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断頭台(ギロチン)を回避したはずが、処刑人(騎士)の執着から逃げられません  作者: 綾瀬蒼


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第2話 最初の「未来改変」

 ギルバートを専属騎士として連れ出した翌朝、王宮は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


「姫殿下が地下牢の間諜を解放しただと!?」

「専属騎士に任命? 前代未聞ですぞ!」


 謁見の間の外、廊下に集まった家臣たちの怒号が壁を震わせる。扉の向こうでは侍従長が必死に火消しをしているのだろうが、火に油を注いだのは私だ。鎮火など期待していない。


 私は寝台の端に腰掛け、鏡を膝に載せていた。昨夜の湿った地下の匂いがまだ指先に残っている気がする。


 鏡の表面が、ふ、と曇った。


 映像が浮かぶ。豪華な客間。白磁のティーカップ。琥珀色の紅茶。私の手がそれを持ち上げ――唇に触れる寸前。


 次の瞬間、喉が焼けるように痛み、視界が歪む。手からカップが落ち、床に砕ける。咳き込み、倒れ――。


「毒……!」


 思わず息を呑んだ。映像が消え、鏡はただの銀色の板に戻る。


 毒殺未遂。しかも、場所は私室ではない。客間。つまり、誰かが「儀礼」の顔をして近づいてくる。


 私が生き残るために必要なのは、未来の刃を折ること。暗殺者を味方につけた。次は――毒だ。


 扉が控えめに叩かれる。


「姫殿下。侍女長が、朝のお茶を……」


 リネットの声だ。私は鏡を布で包み、枕の下へ滑り込ませた。


「入って」


 扉が開く。リネットの後ろから、侍女長ミレーヌが銀盆を持って入ってきた。湯気の立つティーポット、砂糖壺、焼き菓子。いつも通りの朝。いつも通りの“贅沢”。


 だが今日は、いつも通りであること自体が不気味だった。


「姫殿下、昨夜は……」


 ミレーヌの視線が、部屋の隅に立つギルバートへ向かう。彼は騎士の装いを与えたばかりで、まだ布地が馴染んでいない。けれど立ち姿だけは、最初からここに属していたかのように揺るがない。


