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幼年期の終わり⑤

「――あなたは」

 ウィルの隣で、ウルスラがゆっくりと剣を構えた。ウィルは彼女の動きに対応させるよりも、ずっとゆっくり、自分の指先を剣の柄に宛がうだけだった。目の前に現れたのは、パーシヴァルが捕獲してくるように言った少年少女の一人、その人だった。だからこそ、ウィルは剣を抜かずに終わるのならばそれでも構わないはずだと、まだ剣を引き抜くには早いと判断した。けれど、少女の視線は決して、剣を構えずに終わるほど生易しいものではない――ウィルは少女を見つめた。

「メリア」

「それが名前――そう、メリアさん」

 ウルスラは敵意のあるような、しかし穏やかな言葉遣いで呼びかける。

「ここにいるのは、学院生の人だけ? パーシヴァルはどこにいるの」

 ウィルとウルスラ以外の、ルクセルグ小隊の八人が同じように剣を構え、魔法のための指先を彼女に向けた。威圧のため。そもそも彼女を捕まえてくるのが目的だったはずなのに、城で待機している自分たちのところに、まずその一人がやってくるというのがおかしい。他の班の目をかいくぐったのか。ウィルはゆっくりと口を開く。

「お前は、なんだ? パーシヴァルは君ともう一人、少年を捕まえてくるように俺たちに言った。その意味が分かるのか?」

「わからないのに、わたしたちを捕まえようとしてたってこと?」

「わからない。パーシヴァルは何がしたいんだ。もう一人の少年は、なぜ二種類の魔法を使うことができる?」

「それよりも大事なこと。パーシヴァルはどこ?」

「教えられない」

「なぜ」

 ウィルは続けた。

「ここにいる十人はきっと、お前たちの捕獲ではなく、城を守るために待機させられた。となるとパーシヴァルは、誰かがここを守らなければいけない脅威のようなものが迫っていると考えたわけだ。捕獲できなかった場合のために。となれば、それがお前だ。お前はパーシヴァルにとって脅威なんだ。捕まえておかなければならないほどの」

「そうかもね。だけど、そんな脅威を造ったのは自分自身だというのに、自業自得だよ」

「はっきりと教えてくれないか」

「教える理由はない。パーシヴァルはどこ?」

「それも、教えられないわ」

 ウルスラが強気に言った。何もわからない状態がずっと続いているから、彼女はきっと少しだけ苛立っているんだろう。ウィルは小さく舌打ちをした。あまり思い通りに行かない。少女――メリアが現れて、もう少しだけ話を聴けると思ったのに、そう簡単には口を割ってもらえないこと、そしてパーシヴァルのことも何も不明なままだ。やはり彼女を捕えるしかないのか。

「残念。それなら、お姉ちゃんのいいつけの範囲で、傷つけさせてもらおうかな」

「お姉ちゃん――? あの少年以外に、仲間が?」

「アリサお姉ちゃんだよ。無駄な被害は避けろって言われてるんだ」

「アリサ――――」

 その驚きの瞬間の間際に、ウィルの目の前にメリアの体が迫っていた。

 目を見開き、反射的に剣を抜き取ると、メリアの剣を受け止める。しかし勢いよくこちらに乗り出してきたメリアの剣撃は、ただ立ち尽くしていた状態からの防御では圧力が違い過ぎ、ウィルは足の踏ん張りが利かず、喉から悲鳴が出ると同時に、後ろに思いきり吹き飛ばされる。メリアはウィルを吹き飛ばした後、すぐ傍のウルスラに雷魔法を放とうとする。ウルスラも剣を持っていない片手に放電をし、メリアの雷撃にその拳を突き出した。雷魔法の威力と威力がぶつかり合い、強い閃光の塊となってその場を照らす。メリアは涼しい顔をして、そしてウルスラは歯を食いしばった。その一瞬に、ウィルとウルスラ以外の八人が一斉にメリアに攻撃を開始する。同時攻撃なら――その目線の合図が全員に伝わったのだ。炎と雷、水と風の魔法が、一斉にメリアの元へ放たれる。ウルスラはタイミングを見計らって雷を留めると、床を蹴って後ろへ下がった。

