番外編『王太子の苦悩』
エリザベートを追放した直後の王宮は、安堵と勝利の空気に満ちていた。ゲルトナー侯爵は「これで王家の安寧は保たれましたな」と満足げに言い、リーナ嬢は私の腕にすがりついて「安心いたしました」と涙ぐんだ。私は、それで正しいことをしたのだと、自分に言い聞かせていた。
だが、夜、一人で執務室に戻ると、言いようのない空虚感が私を襲った。
あれでよかったのか?
脳裏に浮かぶのは、離婚を告げられた時のエリザベートの、あまりにも静かな瞳。彼女は、なぜ取り乱さなかったのだろう。なぜ、弁解すらしなかったのだろう。
ゲルトナー侯爵が提出した「証拠」の数々を、私はもう一度見返した。リーナ嬢を脅したとされる手紙、彼女のドレスを傷つけたという侍女の証言。一つ一つはもっともらしく見える。だが、それらすべてを並べてみると、どこか作為的な匂いがした。あまりにも、エリザベートが「悪役」として完璧すぎるのだ。
私が知るエリザベートは、確かに高慢に見えることもあった。だが、彼女は決して愚かではなかった。こんな稚拙で、すぐに足がつくような嫌がらせをするだろうか?
疑問は、日増しに大きくなっていった。
決定打となったのは、ある夜会でのことだった。リーナ嬢が、他の貴族令嬢に囲まれ、勝ち誇ったように話しているのを偶然聞いてしまったのだ。
「エリザベート様がいなくなって、本当にせいせいしたわ。あの方、いつも私を見下したような目で見ていて……。これで王太子妃の座は、私のものよ」
そこには、か弱く怯える少女の姿はなかった。あるのは、野心と嫉妬に満ちた、浅はかな女の顔だけ。
私は、凍りつくような心地がした。
騙されていた。私は、こんな女の涙と、ゲルトナー侯爵の甘言に踊らされて、生涯を誓ったはずの女性を、自らの手で切り捨ててしまったのだ。
それからというもの、私は密かに再調査を始めた。そして知れば知るほど、エリザベートがいかに潔白であったか、そしてゲルトナー侯爵の策略がいかに巧妙であったかを思い知らされた。
彼らは、私がエリザベートに対して抱いていた、ほんのわずかな不満――彼女が感情を表に出さないこと、妃としての務めにどこか乗り気でないように見えること――を巧みについてきたのだ。
すべてを知った時、私は自分の愚かさに吐き気を覚えた。
(彼女に、謝らなければ)
だが、どうやって? 追放したのは、私だ。今更どの面を下げて彼女に会えるというのか。苦悩の日々が続いた。
そんな時、辺境のグラウ領から、信じられない噂が届き始めたのだ。「追放された姫君が、荒れ地を蘇らせている」と。
私は、藁にもすがる思いで、辺境へと向かった。
そして、そこで見たのだ。太陽の下、泥だらけで笑う、私の知らないエリザベートの姿を。
その瞬間、私の苦悩は、後悔へと変わった。
私は、ただ無実の彼女を追放しただけではない。この国にとって、そして私にとって、かけがえのない宝物を、自らドブに捨ててしまったのだ。
この後悔は、一生かけても償いきれないだろう。だからこそ、私は決めたのだ。王太子としてではなく、一人の男として、彼女の力になろうと。それが、私の唯一の贖罪なのだから。




