殺戮すべき多くの世界
「――――」
ルクセルグ城から噴射した炎は、青い隙間を見せながら黒い影に蹂躙される空に消え、瓦礫を弾き飛ばし、近隣の建物に様々なものを降り注いだ。その際死んだクレイドールたちの粘土細工が大量にルクセルグの街に降り注ぎ、城の壁面を覆っていたはずの白くて硬質な煉瓦が建物の屋根に落ちては凹ませる。逃げようとしていた人々がさらに悲鳴を上げた。私はひたすら炎魔法の火力を上げ続け、瓦礫さえも瞬時に燃やし尽くしては城へ向かう。炎魔法――まさか。
城の大きな扉の前に降り立って、その扉がひしゃげていくのを見た。城の高い戦闘が、黒い土煙を撒き散らしながら少しずつ沈み、ゆっくりと斜めに傾き出している。まだ少し時間は――私は扉の中に入り、中を見た。そこは城の最も中央に位置する大広間だった。しかし、赤いカーペットは剥げ上がり、左右の壁面も焼き尽くされて色がすっかり変わってしまっている。片側の壁が完全に破壊されて、柱も折れていた。ここだ。ここが、きっとさっきの爆発の中枢だ。だとしたら、その中央には当然――私は剣を構える。ゆっくりと中に入り、天井に注意しながら炎の中に歩み寄った。
「止まりなさい」
私は、渦の向こうに立つ誰かの姿を見た。
それは、ほとんど無傷の状態で赤く照らされているクリスティン先生だった。
「クリスティン先生……何をして――」
「見ればわかると、思いますが」
「……!」
彼女の足元を見る。
息を呑んだ。
「メリア」
それは明らかにメリアだった。左右で結ばれた灰色の髪、華奢な体には不釣り合いのローブ。赤いカーペットは、炎の色と混じり合っているけれど、そこに同じように混じり合う別の赤。それは、血だった。メリアは腹部を刺されて、そのまま床に磔にされていたのだった。殺されているの、か。それとも、まだ生きているのか。クリスティンは眼鏡を静かに持ち上げた。
「アリサ・フレイザー、あなたは彼女の仲間、ですね」
「違うわ」
「嘘ですね」
「何を答えればいいの? ここはもうじき崩れるわ。早く逃げなければ」
「質問に答えなさい」
「――あなたに答える理由はない」
「では彼なら」
視界の端にあった瓦礫から誰かの影がゆっくりと覗く。私は動揺した。とても馴染のある顔だったけれど、数日会わないままだったこと、そしてこの状況にいてほしくない人だったからだ。
「ウィル」
「アリサ、久しぶりだな」
「あなたもここにいたの。それに、ボロボロじゃない」
「その子が炎魔法を暴発したからな」
やはり先ほどのルクセルグ城の爆発はメリアの仕業だったのか。クリスティンが彼女を圧倒している所を見ると、おそらく彼女の登場で苦戦を強いられたか、あるいは何らかの――――そうか、ハヴェンが言っていたように、クレイドールが現れる原因には、彼女たちの心理状況も左右する。おそらくメリアは、地下施設での記憶と、そこですでに知り合いだったクリスティンと会って、何かを話し、きっと精神的に揺さぶりを掛けられた。同時にクリスティンとの戦闘で、クレイドールを出現させてしまい、かつ炎魔法で城ごと破壊しようとしたというわけか。けれど、その寸前でクリスティンにやられて――私はウィルと倒れているメリアを見る。いったいどうすればいいのだろう。なぜ、どうすればいいのか考えているのかもわからない。
「やはり、お前も仲間だったのか?」
「それはあなたの本心から出る質問なの」
「さあな。だが聞いたぞ。できるだけ無駄な戦闘を避けるようにこの子に言ったらしいな」
「言ったわ。当たり前でしょう」
「だが、こいつはまずい。お前が首謀者ではないと証明できなければ」
「何――」
「この子をきちんと操れる立場にいたのはお前だアリサ――と、いうことになっている。だから疑われているんだ」
ウィルは真剣な目で私を見ている。
「お前が今度の襲撃の犯人なのか?」
私は奥歯を噛み締め、彼女を睨みつけた。
クリスティン!
