8話 初めてのイベント
週末、景子はアラームの鳴る前にスッキリと目覚めた。10月も半ばが過ぎ、朝は少し肌寒い。
カーテンを開けると眩しい朝日が目に入り、景子はぎゅっと目を瞑る。
「うーん、いい天気。アゴノスケ、今日はお出かけ日和だよ」
アゴノスケはケージの隅の方でまだ眠っているようだ。
「まだ眠そうだね。でも、今日は忙しくなるよ。一緒に頑張ろうね」
(あん?なんだよかげこのヤツ、朝からゴチャゴチャ言って。俺様は眠いのだ。早くそのカーテンを閉めろ)
アゴノスケは朝日に背を向け、二度寝を決め込むつもりらしい。
渋谷の運転するミニバンで、龍彦達はイベント会場に到着した。
「わぁ、凄い人ですねぇ」
会場内は出店の準備をする人たちと、爬虫類や両生類、ハリネズミなどの変わった小動物まで様々な生き物であふれている。
その光景に、景子はまるで動物園に来たような気分だった。
「ほんと、凄い賑わいだよね。わくわくするでしょ、トカゲちゃん」
「はい!こんなにいっぱい生き物がいるなんて思ってませんでした。アゴノスケも、楽しみ?」
抱えていたケージを覗き込むと、アゴノスケもへばりついて外の様子を見ている。
(かげこ、何だここは!いろんな生き物の匂いがする!)
「お、こいつも早く出たいって感じだね」
一通りの荷物を運び終え、龍彦はぐっと腰をそらしたり捻ったりする。
「お疲れさまです。結構な段ボールの数だから、大変ですね」
「ふぅ、毎回この作業は腰にくるわ。体の衰えを感じる」
龍彦は腰をトントンと叩きながら、疲れた表情で呟く。
「ふふ、まるでおじいちゃんみたいですね」
陳列作業をしていた景子は、クスリと笑い揶揄ったように言う。
「うぅ、おじいちゃんの腰に湿布を貼っておくれぇ」
まるで本物のお爺さんのような龍彦に、景子は堪えられなくなり大笑いした。
「もう、二人とも、イチャついてないで手を動かしてくださいよ?」
「ふん!イチャついてねぇし。ね、トカゲちゃん」
「あ、ははは……」
「もう、ガキじゃないんすから」
渋谷は呆れてため息を吐く。
(おぉお!なんだここは!おい、かげこ、あっちの方も見たい!連れていけ!)
アゴノスケは景子の肩に乗り、興味深そうにまわりを見渡している。
イベントが始まると徐々に来場者が増え、広々としたホールもしばらくすると人でいっぱいになった。
龍彦のブースにもちらほらと客がやってくるが、なぜかあまり足を止めることはない。
その理由はなんとなく景子達にはわかっていたが、どうすることも出来なかった。
「いらっしゃいませー!」
満面の笑みを浮かべ、呼び込みをする龍彦。お忘れかもしれないが、彼の笑顔は恐ろしい。
(おお……あいつ、いつにも増して顔怖ぇな……)
見慣れていたはずの顔だが、さすがのアゴノスケも恐怖で固まった。
「あのぉ、タツさん?少し、奥で休憩でもしたらどっすか?」
「あぁ!?まだ始まったばっかじゃねぇか。休んでなんかいられねぇよ」
久しぶりのイベントに、龍彦もテンションが上がっているようで、渋谷の提案に乗るはずもない。
「……ヤスさん、元気だしてください。まだ始まったばかりですし」
景子はがっくりと肩を落とす渋谷を励ます。
「はぁ、そっすね。アニキの顔を恐れない客が来ることを期待するしかないか」
龍彦の笑顔の妨害もあったが、午前中は三匹の生体を販売することが出来た。渋谷の予想だと一匹売れれば良い方だったので、まずまずと言ったところだ。
「タツさん、平戸さんと休憩行ってきますか?」
「おう、そうだな。トカゲちゃん、ヤスに任せて先に休憩行こっか」
「あ、はい。ヤスさんすみません、お先にとらせていただきます」
「はいはーい。いってらっしゃい」