「この者は私の騎士よ。以後、私の部屋では彼の存在が“通常”になる」


 ミレーヌの口元が引きつる。


「……承知いたしました」


 銀盆が卓に置かれる。ティーカップに紅茶が注がれ、琥珀色が揺れた。


 鏡の映像と同じだ。


 私の背中を冷たい汗が伝う。毒は目に見えない。避けるのは簡単――「飲まなければいい」。けれど、避けるだけでは意味がない。


 誰が、どこから、どうやって毒を入れたのか。

 それを突き止めなければ、次は別の手段で来る。


 私はカップを手に取った。リネットがぎょっと目を見開く。


「ひ、姫様……?」


 ギルバートが一歩、近づく気配がした。


 私はわざと、ゆっくりと持ち上げる。唇へ。あと少しで触れる距離。心臓が喉までせり上がる。


 その瞬間。


「飲むな」


 低い声が落ちた。


 ギルバートの手が私の手首を掴み、強引にカップを遠ざけた。陶器が震え、紅茶が縁からこぼれる。


 ミレーヌが息を呑む。


「な、なにを――! 姫殿下に触れるなど無礼――」


「触れさせたのは姫殿下だ」


 ギルバートはミレーヌを見ず、私だけを見た。灰色の瞳が、昨夜よりずっと鋭い。


「姫殿下。試したな」


 私は一拍だけ沈黙し、微笑んだ。


「ええ。あなたの反応をね」


 ギルバートの指が僅かに強くなる。痛みが走るが、私は顔に出さない。


「……毒だ」


 彼はカップを奪い取り、紅茶の香りを嗅いだ。次に、卓にあった銀のスプーンを紅茶に浸し、舌先でほんの少しだけ触れる。


 私が止めるより早い。暗殺者は毒の扱いに慣れている。慣れていることが、恐ろしい。


 ギルバートは舌打ちした。


「遅効性。少量でも喉と胃を焼く。すぐには死なないが、助からないやつだ」


 ミレーヌの顔色が真っ白になる。


「そ、そんな……! わたくしはただ、いつも通りに――!」


「いつも通り、が嘘だ」


 ギルバートはティーポットの蓋を開け、匂いを嗅ぐ。そして砂糖壺、ミルク差し、焼き菓子――一つずつ確かめていく。


 最後に、彼は紅茶の入ったカップを床へ叩きつけた。


 割れる音。飛び散る琥珀。


 侍女長が悲鳴を上げるより早く、ギルバートはミレーヌの喉元に短剣を突きつけていた。どこから出したのか、まるで最初からそこにあったように。


「誰だ」


 ミレーヌの喉がひゅっと鳴る。


「し、知りません! 誓って……! わたくしは姫殿下に長年――」


「長年、が免罪符になると思うな」


 ギルバートの刃先が、ほんの少し食い込む。血が一筋。


 私はそこで、声を挟んだ。


「ギルバート。殺すのは早いわ」


 彼の視線が私へ戻る。少しだけ苛立ちが混じっている。獲物を前にして、手綱を引かれる獣の顔だ。


「姫殿下が飲めば死んだ。殺す理由は十分だ」


「理由が十分でも、結果が不十分なら意味がない」


 私は立ち上がり、ミレーヌの前へ歩く。ギルバートの刃があっても、私は怯えない。怯えたら、侍女長は崩れる。崩れたら、情報は出ない。


「ミレーヌ。あなたが直接毒を入れた可能性は低いわ。だってあなたは、毒を見抜かれたら確実に死ぬ立場。そんな賭けをするほど愚かじゃない」


 ミレーヌの目に、縋る光が宿る。私はその光を利用する。


「でも、あなたが“運んだ”可能性はある。誰かに銀盆を渡されて、そのまま。違う?」


 ミレーヌの唇が震える。黙ってしまえば、ギルバートが斬る。私は淡々と続けた。


「今朝、厨房からここまでの間に、誰とすれ違った? 誰があなたに声をかけた? 誰が“親切”を装った?」


 ミレーヌが、絞り出すように言う。


「……近衛の……副隊長が……」


 私は内心で息を止めた。鏡に映っていた処刑の場面。私の背後にいた男――近衛の人間だった。まだ名前は分からないが、線が繋がった。


「副隊長の名は」


「ロ、ローデリク……」


 ギルバートの刃が僅かに揺れる。彼はその名に覚えがあるらしい。


「姫殿下。そいつは、王弟殿下の犬だ」


 王弟。

 父王の弟。私を疎む視線。甘い言葉の裏の冷たさ。鏡がまだ見せていない“黒幕”の匂いがした。


 私は微笑みを崩さない。ここで怒りを見せれば、相手は「効いた」と思う。効いたと思えば、次はもっと深く刺してくる。


「なるほど。では、次に私がすべきことは決まったわ」


 ギルバートが低く問う。


「姫殿下、どうする」


 私は床に散った紅茶を見下ろし、静かに言った。


「この毒を“失敗”にしない」


 ミレーヌが泣きそうな顔で首を振る。


「姫殿下、まさか……!」


「まさか、よ」


 私はギルバートへ手を伸ばし、掴まれていた手首を自分から重ねて握り返した。彼の指が一瞬固まる。触れ合いが、命令ではなく“選択”になった瞬間だ。


「私が毒を飲みかけたのは、あなたに止めさせるためでもある。けれど本当は、もう一つ」


 私はミレーヌを見据え、告げる。


「“私が狙われた”という事実を、王宮中に叩きつけるため」


 噂は刃だ。王宮では血より速く回る。

 王女が毒を盛られた。しかも、近衛副隊長の名が出た。

 これだけで、敵は一枚皮を剥がされる。


「今から侍従長を呼びなさい。そして父上にも。公の場で言うわ。私は毒を飲みかけた。だが、私の騎士が止めた、と」


 ミレーヌの瞳が揺れる。恐怖。けれど同時に、逃げ道を与えられた安堵。


「は、はい……!」


 ミレーヌが駆け出す。リネットも涙目で後を追った。


 部屋に残ったのは、私とギルバートだけ。


 床の陶片が、足元で微かに鳴る。

 ギルバートは短剣を鞘に戻したが、視線は私から外れない。


「姫殿下」


「なに」


「さっきのは、試しただけじゃないな」


 私は少しだけ肩をすくめた。


「ええ。あなたが私を守るかどうか、それを“確定”させたかった」


「確定……?」


「人は、言葉より先に行動で縛られるの。あなたはさっき、私の手首を掴んだ。止めた。毒だと断じた。侍女長に刃を向けた」


 私は彼の灰色の瞳を真正面から覗き込む。


「つまり、あなたはもう“私の側”よ。戻れない」


 一瞬、空気が張り詰めた。

 ギルバートの唇が、ほんの僅かに歪む。


「……姫殿下は、恐ろしいな」


「褒め言葉として受け取るわ」


 彼は笑わない。けれど、目の奥の冷たい炎が、別の色に変わり始めているのが分かった。興味。義務。

 そして――危険なほどの所有欲の芽。


 彼が、私の手首を放さないまま言う。


「守る」


 たった一言。けれど、それは契約だった。

 私が望んだはずの言葉。


 なのに、なぜだろう。

 喉の奥が、甘い毒とは別の意味でひりついた。


「ただし、次は止めるだけで済まさない。毒を盛ったやつも、触れたやつも――」


 彼の声が、低く沈む。


「全部、俺が消す」


 その瞬間、私は理解した。

 未来を変えるために暗殺者を拾った。

 けれど拾ったのは、刃そのものだけではない。


 刃が向ける執着の矛先も――私は、拾ってしまったのだ。


 そして、鏡が映さなかった未来が、静かにこちらへ歩き始めていた。


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