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第9章 崩れゆく現代 ― 光秀の影が迫る

(……冷たい……)


光秀は頬に当たる固い感触で目を覚ました。

そこは、駅前ロータリーのベンチだった。夜風が肌を刺す。


(ここ……駅前……? また、現代には戻ってきてるんだ……)


制服は土と煤で薄汚れていて、 通りすぎる人がちらちらと見る。

街灯の明かりがやけにまぶしい。


ポケットからスマホを取り出す。画面をスワイプする手が震える。


(……バッテリー、まだある。よかった……)


連絡先を開く。

――“佐藤涼太”の名前が、やっぱりない。

――“工藤美空”も、どこにも見つからない。


(もう……完全に消えたか……)


スクロールしてもスクロールしても、

知らない名前や、登録した覚えのないアカウントばかりが並んでいる。


(家……帰るか……)


立ち上がる足が、やけに重い。

何度も何度も壊してきたはずの“日常”に向かって、 光秀はふらつきながら歩き出した。


自宅の前に立つ。

二階建ての見慣れた家。ポストも表札も、いつも通りだ。


(頼むから、ここだけは……)


鍵を差し込もうとして、光秀は固まった。


(……鍵穴が、違う?)


自分の持っている鍵が、 玄関のシリンダーにまったく合わない。

型自体が違う。


「……え?」


試しにインターホンを押す。

しばらくして、ガチャリとドアが開いた。


「はい?」


顔を出したのは、間違いなく光秀の“母”だった。

エプロンをつけて、髪を後ろでまとめて。 何もかも見覚えがあるのに――

その目だけが、完全に“他人”を見ていた。


「どちら様かしら?」


声は優しい。

でも、その優しさは“通りすがりの人へのもの”だ。


「……お、俺……光秀。安田光秀。」


母は少しだけ困ったように笑った。


「安田さん……ですか? どこかでお会いしました?」


心臓が、ひゅっと冷たくなる。


「いや、その……ここ、俺の家で……」


「あの、ごめんなさいね。 うちはずっと夫婦二人だけで暮らしていて……」


「ちょっと、どうしたんだ?」


奥から、父が顔を出した。

仕事帰りなのか、ネクタイを緩めかけている。

やっぱり、そこにいるのは“父”なのに――


「おや、なにかの勧誘かい?」


当たり前のように、そう言った。


(勧誘……)


「お父さん……俺だよ。光秀だよ。」


「光秀……?」


父は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに首を振った。


「うちには子どもはいないよ。人違いじゃないかな。」


床が、ぐらりと傾いたような錯覚がした。


玄関の横に飾ってあるはずの、

“家族三人”で撮った写真立てが――


そこには、夫婦二人だけの写真しかなかった。


(……消えたんだ。

 写真からも、記憶からも。

 この世界の“安田家”に、俺は最初からいなかったことになってる……)


母は申し訳なさそうに言う。


「本当にごめんなさいね。何かお困りなら、警察のほうが……」


その言葉が、決定打だった。


「……いや。いいです。俺の勘違いでした。」


なんとか声を絞り出して、光秀は頭を下げた。


ドアが静かに閉まる。

鍵のかかる小さな音が、やけに大きく響いた。


夜風が一気に冷たくなる。


(俺の居場所……  もう、この世界には、本当に無いんだ……)


膝が笑う。

その場に崩れ落ちそうになるのを、壁に手をついてこらえた。


(信長様を助けて……明智様をかばって……  戦国側の歴史のほうを優先したぶん、  現代の俺の存在が、どんどん削られてる……)


スマホを見ても、

自分の番号だけが文字化けしたような表示になっていて、 誰にも送信できない。


(次戻ったときは……

 もう本当に、“世界”のほうから俺を拒むかもしれないな……)


悔しさと、悲しさと、 理不尽への怒りがぐちゃぐちゃに混ざって、胸の内側をかきむしる。


(それでも、俺は……)


世界が、ふっと白く揺れた。


(あ……)


視界がにじむ。

さっきまで立っていたはずの夜道が、 水の中みたいにゆがんでいく。


(また……呼ばれてる……)


意識が暗闇に飲み込まれる直前、

家の中から、母の声が微かに聞こえた。


「……ねぇ、あなた。今の子……どこかで……」


父の声が続く。


「さぁ……気のせいだろう。  ほら、晩飯にしよう。」


(気のせい、か……

 俺って、もうその程度なんだな……)


