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幼年期の終わり①

 その家は、北都ルクセルグの城下町からかなり南下した、山岳地帯の入り口、そのすぐ脇の完全に廃墟と化した集落にあった。集落に人の姿は無く、すでに植物が家々を蝕みつつあり、閑散とした空気に雪の冷たさが響く。二人に連れられて村に入った私は、その異様な静けさに首をいつまでも回し続け、その景観をただ見つめてばかりであった。村は小さなものだったため、一番奥の、二人が使用しているらしい最も廃れていない家に辿り着くのもすぐだった。他の家が植物に壁まで這われているというのに、その家だけはとても綺麗な状態で残っていた。ここが拠点だとしたら、そういう理由だからこそかもしれない。

 二人の服装は学院のローブ。

 しかし、二人の年齢的にはまだ入学できないはずだけど――。

 家に入ると、中央に簡素な木造りのテーブル、ルクセルグ製の暖炉が存在感を持って部屋に鎮座しているのがまず目に入った。掃除をしたのか、没落した集落の中ではかなり異質な空間だろう。少女は奥の部屋に入り、お茶を用意するね、と言った。幼いと決めつけてはどうかと思ったけれど、少なくともそれらしい子に気を遣われるのは、少しだけ大人げない。テーブルの席に少年がつくと、私は遠慮がちにその向かい側に座った。少年は後頭部に両手を回し、退屈そうに欠伸をした。

「この集落は――過疎で城下町に住民が移住した、そのなれの果てでしょう。あなたたちは一緒に移住しなかったの? 家族は? それに、パーシヴァルのことは――」

「そう一気に質問するなよ。きちんと答えてやる」

 少女が消えて行った扉が開き、彼女は暖かい飲み物を私の前に置いた。とても普通のお茶だった。二人は私の向かいに座った。姉弟をこうして並んでみると、確かに似ている所があった。目元もそうだし、雰囲気も。あまり年が離れていないようにも思えてる。私の観察は、少女のゆるりとした言葉の切り出しで中断され、静かに会話が始まった。

「自己紹介をするね。わたしはメリア。こっちは弟のハヴェン」

「メリアとハヴェン」

「それで――何から話せばいいのかな、お姉ちゃん」

「アリサよ」

「アリサお姉ちゃん」

 きっと何もかも、気色の悪い感触がうなじをなぞった気持ちにさせられることが、もし私たちが何もない場面で出会っていれば起こり得たかもしれないと思った。しかし、今はこの少女の言葉遣いに、少しも臆するべきではないと、自分の中の自分がいつもよりずっと真面目に、暴走しがちな心を諌めてくれている。思った以上に落ち着けている自分を、少しだけ褒めたかった。少女――メリアは私に対して、そのようなへつらった言葉を使うけれど、果たしてそれは、その言葉通りの意味でよいのか。彼女は決して私を完全に認めたと、そんな呼称で決めようなどとは考えていないのだろう。まだ、何もわからない。

「……あなたたちのこと、全てよ」

「全て」

「魔法のこと。ハイブリッドのこと。パーシヴァルのこと……クレイドールのこと。何もかも、私に話しなさい」

「いいよ。きっとお姉ちゃんはわたしたちの力になってくれる。そう確信しているから」

「――あなたたちは、何者なの」

 メリアはお茶を一口飲むと、冷たい瞳で告げた。

「わたしとハヴェンは、ヘヴルスティンク魔法学院が秘密裏に行っていた、人工的にハイブリッドを生み出す計画の試験体なんだよ」





 ウィルが目覚めると、そこは真っ白な部屋だった。

 ゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。その際体がじわりと痺れて痛んだ。問題の場所を見ると、包帯が巻かれている。――なんとなく思い出してきた。あの変な少年と交戦していて、気を失ったのだった。きっと怪我をしたのだろう。それで、何もかもが終わった後に病院に運ばれてきたというわけか。治癒魔法の痕跡が見て取れるから、すでに治療済みなのだろう。ただ治癒魔法で傷が治っても、内側の痛みはすぐには引いて行かない。これはまだ動けるには少しだけ時間が必要かもしれない。ウィルはベッドの傍にあるテーブルにあったガラスコップに水が入っていることに気付くと、喉が渇いている心地を思い出し、すぐにそれを飲んだ。体が満たされた気持ちになり、すっと頭が清々しさに包まれた。ぼんやりしていた意識も楽になった。

