表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

第2章 静かな陣と燃える寺

(……まぶしい。)

まぶたの裏に、やわらかい光が差しこんでくる。

(あれ、俺……昨日、布団で寝たよな?)

日本史の授業で寝落ちして戦国に飛ばされ、

信長の最期をほぼ目の前で見せつけられた一週間のあと。

「これは夢じゃない」と確信した光秀は、

その晩、布団の中で考えすぎて、いつの間にか眠ってしまった。

そして今。

「なんか、固くないか……これ。」

背中に伝わるのは、ふかふかのマットレスでも布団でもなく、

ゴワゴワした藁の感触だった。

ゆっくりと目を開ける。

視界に飛び込んできたのは、

木で組まれた天井と、透けるような和紙の戸。

鼻をくすぐるのは、草と土と、ほんの少しの鉄の匂い。

(……はい、戦国。二回目。おはようございまーす。)

心の中でだけ、思いっきり突っ込んだ。

上体を起こして周りを見ると、

同じようなむしろがいくつも並べられた小さな兵舎のような場所だった。

「起きたか。」

低く、よく通る声がした。

振り向くと、入口にひとりの武将が立っていた。

派手さはない。

だが、無駄な隙もない。

背筋はまっすぐ、

動きは静かで、

眼差しは水面のように冷静だ。

(……信長、じゃない。

 でも、この雰囲気……なんか、ヤバい人だ。)

「体調はどうだ。どこか痛むところは?」

口調は冷静で淡々としているが、

言葉の選び方には妙な優しさがあった。

「あ、いえ、大丈夫です。えっと……ここは?」

光秀が訊ねると、武将は少しだけ顎を上げ、外を指した。

「陣だ。京まで、そう遠くはない。」

京。

昨日、というか前回のループで聞き飽きた地名。

そして、そこで必ず起きる出来事。

――本能寺の変。

「お前の名は?」

問われ、光秀は思わず背筋を伸ばした。

「安田光秀です!」

「……光秀。」

武将の眉が、わずかに動いた。

ほんの一瞬。

だが確かに、反応した。

(やっぱり、俺の名前、なんか刺さるんだよな、この時代だと……)

「安田、と呼ばせてもらおう。立てるか?」

「は、はい!」

ふらつきながら立ち上がると、

兵舎の外が一望できた。

整然と並ぶ槍。

干された甲冑。

歩き回る兵たちの足取りは静かで、無駄な喧噪がない。

そしてなにより目を引いたのは、

陣幕の向こうに立つ一本の旗だった。

白地に、桔梗ききょうの紋。

その上に、くっきりと描かれた二文字。

『明智』

(……はい、出た。)

光秀は心の中で頭を抱えた。

(明智の陣。ってことは……この“殿”っぽい人は……)

歴史の授業で、教科書の端っこに書いてあった名前。

――明智光秀。

(同じ“光秀”が二人って、どういうバグだよ……)

目の前の武将は、自分の名をまだ名乗っていない。

兵たちも「殿」や「明智様」としか呼ばない。

だが状況と雰囲気と、決定的な家紋が、彼の正体をほぼ確定させていた。

(こいつが、この世界で“信長を討つ”って言われてる男か――)

胸の奥がざわつく。

前回の一週間で、光秀は信長という男を“好きになってしまった”。

熱くて、真っ直ぐで、カリスマがあって。

怖いけど、嫌いにはなれなくて。

その信長を討つ張本人の陣営に、

今度は自分がいる。

「安田。」

いつの間にか近くまで来ていた“明智らしき人”が声をかけてきた。

「はいっ!」

反射的に返事をすると、武将はわずかに口元をゆるめた。

「まずは兵たちの水くみを手伝え。体を動かせば、頭も冴える。」

「わ、わかりました!」

(うわ、めっちゃ正論だ……)

静かな説教に納得しつつ、光秀は桶を持って走り出した。


川から陣へと水を運ぶ途中、

光秀はさりげなく耳を澄ませた。

「なあ……本当にやるのか?」

「やるさ。殿は決して軽々しくは動かれぬ。」

「しかし、上様は天下を取られたお方だぞ……」

「その天下で、苦しんでいる者も多い。」

「……民のための謀反、ってやつか。」

(……“上様”ってのは、多分信長。

 やっぱりこの陣、“本能寺の敵側”なんだよな。)

兵たちの声には、単純な怒りよりも、

複雑な迷いと、それでも決断しようとする苦さがにじんでいた。

(教科書だと、ただの裏切り者みたいに書かれてたけど……

 ここにいる連中はみんな、みんなの中で“正しい理由”があるんだな。)

