坂本龍馬は、偉大である。
坂本龍馬は、偉大である。
日本が誇る不世出の英雄。瞬く間に時代を駆け抜け、最後は星となった傑物。
それが坂本龍馬である。
その偉大なる足跡を今さらながらに説明することは、天に太陽があり、その太陽に星々が連なることを説明するに等しい。
常識、なのである。
しかし、昨今の風潮がこの常識を揺るがそうとしている。
曰く、坂本龍馬は偉大ではない。
曰く、坂本龍馬は虚像に過ぎない、と。
噴飯もの、と言わざるを得ない。
さらに愚劣なことに、この論争に押され、さる団体から「教科書から坂本龍馬の記述を削除せよ」などと馬鹿げた提案がなされてしまったという。
これはもはや積み重ねられた歴史への冒涜と言ってもよい。
故に、ここに改めて、かの英傑の足跡を振り返ることに深く意義を感じた次第である。
これは、坂本龍馬という巨星の真実の歴史である。
いま一度、坂本龍馬という偉人を回顧したい。
坂本龍馬は、偉大である。
■ ■ ■
さて、坂本龍馬を語る上で、まず挙げるべき偉業とは何か。
これがなかなかに難しい。
薩摩と長州を結んだ『薩長同盟』は、坂本龍馬の立ち位置が複雑すぎて、今なお諸説が入り乱れている。
船中にて後藤象二郎に大政奉還を建白したとされる『船中八策』などは創作と見做されている。
確固たる業績、として挙げるにはいずれも不十分なのだ。
坂本龍馬は、あまりに人気がありすぎた。
そしてその人気が実像を歪ませ、さらにそこがまた魅力となって、人々の興味を強く惹きつけてやまないのである。
真相の究明もまた魅惑的なテーマではあるが、本作の趣旨から離れてしまうため、泣く泣くこれらの事績は横に置いておく事とする。
坂本龍馬。
その偉大さを明確にするのであれば、もっと確実で、もっとキャッチーな話題から始めるべきである。
となれば、
本能寺の変。
これが相応しい。
日本統一目前だった戦国大名・織田信長を、家臣の明智光秀が急襲した事件である。
日本史を一変させた、言わずと知れたこの大事件。
その黒幕は、坂本龍馬だった。
織田信長は、日本の夜明けに邪魔だったのである。
俗説の一つに、坂本龍馬の坂本姓はかつて明智光秀が居城としていた坂本城に由来する、と云うものがある。明智光秀の娘婿・明智秀満の末裔が坂本家である、と云うのである。
しかし、これは明治時代に書かれた小説「汗血千里駒」の創作にすぎない事が研究で明らかになっている。
当然である。
なぜならその当時、坂本龍馬は坂本城にいたのである。
末裔であろうはずがない。
坂本龍馬が坂本城にいる。そこに何の不思議があろうか。
一説に、織田信長が四国侵攻を企てた事が事件の発端、とされているが、歴史は多くを語らない。
後世の人間に分かる事は、坂本龍馬が坂本城から巧みに明智光秀を操り、みごと織田信長の打倒を果たした、という事実のみである。
さらに事後、明智光秀の秘められた野心を見抜き、一転、今度は羽柴秀吉と連携し、これを排除した。
明智光秀も、日本の夜明けに邪魔だったのである。
「秀吉さん、日本の夜明けぜよ」
余談だが、天下を掌握した羽柴秀吉は坂本龍馬のこの言葉に感涙し、後年、「日輪の子」と自称するようになった。
かくして日本は統一された。
■ ■ ■
坂本龍馬が本格的に歴史の表舞台に躍り出るのは、土佐を脱藩してからの話になる。
本能寺の変の際、坂本龍馬は現在の滋賀県にあたる坂本城にいたのではないか?