 それから窓の外を見ると、街の景観が見えた。

 ――が、屋根の上にはクレイドールによる粘土細工の破片と粉が大量に撒き散らされており、景観をかなり損なっていた。雪とはまったく違う。住民たちが総出で、屋根の上の粘土細工を掃除している。空はすでに青空で、どうやら戦闘は完璧に終わったと見えるが、住民たちの清掃はとても大規模なもので、まだまだ一件落着とは言えないと思われた。

 しばらくすると病室のドアが開いた。

「……あれ?」

 そこに立っていたのは、ヘイガーとアーニィだった。

「ウィルフレッド、目が覚めたのか」「お久しぶりね、ウィル君!」

「ヘイガーさんに、アーニィさん? どうしてルクセルグに……」

「緊急に招集されたんだ。話は聞いた。大変だったな」

「緊急?」

「大量にラプターが出たと聞く。それは前代未聞だろう。学院長が各支部から十人ほどで結成された隊をルクセルグに連れてくるように通達があったんだよ」

「それであたしたちも来たってわけ」

「なるほど……」

 となると、五年前の事件の五人が揃った可能性は?

「残念ながら、ヲレンは来ていないぞ」

「あらら、そうですか」

「あいつは今回の通達による各支部の小隊に加わらなかったみたいだからな。だから、お前たちが目当ての五人は、ここには四人しか揃っていない」

「それは構いません。どちらにしろこちらから会いに行きますから……それより、ウルスラさんは?」

「ウルスラは無事よ、安心して。治癒魔法もちゃんと効いたし、ぴんぴんしてるわよ」

「それは……それはよかったです」

 ウィルは安堵した。それが気がかりだった。

「というか、お二人はルクセルグに来るの、早くないですか? 伝令があって、すぐに小隊が編成されたんですか」

「何言ってるんだ。お前が気を失って、もう三日は経つらしいぞ」

「三日!? 三日も寝てたってことですか?」

 ウィルは自分の手のひらを見た。なんてことだ。

「まあ、今まで気が張っていたのが、一度ぴんと切れてすっかり体もそういう状態に入ったんだろう」

「休めてよかったじゃない? 羨ましいわぁ」

「羨ましいって、お前はいつも休んでいるだろうが」

「ひっどーい、真面目に演習出てるわよあたしはっ」

 二人のやり取りを尻目に、ウィルはいろいろなことを考えた。三日か。随分と時間が経ってしまった。情けない。その間に様々な動きがあったのだろう。ラプターの大量発生。これは確かに前代未聞だ。もちろんある程度の数を伴って出現するのがラプターとは言えども、あんなにも当然、そして空に突然大量に――というのは、明らかに今までとはパターンが異なる。何かの前触れか、何らかの予兆だろうか? パーシヴァルがこの三日間の間に、各支部で生徒の小隊を組ませて、ルクセルグに招集したというのも少しばかり気になる。パーシヴァルはそのような用意をしなければ対応しきれない事態が起こると、何か勘付いているのか、知っているのか。どちらにせよ、決して気を休めていい話ではないだろう。

「パーシヴァル学院長が、なぜ皆さんを招集したのか、その理由は聞きましたか?」

「いや。明日ルクセルグの城で、小隊を集めた会があるが」

「そうですか。そこで何か、パーシヴァルの目的が見えてきそうですね」

「ねえねえそれよりさあ、アリサちゃんは?」

「アリサ?」

 ウィルはアーニィの問いで、やっと思い出した。

 アリサはどこ行った?