メリアは二人に話したんだ。私が『無駄な戦闘は避けるように』と彼女に伝えたということを。それを聞いたクリスティンは咄嗟に考えた。そうなれば、今回の襲撃の実際的な実行者であるメリアの『上の立場』から、私が指示を出していたということになる。言質が取れたのだ。私は確実にメリアに指示を出す立場にあったことが証明されてしまった。クリスティンだけじゃなく、ウィルも聞いている。ウィルが私に真剣な表情で訊ねているのはきっと心配からなのだろうけれど、クリスティン――あなたは、メリアからの言葉、そして私がさっき『メリア』と名前を零したことから、私と彼女の関係を完全に察知して、私を犯人にしたてあげるつもりなのか! そして、あわよくば退学、処罰に追い込むつもりなのだ。突然の事なのに頭が回る女――だからこそ副学院長か。きっと私が入学式であのような宣戦布告をした瞬間から、何かきっかけを探していたんだ。私が自分から、負けに追い込まれる瞬間を。この状況なら、誰がどう見ても私が今回の襲撃を手引きした人間だ。動機も揃っている。
「どうですか、あなたはこの事件の首謀者ではないのですか?」
クリスティンが、メリアを突き刺しているレイピアの柄に指を置いた。
「白々しいことを――」
「答えるんだアリサ。じゃないとお前は」
「ウィル! なぜそちらに立つの!」
「違う。俺はお前を信じている。別にこれはお前を追い詰めるための言葉じゃないんだ。クリスティン先生の仲間になったとか、お前を裏切っているというわけじゃない。お前の正しさを信じている。だからこその言葉だ」
「――……」
どうする。
ウィルの言葉は本当だ。状況から見て、私がメリアに何らかの働きかけをしたとしか思えない。私が彼女に無駄な戦闘を避けるように言ったこと。これを聞いたのなら、きっとウィルは、ただ私がいつもと同じ理念で動いていると理解してくれているだろう。彼女と、今はこの場にいないけれどハヴェンの、学院によって多くの痛みを植え付けられたという事情を、まだウィルは知らないとしてもだ。彼は私を信じてくれている。私が犯人? それは厳密な意味では間違っていない。私がこの襲撃に加担したことは本当だ。パーシヴァルを殺すためである。
けれどクリスティン――これを利用して私を負けまで連れて行こうとしている。状況から見て、認めざるを得ない。
私は剣の柄に手を置きながら、冷静に、あくまで冷静に応える。
「そう。そこで倒れている彼女――メリアと私は、今度の事件を画策した」
「なぜです?」
「クリスティン、あなたには意味が分かるはず。メリアの顔も見たことがあるはずよ。私は全て知っている」
彼女は眼鏡を持ち上げた。
「私の話はどうでもいいのです。あなたが犯人ということで、よろしいのですね」
「待って。私じゃない」
ウィルが眉を持ち上げた。
取り違えてはならない。彼女たちに罪を押し付けるつもりではないけれど、線引きは曖昧にしてはならないのだ。
「私は確かにこの事件をメリアと共に起こした。けれど私はここまでの大事にするつもりはなかった。パーシヴァルだけを、静かに殺すつもりだったのよ。こんな、街を大きく巻き込んでの事件にするつもりはなかったの。それだけは本当。パーシヴァルの元へ行き、話をして、決着をつけるだけのつもりだった」
まるで言い逃れだ。情けない。けれどメリアがクリスティンの足元にいる以上、決して屈してはならない。言い逃れでも構わない。みっともなくても。ごめんなさい、メリア。今は私は逃げの恰好しかできない。あなたを助けられるかも、私がどのように立ち回ることが出来るかにかかっているの。必ず勝機は見つけ出す。少なくとも、ウィルだけはこちらの事情を知ってもらわなければ。クリスティンにはもう何を言っても通用しない。
「『するつもりはなかった』ですか。大層な言葉ですが、結局街をここまでにしているのですから、同じだと思いませんか」
「クリスティン――」
「アリサ・フレイザー、あなたを拘束します」
――ッ!
