21話 告白
翌日の午前中。
龍彦はフトアゴヒゲトカゲのベビー達に餌を与える。
その表情はどこか明後日の方角を見つめたまま、ケージ内に次々とコオロギを放り込んでいく。
そのお陰で、ベビー達はわんさか跳ね回るコオロギに翻弄され大興奮だった。
「ちょ、ちょっとちょっと!? タツさん入れすぎ! バイキング状態じゃないっすか!」
「え? あ、うん」
生返事をする龍彦の手は止まらず、もう床はコオロギのカーペット状態だ。
「いや、うんじゃなくて! もうヤバイって、手止めてぇ!?」
渋谷の叫びでようやく龍彦は我に返り、目の前の光景に驚愕する。
「うおっ、なんじゃこりゃー!? 山盛りじゃねぇか! くそ、誰がこんなことをっ……」
(……あんただよ)
コオロギを必死に戻す龍彦の背中を、渋谷は心のツッコミを入れながら眺めていた。
「あの……一応聞いときますけど、どうしたんすか?」
「なんだよ、その適当な聞き方は」
渋谷の態度に不満を感じ、龍彦は恨めしそうに睨む。
「まぁ適当って言うか……だいたい想像はつくんで」
「……実は、昨日トカゲちゃんがさ」
「ほらぁ、やっぱり」
龍彦はムッとしつつも、話を続ける。
「……トカゲちゃん、昨日風邪で寝込んでて。様子を見に行って、俺が帰る頃には少し良くなったみたいだったけど……まだ少し心配で」
景子の不調を聞いて、渋谷は一転して真剣な表情に変わった。
「そうだったんですか、だから昨日慌てて……彼女一人暮らしだし、確かに心配っすね」
「おう……今日は病院に行ってるはずだけど、どうだったか気になってよ」
心配する龍彦を見かねて、渋谷はある提案をする。
「タツさん、メンテが終わったら、様子を見に行ったらどっすか? どうせお客さん少ないし、午後は俺が店番しとくんで」
「ヤス……お前ってやつは」
「あ、タダって訳じゃないっすよね? 今月の給料、期待してますから」
「チッ、くそが」
感謝の言葉を言おうとした瞬間、しっかり見返りを要求する渋谷に舌打ちをする龍彦だった。
◇
「えぇ? 顔が緑色にぃ? ひゃひゃひゃ、そんなの見たことない。実物を拝めなくて残念ですよぉ」
「あはは……はぁ」
近所のクリニックを受診した景子は、怪しげな高齢の先生に面白がられていた。
「ま、今は熱も風邪症状も無いようですし……他におかしな所がなければ様子を見ましょうか。一応風邪薬も出しとくから」
「はい、ありがとうございます」
「お大事に〜」
この時期にしては空いてたのが気になっていたが、歯の抜けた笑顔で手を振る先生に、景子は妙な不安を感じる。
(うーん……大丈夫かな? まぁ、お薬出して貰えたしいっか)
病院を出てスマホを見ると、何故か母からメッセージが数件入っていた。
「あ、そういえば朝に来てたの、返事してなかったっけ」
景子は夜中に連絡があったのを思い出して、内容を見ていく。
『景子、まだ山田さんに連絡してないでしょ! あんたが何も言わないから、私が山田さんと食事の約束しといてあげたから。ウジウジしてないで、絶対に行きなさいよ? 場所は……』
自分の気持ちを無視した母の行動に、景子はぎょっとして声を上げる。
「えっ、何で!? 山田さんって」
混乱する頭で考え、以前母に渡されたメモの事を思い出した。
「あ、あの時の!?」
鞄の中を探すと、奥底からシワシワになった紙切れが出てくる。
景子はそれを見て、長いため息を漏らした。
「もう、お母さん……なんでこんな勝手なこと」
見ず知らずの男性と食事など、考えただけで胃痛がする。
まして、龍彦の想いを裏切るような事は、出来るはずもない。
景子はふらふらと、病院に行く時より具合の悪そうな表情でアパートに戻った。
――――
「はぁ……どうしよう」
帰ってからも、景子はソファーにだらりと座り悩ましい声を上げる。
結局母への返事はまだ出来ず、画面を開いたまま悶々と考え込んでいた。
(何て言えば……まだ、タツさんとは何でもないけど、絶対に行きたくない。でもあの感じ、断るのは難しそう)
堂々巡りになっていると、不意に部屋のインターホンが鳴る。
――ピンポーン
「ん? 誰かな」
立ち上がり画面を見ると、なぜか龍彦の姿があった。
(えっ、どうしてタツさんが!?)