と素人考えを起こしそうなものだが、これは違う。
坂本龍馬がいたのならそこは土佐であるべきなのだから、逆に現在の坂本城跡こそがおかしいのだろう。
坂本城は土佐にあった。そう考えれば全ての辻褄が合う。あるいは滋賀県が土佐であったのかもしれない。
閑話休題。
さて、坂本龍馬が土佐を脱藩してから最初に歴史にその名を刻んだ大仕事。
それは、松平春嶽との謁見から始まった。
松平春嶽といえば、数ある王侯の中でも英邁な領主として知られており、その見識の高さは世に隠れることのない大人物であった。
坂本龍馬はただの一浪人の身にありながらこの大物を相手どり、船を出す資金を得るために巧みに弁舌を振るうや、みごと援助を引き出すことに成功した。
こうしてスペイン国王・松平春嶽の後ろ盾を得た坂本龍馬は大艦隊を結成する。
世にいう無敵艦隊・海援隊である。
「アロンソさん、日本の夜明けぜよ」
海援隊総司令官アロンソ・ペレス・デ・グスマンの肩を抱き、坂本龍馬は親しげにこう語ったと云う。
無粋にもその意を訳するなら、スペインもまた我が母国である。というような意味になろうか。
かくしてスペインは『太陽の沈まぬ国』として大海原へと漕ぎ出した。
坂本龍馬は七つの海を股にかけ、アルマダ、ミッドウェーなど数多くの著名な海戦にて連戦、連勝。
さらにアメリカ大陸の発見を果たしたことは諸兄姉も広く知るところである。
坂本龍馬といえば、土佐から脱藩後に数多くの偽名を用いた事でも知られている。
坂本家の本家・才谷屋にちなんだ変名、才谷梅太郎などが特に有名であろうか。
このほかに、コロンブス。チンギスハン。ナポレオン。孔子。ガリレオ。カエサル。アッティラ。
などの偽名を用いて世界史をにぎわせてきた事が長年の研究によって明らかになっている。
土佐という狭い檻から解き放たれた龍の馬は、所狭しと世界を縦横無尽に駆け回ったのだ。
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このほかにも世界各地には坂本龍馬にまつわる伝承が数多く残されている。
土佐から脱藩時、刀を探していた坂本龍馬が湖の乙女から魔法の刀・陸奥守吉行を授けられて王となった伝説は特に有名であろう。この伝説は現代日本でもモチーフとして人気で、女体化した坂本龍馬のイラストが物議を醸したことは記憶に新しい。
私的な好みで挙げれば、龍の血を浴びて無敵の肉体を手に入れるも、背中の毛が異常に濃かったために生き血がかからず、背面の一部のみが弱点になってしまった坂本龍馬の伝説などは多くの示唆を含み、我々の知的好奇心を惹きつけてやまない。
いずれの伝説も瑞々しく、坂本龍馬のその息吹を現代に伝えている。
世界各地に姿を現す坂本龍馬。しかし、その全てが正しく記録に残されたわけではない。
意図してその名が書物から削除される憂き目にあったことも、前例がなかったわけではないのだ。
こんな話がある。
かつて神が作りたもうた楽園に、アダムとイブという名の一組の男女が暮らしていた。
神はこの二人に楽園に生える知恵の木の実を食べることを禁じ、アダムとイブはこの言いつけを守って慎ましく暮らしていた。
しかしある日。蛇にそそのかされたイブが知恵の木の実を食べてしまい、続けてアダムまでもがその禁を破ってしまう。
アダムとイブは知恵を得たために原罪を得て、楽園を追放されたのだ。
二人が楽園を追放される元凶となった蛇。
この蛇が、坂本龍馬である。
「アダムさん、イブさん。日本の夜明けぜよ」
残念ながら、知恵を得たばかりのアダムとイブにその深淵なる言葉の意味は理解できなかった。
筆者にもよく分からない。
その後、楽園から追放されたアダムとイブと坂本龍馬は、安住の地を求めて旅をした。
この際、アダムとイブと坂本龍馬は仲睦まじく手を繋いで旅をした為、これが人類初の新婚旅行とされている。
男女が手を繋いで往来を歩く事が恥とされた時代の話である。
奇しくも坂本龍馬の先進性がまたしても示された形だが、その理解を得るには時の流れを待つ必要があった。
男女男の結婚様式が、当時の社会通念にそぐわなかったのだ。
異物と見做された坂本龍馬の記述は全て「蛇」に書き換えられ、長い年月、歴史の闇へと葬られた。
まことにおぞましい限りである。
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坂本龍馬といえば、こんな話もある。
日露戦争前夜。明治天皇の皇后・昭憲皇太后の夢に見知らぬ白衣の武士が現れ、これより戦に向かう日本海軍を守護せん、と誓いを立てたのだと云う。
不思議に思った昭憲皇太后が夢の話を周囲に伝えると、下問された側近がふと心当たりがあり、一枚の写真を献上した。