上からの気配に、私は瞬時に剣を抜いた。そしてすぐに後ろに下がって、その斬撃を避ける。
降り立ったのは、ウルスラさんだった。
彼女は私に再び攻撃を仕掛ける。咄嗟のことだったが、上手く足は動いた。左足と右足を平行に動かしながらもう一度後ろに下がり、彼女の剣をかわした後、振り切った隙に剣を叩き込む。ウルスラさんはそれを軽い身のこなしで避け、開いた片手で雷魔法を帯電しながら、私のローブの端を掴みかかった。――雷魔法を流して、私を気絶させるつもりか――雷魔法ではとても感嘆な護身方法だが、ここで扱うの。自分の肌に雷を触れさせたら終わりだ。直感よりもずっと体が動く。掴みかかられたのなら、その勢いを利用して投げ飛ばせば。掴みかかるためにこちらに勢いを押し付けてくるウルスラさんの腕を片手で掴むと、軸足を捻りながら彼女の体を上へと放り投げた。それから弱い火球を数発、連続でウルスラさんに放つ。彼女に炎があたる瞬間、ウルウラさんは確かに魔法を使ったのが見えた。――しまった。煙が彼女の姿を隠す。その中から、彼女の鋭い棘の形をした亜身なり魔法が飛来する。雷魔法の固形化、錐のような形にして相手に飛び道具として投げつける魔法――すぐに炎でそれらを打ち消すが、それに気を取られて、右からの一撃に対応しきれなかった。それは剣撃だった。かろうじて避けるも、移動のための脚が解れて、遠くへと逃げられない。煙から勢いよくウルスラさんが飛び出して、私の手を取ろうとした。手を抑えるのね。なら――床に向かって一発炎を放ち、風を発生させて煙を一掃させながら、大広間の空中に飛び上がった。上なら対応できる。私はすぐに空中で体制を立て直した。――――つもりだった。
視界の端に映ったクリスティンが、こちらに手のひらを向けていた。
「なっ……」
瞬間、私の左足が見る見るうちに凍りついた。冷たさが包みあげると痛みに変わる。空中に浮いているのに、その重苦しさは強い力で下に引きずりおろされているような、そんな感触が足を貫いた。
すぐに炎で氷を焼き払うが、それに追われて、下から攻撃してきたウルスラさんの軽やかな体術に後れを取った。彼女が手のひらで掴みかかろうとするのを、同じように手のひらで受け止め、もう片方の手を腕で弾き、その隙に剣を彼女に打ち込む。それに応じるように彼女が瞬時に抜いた剣も私の眼前をかすめる。鼻先で弧を描くも、それを空を切る。私は剣をわざと落とし、それに一瞬彼女が目をやった隙に、腹部を狙って軽い炎を撃ちこんだ。――が、彼女は体を詰って、炎を避けると、もう一度私の腕を掴み、剣で私の肩を狙う。私は避けられた炎を敢えて強力にし、誰もいない空中に放つことで、地面に向かって逆に墜落する。彼女は私の腕を掴んでいたので、それに引っ張られて同じように床に墜落しかける。床の寸前で、今度は炎を床に放つと、彼女の落下する力と私の浮き上がる力が反作用して、体の位置関係が逆転した。ウルスラさんは思いきり床に背中を打ち付け、悲鳴を上げる。私は彼女の体に上乗りになって、剣を彼女の首に宛がった。ウルスラさんの動きは完全に止まった。彼女は焦りの表情で私を見上げる。
「ウルスラさん、あなたもクリスティンの味方ですか――」
「違うわ。それよりも答えて。あなたが首謀者なの?」
「違うと言ってるじゃないですかっ……私がどうしてパーシヴァルを殺したいのか、あなたは知ってるはずなのに」
「けれど罪のない人を巻き込んでしまったんじゃ、ないかしら」
「それは私の判断ではなくて、メリアの力が――」
そうだ。私は、できるだけ戦闘を避けるように二人に言った。
でも、結局失敗してる。
