2話 命名
電車に揺られながら、景子は膝の上でプラケースの入った袋を抱え込む。
買い物に出掛けた時は、まさか爬虫類を飼うことになるなんて想像もしていなかった。なんとも不思議な出来事に、冷静になると夢なんじゃないかと思うほどだ。そんな景子の気持ちに反応するように、ケースの中のトカゲはカサカサと動いて存在を主張している。
「もうすぐ着くから、大人しくしててね」
景子は小さな声でトカゲに話しかける。隣からの視線を感じふと横を見ると、小学生くらいの子供がトカゲの入った袋を凝視していた。景子は不器用な笑顔でなんとかその場をやり過ごすのだった。
「ふう。ただいま」
帰宅した景子は、ほっと一息つき、早速プラケースを机の上に出した。
フトアゴヒゲトカゲは変わらず元気な様子で、狭いケースの中で時々ガサガサと動いている。
「狭くてごめんね。もう少ししたら、お家が届くから。それまで我慢してね」
景子が優しく話しかけると、トカゲはフイっと顔を背けた様に見えた。
「ふふっ、まるで言葉がわかるみたい」
拗ねたような反応がおもしろいと思った。ずっと眺めていたい気持ちだったが、龍彦の言葉を思いだし、景子はケースを部屋の隅にそっと置く事にする。
『爬虫類や小動物をお迎えしてすぐは、なるべく関わらずに馴れるまでそっとしておいてね。環境の変化でストレスがかかっちゃうから。だいたい二日くらいは触らない方がいいよ。今日はもうエサを食べたし、水の入れ換えだけでいいから』
「新しい環境って緊張するよね。なるべく静かにするから、安心してね」
トカゲは静かに頷くように頭を振る。
「本当に聞こえてるみたい」
少し不思議な感じはしたが、景子は特に深く考えなかった。
しばらくソファーで飼育の説明書を読んでいると、玄関のチャイムがなった。
「はーい」
インターホンを受けると、龍彦が大きな荷物を持って立っている。
「レプタイルショップりゅうちゃんでーす。荷物のお届けにあがりました」
「すみません。ありがとうございます」
「いえいえ、お構い無く。ケージ結構重いから、部屋まで入れちゃうね」
急いで玄関を開けて、龍彦を招き入れる。龍彦は慎重に荷物を運び入れると、ちらりと部屋の隅のトカゲを見た。
「フトアゴちゃん、元気してる?って、さっきまでウチにいたんだけど」
「はい、ガサゴソ元気に動いてました」
「そ、良かった。ちゃんと触らずにそっとしてたんだね。偉い偉い」
子供のように誉められて、景子は恥ずかしくなり顔を赤らめる。
「あ、ありがとうございます。それにしても、トカゲって結構人間っぽいんですね。まるでこっちの言葉がわかってるみたいで」
景子の話を、不思議そうな顔で聞いていた龍彦は、じっとトカゲの顔を見つめる。
「いやいやいや、流石に言葉はわからないよー。トカゲちゃんっておもしろいこと言うね」
龍彦に真面目に返され、景子は変なことを口走ってしまったと後悔し、うつむいてしまう。
するとまるで返事をするように、フトアゴヒゲトカゲは尻尾でケースをパシンと叩いた。
龍彦は驚いて、隈だらけの目をパチッと見開く。景子も同じく驚いてトカゲの方を見つめた。
「まさか、ねぇ?」
「あ、あはは。まさか……」
二人はしばらく乾いた笑い声が止まらなかった。
しばらく笑い続けていた龍彦だが、ふと我に返って本題に戻る。
「あ、そうだトカゲちゃん、ケージのセッティングは大丈夫かな?ライトの設置のやり方とか、教えがてらに手伝おうか?」
景子は電化製品の扱いがあまり得意ではなかったので、龍彦の申し出をありがたく受けることにした。
「いいんですか?私こういうの苦手だったので助かります」
「いいよいいよ、どうせ今日の仕事はこれで終わりだから。じゃ、ちゃちゃっとやっちゃうよー」
そう言うと、龍彦は手際よく段ボールを開けて、設置を始めた。
「バスキングライトは生体から15cmくらい離して35度に設定するね。あと、触ってやけどしない様に付けること。タイマーは10時から22時の間に付くように設定しとくよ。紫外線ライトの方も同じ時間で付くようにしてるから。季節によって設定変えてもいいけど、とりあえず年中これでいいかな」
ケージのセットをしながら、龍彦はスラスラと話す。
「紫外線ライトって何のためにいるんですか?」
「骨の形成とか、健康な体を作るために必要なんだって。紫外線ライトは太陽の光、バスキングライトは太陽の熱って感じで」
「なるほどぉ」
一生懸命理解しようとする景子を見て、龍彦は嬉しそうに笑う。
「最初は慣れない事ばかりで大変だけど、頑張ってね。俺も協力するしさ」
「は、はい!頑張ります」
景子はぎゅっと両手を握りしめて気合いを入れた。
セッティングが終わり、立派なフトアゴ用のケージが完成した。床材は手入れをしやすいペットシーツだが、石や流木を組み合わせ、立体移動が出来るようになっている。つるんと可愛らしい陶器の水入れと餌入れも、ケージに馴染んでいい感じだ。