「大量の魔法は、避けられない――」

 ウィルは吹き飛んだ先で体勢を立て直しながら、煌めく魔法の一斉射撃を見守った。

 しかし。

「甘いよ」

 メリアは自分の足元に思いきり火球を放つことで、爆風を発生させた。風魔法は消滅し、炎魔法と水魔法もその威力が弱まる。火焔の燃え盛るオレンジの盛りが、メリアの姿を完全に失わせた。彼女の姿が見えなくなった。

 こいつも、炎と雷――二種の魔法を……! それも自分の足元に炎魔法を放って、その威力で魔法を相殺し、粉砕し、かつ自分の姿を見えなくさせるなんて――ウィルは腕で顔を防ぎながら、その姿を必死に探す。学院生の一人が風魔法で炎を吹き飛ばすと、メリアの姿は元いた場所になかった。ウィルは上を見た。

「先輩、上です!」

 向こう側の先輩の頭上に、メリアはすでに飛んでいた。メリアは彼の足を剣で切り裂き体勢を崩すと、腕を掴んで、それを別の学院生に投げ飛ばした。怪我をした人間を誰かの手元に渡すことで、戦うことよりも仲間の方を気に掛けるようにさせるのか。自分の目の前に怪我をした仲間が飛び込んで来れば、やはりそちらに気を取られる。そこが狙い目か。にしても、早すぎる――仲間を受け止めた学院生のすぐ後ろにメリアは移動し、雷魔法で彼を痺れさせる。二人が一緒に倒れ、メリアは床に降り立った。それから剣を煽る様に振り回し、火焔の名残だった晴れつつある煙を切り裂く。追撃する残りの学院生の剣を弾くと、腹部を足で蹴り、壁に叩きつけた。ウィルはすぐに風魔法で自分の体を押し出しメリアに近づく。一閃の剣をメリアは前かがみになって避ける。すぐ横から、ウルスラの雷撃が飛び込んでくる。ウィルは床に向かって魔法を放って雷を避け、メリアはその雷を剣で叩き切った。浮遊から床へ着地し、間合いを取る。メリアは無傷だったが、ウィルとウルスラ以外の学院生はすっかりと伸びてしまっていた。

「殺してないよ。殺さないように言われてるから」

「アリサにか?」

「お兄ちゃんは、アリサお姉ちゃんの知り合い?」

「ウィルだ。今、アリサはどこにいる」

「そう、あなたがウィルお兄ちゃん……」

 メリアは剣を構えて、ウィルを静かに見つめた。アリサは何がしたいんだ。この少女の後ろにあいつがいるとしても、なぜ? ――いや、考えるまでもないか。彼女はパーシヴァルを狙っている。あの少年もそのようだった。だとすれば、彼女たちとアリサが手を組むこともおかしくはない。けれど、いったい彼女たちはどんな理由でパーシヴァルを狙うのだろう。

「あなたも、パーシヴァルを憎んでいるんだよね」

「まだわからない。が、状況によってはそうだ」

「お父さんを失った」

「まだ生きてるかもしれないだろ」

「生きてないよ」

 メリアはさらりと言った。

「生かしているわけがない。あんな奴らが、あなたのお父さんのような人を殺していないはずがない」

「学院が、殺人に関与しているって?」

「うん。聞いたよ。あの殺人事件のこと。そして犯人が、私たちのように魔法の一人一気質の原則を凌駕していることも」

「お前も、あの少年と同じ、二種の魔法を使えるようだな」

「そう。詳しいことはアリサお姉ちゃんに聞いてね。今はそんなこと、あなたたちにいちいち説明してられない。わたしはここに、パーシヴァルを殺しに来たの。そして、さんざんいたぶって、お姉ちゃんの事件のことを話させてから、殺すんだ」