三日前のメリアとハヴェンの襲撃と、今度の私が加わった襲撃、何も変わってない。私が何か働きかけをしたところで、結局意味がなかったのだ。メリアは何らかの感情の昂ぶりか、それとも何か意志の力が働き、クレイドールを呼び出してしまった。彼女たちはクレイドールを操ることができるわけではない。けれど、何かのそういう、彼女たちの精神的な物が原因で、彼女たちのために動き出す。それならば、メリアにそういうことがあったのだ。
なぜ予想できなかった。
でも、予想できたからといって、なんだというの。
パーシヴァルを殺すのは私か、彼女か、彼。
彼女たち自身で殺さなければ、彼女たちは満たされない。だとしたら、別に予想が出来たところで彼女たちを押し留めることなどするはずがなかった。できるはずもない。私たちは同じ復讐者。きっと何もかも、メリアとハヴェンの傍に付き添ってやろうと心で思ったのだ。だとしたら、例え予想できても、結局襲撃した。彼女たちに殺させてあげたかった。
でも、こんなに大きな事件にするつもりはなかったのに。
パーシヴァルだけ殺して、真実を聞いて、それで終わりのはずだったのに。
なぜ上手く行かないの。
決して、ウルスラさんをこのように、自分の剣で動きを押し留めるような、そんなことは何も計画してない。穏やかに、とても静かに、隠密に、冷ややかに。パーシヴァルだけを狙うつもりだった。そんな簡単なことがなぜできない。たった一人の人間の元へ辿り着くことが、どうしてこんなにも難しい。一人、世界中で一人、わかっていることなのに。
こんなことで、ハイブリッドに手が届くの……?
ウルスラさんが私を弾き飛ばした。押さえつける力を失い、私は後ろへ大きく仰け反るも、体勢を立て直す。ウルスラさんもすぐに体を起こして、距離を取った。剣の構えを解くが、今はただ様子を見ている。私は自分の手を見た。
「違うわ」
そう、違う。
簡単なわけがない。
簡単なことではないんだ。パーシヴァルを殺すことも。そして、メリアとハヴェンのような誰かを、私のような人間が押さえつけられるわけが。こんなに難しい、多くの問題を孕んだ世界。私が苦しんで終わるだけの世界じゃない。誰かの悲しみが誰かの悲しみといろいろな部分で重なり合い、絡み合っているような、そんな世界。そしてその内側にある、こんなにも憎しみばかりの事件。ハイブリッド、ハルカ、エンブリヲ、パーシヴァル、学院――そんな事件を、簡単に終わらせられるわけがないんだ。メリアとハヴェンが、思い通りに動くわけないんだ。そうよ、何もかも思い通りにいくわけない。彼女たちは生きている。私と同じ――。そして、きっと何か、大きな力が働いている。そんな大きな流れのためにハルカは死んだ。それに抗わなければ、私の勝利は有り得ない。どうすればいい。今、私は追い詰められている。
「――確かに私は、彼女と襲撃を画策した」
「そうですか」
「それでどうするの、私を。どうしたいの、あなたは」
「然るべき処置をさせていただきますが」
「クリスティン、あなたの考えはお見通しよ。私を負かしたかった。あの入学式での宣言から、あなたは――あなたたちは、私をどうにか学院から排除したいと考えていたのね。そして、今度の事件。これをうまく利用して、私を処罰の名目で始末しようということなんでしょう」
「どういうことです?」
「……ここで私を始末すれば――やっぱり、あなたたちヘヴルスティンク魔法学院が、ハルカの殺人事件に関与していると、自分から証明していることになる。だってそうでしょう。私のあの入学式での言葉がまったくの勘違いで、学院がまったく関与していないのだとしたら、戯言を喚いている一人の学院生なんて放っておけばいい」
「詭弁ですね。その場しのぎの言葉です。別に、この事件を我々が考えたわけではないというのに。あなた方が勝手に起こしたものではないですか? だとしたら、あなたを陥れるとか、あなたを追放したいとか、そんな意図がこちらにあったとしても、襲撃が起こるかどうかはあなた方次第だったわけですから、あなたの論理は間違っているのでは?」
