7話 近づく心の距離
高橋はすっかりだいふくの虜だった。
一日中見ていても見足りず、気づけばケージの前でだいふくの姿を探して観察していた。
「はぁ、いつ見てもかわいい。でも、あんまり見たらストレスになっちゃうのに、やめられない!」
だいふくの為にもやめないといけないのに、なかなかやめられず、高橋は葛藤しながらケージの前を行ったり来たりと落ち着きがない。
(はぁ、あんたいい加減落ち着きなさいよね。鬱陶しいったらないわ)
だいふくにとってはさほどストレスにはなっていなかったが、目障りには変わりないようだった。
「は!そうだ、24時間相談にチャットしてみよう」
「えーと、ヒョウモントカゲモドキのだいふくさんが可愛すぎて観察がやめられません。どうすればいいですか?っと」
仕事が終わり二階の自宅に戻ろうとした瞬間、龍彦のスマホが鳴る。
「ん?相談チャットか。なになに……」
相談内容を見るなり、龍彦は大声でツッコミを入れる。
「いや知らねぇよ!アホなんかコイツは!」
渋谷は突然のツッコミに驚き、棚に頭をぶつけた。
「痛っ!もう、急に大声出さないでくださいよ」
「チッ、高橋の野郎がくだらねぇ相談するからだよ。ほれ」
龍彦は相談内容を渋谷に見せつけた。すると渋谷はブッとバカにしたように吹き出して笑い出す。
「ぶふぅ!めっちゃいい相談じゃないすか!タツさん、ちゃんと相談乗ってあげなきゃ……ぷぷぷっ」
「クソ、こんなアホ相手に出来るかよ」
すると龍彦は素早く返信を済ませると、スマホをズボンのポケットにぐいっと押し込んだ。
「あ、返信きた」
高橋は期待して画面を開くが、その期待は塵のようにあっという間に消えていく。
『知るかアホ』
「ひ、ひどい。やっぱり優しくないよ平戸さん」
ぽろりと一筋の涙を流し、高橋は肩を落とすのだった。
「……って事がありましてね」
翌日、高橋は景子に昨日の出来事を話していた。高橋に誘われ一緒に昼休憩をとっていた景子だが、あまりの親馬鹿話にパンを食べようとした口を開けたまま固まる。
「龍彦さん酷いですよね。アホだなんて、僕は真剣に悩んでたのに」
「あははは……タツさん、きっと疲れてたんですよ。タイミングが悪かっただけじゃないですかね」
乾いたような笑いと共に、景子は一応龍彦をフォローしておいた。
「うーん、そうですかねぇ」
「そ、そうですよ!それで、結局その後どうしたんですか?」
「あぁ、そうそう。結局目隠しに布を被せて我慢することにしました。夜行性だから、ちゃんと寝る前には取ってますけどね」
「なるほど。でも、気持ちはわかります。私もアゴノスケが来たばかりの時、いくらでも見ていられる気がしましたし」
その時ふとSNSアカウントの事を思い出し、景子は思いきって高橋に聞いてみた。
「そういえば、高橋さんって私のSNSのフォロワーだったんですね。この前のだいふくちゃんの投稿で初めて気がつきました」
高橋は少し驚いたような表情をすると、すぐに照れたように頭をぽりぽり掻く。
「いや、すみません。別に隠してる訳じゃなかったんですけど。高校の時に偶然平戸さんのイラストを見つけて、いいなって思ってて。でも、なかなか打ち明けられませんでした。そういえば、最近はイラストは描いてないんですか?」
高橋の問いかけに景子は苦笑いを浮かべる。
就職してから仕事でイラストを描く日々が続き、景子はいつの間にか昔の様に自分の描きたいものが描けなくなっていたのだ。
「今は仕事が大変で、あんまり時間が取れなくて。また気が向いたら描いてみようかと思います」
適当に返事をすると、高橋は何かを察した様に答える。
「あっすみません、変な事言って。仕事でもイラスト描いてるのに、なかなかプライベートでまで描きませんよね」
「いえ、気にしないでください」
景子は誤魔化すように笑っていた。
景子が帰宅すると、部屋からガサガサと物音がした。電気を点けて様子を見ると、アゴノスケがケージのガラスにへばりついている。
「ただいま。アゴノスケ、何してたの?また外に出たかったの?」
(おう!やっと戻ってきたか。かげこ!ほら、早く俺様を外に出せ。退屈すぎて変になっちまう)
バタバタと手足を動かし、アゴノスケは外に出ようとアピールする。
「やっぱり出たそうだね。ちょっと待って、手洗ってくるから」
手洗いを済ませ、景子はケージを開ける。するとアゴノスケは勢いよく飛び出して、バタバタと部屋中歩き回った。
「ほんとに元気だねぇ」
元気の良さに感心して眺めていると、次は景子の腹の虫が騒ぎだした。
「はぁ、晩御飯食べよっと」
アゴノスケの様子を見ながら、景子は買ってきたコンビニ飯を食べる。箸をくわえ、スマホを見るとメッセージが届いていた。
「あ、タツさんだ!」
途端に嬉しくなり、景子はすぐに画面を開いた。
『仕事お疲れ様!
