第7章 炎を越える影 ― それぞれの正義
大地が揺れていた。
槍の衝突音、鉄の軋む音、焦げた火薬の匂い――
戦場の空気が、肌の奥まで焼きつくように広がる。
光秀は目を開いた瞬間、すべてを理解していた。
(位置は山腹。地形は三度目。
右斜面から騎馬二、左から忍び三。
前は槍足軽三……もう来る。)
火縄の「シュッ」という細い音が、
周囲が気づくより一瞬早く耳に届いた。
光秀は反射で地面に滑り込む。
パァンッ!!
弾丸が頭上をかすめ、
土と血と火薬が混ざった匂いが一気に吹き上がる。
(よし、初手は読めてる。)
槍足軽が三人、三歩で間合いを詰めてきた。
一本目――
突く前に右足が必ず沈む。
癖は変わらない。
沈む瞬間、光秀は踏み込み、
真剣の刃の“腹”で槍の柄を弾く。
ゴッ!!
相手の手首が折れた感触が伝わり、槍が落ちる。
二人目――
肩が開く。横薙ぎの前兆。
光秀は半歩退き、刀を斜めに当てて軌道を外す。
ついでに相手の脇腹へ峰をぶつけ、呼吸を奪う。
三人目――
突きの姿勢は良いが、踏み込み前の呼吸が浅い。
力みすぎだ。
光秀は懐に入り込み、喉元へ峰を軽く押し当てた。
カチッ。
「……な、なんだこいつ……読まれてる……!」
足軽が恐怖に震える。
止めは刺さない。倒すだけで十分。
(はい次――騎馬。)
地響きが迫る。
馬の蹄が大地を裂くように響く。
だが光秀は、武者の癖まで覚えていた。
(手綱の捌きからして左利き。
だから右側が死角――ここだ。)
馬が目の前を駆け抜ける瞬間、
光秀は地面の石を軽く蹴る。
カンッ!
矢尻のような石片が馬の前脚の近くを弾き、
馬が驚いて体勢を崩す。
騎馬武者が宙へ舞い――
落下地点を読む。
(ここ。)
光秀はそこへ踏み込み、
鎧の金具の弱い箇所へ峰打ちを叩き込む。
ドガッ!!
武者は地面に沈んだ。
(忍び三――来るぞ。)
林の影から黒装束が滑る。
ただの足音では分からないが、
“どの影が揺れるか”で動線が見える。
一人目は早い。
二人目は逆手持ちで刺しに来る。
三人目は背後の木の陰――もう跳ぶ。
(はい、全部分かってる。)
光秀は前へ踏み込み、
一人目の刃を躱しつつ腰へ柄をぶつける。
二人目の逆手の刺突は、
腕の内側を沿うようにして流し、
肩口へ峰を落として無力化。
最後の一人が背後から飛びかかる――
左足が着地する瞬間が最大の無防備。
光秀は振り返らず、
後ろ蹴りを一撃ぶち込む。
ドスッ。
忍びの男は呻いて倒れた。
味方武将が震えながら言う。
「た、助かった……!
君は……全部“見えて”いるのか……?」
光秀は小さく息を吐いた。
「……ええ。見えています。」
それが誇りではなく、“呪い”に近いことを、
誰よりも本人が理解していた。
そのとき――。
パチパチ、と軽い拍手が響く。
「いやぁ、面白い。あっぱれじゃ。」
軽快な声の主は、
派手な羽織に明るい笑みを浮かべた男。
木下藤吉郎――後の豊臣秀吉。
ただの笑みに見えるが、
光秀の動きを全て見切った目でもある。
「お主、足軽の動きやない。
“戦そのもの”を見とる。」
光秀はごまかそうとも思わなかった。
「……知っているんです。
敵の癖も、間合いも、動線も……。」
「知ってる、か。」
秀吉はニヤッと笑う。
「何度も、ここを見たような言い草やな?」
光秀の心臓が跳ねる。
(この人……やっぱり分かってる……)
だが秀吉は続けた。
「ま、ええわ。使える者は味方や。
わしはそういう主義やからな。」
光秀の胸に温かいものが広がる。
(秀吉……この人もまた、悪人じゃない……)
そのとき。
「秀吉様!! 明智軍から重傷者!!
“光秀様”が倒れたとの報告!!」
光秀は秀吉の許しを得て、
明智軍の仮陣へ走った。
そこにいたのは――
血に濡れ、苦しげな呼吸をする男。
本物の明智光秀。
しかし死んでいない。
重傷だが、確かに生きている。
光秀が名乗ると、
重傷の明智光秀は苦しげな息の中で、微かに笑みを浮かべた。
「……良き名だ……。
迷えば……名が曇る。
その名を……大切に……」
光秀は喉の奥が熱くなるのを感じる。
明智は続けた。
「わしの……この傷……
運命が……揺らぎつつある証よ……
本来なら……あり得ぬ……状況だ……」
光秀の胸が締め付けられる。
(やっぱり……歴史が歪んでるのを本人も感じてる……)
その時、明智は震える腕を伸ばし、
光秀の手を掴んだ。
「……上様を……
どうか……頼む……」
光秀は深く頷いた。
「……はい。
必ずお守りします。」
秀吉の陣に戻ると、
京の空が赤く染まっていた。
「本能寺やな。」
秀吉が静かに言った。
光秀は拳を握る。
(行かないと……!
信長様が……また死んでしまう!)
秀吉は光秀の肩を叩く。
「行ってこい。
お主は、行くべきやろ。」
光秀はただ一言返した。
「……はい。」
そして、燃える夜の京へ走った。
本能寺は炎に包まれ、
瓦礫が崩れる音が絶えない。
光秀は喉が裂けるほど叫んだ。
「殿!!! どこですか!!!」
炎の中――信長がいた。
刀を前に置き、
覚悟を決めた表情。
「これもまた――わしの道よ。」
「違います!!」
光秀は駆け寄り、敵兵を弾き飛ばす。
真剣の軌跡が炎の中で鋭く光り、
墨のように影が散った。
「殿はまだ死ぬべきではありません!!」
信長が驚いた目で光秀を見る。
「なぜ……そこまで……?」
光秀は言葉を絞り出す。
「あなたは……
俺が知っているどの人より……
ずっと優しい人だからです!!」
信長の瞳に揺れが走る。
敵兵が再び迫る。
光秀は読み切った動きで一人ずつ倒し、
信長に叫ぶ。
「逃げてください!! 生きる道がある!!」
信長は一瞬だけ微笑み、
崩れた瓦礫の隙間へ身を滑り込ませた。
(助けた……!
信長様を、守れた……!)
その安堵の瞬間、
背後から瓦礫が崩れ落ちる。
ガンッ!!
光秀の視界が、炎の赤から暗闇へ沈んでいく。
(次こそ……必ず……)
光秀は教室で目を覚ました。
胸が痛む。
呼吸が浅い。
(……今回は……助けた。確かに……)
だが――。
「安田……光秀、だよな?」
振り返ると、明智類が立っていた。
「お前……呼ばれてた夢、見たんだ。
光秀って……誰だよ?」
光秀は思わず息を呑んだ。
(明智類にまで……影響が……?)
黒板を見る。
《本能寺の変まで、あと3日》
光秀は拳を握りしめた。
(選ばなきゃいけない。
信長様か、歴史か、誰かの未来か……
俺は――どうすれば?)
物語は、ついに運命の分岐へ向かう。