「っ――……メリアと戦った、その時に思いついたんでしょう」
「客観的に見て、あなたが悪いのは見えているとは思いますが」
そう、そうだ。
確かに、誰がやったとしても、例え私でなくとも、襲撃事件を起こしたということは事実であり、それに何らかの対処が求めらるのは当然かもしれない。けれど、このままでは私は普通の処罰に終わらないだろう。おそらく拘束して、殺されるか……襲撃事件で死者が出たのなら止むを得ない。でも被害に関わらず、私は殺される。私はここで負けるわけにはいかないのに。この襲撃で傷ついた多くの人がいるとしたら、処罰は受けなければならない。どれだけの人が傷ついたのか、わからない。でもきっと被害は出た。私がメリアとハヴェンを止めなかったから。むしろ一緒に行動したからだ。その時点で、こうなるかもしれないと予想できたのに、やらなかった。それよりもずっと、願ったことがあるからだ。パーシヴァルを殺す、そして真実を探して、ハイブリッドを。だから、私はまだ死ねない。
なのに、詭弁を並べたところで、クリスティンを揺さぶることが出来ない。
それなら。
だったら、もういっそ。
「いいわ。――クリスティン、私を拘束しなさい」
「アリサ!」
ウィルがこちらに叫んだ。炎が大広間を満たしていく。ここはもう長くはもたない。轟音が響く。城は崩れる。私はウィルを見て、笑って見せた。笑顔にできたかどうかはわからなかった。けれど、ウィルが心配そうな声を上げて、表情を崩すのは見ていられない。見ていられないというより、彼は勘違いしているのだ。私は負けを認めたわけではない。敢えて拘束されるのだ。
「ウィル、安心して」
「安心できるわけないだろう」
「ウィルフレッド・ライツヴィル。あなたは少し黙っていなさい。ウルスラ・ウェントワース、彼女を拘束しなさい」
離れたところにいたウルスラさんが、一度ウィルとクリスティンを見て、ゆっくりと私に歩み寄った。ロープなどないのだおるけど、彼女は私の後ろに回り、護身術の要領で手首を捻り、がっちりと固定する。やろうと思えばウルスラさんの腕を振り払うことはできる。手首を捕まれているだけなのだから、そのまま炎を放ってもいい。けれど今は大人しくしていよう。ウルスラさんが私の耳元で静かに囁いた。
「ごめんなさいね。……先生の手前、こうするしか」
ウルスラさんの攻撃は本気ではなかった。彼女は私の事情を知っているけれど、クリスティンの前だから、あまり反抗的な態度はとれないのだ。私とウィルは学院の生活にそこまで重きは置いていないけれど、ウルスラさんは上級生で、学院でもきちんとした位置にいる。先生の言うことは基本的に従うのが当然だ。私は軽く首を振った。
「いいんです、さっきはすみません」
「いいのよ。大したことはないわ。私もさっきは、ひどいことを言ってごめんなさい。でも、いいの?」
「はい。今は、クリスティン先生の言いなりになります」
ウルスラさんが私の後ろ手を掴んだことをクリスティンが確認する。それから、床でレイピアに貫かれて倒れているメリアを一瞥した後、静かに眼鏡を持ち上げる。私は奥歯を噛み締めた。私は一度、ここで負けた。メリアとハヴェンの精神を把握し損ねて、パーシヴァルにも辿り着けなかった。私は負けた。また負けた。けれど終わりじゃない。拘束されるならば、しかるべき場所へ連れて行かれるはずだ。構わない。連れて行きなさい。可能なら、無様でもいい。死に際だから教えてほしいと真実を聞いて、拘束を解いて、学院ごと破壊してやる。どこか牢に放り込まれたなら、無理やり破壊して――。
「行きましょうか」
その場に彼女は告げた。
その瞬間だった。