今日は残業なしで帰れた?』
お互いに連絡先を交換してから、二人はほとんど毎日連絡をとりあうようになっていた。毎日龍彦からなにかしらのメッセージが届き、話の内容は特別なものではないのだが、景子はそれが楽しみだった。
何気ないメッセージに、景子は今も心が踊るような気持ちになる。
「お疲れさまです。
少しだけありましたけど、遅くならずに済みました。
帰ったらアゴノスケが外に出たいアピールをしてて、今は部屋のなかを散歩中です」
景子はメッセージと共に部屋のぬいぐるみに寄り添っているアゴノスケの写真を送った。
すると返信はすぐに届く。
『アゴノスケ、ほんとに元気だね!
なんかちょっと凛々しい顔してる。ちなみにこんな顔する時って、大概うんちする時だよw』
その言葉にぎょっとしてアゴノスケの方を見ると、すでに粗相された後だった。
「え、アゴノスケ!?わー!やっちゃってる……」
(ふぅ、すっきりしたぜ。やっぱり何かにつかまってる時は出やすいな。よし、これからこのぬいぐるみは俺様のうんちスポットだ!)
アゴノスケが不穏な事を考えているとも知らず、景子は慌てて拭くものを探す。
粗相をされたのは嫌だったが、あまりにも立派なうんちに景子は感動していた。
「ありゃ、返事来なくなっちゃった。もしかして、ほんとにやられちゃったのかな」
しばらく返信が途絶え、龍彦は景子の様子を心配していた。すると景子からの返信が届く。
『やられちゃいました。でも、すごく健康そうなのが出てて良かったです』
「あは、やっぱり!」
龍彦は優しい笑顔で微笑む。
「トカゲちゃんに飼われて幸せ者だな、お前は」
自分の育てた生き物が、お迎え先で幸せに暮らしている。龍彦にとってそれはたまらなく嬉しいことだった。
『大事にしてくれてありがとうね、トカゲちゃん』
その一言に龍彦の気持ちが溢れているような気がして、景子は自分の腕にしがみついているアゴノスケの頭を優しく撫でた。
「ヤス、イベント出品のレオパの調子どうだ?」
「どの子も食欲旺盛で状態も良さそうっすよ」
ヒョウモントカゲモドキは別名レオパードゲッコーとも言い、レオパと呼ばれる事も多い。
龍彦は年に数回開催される爬虫類イベントに、定期的に出品者として参加している。
今回も週末に都市部で開催されるイベントに参加予定だ。
「OK。じゃ、イベントまで引き続き頼む」
「了解っす。でも、正直もう少しスタッフが欲しいとこですよね。さすがにイベント前は忙しいっすわ」
「つっても、普段はお前一人いりゃ十分だしな。イベントの時だけバイトでも雇うかなぁ……あっ」
顎を擦りながら考えていた龍彦は、ぱっと何かを閃いた。
景子は龍彦からの連絡で、仕事終わりにりゅうちゃんを訪れた。
「あ、トカゲちゃん!お疲れさま。ごめんね、急に来てもらっちゃって」
店内に入ると、龍彦と渋谷が段ボールの梱包作業をしている。
「いえ、大丈夫ですけど。なんだか忙しそうですね」
声をかけると、龍彦は手を止めて首や肩をポキポキと鳴らす。
「いやぁ、実は週末にイベントがあってね。ウチも定期的に出品してるんだけど、その作業中なんだ」