「殺せるのか」

「殺せないの?」

 まったく、パーシヴァルはどれだけ恨まれることをしたのだろう。自分も含め、アリサ、そしてこのメリアという少女までその手を血に染めようとしている。血に染めなければ満たされないほどの生を強制されたのだ。それは人生を狂わせたということ。ただありのままに生きれば手に入るような、本当に普通の幸せも、彼はきっと踏みにじったのだ。自分の生活が破壊されたことを思い出す。あの手紙の文字も。そして、それを読んだだけで何日もふさぎ込んだアリサのことも。

「殺させてやりたい奴がいる」

「アリサお姉ちゃんのことだね。すぐに来るよ」

「そうか」

「ウィルお兄ちゃん。あなたもパーシヴァルを憎んでいるのなら、わたしと戦わないで。ここにいる学院生の皆さんに伝えてよ。わたしは別に、あなたたちと戦いたいわけじゃない。パーシヴァルを殺したいだけ。あなたたちはなんにも痛い思いはしなくていいんだってことを」

「痛い思いって――」

 ウルスラが眉を寄せた。

「結局巻き込んでるじゃない。あなたがパーシヴァルを殺そうとするために、こうやって怪我人まで出てる。それって、痛い思いしてるじゃない。勝手に襲撃して、自分勝手だわ」

「それはごめんなさい。でも、殺されなくてよかったって、思って欲しいな。簡単に殺せるんだよあなたたちなんて。それに、自分勝手じゃない人なんてこの世界にいるの? みんな自分勝手だよ。あなたも、わたしも、アリサお姉ちゃんも」

「だけど」

「わたしに同情してなんて言わないし、わたしの気持ちなんてわからないくせにだなんて、わがままなことは言わないよ。だけどせめて、わたしの気持ちくらい自分で決着つけさせてよ。誰だってそうするよ。きっと」

「待て」

 ウィルが口を割った。

「何もかも性急すぎる。お前は今からパーシヴァルを殺すのか」

「殺すよ」

「アリサも、同意したのか」

「アリサお姉ちゃんは、パーシヴァルに話を聴いてからって言ってたよ」

「そうか」

 ウィルは心の中で安堵した。彼女がメリアと行動しているとなれば、もしかすれば問答無用でパーシヴァルを殺す方向で動いているかもしれないと考えたが、まだ変わりなく、パーシヴァルにきちんと話を聴いてからという姿勢は貫いているらしい。けれど、もうパーシヴァルを完璧に殺す方向で動いている。メリアとあの少年が二種類の魔法を使える、つまりハイブリッドだというのにハルカ殺しの犯人だと断定していないのが気になるが――あの場所にこの二人がいなかったのだからもちろん犯人じゃないのは確定的だが、それでもあの事件と関わりがあるのは確実だ。今、パーシヴァルを殺していいのか? 奴はハルカ殺しよりも、ずっとより深いところに闇を築いているのではないか。このメリアが奴を憎むようになった理由、アリサと自分がパーシヴァルを狙う理由、そこはまったく別々のものなのか? 

 そんなわけがない。

 きっと、深いところで繋がっている。この二つの復讐は。

 だとすれば。

 ウィルが口を開きかけた時、大広間の奥の扉が開いた。

 そこに現れたのは。

「騒がしいですね」

 クリスティン・ルルウ副学院長だった。





 ハヴェンの剣はヘイガーの軽い身のこなしに避けられるが、ハヴェンは何のわだかまりもなく次の一撃を繰り出す。ヘイガーの雷魔法は、ハヴェンに尽く避けられ、青い空に放たれて明滅した。街中での戦闘だったが、二人は建物の屋根を魔法浮遊で縦横無尽に移動しながら激突していた。向かい側から放たれ、飛び立ったからだが空中で相殺し、相手が立っていた場所に降り立ってはまた折り返すように空で剣と剣を交わして、魔法を放ちあう。