驚いた景子は慌てて鏡の前で前髪を直し、ゆっくりと玄関のドアを開ける。
「……こ、こんにちは」
「トカゲちゃん! 良かった……顔色良さそう。病院は行った?」
龍彦は出迎えた景子の顔を見て、ホッと安心したように微笑んだ。
「あ、はい。特にどうもないみたいですけど、風邪薬は貰ってきました」
「そっか……あ、ゴメンね急に来ちゃって。じゃあ、俺は帰るから」
「えっ、もう帰っちゃうんですか?」
「ヤスにさ、午後の店番頼んでるし……それじゃ」
俯いて背を向ける龍彦を見つめ、景子は咄嗟に彼の袖を掴む。
「えっ」
「あ、あの! 少し、お話しませんか?」
「……トカゲちゃん」
景子の必死な表情に、龍彦は少し赤らんだ顔で静かに頷いた。
◇
リビングに招かれ、龍彦は落ち着かない様子でテーブルの前に正座する。
(う、昨日も来たけど……やっぱ緊張する)
「ち、散らかっててすみません……あの、お茶しかないですけど、いいですか?」
「……オレ、オ茶スキ」
龍彦はギギギと首を動かし、何故か片言しか話さない。
〈ははーん、おめぇ緊張してるな? カクカクしておもしれー! ほれ、もっとカクカクしろ、えーおい!〉
アゴノスケはケージから面白そうに龍彦を観察していた。
「ど、どうぞ」
「アリガト」
小さなトレーでお茶を運んだ景子は、龍彦の隣に座る。
(タツさん、ちょっと変な感じ。もしかして、迷惑だった?……違う、そんな風に思っちゃ)
咄嗟に引き留めてしまったものの、もう景子の気持ちは固まっている。
景子は不安になる心を奮い立たせて、ぎゅっと両手を握り込んだ。
「仕事中なのにすみません。でも、どうしても……伝えたいことがあって」
「ふぇ!? だ、大丈夫だよ! 俺、どんなことだって……心の準備は、出来てるから」
「え? あ、はい」
何となく話が噛み合っていないような気がしたが、景子はそのまま話を続ける。
「えっと、私……タツさんに、見てもらいものがあるんです!」
「え? 見る?」
思っていた話と違い、龍彦はキョトンと呆けた顔で聞き返す。
景子はテーブルの上のタブレットを操作し、ある画像を龍彦に見せた。
「これ……俺の、店の?」
「あ、はい。色々キャラクターを描いてみたんですけど。せっかくだから、ポスターも作ってみました」
店にいる様々な爬虫類や両生類、色んな生き物が可愛らしく大集合で描かれている。
その中央には特徴的なフォントで「レプタイルショップりゅうちゃん」の文字が大きくデザインされていた。
龍彦は黙ったまま手で口元を覆い、真っ直ぐにその画面を見つめる。
「依頼のマスコットキャラクターも、それぞれ個別にあるので……イベントで売ってたようなグッズにも出来るかなって」
ポスターの画像に釘付けになっていた龍彦は、話を聞いて不安げな表情で振り向く。
「もしかしてトカゲちゃん……これを描いてて、体調崩しちゃった、とか?」
「え、えへへ……ちょっと、根詰めすぎちゃったみたいです」
照れ笑いを浮かべ鼻を擦る景子を、龍彦は唐突に抱き寄せる。
「もうっ、ゆっくりでいいって言ったじゃん! 無理したら、ダメでしょ?」
華奢な体を強く抱き締め、龍彦は絞り出すように語気を強める。
「た、タツさん……泣いてるんですか?」
「……泣いてない。こんな凄いの見せられて、泣くわけない……嬉しいんだよ!」
そうは言いつつ、龍彦は鼻をすすり、その声は涙に震えていた。
景子はそんな彼の背中にそっと手を回し、ゆっくりと優しい手付きで擦っていく。
「良かった……私、こんなだから、タツさんの気持ちに……すぐに答えられなくて」
「うん」
「でも、絵なら……自分の、下手な言葉よりも、伝わるような気がしたから」