「いえ、知りません。えーっと、ラプターが出た時より少し前から別行動というか。別行動している時に、突然事件があったという感じなので、全然会っていないんです。支部に戦闘の痕跡があったので、おそらくクレイドール討伐に乗り出していたとは思うんですが……お二人は会わなかったんですか」

「会ってないな。一応ルクセルグ支部にも行ったが、姿は見ていない」

「この病院にいる学院生も、ウルスラとウィル君だけって聞いたけど……」

 他の学院生は、結局間に合わなかったのだろう。演習で街の外に出ている際のクレイドール襲撃だったのだから仕方がない。結局戦闘に出た学院生は自分とウルスラだけで、だから病院にいるのも二人だけということか。だとすれば、なおさらアリサの行方が気になる。

「じゃあアリサは病院にはいないのですね。どこにいるんでしょう」

「あの一年、また暴走してるんじゃないのか」

「それは逆に考えれば、暴走するに足る何らかの要因があったわけですよね。それはなんでしょう」

「ラプターのことと関係があるのかも?」

「まあ間違っても死んではいないでしょうけど」

 アリサに限って、ラプターに殺されるはずもない。

 では、やはり一人で行動しているのだろうか。ウィルは顎に手を当てた。なぜ自分に話さないのか。となると、考えられるのは、話す余裕がないということ。自分のところに、その行動の善し悪しについて判断を委ねることができないか、する必要もないと考えたのか。もしくは、自分のところに来る余裕をもったいぶっても、それを追求しなければならないというものが目の前に現れたか、だ。――ウィルの頭に、あの少年の姿が過ぎった。

「今度の事件、誰か首謀者のような人物がいるとの情報は?」

「なんだそれは。そんな情報はないがな」

「……そうですか」

 となると、あの少年は捕まっていないのだろう。逃げたのだろうか? アリサがいないことと無理やり関連付ければ、アリサは彼を追って行ったのではないか、と考えられる。そうなれば、わざわざ自分のところに来る余裕なんかよりも、彼を追う方が先決に決まっていて、誰にも行く先を告げずに彼を追求していることとなる。もしそうじゃなければ、どこにいるかはわからないけれど……あの戦闘にパーシヴァルが参加したことに、アリサは気付いているのだろうか。元々奴に会うためにここに来たのだから、今がその機会にもっとも触れやすいと思うのに。もちろん、彼女なりに考えはあるのだろうが……。

 ウィルはあまり不安がるのも良くないとアリサのことは放り投げ、二人に言った。

「ルクセルグでも小隊が組まれたんでしょうか? それか、どこかの小隊に空きはないんでしょうかね」

「どういうことだ?」

「パーシヴァルによる集会、俺も参加したいんです。いえ、しなければならない気がします」





 わたしたちはルクセルグに生まれた。ちょうど、この集落だよ。この集落は数年前に、過疎で住民が全員ルクセルグの中央に移動してしまったけれど、わたしたちがいた頃は、まだここに人は住んでいた。……そう、ここはわたしたちの家で、今はわたしたちの住処。ずっと前に、わたしとハヴェン、お母さんとお父さんが暮らしていた家だよ。もちろん、もう二人はいないけど。――殺されたんだよ。

 わたしとハヴェンは双子で、十三歳。だから、四年くらい前かな。学院の教師が突然わたしたちの家にやってきて、お父さんとお母さんを殺して、わたしとハヴェンを誘拐した。わたしとハヴェンは、幼い頃から魔法の素質があったらしくて、眠らされて、王都まで連れて行かれたんだ。そして、わたしたちが目覚めた時には、すでにそこに光はなかったんだ。とても真っ暗だった。小さな灯りだけが、天井に点っていて、牢屋のような鉄格子が冷たい石造りの部屋の一方に塞がっていた。わたしたちは誘拐されて、監禁されたんだ。それはなぜか――ヘヴルスティンク魔法学院は、人工的にハイブリッドを作り出そうとしていたんだよ。

 わたしとハヴェンは手錠に繋がれて、少しだけ広い部屋――もちろん、とても暗かったけど――に連れて行かれた。そこには、わたしたちと同じ年くらいの子どもが数十人ほどいて、たくさん泣いていた。わけがわからなかった。連れて行かれる時に、大人しくさせるために殴られた頬が痛くて、ハヴェンなんかずっと怯えていた。わたしはお姉ちゃんだったから、ずっと強がって見せたけど、でも、怖かったんだよ。アリサお姉ちゃんにはわからないかもしれないけど、意味も分からず、真っ暗な世界に押し込められて、同じような子どもたちが泣いているって、頭がおかしくなるよ。かろうじてわたしはそうならなかっただけなのか、わからない。もしかしたら、狂っちゃってるかもしれない。ごめん、話がずれたよね。