「少年、お前はどこから来た」

「あ? なんでてめえにんなこと言わなきゃいけねえんだ?」

「気になってな」

「関係ねえだろ」

「森の方から来ただろう。まさか、そこで誰かと戦ったりしてないだろうな」

「戦ったぜ。雑魚の学院生共。片っ端からぶっ倒してやったよ」

「殺したのか」

「殺してねーよ。お節介な奴がいてな、そいつの言うことを聞いてやってんだ」

「そうか。それで安心した」

「意味が分からねえが、邪魔すんなよ」

 ハヴェンは右足でヘイガーの横腹を蹴り飛ばした。ヘイガーは地面に向かって叩き落とされたが、雷魔法を剣の形にして、高い塔の壁に突き刺し、地面へ追突するのを防いだ。それから、壁に突き刺した雷を軸に鉄棒の要領で体を回転させ、もう一度空中へ飛び立つ。ハヴェンは空中から風魔法の球体を連続で発射した。ヘイガーは、空中でそれを何度も避けながらハヴェンの元へ近づくと、雷を片手に放電させ、ハヴェンの胸ぐらをつかんだ。

「何が目的だ。お前たちは何なんだ? なぜ俺たち学院生が子どもを捕まえなくてはならない」

「知るか。お前らの学院長様に聞けよ」

「このところおかしいぞ。あの一年が入学してからおかしなことばかりだ。お前は何を知ってるんだ」

「うるせえっ――ってッ!」

 ハヴェンはヘイガーの胸ぐらを掴み返し、手のひらから冷気を放つと、彼の首から鎖骨の辺りを一気に凍らせた。ヘイガーは目を見開いた。水魔法の応用で、氷を生成できるが――相手を凍らせるのか。いや、そこではない。風魔法と水魔法だと――……ヘイガーは冷気の冷たさに思わずハヴェンから手を離し、狼狽する。ハヴェンは風魔法でヘイガーを再び吹き飛ばした。その瞬間だった。ハヴェンの後ろから複数の火球が飛んでくる。

「ちっ、他の学院生か」

 ハヴェンが舌打ちをする。火球と雷、水球、他方から一斉に魔法が飛んできた。

 瞬間、それを守るように。

 クレイドールが現れた。魔法を受け、しかしその粘土細工の中から再び別のクレイドールが現れる。ラプターが空を飛翔し、キャットヘッドとドッグヘッドが大量に街へ降り注いだ。同時に、レプティル型の巨大な体躯が街へと落下し、咆哮する。

「……あーあ、約束破っちまった。というか、俺の所為じゃないだろうけど」

 だがハヴェンは穏やかに微笑んだ。

「まあいっか。出てきちまったもんはしょうがねえ。どうにでもなれ。死ぬ奴は勝手に死ね」

 






「クリスティン先生!」

「ウルスラさん。これはどういうことですか?」

「あの子です。学院長がおっしゃってた」

 クリスティンは眼鏡を指でそっと持ち上げた。大広間には、学院生が倒れて気を失っており、ほとんど無傷で一応立っているのがウィルとウルスラだけだった。クリスティンは表情をあまり変えないまま、いつもの冷徹な表情だった。片手には、鞘に収まった細い剣――レイピアがある。ウィルは彼女を見つめた。戦う、のか。パーシヴァルは奥にいる。きっと戦闘の騒ぎを聴きつけてやってきたのだ。しかし、副学院長が自らここに来るとは。手紙の文面を思い出す。クリスティン。彼女はハルカの死亡した際、その遺体を中央に囲んでの職員会議で司会進行をした。パーシヴァルと繋がっているのは確定的だろう。信じていい人間じゃない。しかしこの局面での登場は、どのような意味があるのか。

「――捕まえろと命令があったのに、自分から来たのですね」

「クリスティン。久しぶりだね」

 メリアが言葉を漏らした。

 久しぶり? ウィルは不穏な空気を感じ取る。メリアは先ほどまでずっと穏やかだったけれど、そして一つ一つの機微にさえ、まだもう少しだけ自分の居場所を作っていたような気さえした。しかし、クリスティンをその視界に収めた瞬間、何かスイッチが入ったかのように変わったような気がした。しかしどこが変わったのか、具体的に、冷静に挙げ連ねることはできなかった。

