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第4章 記録の白紙 ― 歴史が沈黙する場所

光秀が目を開けた瞬間、

そこはこれまでの戦場とはまるで違う世界だった。


(……床が柔らかい。畳……?)


かすかに香る白檀。 障子越しの柔らかな光。

耳を澄ませば、遠くで和歌を詠むような、静かな声がする。


「目覚めましたか?」


振り向いた先にいたのは、 白い装束を纏った女房だった。


「ここは禁中、内裏だいりにございます。」


(えっ……朝廷!?

 いきなりトップオブトップ!? なんで!?)


動揺する光秀の前に、 静かな足音が近づいた。


一人の公家が現れる。 歳は三十半ばほど。

やわらかな物腰の奥に、冷静な観察者の目を宿している。


「客人とお呼びすべきか、はたまた“迷い子”と呼ぶべきか。」


「え、えっと……安田、光秀です。」


その瞬間、公家の扇がピタッと止まった。


「……光秀、とな。」


(あ~~まただ……!

 毎回この“間”が怖い……!)


しかし公家は、すぐに表情を緩めた。


「案ずるな。名に罪はない。  ただ、この都には“耳ざとい者”も多い。  殿上あたりでは、さまざまな名が“重ねて”ささやかれておるゆえな。」


どこか含みのある言い方をしながら、

彼は静かに続けた。


「しばし、そなたには“記録”を手伝ってもらう。」


「き、記録……?」


「この数日、京で何が起きるか――

 そなたの目に映ったままを書き記すのだ。」


(なんかすごい役職来たんだけど!?

 俺、戦国の公文書係!?)


公家は、ゆるやかに扇を振った。


「歴史は、人が書く。  だが――書かれぬ歴史もある。」


その言葉が、光秀の胸に不穏な影を落とした。




記録係として案内された書庫には、

湿った紙と墨の匂いが満ちていた。


古い文机、積み上がる巻物。

その中から、ひときわ新しい帳面が差し出される。


「これより先の頁は、まだ白紙だ。  今宵から、そなたが埋める。」


光秀は一冊を開き、目を疑った。


『――本能寺 六月二日

 この夜、上様(信長)は――』


その後が 真っ白 になっている。


(なんで!? 一番大事なところが……真っ白!?)


思わず公家に顔を上げると、 彼は淡々と答えた。


「その部分は“書かれていない”のだ。」


「書かれていない……?」


「歴史とは、真実そのものではない。  “選ばれた形”だけが残る。」


光秀は寒気を覚えた。


(俺が何度も見てきた“あの夜”は、  この白紙に関係してるのか……? いや、さすがに考えすぎか……)


自分で自分にツッコミを入れつつも、

背中の汗は止まらない。


公家は、じっと光秀を観察するように見つめた。


「そなた……」


「……はい?」


「少し、“この世の服”が身体に合うておらぬように見える。」


「え?」


意味が分からず聞き返すと、 公家はわずかに目を細めた。


「時折な、この京には“さまよいびと”が現れるのだ。」


「さまよいびと……?」


「どこから来たとも知れぬ者。  山で道に迷った者が、ふと気づけば見知らぬ村にいたり、  川で足を取られた者が、知らぬ都の橋の下で目を覚ましたり――」


いわゆる“神隠し”の話だ、と

光秀はすぐに察した。


公家は続ける。


「なかには、妙な言葉を口にする者もおる。  見たこともない衣の話、  まだ誰も知らぬ武具の話……  先の世から迷い込んだのではないか、と噂する者もおる。」


(未来からの……さまよいびと、ってやつか……

 完全に俺のことっぽいけど、ここで名乗り出たら即アウトだな……)


「京は古い都ゆえな。  神隠しだの、あの世とこの世の境が薄いだの、  いろいろ申す者がおる。」


公家は、どこかおかしそうに笑った。


「だが、誰も確かめようとはせぬ。  確かめてしまえば、“夢”でなくなってしまうゆえな。」


(この人、どこまで本気で言ってんだ……?)