景子は想像以上の出来に、思わず拍手をする。
「おおー!すごい、立派なお家が出来ました。トカゲさん、良かったですね!」
トカゲの方を見ると、プラケースの中から興味深そうにキョロキョロし、新しいケージを覗いていた。
「あ、こいつ興味津々だ。ねぇトカゲちゃん、早速中に入れてあげなよ」
「はい!」
体をすくうように持ち上げると、トカゲはぎゅっと景子の腕にしがみついた。そのままケージの方に近づけると、のそのそと自分でケージの中に入っていく。トカゲは早速流木の上に登り、暖かいライトを浴びて気持ちよさそうに目を閉じた。
「はは!いい感じだね!」
「はい!これは喜んでますよ」
二人はケージの中のトカゲを眺めながら、幸せそうに微笑む。
「ねぇ、突然だけどトカゲちゃんってSNSはやってる?」
「あ、はい。自分の描いたイラストなんかを載せるのにやってますけど」
「なにそれ、凄いじゃん!それもめっちゃ興味あるんだけど、もし良かったら、ウチの店のアカウントもフォローしてもらえると嬉しいなって。フトアゴ君の写真とか見たいし、どうかな?」
「トカゲさんの写真かぁ、おもしろそうですね」
「うんうん、絶対可愛いと思うよ。じゃあ、はい、ウチの名刺。後でフォローよろしくね!」
名刺にはQRコードが記してあった。景子は名刺を受けとると、帰る準備をする龍彦を見送る。
「あの!今日はありがとうございました。その、タ、タツさん!」
照れながらも思い切って名前を呼ぶと、龍彦はニッと口角を上げて意地悪そうな顔で笑う。
「やっと呼んでくれたねぇ、トカゲちゃん!てっきり忘れられたのかと思ったよ」
「そ、そんなことないですよ」
「良かった!じゃ、またいつでも店に遊びに来てよ。フトアゴ君との生活、楽しんでねー」
そう言うと龍彦は颯爽と帰っていった。
「こんな風に誰かを呼ぶの、初めてだ」
龍彦の後ろ姿を見送り、景子は一人呟いた。
景子は嬉々としてトカゲの様子を眺める。見慣れない生き物は、いつまで見ていても飽きることはなかった。
流木の上でじっとしていたトカゲだが、しばらくするとケージ内をウロウロしだし、まるでどんな部屋なのか内見しているようだった。
「なかなかいい部屋でしょ?」
景子の言葉に、トカゲは肯定するように大きな口を開ける。
「ふふ、よかった」
まだまだ観察したかったが、いつまでも見ていてはトカゲが落ち着かないと思い、景子は一旦離れて過ごすことにした。
オレ様はフトアゴヒゲトカゲ。爬虫類界隈でもっともイカしたトカゲだ。あのおっかない見た目の人間のところで生まれて、しばらく店のマスコットキャラクターとして活躍してきたんだ。
今日からこのトカゲとか呼ばれてる人間の家に住んでやることになったんだが、なんだか少し頼り無さそうだな。俺様と同じ名前とは生意気だが、素直そうなヤツだし、しょうがないからしばらく世話になってやるか。
「ん?」
晩御飯を食べていると、トカゲがじーっと景子を睨み付けていた。景子は何とも言えない威圧感を感じる。
(なんだろ、すっごく見てくる。なんか怒ってるのかな……)
景子は口を開けたまま固まり、トカゲの方を見返した。するとトカゲはくるりと後ろを向く。
「もしかして、ご飯、食べたかったのかな?」
お腹がすいているのかと思ったが、まだ来たばかりなので仕方ないと、景子はゴメンねと謝った。
(フン、そんな人間のご飯なんて食べるか。お前を観察していただけだ。そのサラダはちょっと旨そうだがな)
日曜日の朝、景子はカーテンを開けて朝日を浴びる。今日も気持ちのよい快晴だ。
「眩しい。でも、いい天気だなぁ」
景子は目を細めて外の景色を見る。ベランダの窓を開けると、ふわっと爽やかな風が吹き込んだ。
これまで休日はだらだら過ごすことが多かったが、今日の景子はやる気に満ちていた。なにせ昨日から憧れのペットとの生活が始まったのだから。
昨夜は色んな出来事があって熟睡していたので、今朝は頭もスッキリとしている。
「おはよう!トカゲさんもよく眠れた?」
元気よく挨拶をすると、トカゲも眩しそうな表情で朝日を浴びていた。
(まったく、人間は早起きだな。もう少しのんびり寝かせてくれ)
景子はケージの前に行き、ちょこんと座った。
「そういえば、自己紹介してなかったね。私、景子っていうの。あなたの名前も、昨日考えてたんだよ」
(かげこ、ふんっ、変な名前だぜ。俺様の名前はカッコイイやつにしてくれよ)
「えっとねぇ、アゴノスケってのはどうかな?」
(!!!)
名前を聞いた瞬間、トカゲは大口を開けて固まってしまった。
「ふふ、気に入ってくれた?一生懸命考えたんだー」
(かげこ!なんだそのふざけた名前は!却下だ、考え直してくれー!)
じたばたと動いて抗議するが、当然景子には伝わるはずもなく、命名アゴノスケが覆ることはないのだった。
(おい!かげこ、かげこー!頼む、考え直してくれぇー!)
アゴノスケの訴えも虚しく、景子は優雅に朝のコーヒーを淹れていた。