 そうやって一つの部屋に集められたわたしたち子どもたちの前に、一人の男が立った。

 それが、パーシヴァル・イグニファスタス……ヘヴルスティンク魔法学院の学院長だよ。

 彼はとても優しい顔で、こう言ったんだ。

 ――君たちはとても優秀な子どもたちだ。幼い時から、他の子どもたちよりずっとずっと魔法が上手に扱える。それも、ちょっと優れているなんてものじゃない。学院に入れば簡単に一番を取れてしまうような、それくらい素敵な魔法使いになれる素質を持っているのだよ。そんな君たちを使って、我々は一つ、ある試みをしたいと思う。君たちは一人一気質の原則を知っているかな。そう、炎、水、風、雷、治癒の五種の魔法気質。個人はその五つのうち、たった一つしか扱えない。これは世界の原則で、捻じ曲げることのできない絶対の原理だ。だけど、時代が呼んだ奇跡の人間だけは、そんな原理を破壊することができる。

 そんな魔導士を、我々はハイブリッドと呼んでいる。

 このハイブリッドは、本当に希少な人間で、なりたいと思ってもなれるものじゃない。努力が宿してくれるものでもないのだ。千年の一度、それくらいの長い時間の中で、本当に奇跡のような確率で生れ落ちる、最強の魔法使い。それがハイブリッドだ。その存在は原理を捻じ曲げるがゆえに、多くの才能を所有し、歴史を動かし、時代を変える。数千年前に存在した「古代の魔女」などもそうだった。とにかく、とても素晴らしい、最高の存在がハイブリッドなのだ。

 だから、きっと出会うことはできないだろう。

 しかし、それで諦めるほど我々は弱くはない。

 その存在は満ちのもの。何かの拍子に生まれ落ちるかもしれない。その高みに届く可能性があるのかもしれないと考えると、私はその存在を、自分の手で生み出してみたくなったのだ。人工的に造り出すことができないと、誰かが決めたわけではない。今の学院の研究機関は、最高だ。ここは学院の地下で、充分な設備は整っている。

 君たちを、ハイブリッドにさせてあげようではないか。


 ……パーシヴァルは、世界中で極めて有望な魔法使いの素質を持つ子どもたちを、学院の地下施設に集め、ハイブリッドを人工的に創造しようとしたんだよ。そのために、わたしとハヴェンは集められた。その計画の実験のために集められたわたしたち数十人の子どもたちは、『エンブリヲ』を呼ばれ、とても辛い実験を強いられるようになったんだ。

 実験は、思い出すだけで吐き気がする。

 当然ハイブリッドを創造する理論などあるはずがない。あっても、それは仮説でしかない。だから、学院の研究員たち――教師も中にはいた――は、わたしたちに、ただ考え得るだけのあらゆる手段を尽くした。地下には悲鳴が響いたよ。

 壁に縛り付けられて、一日中、死なない程度に電魔法を浴び続けたこともある。死なない程度に水魔法を……死なない程度に炎魔法を……魔法でさんざんいたぶられて治癒魔法を浴び、そのまま続けて拷問のような実験に放られた。精神が追い詰められればハイブリッドとしての力が覚醒するのではないか。一日中、魔力が切れるまで魔法を放たせ続ければ、極限を超えるのではないか。そんな馬鹿みたいな論理が、わたしたちをいたぶる研究者たちの囁きに混じって聞こえた。

 ルクセルグの支部で、わたしは教師を殺したね。

 あの教師は、実験に参加していた。わたしたちに魔法を浴びせ続けたんだ。自業自得だよ。だから殺しても構わなかった。もし支部を回って、一度でも実験で見かけた教師がいれば、ためらわないで殺すつもりだった。結局アリサお姉ちゃんに会って、今は保留になっているけれど、それでも、まだ収まりは付かない。殺すことは悪いことじゃないよ。

