第8章:離婚の先の誓い
アルベルトがゆっくりと回復していく数日間、二人の間にはどこかぎこちない空気が流れていた。エリザベートは献身的に彼の看病を続けたが、あの日以来、彼の本音にどう向き合えばいいのか分からなかった。
ある晴れた日の午後、エリザベートがベッドサイドで薬草を煎じていると、アルベルトが静かに口を開いた。
「……エリー、すまなかった。君を困らせるつもりはなかったんだ」
「……いいえ」
エリザベートは手を止めず、背中を向けたまま答えた。
「正直、驚いただけです」
沈黙が落ちる。アルベルトは、意を決したように言葉を続けた。
「私は、後悔している。君と離婚したことを」
その言葉に、エリザベートの肩がぴくりと震えた。
「あの頃の私は、若く、愚かだった。王太子という立場に縛られ、何が本当に大切なのかを見極めることができなかった。君という人間の素晴らしさに気づかず、簡単に手放してしまった。……もし、許されるのなら、もう一度……」
もう一度、やり直したい。
その言葉が続く前に、エリザベートはゆっくりと振り返った。彼女の表情は穏やかだったが、その瞳には強い光が宿っていた。
「殿下。私は、後悔していません」
きっぱりとした彼女の言葉に、アルベルトは目を見開いた。
「離婚したことを、ですか?」
「はい」とエリザベートは頷いた。「もちろん、あの時は辛く、理不尽だと思いました。でも、もしあの出来事がなければ、私は今も王城の片隅で、息を殺して生きていたでしょう。土に触れる喜びも、自分の力で何かを成し遂げる充実感も、この村の人々の温かさも、何も知らずに」
彼女は窓の外に広がる緑豊かな農園へと視線を移した。
「離婚したからこそ、私は本当の自分を取り戻すことができました。そして……殿下も、変わられた」
エリザベートは、アルベルトへと向き直る。
「もし私たちが離婚していなければ、殿下は今も、国の本質的な問題から目をそらし、側近たちの言いなりになっていたかもしれません。私たちは、あの窮屈な王城で、互いの本質を見ようとしないまま、仮面をつけた夫婦であり続けたでしょう」
「……」
「離婚したからこそ、今の私たちがあるのです」
彼女の言葉は、アルベルトの胸に深く、そして静かに染み渡った。
そうだ、彼女の言う通りだ。あの別れがなければ、自分は成長できなかった。彼女という唯一無二のパートナーの価値に、永遠に気づけなかっただろう。
失ったものは、王太子妃という形式的な関係。
得たものは、互いを深く理解し、尊敬し合える、かけがえのない絆。
アルベルトは、ふっと息を吐き、穏やかな笑みを浮かべた。
「……そうだな。君の言う通りだ。君は、いつも私の先を行くな」
彼の表情から、後悔の念は消えていた。そこには、真実を受け入れた者の、晴れやかな覚悟があった。
「エリー」
アルベルトは、ベッドからゆっくりと体を起こした。
「私は、君との復縁を望む資格はない。君も、それを望んではいないだろう。それでいい」
彼は、エリザベートの手をそっと握った。その手は、かつての滑らかな令嬢の手ではなく、土仕事で少し硬くなった、力強い働きものの手だった。
「だが、誓わせてほしい。私はこれから、君の最も信頼できるパートナーであり続ける。王太子として、そしてアルベルトという一人の男として、生涯をかけて君と、君が愛するこの地を守り抜くと」
それは、プロポーズの言葉ではなかった。
復縁の誓いでもない。
しかし、どんな愛の言葉よりも強く、誠実な誓いだった。
エリザベートの目に、じわりと涙が滲んだ。彼女は、握られた彼の手を、そっと握り返した。
「……はい。私も誓います。これからも、あなたの隣で、この国のために力を尽くすことを」
二人は、復縁はしない。
王太子と元妃という、奇妙な関係のままだ。
けれど、それでいい。それが、二人にとって最良の形なのだから。
「離婚したからこそ、今の私たちがある」
その言葉を胸に、二人は互いの存在を改めて認め合い、未来へ向かって共に歩むことを誓った。それは、恋人でも夫婦でもない、世界でたった一つの、特別な絆が確かなものになった瞬間だった。




