証拠になる。私は負ける気はない。刺客がやってきても、私の炎で返り討ちにしてみせる。そうすれば、情報を得ることができるかもしれない。

 入学式の宣戦布告は、そうした二段構えだ。私が殺されても、あの場にいた人たちに不信感を植え付け、学院側の行動に疑いを持たせることが出来る。もし誰かが私を殺しに来ても、それがすなわち学院が何らかの企みを持っている証拠になるし、その刺客を捕えれば、情報が手に入る。学院側が何か行動を起こせば、それがそのまま私の有利に繋がるんだ。

「…………もし学院が何の行動も起こさなければ」

 それはそれで、私の推理と調査の時間が増えたということだ。

 あの言葉には、それだけの価値がある。

 思い付きだけじゃない。

 私の目的は、学院を潰して、ハルカを殺した犯人を殺すこと。





 ――しかし、学院長はこの事件を隠蔽すると言い出した。

 その理由はわからない。

 もちろんこのような大事件、公にすれば学院の沽券に関わる。現在ヘルヴィニア城と様々な面で権力を二部するヘヴルスティンク魔法学院だから、このような事件が起こったとなれば、その信頼は大きく揺らぐだろう。それを見越しての隠蔽工作であろうが……しかし、私はまだわからない。少なくとも、隠蔽していいのか。試験生一人が死んだのに、それも殺されてしまったというのに、こちらの信頼だとか、そのようなことで彼の死を一切なかったことにしてしまって良いのか。パーシヴァル学院長の判断は動かない。恐らく王都警察にも根回しして、事件については完全に隠してしまうつもりなのだろう。いったい何を考えている? それに、もし「ハイブリッド」という得体のしれない、それこそ超越的な存在が関わっているかもしれないと言うのなら、それこそ城の判断を仰ぐべきであるのに。少なくとも、学院側でひっそりと処理していい問題なのか。

 あまりいい未来が見えない。

 この事件が、何らかの争いに繋がってしまうのではないか……。

 私は不安になっている。

 ウィルフレッド。

 ここまで読んだということは、私は家に帰っていないんだな?

 私はこれから、学院でパーシヴァル学院長や、クリスティン女史の考えている陰謀をどうにかして解き明かそうと考えている。できるならば、ハルカ・フレイザーを殺した犯人を捕まえてみたい。けれど、それには相当な危険が付き纏うだろう。パーシヴァル学院長は非常に狡猾な男だ。それに、彼の魔法は手強い。そんな彼の陰謀を探り当てようと言うのだから冗談じゃないぞ。だが、これは紛れもなく私の意志だ。危険であっても、なんとかしなければならないだろう。

 もし、もしもだが。

 この手紙を読んでずっと私が帰ってこないようなら、まず死んでいると思ってくれ。

 そうなった時。

 お前が、この事件を解決してくれ。






 ウィルのお父さんは、帰ってこなかった。

 帰ってきたのは、手紙だけ。

 この手紙の言葉の一字一句が、本当の事だということに疑いはなかった。ウィルのお父さんは帰ってきていない。そして、ハルカも帰ってきていない。事件は明るみに出ていない。誰も知らない。誰も知らない……。もうこの手紙がウィルの家に届いて五年になってしまう。それだけの時間が重なれば、この事件と手紙の言葉たちは、きっと嘘偽りなど吐いていない。

 それなのに、私が今いるこの学院は、そんないない誰かを忘れたようにして、明るく動いている。忘れているのではなく、忘れるように何らかの力が働いたのだ。そして、それがずっとずっと働き続けて、忘れる力が、誰も知らないに変わってしまった。それは何者かの意志であり、何者かの黒い糸が動いた結果だ。ウィルのお父さんが帰ってこなかったことも。そしてその原因となる、私の兄、ハルカ・フレイザー殺人事件も。全て、何かの力が根幹に存在している。まだ見えてこない靄の掛かった何か。向こう側で燻って見える、何か黒い衣を纏った何かがいる。

 それがなんなのか。

 確かめたい。

 引き摺り出したい。

 そして、ウィルと一緒に、それを断罪したいのだ。

 

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