光秀は、ぐっと言葉を飲み込んだ。


自分は“ループしている”と自覚がある。

眠るたびに一週間まるごと戦国を生き、

本能寺の炎を何度も見て、教室に戻される。


けれど、この公家の前でそれを口にしたら、

何か取り返しのつかないことになる気がした。


「……さまよいびとが現れた時、  あなた方は、どうするんですか?」


おそるおそる聞いてみると、

公家は少しだけ考えてから答えた。


「見て、聞く。」


「それだけ、ですか?」


「それだけだ。」


扇の先で白紙の帳面を軽く示す。


「そなたのような“どこから来たとも知れぬ者”が、  何を見て、何を記すのか。  それ自体が、ひとつの記録となろう。」


(……やっぱり、ちょっとは俺のこと疑ってるよな、この人……)


ただ、彼の言葉には、

責める色も、怯える色もなかった。


そこにあるのは、

あくまで「観測者」としての好奇心だけに見えた。




その日の午後、

静かな朝廷内に、珍しく緊迫した声が響いた。


「明智殿の陣より使者! 急ぎの報せにございます!」


光秀は思わず耳をそばだてた。


(明智……)


女房や役人たちがざわめく中、

さきほどの公家が廊下を早足で通り過ぎる。


すれ違いざま、彼が小さくつぶやいた言葉が、

光秀の耳にかすかに届いた。


「まだ夜にもなっておらぬというのに……」


(“というのに”って言ったな、今……)


やがて戻ってきた公家は、

ほんの少しだけ渋い顔をしていた。


「明智殿が、先の戦で負傷されたと。」


「……負傷?」


光秀は思わず聞き返した。


(本能寺の変では“攻める側”だったはずの人間が、  その前の段階で大きく傷を負ってる……)


これまでのループで見てきた流れと、

明らかにパーツが噛み合っていない。


最初のループでは、 明智の姿すら知らなかった。

次のループで、ようやくその顔と覚悟を見た。

三度目では、本能寺の近くで清玉や兵を助けた。


(俺がちょろちょろやった分だけ、  “結果”の形が変わってきてる感じがする……)


それは、

ただの被害妄想かもしれない。


でも――

同じ夜を何度も見ている自分からすると、

どうしてもそう思えてしまう。


公家が、ふと光秀のほうを見た。


「顔色が悪いな、光秀。」


「い、いえ……」


「京に長くおると、  いろいろな“変化”が見える。  それを天の兆しと見る者もおれば、  人の業が積み重なった結果と見る者もおる。」


言葉はぼんやりしているのに、

光秀の胸には妙に刺さった。


(俺のせい、とも、俺は無関係、とも言ってない……

 けど、“何かが変わってきている”ことだけは、  ちゃんと見てるって感じだ……)




京の夜空が赤く染まる。


光秀は、朝廷の使いの一行にまぎれ、

離れた高台から本能寺の炎を見つめていた。


(……まただ。

 何度目だよ、これ見るの……)


自分の中では、はっきりと“ループ”だと分かっている。

ただ、それを口にしてしまった瞬間、

本当に戻れなくなりそうで、誰にも言えない。


寺を囲む兵の影。

遠くで上がる怒号と太鼓。

こちらまでは届かない悲鳴。


(最初は“ただの歴史の授業”だったのに。

 二回目で戦場の中に放り込まれて。

 三回目で清玉を助けて。

 今度は朝廷からの“見物席”かよ……)


視線の端で、担架が運ばれていくのが見えた。


「だ……殿が……! 殿が負傷を……!」


耳に届いた断片的な叫びに

光秀は心臓を掴まれたような感覚を覚えた。


(明智、もう傷ついてる……)


本来なら、ここで“攻める側”にいるはずの男が、

この段階で血を流している。


(やっぱり、ループごとに、少しずつ歯車がズレてる……

 俺が向こうでやらかすたびに、  違う形の“本能寺”になっていってる気がする……)


炎が、音もなく揺らめく。

風にあおられ、夜空が赤く波打つ。


遠く、本能寺の方角から、

かすかな声が聞こえた気がした。


「是非に及ばず――!」


教科書の文字で何度も見た台詞。

でも今は、ひとりの人間の声として、

確かに空気を震わせている。


(信長も、

 明智も、

 秀吉も――)


三人の顔が頭に浮かぶ。


信長は、兵の前では誰よりも熱く、

庶民の話を意外なほど真面目に聞いていた。


明智は、戦場で血を流しながらも、

冷静に戦の先を見ていた。


秀吉は、笑いながら、

誰よりも底の見えない眼で“次の一手”を考えていた。


(誰も、“ただの悪人”には見えなかった……)