そう自嘲しながら、光秀の意識は闇へ沈んだ。


次に目を開けたとき、

鼻をついたのは血と薬草の匂いだった。


(……戦国だ……)


天井は低く、

ランプの代わりに油の灯りが、心細く揺れている。


布団の擦れる音。

弱々しい息遣い。


顔を向けると、そこには――


(明智光秀……)


桔梗紋の軍装をまとった男が、 布団の上で苦しそうに横たわっていた。

額には汗。胸は浅く上下している。


「……そなた、か……安田……」


かすれた声が、確かに光秀の名を呼んだ。


「明智様。」


光秀は膝をつき、そっと声をかける。


「……また、ここに来ました。」


明智は、小さく笑った。


「不思議な男だ……  そなたと話すと、胸の内の重石が、少しだけ軽くなる。」


(“また”って言った。

 この人は、時間のループなんて知らないはずなのに……

 それでも、“会ってきた回数”の重みだけは、  体のどこかで覚えてるんだ……)


光秀は息を整え、ゆっくりと言った。


「明智様。  お身体は……もう、戦場には立てないんですね。」


明智は天井を見上げる。


「……この傷ではな。  本陣から動くこともままならぬ。  わしが指揮を執らねばならぬときに、  この様とは……」


悔しさを噛み殺すような声音だった。


「それでも、上様は、  わしに“この役目”を与えてくださった。  織田の世を……次へと繋ぐ役目を。」


光秀は、拳を握りしめる。


(信長様は未来を想っている。

 明智様も、この国の形を整えようとしている。

 どっちも、この国のことを本気で考えてるんだ。)


明智が、光秀のほうへ顔を向けた。


「安田。  そなたは……何故、わしに仕える?」


喉が一瞬、詰まった。


(“未来から来たから”なんて言えない。

 本当は、あなたが倒れたら歴史が壊れるから、なんて……)


絞り出すように答える。


「守りたいものがあるからです。」


「守りたいもの……?」


「この国も。  ここにいる人たちも。  そして――上様も、明智様も。」


明智の瞳が、わずかに揺れた。


「……そなた、不思議な男だ。  わしにも上様にも、ひとかたならぬ思いを抱きながら……  それでも、己のことは二の次にしておる。」


光秀は笑った。


「自分のことなんて……  もう半分くらい、消えかけてますから。」


冗談めかして言ったつもりが、 声は震えていた。


明智はしばし黙し、

やがてゆっくりと右腕を伸ばし、 光秀の手首を握った。


「安田光秀。」


名を呼ぶ声には、 いつになく強い意志が宿っていた。


「この軍は……もう、  わし一人では動かせぬ。  上様のもとへ向かう者が要る。」


光秀は息を飲む。


「そなたが行け。」


喉の奥で音が消えた。


「……わしはここから動けぬ。  ならば、わしの代わりに、  天秤の片方を担う者が要る。」


「天秤……?」


「上様という、あまりに重い一方と、  この国というもう一方。  その真ん中に立つ者が。」


明智の言葉は、 光秀の心の奥深くに突き刺さった。


(それって……  本来はあんたの役目で……

 でも今、その役目を俺に渡そうとしてる……?)


「……そなたが何者か、  わしには分からぬ。」


明智は静かに続けた。


「だが、なぜか――

 “そなたに任せても良い”と、  この胸が告げておる。」


光秀の視界が、じんとにじんだ。


(やめてくれよ……

 そんな信頼の仕方されたら……

 俺、もう逃げられないじゃん……)


「……分かりました。」


光秀は、はっきりと頷いた。


「俺が、行きます。」


その一言に、 明智はようやく力を抜いたように目を閉じた。


幕舎を出ると、 夜風が頬を撫でた。

戦場の喧噪は少し離れているのか、ここは妙に静かだ。


(信長様は――民を見ていた。

 明智様は――国の形を守ろうとしていた。)


(どっちも、悪人じゃない。

 少なくとも、俺が見てきた限りでは。)


それなのに、歴史は“本能寺の変”を選んだ。


(だったら――

 その天秤を、今度こそ俺が見極めないといけないんだ。)


一歩、外へ踏み出す。

そのとき、ふと違和感を覚えた。


月明かりの下。

地面に伸びた自分の足元を見て、光秀は息を止めた。


(……影が……薄い。)


輪郭がぼやけている。

さっき見たときよりも、はっきりしない。

まるで、“半透明の人間”みたいに。


(まただ……現代から、俺という存在が削られたぶん、  こっちの俺まで薄くなってきてる……)