その写真を見てビックリ仰天。なんと謎の武士は、坂本龍馬その人だったのである。
しかし、流石にこれは作り話であろう。
実に感動的なエピソードではあるが、戦争を前にして士気高揚のためにでっち上げられたか、あるいは大きな戦を前にした不安によるストレスがそのような夢として現れたのか。
古くからの坂本龍馬人気を裏付けるエピソードではあるが、あまりに突飛な話である。
ともあれ、坂本龍馬とはそんなスピリチュアルな存在ではない。
国を憂い、人を愛し、生涯を全力で駆け抜けた、ただ一人の人間に過ぎない。
坂本龍馬の人間としての魅力を強く感じられる話といえば枚挙に暇がないが、分けてもその人となりを窺い知ることができるものといえば以下の話がある。
龍馬の親戚でもある山本琢磨が切腹を言いつけられた際の話である。
その時、山本琢磨は盗みを働いた罪を同胞から咎められ、死を待つばかりであった。
しかし、坂本龍馬はこの沙汰に反対し、逆に山本琢磨を励まして、その逃走の手助けをした。
坂本龍馬から石板と杖を授けられた山本琢磨は、パピルスの駕籠に入れられてナイル川に流された事でその窮地を救われたのだ。
かくして山本琢磨は、エジプトのファラオの元から盗み出した奴隷たちを引き連れて、約束の地・蝦夷地を目指して旅立った。
長い苦難の旅路の果て。ついに津軽海峡へと辿り着いた山本琢磨だったが、そこに奴隷たちを取り戻すべくファラオの軍勢が迫ってくる。
もはやこれまでか。蝦夷地を目前に絶望する奴隷たちをよそに、山本琢磨は荒れ狂う海に向かって杖を掲げた。
すると、奇跡が起きた。
岩の洞穴から巨大な3人の坂本龍馬が現れ、海を割ったのである。
割れた海を急いで渡る山本琢磨と奴隷たち。
それを追って迫りくるファラオの軍勢を、3人の坂本龍馬は鬼神のごとく暴れ、蹴散らした。
かくして、山本琢磨と奴隷たちは約束の地・蝦夷地へと辿り着いたのである。
山本琢磨はのちに沢辺琢磨と改名し、日本人で最初のローマ教皇となった。
坂本龍馬らしからぬ暴力的な結末にさぞ驚かれた事だろうが、この頃はまだ龍馬も若く、黒船来航によって荒ぶっていた時期である。
坂本龍馬が当時、実家に宛てた手紙に書かれた「いざ戦となれば異国人の首を討ち取って土佐へ帰ります」との文言を実行に移してしまったわけだが、さておき流石は坂本龍馬。
友の窮地に駆けつけ、分裂、巨大化してしまうとは。かの人の友情の厚さを物語る逸話である。
ここで有名なあの話にも触れておこう。
ある時、坂本龍馬は正しき老人に大洪水の到来を予言した。
そして自分の家族、そして全ての動物のつがいを乗せる方舟を作るよう命じた。
後世に名高い、ノアの方舟の逸話である。
ノアはこの予言を受けて家族と共に方舟を完成させた、とされているが、しかし、この定説には疑問が残る。
何故なら、ただの老人とその家族のみでこれほど巨大な方舟を作り出すことは不可能に近い。
この方舟の建設には、坂本龍馬と海援隊、そして海援隊本部の一階に店舗を構えていた材木商「酢屋」が深く関わっていた、と見るのが妥当だろう。
かくして予言の通り、石狩川から起きた洪水が世界を埋め尽くし、方舟に乗り込んだノアとその家族、動物たちを除き、全てを洗い流した。
40日後、ノアは陸地を確かめるべく、カラスを放ったが、止まる場所もなく戻ってきた。
ノアはさらに鳩を放ったが、同じように戻ってきた。
その七日後、ノアは坂本龍馬を放ったが、坂本龍馬はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。
一説に坂本龍馬はオリーブを好んでいたと云う。
さらに七日後、坂本龍馬を放ったが、脱藩し、とうとう戻ってこなかった。
水は次第に引き始め、ノアたちはようやく船から地上へと降り立った。
ノアたちは祭壇を捧げると、坂本龍馬は二度とこのように生き物を滅ぼす洪水を起こさないことを誓った。
「ノアさん、日本の夜明けぜよ」
その誓いに、天には大きな虹がかかっていた、とされる。
このエピソードは長年創作とされてきたが、ある物証が見つかったことでその評価は覆された。
坂本龍馬が実家で暮らす姉に送った手紙の中にこう記されていたのである。
――――日本をいま一度、洗濯いたし候。
これが坂本龍馬が洪水を起こした証拠でなくて、何だというのか。
それにしてもなんとスケールのでかい話であろう。
うっかり日本どころか世界中を洗い流してしまったその粗忽さも、坂本龍馬が深く愛される一因と言えるかもしれない。
しかし、ここでまた一つの疑問が生まれる。
何故、ノアは坂本家に送られたはずのこの手紙を閲覧することが出来たのか?