バシャッ、と桶の水が少しこぼれる。

「安田、水は命だぞ。」

声に振り向くと、例の武将が立っていた。

「す、すみません!」

「いや、責めているわけではない。」

彼は静かに川面を見つめた。

「人の命も、水と同じだ。

 一滴は小さいが、集まれば流れを変える。」

その横顔は、冷静で、どこか寂しげだった。

(この人も、この人なりに……

 何かを変えようとしてるのか……)

「安田。」

「はい?」

「お前は、何のために剣を振るう?」

――前のループでも、誰かに似たようなことを聞かれた気がする。

信長に問われたとき、

光秀は「まだわかりません」と答えた。

今も答えは変わらない。

かもしれない。

でも――。

「……誰かを、守りたいからです。」

そう口にしていた。

「自分かもしれないし、仲間かもしれないし、

 よくわからない誰かかもしれないですけど。

 でも……守れるなら、守りたいです。」

武将は、ふっと小さく笑った。

「ふむ。悪くない。」

それだけ言って、背を向けた。

「ならば、よく見ておけ。」

「……え?」

「誰のための剣が、誰を傷つけるのか。

 この一週間で、嫌というほどわかるだろう。」

嫌な予感しかしなかった。


一週間は、やはり“その方向”へ進むらしい。

日が経つごとに、陣は少しずつ京へ近づいていき、

密やかな準備が進んでいった。

光秀は、明智軍の兵として動きながら、

前のループで見た景色を何度も思い出した。

(また……あの夜になるんだろうな。)

そして――運命の夜。

京の空が赤く染まった。

「火の手が上がったぞ! 本能寺だ!」

叫び声が響く。

遠くに見える寺の屋根から、黒煙が昇っていた。

(やっぱり……避けられないのか。)

陣笠をかぶり、槍と刀を握りしめる兵たち。

足軽の列の中に混ざりながら、

光秀の心臓は早鐘のように打っていた。

(前は、信長側で“襲われる側”だった。

 今回は、明智側で“攻める側”……)

二つの経験が頭の中でぶつかり合う。

「突撃!」

号令とともに、兵たちが一斉に駆け出した。

光秀も、その流れに飲まれるように走り出す。

本能寺の門を突破し、

炎と悲鳴と鉄の音が入り混じる地獄のような空間へ。

「うわっ……前よりヤバくなってないかこれ!?」

前のループで見た光景なのに、

今回のほうが遥かに鮮やかに迫ってくる。

炎の熱。

焼け焦げた木の匂い。

血の足跡。

そのとき、耳をつんざく叫び声が聞こえた。

「誰かぁ! 足が……足が抜けねぇ!!」

ふと見ると、

倒れた梁の下敷きになっている若い兵がいた。

鎧ごと足を挟まれ、もがいている。

(前もここ通った……でも、怖くて見て見ぬふりしたんだ……)

光秀は瞬間的に足を止めた。

(今回は――助ける!)

身体が勝手に動いた。

「どけろ!」

光秀は梁に肩を入れ、全身の力を込める。

「ぐっ……!」

剣道で鍛えた足腰に、ありったけの力を込める。

筋肉が悲鳴を上げる。

「今だ! 抜けろ!!」

梁がわずかに持ち上がったその瞬間、

兵が転がるように抜け出した。

「はぁっ、はぁっ……!」

光秀はその場に膝をつく。

「お、お前……助け……助けてくれたのか……!」

若い兵が、涙まじりに叫ぶ。

「恩に着る! 名を……名を教えてくれ!」

「安田……安田光秀!」

「み、光秀……?」

兵の顔が一気に強張る。

「殿と同じ名……いや、そんなはず……」

何かを言いかけたが、

別の怒号にかき消された。

「前へ出ろーっ!! 上様は奥だ!」

信長がいる本堂のほうへ、

味方の兵が雪崩れ込んでいく。

(……行かなきゃ。)

光秀は歯を食いしばった。

前のループで、

炎の中、信長が笑っていた光景が頭から離れない。

(俺は今、敵側にいる。

 でも……あの人を“悪い人間”だとは、どうしても思えない。)

それでも、歴史では信長は死ぬ。

明智光秀は生き残る。

(ならせめて――)

気づけば、光秀は本堂のほうへ走っていた。

「安田!? どこ行く、戻れ!!」

誰かの叫び声が背後から聞こえる。

無視した。

(今度こそ、俺は“何もしない”って選択はしたくない!)

炎の熱が、肌を刺す。

喉が焼けるように痛い。

本堂に続く廊下の手前で、

光秀はついにそれを見た。

崩れかけた柱の向こう。

数人の近習に囲まれ、

なお刀を握っている男。

派手な陣羽織。

炎の中でもなお消えない覇気。

織田信長。

(殿……!)

声を上げかけた、そのとき――

ギシッ、と嫌な音がした。

「――あ。」

頭上の梁が、崩れ落ちる。

「危ない!!」

光秀は、近くにいた味方の兵を突き飛ばした。

代わりに、自分がその場に残る。

次の瞬間、重たい衝撃が背中を襲った。

ドガァンッ!!