「誰ですか?」

「とぼけないでよ。何度見たくせに。あなたはわたしたちに直接手は下さなかったけれど、いろいろな研究者の後ろで、いつもじっと見つめていた。いつもそんな風に、何の悲しみも感じないような、冷たい顔で」

「知りませんね。それよりも時間がもったいないです。あなたを倒して、終わらせましょう」

「邪魔をするのなら、殺すよ」

 メリアの表情は、先ほどまでの会話が通じるようなものではなくなっていた。会話の中では、自分の言葉が通じるとわかるような、そんな感触があるのはウィルにもわかった。しかし今、クリスティンを目の前にしたメリアは、そんな表情とは一寸も違うとは言い切れないというのに、威圧も何もかもが異なっていた。もう、忘れている。アリサが無駄な被害を出すなって言ったはずだけれど、クリスティンとの戦いは無駄ではなく、殺してもいいとすぐに理解しているような。危うさがそこにあった。

「ウィルフレッド・ライツヴィル、ウルスラ・ウェントワース。下がっていなさい」

「――――」

 クリスティンは鞘からレイピアを抜き取ると、鞘を投げた。そして、ふわりとした感触で一度だけ空を切る。眼鏡をそっと指で抑えて、メリアを見つめた。凛とした佇まい。青白い肌、金髪を後ろで束ねた、何の綻び隙もない姿。レイピアの細い剣筋が彼女の体格に合っていた。対するメリアは小さな体に不釣り合いの剣を持っている。しかし彼女の瞳は今、確実にクリスティンだけを見つめていた。クリスティンには、メリアなど造作もないという余裕すら感じられる。

「――二月六日」

「……なんですか?」

 ウィルとウルスラは息を呑んだ。

 日付。

 メリアはぽつりと、そう漏らした。

 日付?

 クリスティンは首を傾げる。

「――四月二十日」「五月五日」「七月二十六日」「八月十一日」「九月十七日」「十二月二日」――――メリアはクリスティンを見つめたまま、ぽつりぽつりと、日付を繰り返した。「一月十五日」「三月七日」――ウィルとウルスラはただ、そんな彼女の唇が、リズムを刻むようにそれらを紡いでいくのよ見つめているだけだった。「四月十九日」「七月四日」――クリスティンは表情を変えない。淡々と述べるよりもずっと、メリアが見せていたのとはまったく違った趣の抑揚が言葉に溢れて、けれどやはり彼女の恐ろしさは滲んでいて。ただ思い出すよりもずっと早い速度で、彼女は日付を口に出していた。そして、かなりの数の日付を言い終えると、クリスティンを睨んだ。

「何の日付か、わかるかな」

「わかりませんよ」

「『エンブリヲ』の仲間が、死んだ日だよ」

 エンブリヲ?

 それは、いったい。

 思索が広がるよりも、目の前の状況ばかりに頭を宛がっている。

 張りつめた空気。

「そうですか」

 クリスティンは言った。

「で、それがなんですか?」

「なぜ、そんな素振りを見せるの」

「意味が分かりません」

「知ってるくせに。憶えてるくせに。忘れてないくせに。見てたくせに。認めてるくせに――そんな風に、そんな態度で、踏みにじるの」

「つまらないことを憶えているんですね。仲間が死んだ日、ですか……」

 クリスティンが静かに答えた。

「どうでもいいことです」

 そして、そう零す。

 突き放すような彼女の言葉に、メリアは目を見開いた。

「殺す」

 メリアが笑い、彼女の体がふわりと宙に浮いた。

 そこにクレイドールが大量に現れた。






 ルクセルグの国へ入る門に辿り着いた。平原を越えるのに少し時間が掛かったけれど、まだメリアたちも城へ着いた頃だろう。それほど遅れは取っていないはずだ。平原には学院生の姿は見えたけれど、自分には見向きもしなかった。自分もメリアたちを捕まえる学院生の一人だと思われたのだろう。好都合だ。早く追いつかなければ。通り抜けるために門番を探す。しかし、誰もいなかった。

「勝手に通って構わないのかしら」

 門を通り抜けて、空を見上げた。

 そこに溢れていたのは、ラプターだった。青かったはずの空は、また数日前と同じように黒々しい姿が見たし、空を回転し、建物へ激突する。魔法で抵抗する姿も見え、火炎の赤い放射の直線が時折煌めいた。人の姿も見える。

「――――まさか、あの二人」

 約束を破った!?