一説に、このノアも坂本龍馬の縁者で、龍馬の甥だった、とする説がある。
だとすれば、現在、地球上に繁栄する人類すべては、坂本龍馬の縁戚になる。
私も、貴方も、である。
なんとも心の躍る話ではないか。
■ ■ ■
思えば、坂本龍馬の旅とは遠大なものである。
世界のありとあらゆる場所に出没し、人々を魅了してやまない巨星・坂本龍馬。
しかし、そんな坂本龍馬にも落日の日は訪れる。
それはローマ終身独裁官・坂本龍馬が誕生してほどなくのことである。
権力への執着が薄いさしもの英雄も絶頂の思いであったらしく、実家にむけて終身独裁官就任の報告を「エヘン、エヘン」と誇らしげにユーモアを交えて綴った手紙の記録が残されている。
まさしく坂本龍馬の生涯において栄華の極みであった。
そんな人生の最高潮に、坂本龍馬は暗殺者の凶刃に倒れた。
暗殺の実行犯は今も定かではない。
一説に、ローマ見廻組のブルータスが主犯とされているが、その根拠とされる「ブルータス、おまんもか」と死の間際の坂本龍馬が言ったとされるエピソードは、シェイクスピアの戯曲にすぎない。
今をもって真偽は分からない。
我々に分かる事は、坂本龍馬が暗殺者の手によって星になった、という事実のみである。
そう、星になった。
太陽系第十惑星・坂本龍馬の誕生である。
「太陽さん、日本の夜明けぜよ」
などと惑星が言葉を語るわけがないのだが。
冗談はさておき。
惑星としての坂本龍馬は地球より遠く、冥王星よりも外に位置し、新たな太陽系の惑星としての軌道が観測された。
日本人として、いや、人が惑星となったこと自体が世界史にも稀に見る偉業である。
思えば、坂本龍馬が人として生まれたあの日。
空には箒星。つまりはハレー彗星が輝いていたとされている。
生まれたばかりの坂本龍馬の眼は、その夜空を捉えていたのかもしれない。
あるいは、その時からすでにこの壮大な目標を見定めていたのではないか。
残念ながらその答えは得られない。
今日も、坂本龍馬は夜空に輝くばかりである。
■ ■ ■
いかがだっただろうか。
かの不世出の英雄にして、天下の巨星・坂本龍馬の歴史。
その偉大なる物語にさぞ圧倒された事だろう。
かつて日本にこれほどの大人物がいた、という事実に、ただただ感じ入るばかりである。
しかし、それ故に、許されざる蛮行に対しては憤慨せざるを得ない。
怒りの矛先は言うまでもない。
この偉大なる坂本龍馬という惑星を太陽系から除外し、教科書からの記述を削除せよ、という愚昧な輩に対して、である。
その理由とされるものも実に酷いものばかりである。
自由を愛する坂本龍馬が太陽系の軌道から外れている事をあげつらうものや、人が惑星になるはずがない、などと世迷言に近いものまでアレコレと難癖をつけてきている。
分けても度しがたいのは、坂本龍馬は惑星と定義するには『大きさ』が足りない、というのである。
こんなにも偉大なのに?
訳がわからない。
彼らの天に唾を吐くがごとき愚挙には呆れるばかりである。
さて、ここまで真実の歴史を読まれた諸兄姉におかれては既に坂本龍馬に対する正しい認識と教養を得たものと思われる。
だが、時として、人類の歴史は正しき行いにも試練を与えるものである。
正しき知識が必ずしも広く民衆の理解を得られるとは限らないのだ。
我々は一致団結し、これからも坂本龍馬の偉大さを訴え、叫び続けていく事を共に誓い合おうではないか。
かのガリレオ・ガリレイこと、坂本龍馬が残したとされるあの言葉をもって、本作の結びとしたい。
それでも。
坂本龍馬は偉大である。