「っぐ……!」

空気が肺から吹き出る。

視界がぐにゃりと歪んだ。

(やっべ……これは……)

そのまま、世界が暗転していく。

耳の奥で、誰かの声が微かに響いた。

「おい! そこの兵、まだ息があるぞ!」

「いい、放っておけ! 火が回る!」

「でも――」

「上様を討つのが先だ!」

信長の姿が、炎と煙に包まれて見えなくなっていく。

(……また、死ぬのか。やっぱり……)

焦げた木の匂いと、

焼けつくような熱とともに、意識が途切れた。


「――安田。安田、起きろ。」

肩を揺さぶられる感覚で、光秀は目を覚ました。

見上げれば、蛍光灯。

鼻をくすぐるのは、チョークとお弁当の匂い。

(……戻ってきた。)

ここは、いつもの教室。

……のはず、だった。

「大丈夫か? いきなり机に突っ伏してさ。」

声の主を見上げる。

「……亮太……?」

「おう。」

親友の佐藤涼太が、いつもの調子で笑っていた。

(良かった……涼太は――)

「えっと、お前名前……安田、だよな?」

「は?」

その一言で、背筋が凍った。

「いやさ、最近転校してきたやつ多くてさ。

 お前といつから同じクラスだっけって話してて。」

「……一年の頃から、ずっと一緒だろ。」

「マジで? 俺、記憶飛んでんのかな。」

笑ってごまかしてはいるが、

目は本気で不思議そうだった。

(やっぱり……薄くなってる。)

次に、美空のほうを見る。

「みそ――工藤。」

「ん?」

振り向いたのは確かに幼馴染の顔。

でも、その表情には“なんとなく知ってる人”くらいの距離感しかなかった。

「安田だよね、たしか。

 同じクラスなのは覚えてるけど……あんまり話したことなかった気がする。」

(いや、昨日まで普通に喋ってたよな!?)

喉まで出かかった言葉を飲み込む。

(俺が戦国で“違う選択”をするたびに、

 ちょっとずつ、現代の俺の輪郭が削れてる……?)

ポケットからスマホを取り出し、写真フォルダを開いた。

剣道部で撮った集合写真。

以前はちゃんと自分の顔が写っていたはずの場所に、

……自分の姿が、少しだけ影になっていた。

顔はかろうじてわかる。

でも、ピントが甘い。

自分だけ、ぼんやりしている。

(さっき助けた兵士は、

 本来ならあの場で死んでた“はず”の人間かもしれない。

 俺が一人の命を戦国で拾うたびに、

 現代のどこかが、代わりに削られてる……?)

涙腺の奥がじわりと熱くなった。

(でも――)

あの時、助けなかった自分を想像する。

梁の下で足を挟まれて、

誰にも見つからず焼け死ぬ兵士の姿を。

(それよりは、マシだと思ってしまった。

 だから俺は、また助けると思う。)

「……安田?」

涼太が怪訝そうに覗き込む。

「顔色、悪いぞ。保健室行くか?」

「あ、いや……大丈夫。ちょっと寝不足なだけ。」

(寝てると戦国行くんですけどね。)

心の中だけで毒づいて、光秀は教科書を開いた。

『本能寺の変』

その見出しの下の文章は――

前に見た教科書と、微妙に言い回しが違っていた。

“この事件により、多くの家臣が討ち死にした”

その一文の後ろに、

見慣れない小さな注釈が増えている。

“※ 近年の研究では、一部の雑兵が生還していたとする説もある。”

(……あいつか? さっき助けた兵か?)

誰も気にしないような、小さな一文。

けれど、光秀にはそれがとてつもなく重く感じられた。

チャイムが鳴り、昼休みが始まる。

教室のざわめきの中で、

光秀は静かに決意を固めた。

(この一週間は、

 どうやっても本能寺に向かって進んでいく。

 信長は死んで、明智は生き残る。

 俺がどんな行動を取っても、それは変わらないっぽい。)

(だったらせめて――

 この“運命の一週間”の全部を見てやる。

 敵でも味方でも、上でも下でも、

 ありとあらゆる視点で、何度でも。)

同時に、

そのたびに誰かが自分を忘れていくことも、

もう薄々わかっていた。

(それでも俺は、何もしないで見てるだけの“観客”にはなりたくない。)

机の下で、拳をぎゅっと握りしめる。

次に眠ったとき、自分はどこへ飛ぶのか。

どの軍の、どの立場で、一週間を過ごすのか。

その答えを知るのが、

怖くて、

少しだけ楽しみでもあった。

安田光秀の “二度目の一週間” は、こうして終わった。

そして三度目の一週間が、

静かに、しかし確実に近づいてきていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