第9話 処刑台より愛を込めて
反逆は、一夜で終わった。
王弟の私兵は近衛に制圧され、王宮の回廊から血の匂いが薄れていく。床を拭く水の音、破れた旗を片づける布の音、指示を飛ばす声。
戦いの後の王宮は、奇妙に静かだった。死者の数を数える静けさ。勝者が次の秩序を作る静けさ。
私は血の滲む掌を包帯で巻き直しながら、執務室の窓辺に立っていた。夜明けの光が、硝子の向こうで白く滲む。
父王は奥の椅子に座り、疲れ切った顔で黙っている。王弟は別室に幽閉された。処刑は――父王がまだ決断できない。遅い。だからこそ、私は先に動く必要がある。
「姫殿下」
ヴァルターが頭を下げた。近衛隊長の制服にはまだ泥がついている。
「王弟派の貴族を拘束しました。ですが……民が騒ぎ始めています。王都に“王宮で何かあった”と広がっている」
噂は早い。
それは私が利用してきた刃でもある。
「騒がせていいわ」
私が言うと、ヴァルターの眉が僅かに動く。
「……いいのですか」
「隠せば不信になる。不信は革命になる」
私は淡々と言った。鏡がなくても、もう逆算はできる。
「だから“物語”を先に渡す。民が納得できる形で」
父王が掠れた声を出した。
「アリアーヌ……お前は、何をするつもりだ……」
私は振り返り、父を見た。
この人は王で、父で、そして弱い。私の処刑を止められなかった未来の象徴でもある。
「父上。処刑台を使います」
父王の顔色が変わる。
「なに……?」
「反逆者を処刑する台として」
私は言い切った。
あの日、私の首が落ちるはずだった台。民衆の罵声の中心。革命の火種。
――それを、潰す。
「民が求めるのは血です。だが王家が怯えて血を隠せば、民は余計に暴れる。なら、こちらから見せる。王家は揺らがない、と」
宰相が顔を青くして口を挟む。
「し、しかし姫殿下……! 処刑などすれば、王弟派は反発し……!」
「反発させればいい」
私は宰相を見た。
「反発する者は同じ穴の狢よ。今、切らなければまた毒が回る」
言葉は冷たい。
でもそれは、私が生き残るために必要な冷たさだった。
父王は黙ったまま、私を見つめた。
その目に、遅い決断が浮かぶ。
私は待たない。待てば、また負ける。
「父上が決められないなら、私が決めます」
父王の喉が動く。
そして、ようやく短く頷いた。
「……お前に任せる」
その一言が、王権の重さだった。
私は呼吸を整え、言った。
「なら、今日の正午。広場で」
◇◇◇
正午。王都の広場。
空は青い。昨日までの雨と血が嘘みたいに晴れている。
広場には民が集まっていた。怒りと恐怖と好奇心を混ぜた顔。兵の槍が列を作り、処刑台が中央にそびえる。
私は台の上に立った。
豪奢なドレスではない。けれど質素すぎもしない。王家の威信と、民への距離、その両方を針の穴みたいに通す装い。
隣に、ギルバートが立つ。黒い礼装のまま、刃の気配だけを纏っている。
彼の存在が民を黙らせる。
恐怖は秩序を作る。私はその秩序の上で言葉を積む。
「民よ」
声を張る。
私の声が広場に反響し、ざわめきが少しだけ収まる。
「王宮で反逆が起きた。王弟が王位を奪おうとした」
怒号が上がる。「裏切り者!」「殺せ!」
私はその怒りを受け止めてから、続ける。
「だが、王は生きている。国は揺らがない。近衛は王を守った。――そして私は、王女として、王家として、反逆者を裁く」
ここで重要なのは、“私が裁く”という構図だ。
民の怒りに押されて処刑するのではない。王家が裁く。秩序のために。
拘束された王弟派の貴族が、台の下に並ばされる。王弟本人は出さない。今出せば、父王の優柔不断が揺れる。私はまず周辺を切る。
一人目が台に上がる。
男は震えながら叫んだ。
「王女のくせに! 民に媚びた偽物の聖女め!」
私は微笑んだ。
悪女の仮面を、ここでまた使う。
「媚びてはいないわ。あなたたちが勝手に勘違いしただけ」
私は扇を閉じ、冷たく言った。
「私は民に与える。与える者は裁ける。……違う?」
民の中から笑い声が漏れ、すぐに怒号に混ざる。
“この王女は変わった”という印象が、さらに上書きされる。
処刑の合図。刃が落ちる。
鈍い音。血。
民衆の息が揺れ、しばらくして歓声が上がった。
残酷な歓声。けれど私は目を逸らさない。逸らせば、民の怒りが私へ向く。
二人目、三人目。
反逆の芽を潰す。革命の火種を潰す。
処刑台を、私の破滅の象徴ではなく、秩序の象徴に塗り替える。
そして最後に、私は民へ告げた。
「これで終わりではない。王家は変わる。倉庫の改革を続ける。炊き出しも続ける。民が飢える前に、先に手を打つ」