 実験はいつまでも続いた。あれが駄目なら、これはどうだろう。馬鹿だけど発想だけは尽きなかったんだ、地下にいた研究員たちは。とにかく、いろんな方法でわたしたちを追い詰めて、魔法を浴びせ続け、極限を再現して、洗脳しようとした。夜、牢屋に入れられて、一緒に地下に入れられたエンブリヲの皆と励まし合ったり、話すのだけが救いだった。でもそんな子どもたちも最初は数十人もいたのに、時間が経つ度に少しずつ減っていった。実験で死んでいく子どもを何人も見たよ。手錠で繋がれながら部屋を移動する時、水魔法を浴びせられ続けて溺れ死んだ友達の死体を見た。雷魔法で目をむき出しにして倒れた子も……炎魔法をあまりに苛烈に浴びせられ続けた所為で、真っ黒に焦げて、灰みたいな姿で死んでしまった子も……治癒魔法のために、わざと全身を怪我だらけにされて、そのまま気を失って死んでしまった子もいたかな。魔法は残酷で、実験は残酷だった。何人も死んでいった。わたしとハヴェンも限界だったけど、それは死んでいないだけで、生きてはいなかった。エンブリヲは、最後にはわたしたち二人だけになった。もう計画が始まって、四年が経とうとしていた。

 そんなある日のこと、わたしは本来の気質だった雷魔法ではない、炎魔法が使えるようになった。 

 そしてハヴェンは、本来の気質の水魔法じゃない、風魔法を……。

 人工ハイブリッドが、完成したんだよ。

 もちろん、五種全てとはいかなかった。本物なら、五種全てが使えるはずだからね。だから、わたしたちは出来損ない。エンブリヲのままだった。だけど、研究員たちは大層喜んだ。一応、一人一気質の原則は凌駕したんだからね。当たり前だ。だけど、わたしたちはもう、限界だった。魔法を二種類使えるからなに? さっさと殺して。そう思っていた。

 そんな時だよ。一か月前。

 わたしとハヴェンが眠っている地下牢の天井が、突然爆発したんだ。そしたら、天井に開いた穴から、誰かが逃げろって叫んだ。地下は真っ暗で、外の方が明るかったから、その人の顔は見えなかった。わたしはハヴェンの手を取って、そこから死にものぐるいで逃げたよ。そこは学院の真ん中だったけど、見られてもいいから、逃げようと思った。もう、天井に穴を開けた人はいなかった。その穴の辺りは爆発で炎が燃え盛っていて、人は皆そっちを見ていたから、逃げやすかった。布きれみたいな囚人服だったから、誰もいない部屋に忍び込んで、二人のローブを手に入れた。勝手に列車に乗って逃げた。お風呂屋さんにもこっそり入って、食べ物も盗んで、この一か月暮らした。久しぶりの外は、気持ちが良かった。あんなに死にたかったのに。

 でも、死にたかったのは確かだった。

 その時のわたしも、ハヴェンも、本物だった。

 同じ時に抱いた感情も、本物だった。

 わたしたちをこんなにした、エンブリヲの皆をあんな風にした、学院が憎い。

 パーシヴァルを殺してやりたい。

 もう生きることに疲れたけれど、それでもただで死にたくなんかなかった。血や涙に溺れて、やっと呼吸ができたのに、このまま逃げるなんてありえない。他のエンブリヲのみんなも、きっと悲しんでいて、許せないって憎んでいる。わたしも、自分に素直にならなきゃ駄目だって思うから。だから、この命を捧げるよ。もう子どものままのわたしたちは終わってしまった。この手には、皮肉にもあいつらが作っちゃった、強い魔法があるから。

 ねえ、お姉ちゃん。

 わたしたちは、復讐するために立ち上がったよ。

 パーシヴァルを殺す。

 学院も、潰すよ。





 

 語られたのは、壮絶な二人の物語だった。

 それなのに、メリアはひたすら淡々と語り、時には笑って見せた。ハヴェンは黙って聞いていたが、時折歯ぎしりの音がし、鋭い瞳が光った。彼はとても感情的なのかもしれなかった。そしてメリアは、とても穏やかだったが、その穏やかさが恐ろしかった。そんな話を、穏やかに語らないで。そう言いたかった。あなたは怒るべきなのよ。