静かに相槌を打ち聞いていた龍彦は、体をスッと離し、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「……それで、トカゲちゃんの気持ちは? 絵だけじゃなくて、言葉で教えてよ」
龍彦の熱を持った瞳から、景子は目を逸らさずにじっと見返す。
その一瞬の表情を、目に焼き付けるように。
「わ、私は……タツさんの、ことが」
「うん」
「だ、だだだ、大好きです! 人付き合いも下手だし、恋愛なんてしたこともない……いっぱい、迷惑かけちゃうかもしれないけど……これからもずっと、タツさんと、一緒にいたい」
生まれてはじめて、自分の気持ちをさらけ出した。
口を開くたびに心臓が震えて。それでも不思議と、言葉にするごとに心の中が晴れ渡っていく。
景子の言葉を聞いた瞬間、龍彦は彼女の頭を自分の胸に抱き寄せる。
さっきとは違い、優しく包み込むように。
「良かった……俺、これからもトカゲちゃんと一緒にいれるんだ」
「あ……返事、遅くなってごめんなさ」
龍彦は体を離すと、そっと景子の肩に手を触れる。
そのままじっと目を見つめると、ニヤリといたずらな顔で笑った。
「俺を待たせたお返しだ!」
「ふぇ?」
龍彦は間抜けな声を出す景子に、顔を傾げて唇を合わせる。
突然の事に目を見開き、息が止まりそうなキスに景子は驚き声を上げた。
「んんー!?」
「っはぁ……あれ?」
満足げに唇を離して景子を見ると、驚いた表情のまま石像のように固まっていた。
「ちょ、ちょっと? トカゲちゃん!? わぁーん、ごめんよー! 出来心なんだよー」
固まったまま動かない景子に、龍彦は情けない声で喚き肩を揺する。
するとようやく、景子は我に返った。
「はっ!」
「あ、気づいた」
「私、タツさんと……ききき、キッスを!?」
「ぷっ、キッスって。なんか昭和っぽいね」
どこか抜けている景子の反応に、龍彦は平常心を取り戻す。
笑われたことで、景子は恥ずかしそうに俯く。
「……すみません。初めて、だったもので」
しょんぼりする景子を眺め、龍彦は幸せそうに微笑む。
「トカゲちゃん、もう謝るの禁止……っていうか、初めてじゃないし」
「え?」
「ううん、こっちの話〜」
顔を上げた景子の肩に、龍彦はコツンと頭を預ける。
「た、タツさん!?」
龍彦は顔を真っ赤にする景子に、甘えたような声を出す。
「これからトカゲちゃんの初めては……全部、俺だからね?」
その言葉に、景子は真っ赤な顔で白目を剥く。
そして再び気絶しそうになりながらも、寸前で何とか止まるのだった。
そんな時、ふとケージが騒がしくガサガサと音を立て始める。
<オラオラそこのバカップル! 俺様の前で堂々とイチャついてんじゃねーぞ! そんでかげこ、絶対俺様のメシのこと忘れてるだろ!>
空腹に耐えかねたアゴノスケは、ヤンキーのように懸命に茶々を入れていた。
「……あぁ! 忘れてた!」
「え? あいて!」
ようやく思い出した景子は、唐突に立ち上がる。
その拍子に龍彦はバランスを崩し、頭から床に倒れ込んだ。
「待っててねアゴノスケ、今準備するから!」
景子は倒れた龍彦に気付かず、慌ててエサの準備に取りかかる。
(くそっ、いいとこだったのに……ん? 何だこれ)
転がった拍子に、龍彦は床に落ちていた紙切れを手に取る。
そこには男の名前と、チャットIDが書かれていた。
「山田健次郎? ねぇトカゲちゃん……これって誰?」
真面目な声で聞くと、かげこは野菜を切る手を止めて苦笑いを浮かべる。
「え? あ、それ! えっと、ですねぇ……実は、私もどうしたらいいか」
「んん〜?」
急に出て来た謎の男の名前に、龍彦はしかめっ面で首を傾げるのだった。