 やはり別行動を取ったのがよくなかったのだろうか。いや、一緒に行動していても、彼女たちの行動を完全な形でコントロールできるなんて思ってもいないし、そんな権利や責任は私にはない。だけど、戦いだけは避けなければって思っていたのに。クレイドールが現れるのは、二人の意志とは関係ないことは知っている。けれど、二人の身が危険にさらされたり、何らかの意志に伴って現れるという傾向はある。とすれば、クレイドールが出るような、彼女たちの意志を揺さぶる出来事があったということか。もしくはパーシヴァルに辿り着き、彼を嬲るためにクレイドールが現れたとか。しかし、そんなに生易しいものなのか。

 私は街を駆け出し、すぐに駅を越えて、建物の屋根へと飛び乗ると、炎の渦を空に噴射した。まずはクレイドールを削らなければ。ラプターもいるし、何よりドッグヘッドもキャットヘッドもいる! 二人はどこにいるのだろう。合流して、とりあえずクレイドールは殺しておかなければ。

 屋根を駆け抜けていると、空で戦っている誰かを見つけた。ラプターと、じゃない! あれは――。

「ハヴェン!」

 声を高らかに上げると、彼は相手を一度吹き飛ばし、こちらに降り立った。彼は無傷だった。

「遅えよ。何やってんだ」

「それよりも、クレイドールが出てるのはなぜなの。無意味な戦いは無しって言ったじゃない!」

「あ? クレイドールは俺たちの意志で出るわけじゃねえって言っただろ。感情が昂ぶったりとかすりゃまた別かもしれねえがな。出る原因があったとすりゃ、メリアじゃねえのか。俺は知らねえよ」

「メリアに何かあった――?」

「さあな。煽られて、怒ったんじゃねーの」

 城だ。城の上の方から、まるで壊れた壁から水が湧いて出るように、ひたすらクレイドールが湧いて出てきている。ということは、メリアはやっぱり城にいて、そこで何かがあった。例えば、彼女が怒るようなこと。パーシヴァルと会ったのか。

「……ハヴェン。戦いは中止よ。パーシヴァルよりもクレイドールを殲滅しなきゃ」

「あ?」

 ハヴェンは眉を寄せた。

「中止だと? んなもん知るか、てめえで勝手に中止にしやがれ。俺たちはパーシヴァルを殺しに来てんだよ。誰かを助けるためにじゃねえ。無意味な戦いがどうってのも、お前が勝手に決めたことだ。俺には関係ねえんだよ」

「でもそれじゃ」

「甘えんだよお前は。ならお前は頑張って助けてろ、クレイドールも殺してろ。だがな、んなことしてる余裕があったら、さっさとパーシヴァルのところに行けてんだよ。時間の無駄だ。俺はパーシヴァルをぶっ殺す。幸いこの騒ぎで、さっきの兄ちゃんも俺どころじゃなくなったろうしな。せいぜい人助けでもしてろ。俺は先に行く」

「ハヴェン。待ちなさい――ハヴェンっ」

 彼は魔法浮遊で空に飛び立っていった。すぐに追いかけようとしたが、飛び上がる寸前にラプターが長い嘴を使って私を啄もうとする。邪魔――飛び上がる勢いをそのまま、自分の剣に籠めるように黒い体躯を切り裂いた。それから空に飛び上がり、縦横無尽に発生し続けるそこらじゅうのラプターを炎魔法で八つ裂きにした。火球を放ち、自分のすぐ下を飛んでいたラプターの首を剣で下突きする。剣を抜き、叫び声を上げるラプターを燃やし尽くしては、別のラプターに斬りかかった。