休憩のために会場の外に出ると、来た時には無かった屋台がいくつか並んでいる。
漂ってくる香ばしい匂いに、景子はすっかりお腹を空かせていた。
「出店がこんなに……なんだかお祭りみたいですね」
「そだねぇ。毎年こんな感じなんだ。あ、そこの焼きそば、去年も食べたけど結構旨かったよ」
「焼きそばっ!私、屋台で食べる焼きそばに憧れてたんです」
「そなの?もしかして、トカゲちゃんて結構お嬢様?」
可愛らしい憧れに、ニヤリと笑いからかう。
「全然!そんなんじゃないですけど……なんというか、一緒に行くような友達もいなかったもので」
気恥ずかしそうに話すと、龍彦はそれに対し特に驚くこともなく、ふーんと何食わぬ顔で聞いていた。
「じゃあさ、これからは俺と、いっぱい楽しいとこ行こっか」
「……はい!」
龍彦の言葉に、景子は明るい笑顔で返事をするのだった。
焼きそばを食べ終えた二人は、他の出店ブースを見て回ることに。ある店に立ち寄ると、色とりどりの蛇たちのそばに、数十匹はいるであろうハムスターが衣装ケースの様な入れ物に入って売られていた。
「わ、かわいいハムスターがいっぱい!結構小動物もいっぱいいるんですね」
「う、うん、そうだね……」
何となく歯切れの悪い様子に、景子は不思議に思っていると、店主の男が機嫌よく話しかける。
「うちのハムスター丸々して元気でしょ?餌にもこだわってるから、食いつきも抜群だよ!今ならまとめ買いでお得だよー」
「へ?」
笑顔のまま固まる景子の腕を掴み、龍彦は慌てて引っ張っていく。
「あ、ああ!あっち、あっち行ってみよ、トカゲちゃん」
引っ張られていった先には、爬虫類を模したグッズなどを売っている店があった。
Tシャツやキーホルダー、フィギュアなどが並ぶなか、トカゲ用の服などが売っており、景子は思わず声をあげて眺める。
「あ、これ、アゴノスケにぴったりかも!」
「ほんとだね。はは!何か着てるとこ想像したら面白いけどね」
白いモコモコの生地にフードまで付いている。フードの下には小さな金具があり、別売りのリードを取り付けれるようにもなっていた。
「私、これ買ってきます!」
鼻息荒く買いに行く後ろ姿を見て、龍彦は思わずプッと吹き出す。
会計を待っている間に隣の店を見ていると、デフォルメされたフトアゴヒゲトカゲのキーホルダーが売っていた。龍彦はそれを見てフッと微笑む。
「お待たせしました」
景子はホクホクした顔で戻ってくる。
「ううん。大丈夫だよ」
ふと目をやると、龍彦も小さい紙袋を持っていた。
「タツさんも何か買ったんですか?」
「うん。ほい、トカゲちゃんへのプレゼント」
「え?」
龍彦から渡された袋を開けてみると、ちょっとマヌケな表情のフトアゴヒゲトカゲのキーホルダーが入っていた。
「わぁ、可愛い!あはは、アゴノスケにそっくり」
「でしょ?今日付き合ってくれたお礼。あ、もちろんバイト代とは別だから、安心してね」
「でも、なんだか申し訳ないです」
「気にしない気にしない。感謝の気持ちだよ」
「……タツさん。ありがとうございます!一生大事にしますね!」
龍彦の気持ちが嬉しくて、景子は力強く感謝を伝えた。
「はは!もう、大袈裟だって。……あ、やべ、そろそろ戻らないとヤスに怒られる!行こ、トカゲちゃん」
スッと景子の手をとり、二人は急いで売り場に戻る。走っているからなのか、景子の心臓はドクドクと踊っていた。
「わりぃ、遅くなった。交代する……ぜ?」
売場に戻ると、そこには見知った顔の男が立っている。呆気にとられていると、背中から景子がひょこっと顔を出した。
「あ!高橋さんだ。高橋さんもイベントに来てたんですね」
「え、えぇ。だいふくのシェルターを買いに来たんですけど……」
