第5章 炎の前に立つ者 ― 信長の優しさと、未来を託された足軽
(……畳? なんで?)
光秀が目を開けると、そこは豪奢な装飾が施された部屋だった。
天井には金の彫刻、壁には美しい屏風。
明らかに今までの戦場とは格が違う。
(これ……どう見ても“ただの武家”じゃない……まさか……)
「お目覚めでございますか、安田殿。」
静かな声に振り向くと、若く端正な顔――森蘭丸が膝をついていた。
(え……本物の蘭丸!?)
「上様がお呼びです。すぐにお連れいたします。」
光秀の心臓が跳ねた。
上様。
つまり――
(信長……!)
蘭丸に案内されると、そこには
狩衣姿で静かに文を読んでいる織田信長がいた。
「光秀と申したな。ついてこい。」
「えっ、どこへ――」
信長は衣を二着手に取った。
質素な庶民衣装。
「町へ出る。民を見に行くのだ。」
「は、はい!? 今!?」
信長は軽く笑う。
「国を治める者こそ、民の足元を知らねばならぬ。」
(……この距離感……!
天下人なのに、全然偉そうじゃない……
むしろ気さくすぎる……)
光秀は慌てて衣を着替え、信長のあとを追った。
町に入ると、戦場の喧騒とは全く違う。
野菜を売る声。
鍛冶屋の槌の音。
子供の笑い声。
そのすべての中を、信長は飄々と歩く。
「母ちゃん……売れないよ……」
少年が形の悪い胡瓜を抱えて落ち込んでいた。
信長は屈むと、それを手に取った。
「よい胡瓜だ。」
少年は驚く。
「でも曲がってて……」
「陽をよく浴びた者は、まっすぐとは限らぬ。」
信長は二本買い、少年の頭を軽く叩いた。
「そなたの畑は良い土だ。誇れ。」
少年の顔がぱっと明るくなる。
(……こんなの、好きになるに決まってるだろ……)
段差でつまずいた老女がよろけた瞬間――
「危ない。」
信長は自然にその腕を取った。
「道のほうが悪い。木を運べ。踏み台を置け。」
町人たちが即座に動き、道が整えられる。
老女は涙ぐんだ。
「殿……このようなご慈悲を……」
「わしはただの通りすがりよ。」
その穏やかな笑みに、光秀は胸を打たれた。
泣いている幼子を見つけると、信長は迷わず膝をついた。
「母御とはぐれたか。探しに行こう。」
やがて母が駆け寄り、深く頭を下げる。
「礼など要らぬ。」
信長は微笑んだ。
「国とは、そなたらがいて成り立つのだ。」
(……教科書の“魔王・信長”なんて嘘じゃん……
本当は、人をよく見て、誰より優しい人なんだ……)
光秀は気づけば、胸が熱くなっていた。
そんな穏やかな時間のあとだった。
鉄砲鍛冶がぼやいていた。
「雨の日は火縄が湿ってしまう。どうにかならんかねぇ。」
光秀はつい反応してしまった。
「火皿を覆う蓋を付ければ、湿気が入りづらくなりますよ。」
周囲が一瞬静まる。
(言っちゃった……! 技術的アドバイス……!)
信長は光秀を横目で見た。
「光秀。
そなた、まるで“この先の鉄砲”を知っているようだな。」
「……す、すみません、えっと……」
信長は少し笑う。
「怒っているわけではない。
ただ――そなたは時折、わしの知らぬ知恵を言う。」
信長は歩みを止め、光秀をまっすぐ見る。
「光秀、そなたの“知らぬ世界の知識”、
わしは嫌いではない。」
(え……)
「教えてやってほしい。
この国が、戦で疲れぬ未来を作るための知恵を。」
胸が震えた。
信長が、自分を認めてくれた。
京の夜を赤く染める炎。
光秀は、本能寺へ走った。
寺はすでに包囲されている。
「殿! 光秀です! 中へ!」
信長は本堂の中で、刀を前に置いて座していた。
「来たか、光秀。」
「死なないでください!!」
明智側の兵が押し寄せる。
光秀は必死に打ち払い、信長の前に立つ。
「なぜ救おうとする?」
「あなたは、誰よりも人を見て、優しくて……
そんな人が死ぬのは……間違ってます!!」
信長の表情が、揺れた。
次の瞬間、梁が崩れ落ちる。
光秀は叫びながら信長を突き飛ばした。
「逃げてください!!」
信長は炎から外れた空間へ滑り込み、影に消えた。
(助け……た……)
安堵した瞬間、
背後から瓦礫が落ち、光秀の頭を打つ。
ガンッ!!
視界が赤から、黒に。
(信長様は……生きた……
それで……いい……)
光秀の意識は落ちていった。
(……教室……だ……)
光秀が起き上がると、
今日の教室には“微妙な変化”があった。
クラスの数人が、光秀を目で追う。
これまでと違い、“誰?”ではなく――
なぜか、不思議な親近感を持つような視線。
「よ、安田。」
声がして振り向くと、
信長の面影を持つ少年が立っていた。
短髪で、鋭い瞳。
どこか堂々として、恐れを知らぬ雰囲気。
「俺、織田時斗。
急に、お前と話したくなった。」
光秀は息を呑む。
(まさか……信長様が……生き延びた“歴史の反映”……?)
時斗は少し首をかしげた。
「変なこと言うけどさ。
お前と話すの、今日が初めてじゃない気がするんだよな。」
光秀の胸が震える。
信長が残した言葉がよみがえる。
――光秀。未来を知る者よ。
そなたが選べ。
(……信長様……
あなたの想いは、ちゃんと“今”に届いてます……)
黒板を見る。
《本能寺の変まで あと5日》
物語が、動き出した。
光秀は拳を握りしめる。
(次は……
もっと歴史を見極めて、
もっと誰かを救ってやる……)
彼の決意を乗せて、
新たなループが静かに始まろうとしていた。