それでも、ここで誰かが死ぬ。

歴史の本には、「一行」で片付けられる命が山ほどある。


(じゃあ、何が悪いんだよ……)


炎の熱が風に乗って頬をなでた。


(このまま、ただ“見ているだけ”でいいのか……  でも、何かを変えようとしたら、  現代の俺がまた削れていく……)


高台の端を踏み出そうとしたその瞬間、

足元の板がミシ、といやな音を立てた。


「危ない!」


誰かの声と同時に、古びた梁が崩れ落ちる。


ガンッ!!


視界が弾けた。


(……また、ここで終わるのかよ……)


黒と赤がまじり合うような世界の中で、

光秀はぼんやりと思った。


(次こそ、何か“意味のある一手”を見つけないと……

 本当に、全部が壊れる気がする……)


そんな、まとまりのない思考を最後に、

意識は深い闇に落ちていった。




「……田。……安田。起きろって。」


肩を揺さぶられる。


目を開けると、そこはまた教室だった。


(……戻ってきた、か。)


天井。 蛍光灯。 チョークの粉の匂い。

全部、ちゃんと“現代”のはずなのに、

どこか薄いフィルター越しに見える。


「大丈夫か? 顔真っ青だぞ。」


声の主を見て、光秀は一瞬息を呑んだ。


そこにいるのは、たぶん佐藤涼太。

でも、その目に「気安さ」がない。


「えっと……誰だっけ、お前。  今日からのやつ?」


「……いや。安田、光秀。」


自分で名を名乗るのが、

妙に心細い。


「ああ、そっか。  ごめん、俺、人の名前覚えるの苦手でさ。」


軽く笑い飛ばす涼太。

いつもならツッコんでいるはずの自分は、

何も返せなかった。


(前のループでは、普通に友達だった。

 その前も、その前も。

 でも今は、“知らないクラスメイト”扱い……)


黒板に視線を移す。


《本能寺の変まで、あと6日》


(……やっぱり出た。)


何度も見た、あのカウントダウン。

最初はなかったはずの文字が、

ループを重ねるごとに、当たり前の顔でそこにいる。


机に教科書を広げる。

本能寺の変のページに、

小さなコラムが追加されていた。


『本能寺の変と本能寺の僧たち』


そこには、清玉の名前と共に――


“本能寺より脱出の際、

 「若き足軽に助けられた」という伝承が残る。”


と書かれている。


(……俺だよな、これ。

 前のループで助けた“あれ”が、  ちゃんと“伝承”になって、教科書に乗ってきてる……)


スマホを取り出し、写真フォルダを開く。


クラス写真。

運動会の集合写真。

剣道部で撮ったはずの一枚。


そこに――自分の姿だけが見当たらない。


(向こうで俺が何かやるたびに、  こっちの俺が削れてるような感覚……

 勘違いならいいけど、  もはや笑えないレベルだぞ……)


怖い。

本気で怖い。


でも、何も考えずに動いたら、

もっと取り返しがつかなくなるのも分かっている。


(信長も、明智も、秀吉も、  それぞれ“正しさ”があって動いてた。

 俺だって、“誰かを助けたい”って気持ちで動いたつもりだ。)


その結果として、

歴史の形が少し変わり、

自分の居場所が少しずつ薄くなっていく。


(じゃあ次は……どう動く?

 誰を守って、何を手放す?)


震える手でノートを開き、

ページの端に小さく書き込む。


『次の一週間で、

 ちゃんと“選ぶ”。

 何も考えずに流されるのは、もうやめる。』


文字が、わずかににじんだ。


(怖い。正直、もう寝たくない。

 でも、どうせ気づいたら向こうにいる。

 だったらせめて――)


チャイムが鳴る。


先生が教室に入り、

何事もなかったかのように授業を始める。


その日常が、

ひどく“壊れやすいガラス”の上に乗っているように思えた。


光秀は、ゆっくりと目を閉じる。


(次こそ、何か“意味のある一手”を見つける。

 そうしないと、本当に全部が消える気がする。)


恐怖と、かすかな決意をごちゃ混ぜにしたまま、

彼の意識は、静かに暗闇へ沈んでいった。


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