3話 アゴノスケSNSデビュー
「アゴノスケ、お水入れ換えとくね」
水入れを取り出すと、アゴノスケはケージの隅で背を向けてじっとしていた。
「あれ、何か元気ない?」
どんよりと暗い雰囲気を醸し出し、昨日と比べて明らかに元気が無さそうに見える。
「大丈夫?もしかして、具合悪いのかな……」
心配そうに声をかけてくる景子に少し悪い気がしたのか、アゴノスケはチラリと振り返った。
「元気だしてよぉ、アゴノスケェ」
(それだよ、それぇ!その名前が気に入らないのさ!本当にセンスのないヤツめ。これから一生アゴノスケって呼ばれる俺様の気持ちがわかるか!?)
景子の方を向いて、恨めしそうな瞳で訴える。
「病気だったらどうしよう。なんだか辛そうな表情だし。タツさんに聞いた方がいいのかな」
すっかり不安な表情の景子を見て、アゴノスケはふっとため息をついた。
(……はぁ、ほんとに世話の焼ける人間だよ)
そう言うとアゴノスケは景子の前で両手足をバタバタさせ、元気な様子を見せた。
「あ!アゴノスケが元気に踊ってる。ぷっ、あはははは、変な踊り」
アゴノスケ自慢のダンスに、景子もすっかり笑顔に戻ったようだ。喜ぶ景子の様子に調子が出てきたのか、アゴノスケは更にノリノリのダンスで沸かせた。
「あ、そうだ!」
景子はなにかを思いだし、サッとスマホのレンズを向けて、魅惑的なダンスの様子を動画で撮影する。
昨日もらった名刺から、りゅうちゃんのアカウントをフォローし、景子は早速動画を投稿してみた。就職してからしばらく何かを投稿することはなかったので、どんな反応が来るのだろうと、景子はしばらく気持ちが落ち着かなかった。
「タツさん、今日も暇っすねー」
ショップの爬虫類達のメンテナンスと餌やりを終えて、店員は奥の椅子に腰掛け一息付く。龍彦よりも小柄で、少し小太りの男の名は渋谷祐介。この店唯一の店員であり、龍彦の学生時代からの友人だ。
「ヤス、サボってんじゃねぇぞ。座ってねぇで働け」
龍彦は奥のデスクで事務作業をしながら、適当に渋谷を叱りつける。渋谷は学生の頃から、なぜか自分を龍彦の舎弟だと言い張っており、無理矢理ヤスと呼ばせていた。彼の中で、舎弟と言えばヤスなんだそうだ。
「サボってないっすよ。もうやる事なんてねぇし、客でもくれば接客出来るけど。日曜なのに誰も来ねぇし」
渋谷は椅子にもたれ、やる気なさそうにブツブツと文句を言う。
その時龍彦のスマホの通知が鳴る。龍彦は確認すると思わず声をあげた。
「あ!」
「なになに、どうしたんすか!?女っすか!?」
「ちげぇよバカ!昨日お迎えされてったフトアゴ君だよ。その子が早速SNSに載せてくれたんだ」
龍彦は呆れたように返事をし、渋谷にも動画を見せる。
「ぶはっ!なんすか、この変なダンス!おもしろ可愛いと言うかなんと言うか」
「だろ!ふふ、楽しんでくれてるみたいで良かった」
優しそうな表情で微笑む龍彦を、渋谷はニヤニヤと珍しいものでも見るように観察した。
「タツさん、その子、可愛いんすか?」
「うるせぇ、さっさと店の掃除でもしやがれ」
「もぉ、照れちゃってぇ」
怒鳴られながらもニヤニヤとし、渋谷は言われた通り掃除に取り掛かった。
「たく、無駄話ばっかしやがる」
改めて一人動画を堪能した龍彦は、イイねとコメントをポンっと送る。
景子はソファーに腰掛け、フトアゴヒゲトカゲの飼育方法について勉強していた。
「温浴もしてあげるんだ。ふふ、木の桶とかにしたら、温泉みたいになるのかな」
アゴノスケの入浴姿を想像しただけで笑いが込み上げてくる。
そんなことを考えていた時、ふとスマホの通知が鳴った。
「あ、りゅうちゃんの」
レプタイルショップりゅうちゃんから、イイねとコメントが届いていた。
「カワイイね!名前、決まったの?」
反応があり嬉しくなった景子は、イヒヒと子供のように笑う。名前を教えたくて、早速コメントを返した。
「!!!」
景子からの返信を見た龍彦は、驚きのあまり目を見開いた。
「あ、ああアゴノスケ……ふふ、ふふふ、あーひゃひゃひゃー!ひぃ、ひぃ!なんで、アゴノスケェ!?」
何とも言えない名前がツボに入ってしまい、龍彦は悪魔の様な笑顔で机をバンバンと叩き、大声で笑い出す。
なかなか笑いが収まらず、震える手でグッドマークの絵文字を返すのがやっとだった。
「!!なんだ、この地獄の底の悪魔のような笑い声は……み、見ちゃダメだ、掃除に集中しよう」
渋谷は恐怖に震えながら、黙々と棚を拭き続けた。
「あ、タツさんもいいねだって。良かったね、アゴノスケ!」
笑われていることも知らず、景子は呑気に喜んでいた。
(本当かよ、アイツもまともなセンスしてねぇな)
流木の上で暖まっているアゴノスケは喜ぶ景子を横目で睨む。
「は!もうお昼時か、お買い物行かなきゃ。アゴノスケ、ちょっと行ってくるね」
景子は慌てて着替えを済ませると、バッグを持って早々と出掛けていった。
「えっと、小松菜と人参でいいかな、とりあえず」
景子は野菜売場でどれが新鮮なものか見比べていた。