 その瞬間、横から何者かの攻撃の気配を感じ取る。

 誰――。

 体を捩って、そちらに剣を振った。甲高い金属音が響き、剣と剣がぶつかり合う。

「あっ」

 私に斬りかかっていたのは、ヘイガーさんだった。

「ヘイガーさん!」

「一年か」

 剣を下げて、ゆっくりと近くの建物の屋上に降り立った。彼はローブの粘土細工の粉を手で払った。

「なぜ私を攻撃したんですか」

「さっきのあの少年と話していたからな、仲間だと思った。遠くで顔までよく見えなかったが、まあいいと思ってな」

「よくありませんよ。腕――怪我をしていますが」

「あの少年にやられた」

「彼と戦って無事だったんですね」

「あいつはなんだ? 二種の魔法を使うようだが……」

「詳しい話は後です。またクレイドールが出てしまいました。私は彼の跡を追って城へ行きます」

「城に何がある?」

「パーシヴァルがいます。あの子はパーシヴァルを殺す気なんです」

「そうか――だから捕獲か」

 ヘイガーさんは顎を押さえた。

「すみません。クレイドール殲滅の指揮をお願いします。もうあの二人を捕まえる必要はありません。学院生がこの街にもたくさんおられると思いますが、ただクレイドールを倒すことだけに集中しろって、他の皆さんにも伝えていただけませんか。彼は私がなんとかします」

「そう言って、手柄を横取りする気だな特待生」

「そんな余裕があるわけないじゃないですか」

 こんな時でもそんなことを言うのか。私は肩をすくめた。

「冗談だ。健闘を祈る。話はあとで聴かせろ」

「ありがとうございます。アーニィさんが戻ってくるかもしれません。その時は、ちゃんと守ってあげてくださいね」

「ん? ああ。よくわからんが全力を尽くそう」

「お願いします」

 何をお節介なことを。

 ヘイガーさんと私は反対方向に飛び立ち、その移動の過程でラプターを切り刻み、キャットヘッドとドッグヘッドを殺した。薙ぎ払い、炎の渦で焼き殺す。片手に炎を纏わせて、噛付きにかかってきた一匹の喉元を掴み、そのまま炎を体に流し込んだ。連続で下に向かって魔法を放っては、魔法浮遊とクレイドール討伐を同時にこなす。連続で行えば移動スピードも速かった。

 甘い。

 確かに、私は甘いのかもしれない。

 もしヘイガーさんがハイブリッドだったらどうするの。アーニィさんも。なのに、なんとなく二人の仲を取り持つような、とても地味だけれど、そんな言葉を掛けてしまった。二人に上手く行ってほしいと、小さく心が囁いている。もし殺すことになったら、容赦なく殺すのだろうけど、だったらそんなことしなくてもいいのに。もっと冷たい態度で接してもいいのに。彼らはとても仲のいい友達だから、もしその一人を殺せば、彼らは悲しむのだ。だから、こんな風に情を寄せたところで意味はない。彼らの未来がどうなろうと、もっと知らんぷりしてもいいのに。

 人と話すと、いろいろと後悔する。こんなことしている場合じゃないのに、こんなこと話している相手も、私が犯人を殺せばきっと離れていくのに。私のことなどどうでもいいのに。私自身がここに築いたいろいろな関係も、どうせ崩れ去っていくのに。どうしてこんなことしているんだろう。ただ無垢に、真実だけ求めていれば。犯人とパーシヴァルのところへ、ただひたすら追いつこうともがいていればいいというのに。馬鹿なのかもしれない。もう少し、賢くないといけないはずなのに。

