第一章 祓いの騎士 第二幕
夜は落ち、町の路地に影が満ちる。
その影より生じしは、黒き霧をまとった獣の形。
牙は鋼のごとく、眼は紅に燃え、
人の怨嗟を糧として吠え猛る。
「ひぃっ……!」
「また出たぞ、影の獣だ!」
人々は逃げ惑い、門兵の剣は震え、
誰ひとりとして前に出ようとはしなかった。
ただ一人、祈祷師のみが進み出る。
その歩みは決して速からず、
けれども一歩ごとに空気が澄むのを、誰もが感じ取った。
「無謀な……!」
「武器も持たずに、喰われるぞ!」
嘲る声が飛ぶ。だが、
彼は胸奥に深く息を沈め、両の掌を合わせた。
**掛けまくも畏き 天地の大神
祓へ給ひ 鎮め給へ**
声はかすかであった。
されどその響きは、夜気を震わせ、影の獣の身を縫う。
獣は吠え猛り、足を踏みしめる。
だがその咆哮には、微かな怯えが混じっていた。
「……効いているのか?」
町人たちが息を呑む。
祈祷師の眼差しは揺らがない。
彼の前に広がるのは、ただ鏡のような静けさ。
その鏡に映されたのは――
町人たちの心に巣食う恐怖と怒りであった。
「この獣は、おぬしらの影ぞ」
祈祷師は静かに告げた。
「恐れと怨みの集いし形。
我が声にて祓ひ、鎮めよう」
そして、彼は地を叩くように声を放つ。
**かけまくも畏し
禍事罪穢を祓ひ給へ
清め給へ**
その言霊は、雷のごとく闇を裂いた。
影の獣は苦悶の叫びを上げ、
その姿は霧と化して四方へ散ってゆく。
沈黙が訪れた。
夜の町には、ただ風と人々の息づかいのみが残る。
やがて、ひとりの兵士が呟いた。
「……祈りで、退けたのか」
次いで、誰かが口にする。
「祓いの騎士だ……」
その呼び名は笑いでなく、畏敬を帯びていた。
祈祷師は答えず、ただ天を仰いだ。
そこには星が瞬き、澄んだ光が町を包んでいた。
こうして、ひとつの町は救われた。
だが、祓いの旅はまだ始まったばかりである。