ジトッとした目で睨み付けてくる目の前の男に怯えながら、高橋は事情を説明する。すると接客を終えた渋谷が様子を察して助けに入る。
「いやぁ、タツさんが休憩に行ってから、急に客が入ってきましてね。一人でわたわたしてたら、ちょうど高橋くんが来て、事情説明したらしばらく手伝ってくれたんすよ」
「ふーん。そりゃ、世話になったな」
龍彦はあまり良い顔はしていなかったが、一応お礼を言う。
「じゃ、じゃあ僕、他の店見てきますね」
「おい!シェルター探すなら、れおぱの家って店がいいぞ」
「……あ、ありがとうございます」
ぺこっと頭を下げると、高橋は走り去っていった。
「あ、お礼言うの忘れてた。まいっか、じゃあタツさん、休憩行ってきまーす」
あっという間に誰もいなくなってしまい、景子たちはポツンと取り残されたようだった。
なんとなく不機嫌な様子の龍彦を、景子は不安げな表情でチラチラと見ている。
「はぁ、ごめんトカゲちゃん。雰囲気悪くして」
「い、いえ。……あのぉ、もしかしなくても高橋さんの事、嫌いなんですか?」
なんとなく感じていた事を思いきって聞いてみた。
「うーん、嫌いっつうか、気に入らないつーか?ま、まぁそれはいいんだけど……」
言い淀む龍彦を、きょとんとした顔で見つめる。その無垢な表情に龍彦はいたたまれなくなり、ぽつぽつと気持ちを打ちあける。
「俺がいない間の方が、客の入りが良かったじゃん?その、なんか、俺の接客が良くなかったのかなって、自信無くなっちゃって」
下を向き、指をいじいじと触りながら話す。龍彦は珍しく落ち込んでいるようで、大きな背中が一回り小さく見えた。
「ごめん、なんか暗いこと言って。午後も頑張って売り上げ伸ばさないとな!」
そう言うと、気持ちを切り替えるようにパチンと両手で頬を叩く。
「あの!タツさんは、優しくていい店員さんですよ。私、タツさんに出会えて、今すっごく楽しいんです。だから、自信持ってください!」
景子は力強く励ます。龍彦は一瞬驚いたような顔をしたが、ふわっと笑うと景子の髪を優しく撫でた。
「ありがと、俺もトカゲちゃんに出会えて良かったよ。……さ、頑張って働こう!」
景子は頬を赤く染め、しばらく撫でられた頭を触っていた。
「いやぁ、今回も疲れたっすねぇ。でも、今までで一番の売り上げじゃないっすか?きっと平戸さんや高橋くんのお陰っすね!」
賑わったイベントも終わりが近づき、客もまばらになってきた。渋谷は平行して片付けの作業をしながら話す。
「おい、静かにしてろ」
「ん?」
龍彦に指された方を見ると、景子が椅子に腰かけて小さな寝息をたてていた。
「今日は頑張ってくれましたもんね」
「おぉ、しばらく休んどいてもらおうぜ」
二人は起こさないように、静かに作業を行った。
そうこうしていると終了時間になり、渋谷は荷物を車に積みに行く。
「トカゲちゃん、起きて。帰る時間だよ」
優しく肩を揺らすも、景子はなかなか目を覚まさない。
あどけない顔で眠る彼女を見ていると、愛しい気持ちが溢れてくるようだ。心臓の音が自分にも聴こえるくらいには鼓動が速くなっていた。
龍彦は大きな背を屈め、肘掛にそっと手を置くと、小さく寝息をたてる唇に口づけをする。
初めて触れた彼女の唇は冷んやりとして気持ちが良かった。それは逆に龍彦の体温が上昇していたせいなのかもしれない。
「う……んん。タツさん?」
少しすると景子は目を擦りながら目を覚ます。
「おはよ。でも、もう帰る時間だよ」
「えぇ!もう終わっちゃたんですか?すみません、私途中で寝ちゃって」
「大丈夫。きっと慣れないことで疲れちゃったんだよ。さ、車に戻ろ」
「平戸さん……」
先ほどの様子を偶然見ていた高橋は、遠くから二人の背中を見つめながら、小さく景子の名前を呟いていた。