 これがあなたのいう、甘さなのねハヴェン。

 けれど殺すわ。

 構わない。

 もし真実が私の手に入り、いったい誰がハイブリッドなのかわかったら。

 誰であっても、その人を殺す。





 クリスティンは圧倒的だったが、メリアも息切れ一つしなかった。メリアの剣撃を、クリスティンは片手で諌める。ウィルは大広間を飛び交うクレイドールを切り裂きながら、彼女たちの戦いを見守っていた。ウルスラと背中合わせで、目まぐるしく黒い影が自分を襲い来る。しかしほとんどがキャットヘッドどドッグヘッド。簡単に殺すことが出来る。そんな最中激しくぶつかり合うクリスティンとメリアは、上級生や高等魔導士よりも遥かに高い次元の戦いをしていた。ウィルは時折、その戦闘の動きに目を奪われて動きを留めかけた。

 クリスティンは応用力の高さと魔力の迸り方が異常だったが、それでも余裕に瞳は煌めいて、まったく寄せ付けない異次元の程度を見せつけていた。氷の球体を大量に生成してはメリアに飛ばし、メリアがそれを避けると、氷の球体は天井に激突して粉砕。その粉砕された氷の破片が今度はつららの形状となってメリアに一直線に伸びる。自分の手元から離れた水と氷が、まるで意思を持つようにメリアを狙い動いた。一方メリアの炎は渦巻き、生物のような動きを繰り返す。クリスティンの足元を狙い、掴みかかろうとする炎の渦。クリスティンは流麗に動き、空中でも氷の弾丸を連続で放っては、レイピアでメリアの体を的確にとらえようとしていた。メリアはレイピアの一撃をほとんど寸前で避ける。背中にも目があるような動きをしていた。

「お強いんですね」

「知ってるくせに。知ってるくせに、知ってるくせに、知ってるくせに」

 メリアは無表情で、同じ言葉を何度も繰り返しながら攻撃をしていた。苛烈さを増すメリアの魔法は、魔力の消費をまったく考えていない、ほとんど自棄のような圧力を持っていた。しかし魔法のコントロールは正確で、態度とは全く違う魔法の精度を誇っていた。心理的な動揺があったり、自棄のような魔法では当然魔法は安定しない。しかしメリアの言動とはまったく不釣り合いの威力を誇っている。ウィルはクレイドールを切り裂きながら考えた。

 つまり、あの状態が『正常』だと――?

 クリスティンはレイピアをメリアの顎に突き付け、寸止めした。炎が舞った最中で、メリアは動きを止める。クリスティンが手首を少しだけ捻るだけで、メリアの下顎に突き刺さる寸前の、絶妙な位置と間合いがそこにあった。クレイドールはほとんど全滅し、大広間は粘土細工の破片と、それらを燃やす炎、氷魔法の名残である水溜り――城の中の赤いカーペットには、乱雑な戦いの跡が広がっていた。

「学院長を、お探しなのですね」

「うん」

「でしたら、ひとつ」

 メリアは一撃を食らう寸前だというのに、動揺すらない。

 クリスティンは片手で眼鏡を押さえた。

「パーシヴァル学院長は、もうこちらにはおられません」

「嘘」

「本当です」

「どこ」

「教えません」

「教えて」

「嫌ですよ」

「教えて」

「嫌です」

「どうして」

「私は指示に従うまでです。そうパーシヴァル学院長がおっしゃられたのです」

「あなたを殺せば、教えてくれるの」

「私が死ねば、喋る口がありません」

「なら死ね」

 メリアはふらっと後ろに倒れるそぶりを見せながら、両手に炎を瞬時に蓄えた。ほんの、数秒の間だった。

 ウルスラさんが目を細めた。その炎がメリアの手のひらに集まる速度と密度が異常だった。それは噴射するものではなく、ほとんど火球を生み出すだけの力だった。彼女の手のひらを中心に、火球が熱を高め、球を大きくした。瞬きの合間に、その量は膨大な赤い色を孕み、メリアは仰け反った体を回転させて、空中で不敵に笑った。


 



 

 そうして前に目を向けた瞬間、ルクセルグの城が轟音を立てて炎を噴出し、爆発した。


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