天井が破壊され、そこから飛び出る影。
ハヴェンがクリスティンに斬撃を繰り出した。
■
彼はクリスティンを弾き飛ばすと、すぐにメリアからレイピアを抜き、彼女を支えるようにしながら立たせる。クリスティンは遠くへ吹き飛ぶも余裕の表情で体勢を立て直し、きちんと床に足を下して、眼鏡を治した。私たちの視線はハヴェンとメリアに集中する。ハヴェンはメリアを労わるようにしながら彼女に肩を貸す。メリアがゆっくりと目を開けた。
「――――わかった、わかったんだ」
「メリア」
彼女は目を開けるや否や、すぐにいつもの冷たい口調で何かを囁いた。今まで倒れていたのに、確かに血が流れていたのに、それをまったく感じさせないような、そんな空気。彼女はハヴェンに支えられながら、ねっとりとした視線でゆるりと私たちを見渡すと、笑った。何とも言えない、微笑みのような哀しみのような、そんな口元で。
「皆殺さなきゃ駄目なんだ」
「メリア――……?」
「お姉ちゃん、さっき、わたしを裏切ろうとしたよね」
メリアは私を見つめた。それは笑っているのに、突き詰めるような、刃物のような瞳だった。
「ここまで大きな被害になったのは自分の所為じゃないって、わたしたちに押し付けようとしたよね」
私は息を呑んだ。
「それは……」
「言い逃れしようとした。逃げようとしたんだ。裏切りだよ、そんなの」
裏切り。
自分じゃないと確かに、今、私は逃げようとした。言い方を変えれば、彼女たちが勝手にやったんだって、私だけは助かろうとしていた。仕方がないと言い訳しても、実際そうだ。でも、わからなかった。彼女たちが乱されるとは。メリアがクレイドールを呼び出してしまわないように釘を刺すだけでは駄目だと、私は予想できなかった。だからと言って、私は悪くないなんて、そんなのおかしい。私は彼女たちと手を組んだ。手を組んだのに、勝手に自分だけ勝ち残ろうとした。それを、責めている。メリアは確かに笑っているけれど、私に対して怒っている。
「クリスティンもそう。知ってるくせに知らないふり。どうでもいいんだ。それなら、なんてかわいそう。やっぱり、ちがう。こんなの。パーシヴァルだけ殺したって、満たされない。あいつだけ殺しても、気持ちよくなんかない。殺さなきゃ、殺さなきゃ、やっぱり殺さなきゃ駄目なんだ。みんな、殺さなきゃ」
「メリア!」
「お姉ちゃん。やっぱり相容れないね。お姉ちゃんとはとてもすてきな仲間になれるとおもったのに……かなしい……」
言葉が届かない。
でも、何を言ったらいいのかわからない。
「今日はもう、力が出ないし怪我しちゃってるから、帰るよ。でもね、やっぱりこの世界には殺戮が必要なんだ。みんな、殺さなきゃ。穏やかに生きてる人たちも、みんな死ななきゃいけない。そうじゃなきゃ、満たされない。みんなに刻み付けてあげなきゃいけない。わたしたちの苦しみを、怒りを、痛みを――」
「メリア! それは――」
「邪魔しないでね」
「邪魔――」
殺すのは誰。
殺さなきゃいけない人間だけは決まっていた。私はそうだ。殺すんだ。ハイブリッドを殺して、パーシヴァルだって葬る。その役割を、パーシヴァルだけはこの二人に与えなければきっと二人はどこにも進めない。きっとどこかで迷い続けるだけの、復讐の迷路に迷うだけの双子。だから、パーシヴァルはこの子たちが殺すべきだ。そうしてもいい、それだけの権利はあってもいい。だけど、私はそれだけでいいと思っていた。殺したい相手だけ殺すことが出来れば。そうだ。犯人はハイブリッドただ一人。だから、私の私怨を受けて死ぬべきなのは彼だけ。そんな思考が、この二人にもあるのだと思っていた。
「ハヴェン。あなたも、そうなのね」
「何度も言わすな。死ぬ奴は勝手に死ねばいいんだ。メリアは正しい。てめえはやっぱり俺たちのことは何にもわかっちゃいないんだ。殺しまくった方がいいに決まってんだろ?」