 私は片手を見た。握った手のひら。爪が、手のひらに食い込んで血が出ていた。

 怒っていたのは、私だったのね……。

「ありがとう……ごめんなさい」

「アリサお姉ちゃんが何を謝るの?」

「そんな話をさせてしまったことよ」

「しなきゃいけない話だったと思うよ。もう過去のことだよ。気にしないで」

「過去のことじゃないでしょう」

「そうだね。過去なんかじゃないよ」

 メリアは片手に炎を小さく灯した。

「あいつらに、全部刻み込んでやるんだ。過去なんかじゃない。今も未来も、ずっと変わらない傷がわたしたちにあるということを」

 メリアは楽しそうだった。

 私は静かに、もう一つの疑問をぶつけた。

「クレイドールが、あなたたちに従っていたようだけど。操れるの?」

 ハヴェンが口を開いた。

「それはまだ、俺たちもわからねえ。どうも二種の魔法が使えるようになってから、クレイドールをなんとなく呼び出せるようになった。もちろん完全に操れるわけじゃない。もし俺やメリアが攻撃されそうになると、まるで守るようにそこにクレイドールが現れたり、俺たちが誰かを殺したいとか、街を襲え、なんて願ったりすると、あんな風にラプターを呼び出せたりする」

「呼び出せないこともある?」

「ある。不確定だ」

「ルクセルグの支部でレプティルを呼び出したのは、そういうことね」

「そうだねお姉ちゃん。ふっと現れて、すぐにあいつを噛み千切ったよ」

「ラプターの不自然な大量発生にも納得がいく」

 もちろん、なぜ二種の魔法が使えるようになるとそのようなクレイドールの奇妙な発生が見て取れるのかはわからない。従っている? 呼び出せる? 不確定な要素はあるが、ハイブリッドになるとクレイドールを操ることができるのだろうか。二人は出来損ないと称したけど、五種の魔法が使えるわけではない。二種。ハイブリッドになり切れていない。当たり前だ。そもそもハイブリッドは奇跡の人間で、千年の一度の逸材なのだから。

「お姉ちゃん、これでわかってくれたかな」

 メリアが首を傾げた。

 二人の話で、多くのことがわかった。一か月前、ヘルヴィニアの学院で起こった不可思議な爆発。あれは、誰かが二人を助けた際に爆発したものだったのだ。いったい誰なのだろう? そして二人は昔二人が住んでいたこの家に戻り、拠点にした。そして、復讐のためにパーシヴァルを殺すことを誓い、あぶり出すためにラプターを呼び出した。二人が魔法を二種使えるのは、学院が行った残虐非道な人工ハイブリッドを創り出す実験の果ての結果だったのだ。

 私はメリアの言葉の意味がすぐにわかった。あまり悩まなかった。

「そうね。もう躊躇する必要はなくなった。パーシヴァルは惨たらしく死ぬべきよ。彼から私の求める情報を引きだしたら、あとはあなたたちに殺させてあげるわ。学院を潰すのにも協力する。もうあの学院に知り合いがいるとか、そんなの関係ないわ。滅ぶべきよ、何もかも」

 パーシヴァル。

 あなたはやはり最低の人間、屑ね……。

 私は話を聴いて、もう彼のことを許す気は無くなった。もしハルカの死で、奴に事情があれば殺さないで済む可能性もあったけれど、もうそんな選択肢は有り得ない。私は手のひらの血を舐めた。この二人が殺せなかったら、私が代わりに殺してやる。できるだけ苦しめて、許しを請う言葉が出ないほど痛めつけて死ねばいい。生きる価値もない。ハイブリッドがそれほどの存在だとして、結局多くの憎しみを自分に向けてしまった、その腐った運命を呪えばいい。

「それでお姉ちゃん――お姉ちゃんの話も、聞かせて」

「そう……そうだったわね」

 私は自分のこと、ハルカのこと、そんな多くの事情を二人に話した。



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