「イベント?どんなものなんですか?」
「爬虫類イベント。色んな種類の生体はもちろんグッズなんかも多くて、毎年結構な人が来るよ。ウチも宣伝のために小規模だけど出店してるんだ」
「そんなのがあるんですね。ちょっと楽しそうです」
アゴノスケの仲間たちもたくさんいるのかと想像すると、景子はイベントに興味が湧いてくるのだった。
その言葉にすばやく反応した龍彦は景子の隣にすり寄り、怪しげな笑みを浮かべて両手を揉んでいる。
「すっごく楽しいよ!実はさ、今回トカゲちゃんにも手伝ってもらいたいんだよね。ダメかな?」
「え、私ですか?そんな、きっと役に立ちませんよ?」
バイト経験もなく、接客なんて出来ないと思っていた景子は遠回しに断ろうとした。
「大丈夫だよ!そんなに気負わなくても、遊び感覚でかまわないから。今までヤスと二人でなんとか出来てたんだし。手伝いというより、トカゲちゃんにイベントを見てほしいんだよね」
景子は悩み、しばらく考え込む。
すると悩む景子を後押しするように、渋谷が声をかける。
「えっと平戸さんですよね。タツさんから聞きました。イベントは色んな種類の爬虫類が見れておもしろいっすよ。あ、そうそうフトアゴ君の服なんかも売ってますし」
「えっ、爬虫類って服も着るんですか?」
「リード付きのベストみたいなのだよ。フトアゴって結構外も出れるから、着せて散歩する人もいるよ」
想像しただけで面白くて思わず笑みがこぼれる。
話を聞いているだけで見てみたくなった景子は、思いきって手伝いを受け入れる事にした。
「あ、あの、私でよければ、頑張ってお手伝いします!」
「ほんと!?良かったぁ、よろしくねトカゲちゃん!」
龍彦は喜びのあまり、景子の肩を抱き寄せ小躍りをする。近づいた龍彦からふわっと香水のような香りが漂う。赤くなった景子は思わず龍彦の体を押し返した。
「ちょ、ちょっとタツさん、近いですっ」
「ん?どしたのトカゲちゃん、顔赤いよ?」
龍彦は屈んで景子の顔を覗き込む。更に距離が近づき、景子は動揺してくるっと背を向けた。
そんなやり取りを見ていた渋谷は呆れてため息をつく。
「はぁ、タツさんは女心がわかっちゃいませんねぇ」
なぜか鼻高々に語りだす様子が腹立たしく、龍彦は恐ろしい顔で渋谷を睨み付けた。
「ヤス……じゃあお前はさぞかしいい男なんだろうな。この前キャバクラの子にマジになって振られてたけど」
「な!?なんで知ってるんすか!今はそんなこと関係ないでしょ!」
二人はにらみ合い、なんだか険悪な雰囲気だ。景子は慌てて二人を止めに入る。
「ああ、あの!喧嘩はダメですよ?ほ、ほら、大事なイベントの前ですし……」
景子の言葉に二人はピタリと動きを止めて、なんとか喧嘩にならずに収まったようだ。
帰り際、龍彦は思い出したように声をかける。
「あ、そうだトカゲちゃん、イベントにアゴノスケも連れておいでよ。お出掛け用のケージ渡しとくからさ」
アゴノスケとのお出掛け。想像しただけでわくわくが止まらない。
「はい!アゴノスケと出掛けられるなんて、楽しみです!」
「ふふ、俺も、楽しみだよ!」
二人は自然な笑顔で笑いあっていた。