普段は滅多に自炊をしないので、久しぶりに買う野菜はどれがいいものか正直よくわからなかった。それでもアゴノスケにはなるべくいいものを食べてほしいと思い、景子は慣れない売場で時間をかけてにらめっこする。
「あんた、小松菜はこっちの方がいいよ。葉っぱが濃い色の方が美味しいんだよ」
あまりに長居していたためか、知らない中年女性が声をかける。
「は、はぁ、そうなんですね」
「今日はいつもより安いし、お買い得だよ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
一人暮らしを始めてから通っているスーパーだが、こんな風に話しかけられたのは初めての事だ。昨日からまるで違う生活が始まったような、そんな明るい気持ちになれた。
明日はついに初めての餌やりだ。景子は今から楽しみが止まらなかった。
「明日は早起きしなきゃね」
レプタイルショップの向かいには、カウンターだけの狭いBARがある。
龍彦はその店によく仕事終わりに顔を出していた。マスターは水島諒と言う男で、龍彦とは同年代だ。水島は爬虫類好きで、店内には一匹のリクガメが店の看板アイドルとして飼育されている。そのため龍彦とは話も合い、お互い気心の知れた間柄だ。
「お、タツいらっしゃい」
「今日もほとんど客来なくてさ、もうヒマでヒマで」
いつもの奥の席に気怠げに座り、龍彦は早速愚痴をこぼす。
「何飲むの?」
「ウーロンハイ」
「なぁ、もっとそれらしいの頼んでくんない?居酒屋じゃねぇっての」
水島は不機嫌そうに、グラスの用意を始める。
「俺カクテルなんて知らねぇし。いつもそれだろ?」
「たまにはシェイカー振ったり、カクテルグラスに塩塗りてぇの。常連なんてタツくらいだし、物足りないんだよ」
「知るかよそんなの。勝手に練習でもしてろ」
龍彦は悪態をつきながら、カウンターに置かれたナッツをボリボリと食べ出す。そんな様子に呆れる水島は、不機嫌にウーロンハイをカウンターに置いた。
「はぁ、やっぱウマイわ。諒のウーロンハイ」
「いや、誰がやっても同じなのよ」
「そういや、あのフトアゴ君。昨日お迎えしてもらったんだよ」
「あぁ、あの黄色のカワイイ子ね。結構大きかったし、良かったじゃん。買ったのは爬虫類マニアのおじさんとかか?」
「ううん。女の子」
「珍しいな!タツの店に女の子が来るなんて。まさか、無理矢理押し付けたんじゃないだろな」
水島は疑惑の眼差しで見つめる。
「まさか!ちゃんと気に入って買ってもらったんだよ。ほら、SNSにも上げてくれてるし」
ずいっとスマホを顔に押しつけ、アゴノスケの動画を見せる。水島は途端に笑いだし、涙まで流している。
「なんだよこの間抜けな踊りは!はぁー、ウケル!俺もフトアゴ欲しいなー」
「な、カワイイだろ。……ん?」
不意にスマホの通知が鳴り、龍彦はチャット画面を開く。店の24時間相談チャットに相談が届いていた。
「あ、トカゲちゃんだ!」
龍彦はニヤッと笑い、嬉しげにスマホを見る。
「平戸です。夜分に失礼します。アゴノスケの様子ですが、特に緊張してる感じもなくてのびのびとしています。明日からご飯を始めてみようと思ってますが、大丈夫でしょうか?あと、お野菜に小松菜と人参を買ったのですが、どうやってあげるのがいいですか?」
「ふふ、なーんか固い文章だな。えーっと……」
龍彦は隈のついた目を見開いて、素早く文字を打ち込む。
「なんか、顔コワっ。笑ったり、怖い顔したりどうしたのよ?」
「ふふん、内緒」
目を見開いたまま笑う表情が恐ろしく、水島はブルッと震えた。
景子は相変わらずソファーで飼育の勉強をしていた。どれだけ調べても次から次に疑問や興味が湧いてきて、なかなかスマホを手放すことが出来ない。
思わず龍彦の相談チャットに質問してしまったが、迷惑じゃないだろうかと今さら少し心配になって落ち着かなかった。
するとスマホの通知が鳴り、景子はビクッと体が揺れた。
「ご相談ありがとうございます。アゴノスケ君調子良さそうだね。質問の事だけど、明日からエサを始めて大丈夫だよ。ウチにいる時は、人工フードの上に刻んだ野菜を乗せて、その上からカルシウムパウダーを振りかけてあげてたよ。そうすると野菜も必ず食べてくれるから、おすすめだよ。
野菜の切り方だけど、小松菜は3センチくらいで、なるべく葉っぱの方をあげてね。人参はスライサーで薄くしてあげると食べやすいよ。
ちなみに、小松菜も人参もアゴノスケの大好物。よくわかったね、トカゲちゃん!」
とても細かく書かれたアドバイスに、景子の不安な気持ちがすっと楽になる。龍彦のお墨付きも貰い、安心してアゴノスケに野菜を食べてもらえると、明日の餌の時間が楽しみになった。
「えっと、ありがとうございますっと」
返信をすると、すぐにスタンプが送られてくる。
「あ、フトアゴヒゲトカゲのスタンプ」
アゴノスケ似のスタンプが可愛らしく、景子はふわっと笑顔になった。
「初めての餌やり頑張ってね、トカゲちゃん」
空になったグラスを持ち、机に置かれたスマホをニヤニヤと眺めながら龍彦は呟いた。
「諒、ウーロンハイおかわり」
「はぁ、だからさぁ……」
水島がシェイカーを振れる日はまだまだ来ないようだった。