その瞬間だった。


「……光秀……!」


背後から、かすれた声が飛ぶ。


振り返ると、幕舎の入口に、 明智が半身を起こして立っていた。

家臣が慌てて支えている。


「明智様、無理は――」


「構わぬ!」


明智は、目だけで光秀を捉えた。


「……今、見えたのだ。」


「何が、ですか。」


「この幕舎から遠ざかる“薄い影”が。  消えてゆく足音が。」


光秀は息を呑む。


(俺の影……  それを見て、呼び止めたのか……)


明智は苦しそうに息を吐きながらも、 言葉を紡ぐ。


「安田……そなたは、どこへ行く。」


「俺は――」


喉が詰まる。

“あなたの代わりに歴史の真ん中に立ちます”なんて、言えるはずもない。


それでも、

嘘だけはつきたくなかった。


「……明智様が、見られなかった場所へ。」


明智は目を細めた。


「……そうか。」


その顔には、 悲しみと、わずかばかりの安堵が混ざっていた。


「ならば、行け。  わしには見えぬ先を、そなたの目で見よ。」


家臣が慌てて明智の体を支える。


「光秀様、これ以上は――」


「よい……」


最後に、明智はもう一度だけ光秀の名を呼んだ。


「安田光秀。」


その声は弱々しいのに、不思議とよく通った。


「……そなたを信じよう。」


何も言い返せなかった。


光秀は深く頭を下げ、 幕舎から離れた。


(……信じられた。

 歴史の中心にいたはずの人に。

 その役目を、“代わりにやってくれ”と託された。)


嬉しさなんて、少しもなかった。

あったのは、ただ――胸が裂けそうな重さだけ。



陣の外へ出ると、 夜空は静かに澄んでいた。

遠くで、かすかに京の方角が赤く染まっている。


(本能寺まで――  もう、時間がない。)


膝が少し震えた。

それでも、光秀は足を前に出した。


逃げる方向なんて、もうどこにもない。

やるかやられるか――じゃない。

“決めるか、全部失うか”だ。


(信長様を救えば、また歴史が歪む。

 救わなければ、俺はきっと一生後悔する。

 明智様の正義も、秀吉の読みも、お市さんの願いも――

 全部見てしまった上で、俺がどっちに剣を向けるかを決めなきゃいけないんだ。)


そのとき、

頭の奥でチリッと何かが弾けたような感覚がした。


突然、目の前の景色が白く反転する。


「――っ!」



ガタンッ。


机に額をぶつける鈍い音で、 光秀は現実に引き戻された。


(……教室……)


白い天井。蛍光灯。

チョークの粉の匂い。

窓の外では、いつも通り部活の掛け声が聞こえる。


(……戻ってきた。)


周りを見回す。

クラスメイトたちは、誰もこちらを見ていない。

完全な“風景の一部”として扱われている感じだ。


(俺に対する興味、ゼロか……

 ここまで来ると、清々しいな……)


笑おうとして、うまく笑えなかった。


視線を黒板に向ける。


いつの間にか、

大きく赤いチョークで文字が書かれていた。


《本能寺の変まで、あと1日》


「……明日本番、ってか……」


思わず、口の中で呟く。


教師の姿はない。

授業も、チャイムも、何もかもがぼやけている。


机の上には、 開きかけの教科書とノートが置かれていた。

ノートの端に、以前自分が殴り書きした言葉が残っている。


『何を守る? 誰を守る? 歴史か。仲間か。自分か。』


その文字を見て、

光秀はゆっくりとペンを手に取った。


震える指で、その下に新しい一行を書き足す。


『――次で決める。

 逃げずに、俺が選ぶ。』


字はぐにゃぐにゃで、 読み返したらきっと恥ずかしくて顔を覆いたくなるだろう。


それでも、

今の自分が書ける、いちばんまっすぐな言葉だった。


ペンを置く。

深く息を吸う。


(次の一週間で、俺は“光秀になる”。

 歴史の中の悪名でも、汚名でも――

 誰かを守るために背負えるなら、それでいい。)


胸の奥で、

信長の笑顔と、明智の真剣な眼差しが交互に浮かぶ。


ゆっくりと目を閉じる。


耳鳴りの向こうで、

再び太鼓の音が近づいてくる気配がした。


(行こう。最後の一日へ。)


光秀の意識は、

静かに、しかし確実に、

本能寺の炎へと向かって落ちていった。



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