ざわめきが変わる。
怒りのざわめきから、期待のざわめきへ。
私は勝った。
処刑台の上で。
けれど、勝利の直後。私の背中を、別の冷たさが撫でた。
ギルバートが私の手首に触れたのだ。包帯の上から、確かめるように。
「……離して」
私が小さく言うと、彼はすぐに離した。
すぐに離す。だからこそ怖い。
彼は私の拒絶を理解している。理解したうえで、別の形で囲う。
王宮へ戻る馬車の中。
私は疲労で視界がぼやけるのに、眠れなかった。隣に座るギルバートの気配が濃い。呼吸の音すら支配的だ。
「姫殿下」
「なに」
「生き延びましたね」
その言葉に、胸が詰まる。
鏡が最初に見せた処刑。あの未来は消えた。私は今、生きている。
「ええ。生き延びたわ」
私が答えると、ギルバートの声が少しだけ甘くなる。
「なら」
彼は私の手を取った。今度は包帯のない方。指を絡めるように。逃げにくい絡め方。
「次は、俺から逃げてみてください」
血が冷える。
冗談の口調ではない。脅しの口調でもない。
“遊び”の口調だ。獲物を追う遊び。
私は手を引こうとして――引けない。彼の指が、強くはないのに確実に絡んでいる。
「ギルバート。私はあなたの主よ」
「はい」
即答。
そして、同じ口で言う。
「主だから、守る。主だから、奪われない。主だから――俺のものです」
私は息を止めた。
言葉が、鎖そのものだった。
馬車の揺れが続く。外の喧騒が遠い。
王都は平和を取り戻し始めているのに、私の中の空気だけが薄くなる。
私は、彼の手を見た。
この手は私を助けた。毒から守った。刺客を斬った。王弟を捕らえた。
そして今、この手は私を逃がさないと言っている。
「……私は檻に入るつもりはないわ」
絞り出すと、ギルバートは静かに微笑んだ。初めて見る、心からの微笑みだった。
「檻じゃない」
彼は指を少しだけ強く絡め、優しく言う。
「城です。姫殿下のための」
優しい言葉ほど残酷だ。
私のため、と言いながら、鍵を握るのは彼だ。
王宮へ戻る。部屋へ戻る。扉が閉まる。
私が鍵を持っているはずなのに、いつの間にか扉の内側に、彼が立っている。
ギルバートが私の外套を外し、指先で髪を撫でた。触れ方は丁寧で、拒絶を誘わないほどに慎重だ。
「疲れたでしょう」
「……ええ」
返事が小さくなる。
弱さを見せたくないのに、身体が先に折れる。
ギルバートが囁く。
「女王陛下」
私は眉をひそめた。
「まだ女王じゃない」
「なります」
断言。
彼は断言が好きだ。私の未来を、私より先に決めてしまう。
私は後退し、寝台の柱に背が当たった。
逃げ道が、背中で消える。
ギルバートが一歩近づき、片膝をついた。
騎士の礼。忠誠の形。
けれど、その手が寝台の柱に触れた瞬間、金属が微かに鳴った。
鎖――ではない。
けれど、鍵の音だ。
私は目を見開く。
「……ギルバート?」
彼は私を見上げ、静かに言う。
「命令は守りました。勝手に殺さない。勝手に鍵を持たない。勝手に囲わない」
一つずつ数える声が、丁寧すぎて怖い。
「鍵は、姫殿下が持っている」
そう言って、彼は私の掌に小さな鍵を置いた。
冷たい金属。第5話の夜会の夜と同じ感触。
「囲ってません。扉は、姫殿下が開ければ開きます」
私は鍵を握りしめた。
握った瞬間、理解した。
扉を開けるには、私が鍵を使う必要がある。
けれど扉の外には、近衛がいる。侍女がいる。噂がある。王宮がある。
そして何より――私が逃げようとすれば、ギルバートが止める。
形だけ自由。実質は檻。
鏡が映した未来は、別の形で実現しようとしている。
ギルバートが、優しく囁いた。
「処刑ルートは回避しました」
その言葉に、胸が痛む。
私が望んだ勝利を、彼は私のために祝福している。
祝福しているのに、その祝福が鎖になる。
「……おめでとう、って言うの?」
私が問うと、ギルバートは微笑んだまま答える。
「はい」
そして、もう一段低い声で続ける。
「だから次は、俺の愛から逃げてみてください」
逃げてみて。
逃げられないのに。
その遊びの提案が、私の背筋を甘く冷やした。
私は鍵を握ったまま、笑った。
悪女の仮面の笑み。聖女の仮面の笑み。
どちらでもない、生き残った者の笑み。
「……いつか、逃げてみせるわ」
ギルバートの瞳が、獲物を見つけた獣みたいに光る。
「楽しみにしています」
その夜、処刑台で得たはずの自由は、王冠より重い愛の檻に姿を変えた。
私は生き延びた。
そして、生き延びたからこそ――逃げられない。
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