1on1はデートにはならない
放課後の体育館でボールをつく音とシューズが擦れる音が響いていた。不規則なそれらの音はひっそりと、しかしながら絶え間なく聞こえてくる。
静かでありながら騒がしい、涼しいようで暑苦しい、か弱いようで力強い、そんな矛盾を孕んだ不協和音は二人の男女が作り出していた。
向かい合って片方がボールを持ち、迎え撃つ方は腰を落として手を広げる。そして、その背後には口をあけたゴールが浮いていた。
ボールを持つのは少年だ。身長は迎え撃つ少女よりも低い163cm。ボールをつきながらゴールを中心に円を描くように移動する。
すると少女もそれに合わせて位置を整える。少年より5cmほど高い身長を低くして虎視眈々と上下移動を繰り返すボールに狙いを定める。
少年がゴールの右方から切り込む。静から動へ瞬時に切り替わった身体は少女の左側を抜けたかに見えたが、一歩左足を踏み出すと少年の目の前に少女の胴体が飛び込んでくる。それに驚いた様子も見せずに、少年は左足を軸にし、自らの身体を盾にターンする。少女は振り向かせまいと少年に身体を密着させる。少年はその押す力を逆に利用して後ろに下がって反転すると振り向きざまにシュートを放った。少女は懸命に手を伸ばして阻止しようとするが、無情にもその数cm上に放物線を描いていった。少年の手を離れたボールはゴールに吸い込まれるように落ちていった。
ボールとネットが触れる乾いた音がして、少年は無邪気に微笑み、少女は悔しそうに頭を掻く。
ゴール下で跳ねているボールを掴んだ少年はスリーポイントラインの外にいる少女にパスを出し、さっきと逆の立場で向かい合う。
少女はボールを手から離さず、上下左右に揺さぶりをかけながら少年と睨めっこする。少女は身体を左に傾けて、重心を左に動かしたように見せる。それに釣られて少年の右足に重心が乗る。それを見計らったように少女の肢体が右側に躍り出る。それはまる張り詰められた弓から撃ち出される矢のようであった。一瞬反応が遅れた少年であったが、持ち前の瞬発力で少女に追いついて見せた。しかし、それをあざ笑うかのように少女の身体が静止する。急な制動に対応できなかった少年の身体は少女の一歩先へ踏み込んだ。そこから懸命に飛び込んだが、それよりも少女の手からボールが放たれるのが先だった。
ボールとリングが当たる音がして、そのままほぼ垂直にボールが落下した。今度は少女が得意気な顔をして、少年は歯を軋ませる。
後にも先にもその繰り返しであった。時にボールがリングに弾かれたり、指先にボールが触れてリング手前で落ちる事もあったが、大概はその繰り返しであった。
こんな事をほぼ一年間、二人は続けていた。
部活の前。
部活の後。
昼休み。
休日。
飽きもせずに二人はその遊戯を繰り返していた。
音が途絶えた時、二人は並んで座っていた。
「もうすぐ卒業ですか。」
「そうね、早いものだわ。」
惜しむように言う少年に対し、感慨深げに少女は言う。
「まあ、その前に入試があるんだけど。」
少女は感傷に浸る自分を叱責するように自嘲する。その様子に少年は苦笑するばかりだ。本来ならばこんな所で油を売っている時期ではないのだ。一般入試を一週間後に控え、普通ならば追い込み勉強に精を出していて然るべき時期だ。
二人の間に静寂が流れる。互いの呼吸音がやけに耳に残る。その中で少年は何かを計る様に少女の顔を窺っていた。そして、意を決したように少女に声をかけた。
「ねぇ、先輩。」
「うん?」
「先輩に伝えたい事があるんですよね、俺。」
そう言う少年の顔は少しばかり朱が混じっているように見えた。
照れくさそうに頭を掻いて少女を真正面から見詰めた。
「俺、先輩の事が好きです。」
「…へぅ?」
少女の口から出た情けない声に少年の口角が釣りあがる。そして、少女の顔も赤くなっていく。
「な、何言ってるのよ。お姉さんをからかっちゃ駄目よ。」
「そんなつもりは無いです。もう付き合って一年経ってるんですよ?」
「…へぁ?」
またも漏れる奇声。それと同時に少年の頬も緩んでいった。
「一年前からずっとこうしてたじゃないですか。二人きりで、何時間も。」
少年のその台詞で先程の台詞の意味を理解した少女は赤面して俯いた。少女はからかわれたと判断したのだろうが、少年の真意はそうではない。
「もしかして、本当に俺の思いに気付いていらっしゃらない?」
その台詞に少女は無言で首肯した。
それを見て少年は大きく溜息を吐くとポツリポツリと語りだした。
「正直、気付いた上で無視してるもんだと思ってたんですよ。俺の誘いを断る事ってなかったし、こんな時期にも付き合ってくれるしさ。そこら辺の恋人より一緒にいたと思う。休日も一緒だったし。
脈ありだと思ってたけど、自意識過剰の勘違い野郎だったわけか、俺は。」
言い終えて少年はガックリと項垂れた。その様子に慌てふためいたのは少女の方だった。
「ああ、あのね、確かに君の思いには全然気付かなかったけど、君は大事な後輩だし、素敵な男の子だって知ってるよ。だから、その………元気出して?」
少女は心配そうな視線を向ける。顔を上げた少年と丁度目が逢った。少年の目元には少々の涙も見て取れた。
「………期待してても良いってこと?」
涙を堪えながら、唇を尖らせ、上目遣いに様子を窺うさまは庇護欲をくすぐられるものがあった。
「あー、その…えーっと………」
少年の台詞に言いよどんでいると少年の口から爆弾発言が飛び出した。
「あんなに見詰め合ってたのに………」
「えーっと?」
向かい合って隙を窺っていただけである。
「肌を重ねる事だってあったよね………」
「はい?」
身体接触が間々あったというだけである。
「何回もデートしたのに………」
「え?」
二人きりの時間だったというだけである。
一言ごとに少年は少女ににじり寄っていく。
次第に近付いていく二人の距離。
そこに至って漸く少年の言葉の意味を理解した少女は立ち上がって一歩身を引いて力の限り叫んだ。
「―――――1on1はデートに入らないわよ!!!」