二人は、私とは違う。
もっともっと、殺したいんだ。殺さなきゃ収まりがつかないんだ。自分の痛みを誰かに植え付けなければ、押し付けなければ。誰かが幸せになって、笑っている。それが許せない。自分たちの苦しみと、同じ次元までいろいろな人を巻き込みたいって。そんな風に思ってしまう。――――私も、そう考えたことはある。学院で今も楽しく暮らしている学院生。ハルカの死を知らないで、のうのうと――そんな風に考えたことはある。けれど、そんな気持ちはもう捨てている。恨む相手が違う。実質の元凶は、ハルカの死。殺人者であるハイブリッドなのだ。だから、今もただ、平穏な日々を生きている学院生を恨むのはまったくもって間違いだ。私はそう、自分の中で決着をつけて、ただ恨むだけの相手ただ一人だけを恨んでいる。
でも二人は、いろいろなものが私と違う。
自分の肌に焼きついた。視界に焼きついた。記憶に焼きついた。その全てが痛みなのだ。
だからこそ、多くの殺戮を望む。
「逃がすと思うのですか?」クリスティンが言った。「あなた方を捕獲するのが今回の計画だったのですよ」
「馬鹿が」
ハヴェンが舌打ちした。
「クリスティン、てめえはそこで捕まってるのをさっさと拘束して処罰でもしてろ。俺たちに構ってる余裕があんのか? 外でクレイドールが大量に湧いてる。俺たちはな、逃げると同時にクレイドールも消してやろうと思ってんだ。これ以上俺たちと戦いを引っ張って、ルクセルグが倒壊すりゃ、クリスティン、お前の責任だぞ」
「…………」
クリスティンは表情を崩さないまま黙っている。
「見逃せ。今回は俺たちの負けだ。だがな、すぐに力を蓄えて、お前らを殺してやる」
メリアが天井に向かって、炎を放った。
「覚悟しろ」
天井から火花が散り、瓦礫が落ちる。そんな轟音と火焔が雪崩れ込んだ。
「そう、みんな殺さなきゃ――みんな、みんな……」
メリアの声が響いて、視界は砂塵が包んだ。じわりと響き渡る瞬間に、彼らの姿も一緒に消えて行った。
■
城が崩壊すると同時に、私とウルスラさん、ウィル、クリスティンは脱出した。メリアが倒したという他の学院生たちは、クリスティンの取り計らいで、私がやってくるまでに救助されていたようだ。ということは、やはり私があの城にやってくるのを待っていたということだ。罠に嵌めるつもりだったのだろう。城が壊れそうだというのに、私を追い詰めることを優先させたということだ。彼女の水魔法なら、崩れ落ちても大丈夫かもしれない。むしろそこまで考えて、私があの城へやってくる算段を立立てていた可能性もある。私は手錠を掛けられながら考えた。
ルクセルグ襲撃事件は、メリアとハヴェンの撤退、クレイドールの消滅により収まりを見せた。クレイドールは元々数が減っていたのもあるけれど、彼らの撤退の意志がそのまま伝わり、消えて行ったのかもしれない。彼らはクレイドールを完全に操れはしない、未完成のハイブリッド。けれど、クレイドールはそれに付き従う。だから消えた。事件は終結した。
そして、その事実上の犯人が私だ。――もちろん、メリアとハヴェンの行動に加担したのだから事実でもある。学院はそれを公表はしなかったが、クリスティンは私を拘束し、そのままヘルヴィニアへ移送した。体の自由を奪う程度の軽微な雷魔法と手錠で拘束されると、列車でヘルヴィニアに帰還した。城が崩れ去った後、私は大人しくクリスティンに付き従い、きちんとした処置を受けて罪人となったのだ。学院の大人に連れられて、列車へと乗った。ウルスラさん、ステラさん、ヘイガーさん、アーニィさん、そしてウィルとは一言も顔を合わせないままだった。彼らがどうなったのかは知る方法がない。
私は、学院の牢に入れられることとなった。