19話 突然の来訪
「くあぁー……」
「高橋さん、なんだか今日は眠そうですけど、大丈夫ですか?」
仕事中、高橋は珍しく大口を開けてあくびをしていた。
「いやぁ、あはは……すみません」
「大丈夫ですよ。高橋さん、ただの二日酔いの寝不足ですから!」
蒼井はパチンとウインクをすると、ニヤニヤと笑いながら事情を説明する。
「はぁ、というか君はどうしてそんなに元気なんです?僕の倍は飲んでたはずですけど……」
「あれくらいで酔うわけないですよー。私がザルだって事忘れたんですか?」
二人の会話を聞いていた景子は、不思議そうな顔で尋ねる。
「なんだ、あの後お二人で飲んでたんですね。あれ? でも、蒼井さん昨日は確か用事があったんじゃ……」
すると蒼井はハッと思い出したような顔をした。
「あ、あぁー! そう、昨日は相手にドタキャンされましてねぇ。ま、アプリなんで、よくある事なんですけど。それで、帰りに偶々高橋さんと出くわして、飲みに行く事になった訳です!」
一瞬時が止まったような蒼井だったが、すらすらと得意気な顔で事情を説明するのだった。
「……よくもまぁ、すらすらと言葉が出てきますね」
高橋は息をするように嘘をつく蒼井を見て、呆れたように小声でボソッと呟いた。
「あぁ、そんな事が……アプリは残念でしたけど、飲みに行けて良かったですね」
「はい! 次は、先輩も一緒に行きましょうね」
蒼井の誘いに景子は明るい笑顔で「はい!」と返す。
(やっぱり、笑ってる方がいいな……)
明るく笑っている景子を見て、高橋は安心したように優しく微笑むのだった。
その日は残業が長くなってしまい、景子は急いで帰り支度をする。蒼井は先に退社していたが、高橋はまだ少し残るらしい。
「すみません、高橋さん。お先に失礼しますね」
景子は申し訳なさそうにペコッと頭を下げる。
「あぁ、大丈夫ですよ。僕はまだ少し残りますから」
「じゃあ、お疲れさまです。遅くならいうちに帰ってくださいね」
「ありがとうございます、お疲れさまでした」
挨拶を済ませると、高橋は残りの作業を進める。二日酔いもすっかり覚めたようだが、残業のためか高橋は相変わらず疲れた表情だった。
景子も疲れた顔で外に出ると、凍えるような北風に吹かれて思わず身を縮こませる。
「さっむーい!」
先月までは比較的暖かい日が多かったが、流石に12月ににもなれば冬の寒さが身に染みるようになってきた。
外には誰もいなかったので、景子は思わず大きな声で叫んでしまうのだった。
「うぅー、もうマフラーいるかも……」
コートは着ていたがそれだけでは全く寒さをしのげず、景子は両手を擦りながら小走りで駅まで急いだ。
「ただいまー。はぁ……暖かい!」
部屋に入るとリビングからの暖かい空気が漂っている。景子はそのままソファーに座り込み、ころんと倒れ込んだ。
「アゴノスケのために点けているとは言え、帰ってくると快適な温度なのは最高だねー」
当然だが、以前は部屋に帰っても冬場は凍えるように寒かった事を思い出す。電気代はかかっているが、景子はそれ以上に、部屋で誰かが待っているという安心感を感じていた。
「いつも留守番してくれてありがとね、アゴノスケ!」
(あぁ?……せっかく眠れそうだったのに、うるせぇなぁ。静かにしてろよ、かげこぉ)
アゴノスケは眠たそうに片目だけ少し開くと再び眠りにつく。
「あ、ごめんアゴノスケ。ゆっくり寝ててね」
景子はアゴノスケを起こさないようにゆっくりと歩き、浴室へ向かいシャワーを済ませるのだった。
翌日、景子は気合い十分に机に向かいペンを握っていた。
スケッチブックにはアゴノスケの他に、高橋のヒョウモントカゲモドキ、動物園で出会ったリクガメなど様々な絵が描かれている。
「ふぅ、だいぶ溜まってきた……」
景子は一息つくと、スマホを手に取り写真フォルダを開く。
中には以前の龍彦とのデートの写真があり、景子はそれを一枚一枚穏やかな表情で眺める。
(あ、これタツさんがゴリラに威嚇された時だ……こっちは、キリンに頭食べられてる時……)
なかなか可哀想なハプニングだったが、景子はそんな瞬間も思わずシャッターを切っていたのだった。
「ふふ、なんか、タツさん動物に絡まれてばっかりだ。……あ、これ」
ふと一枚の写真を見て、景子は指先を止める。
それは、爬虫類コーナーで蛇のケージを真剣な表情で見つめる龍彦の横顔だった。
「……本当に、爬虫類大好きなんだなー、タツさん」
景子はその写真を見て優しく微笑む。自分の好きなものに真っ直ぐな彼の近くにいると、なぜか自分も頑張ってみようと思えた。景子は自分の気持ちを改めて実感して、だんだんと胸の鼓動が早くなるのを感じる。
「なんか……ドキドキしてきちゃった」
動悸の他に体まで熱くなってきたような気がして、景子は額の汗を拭った。
「あつ……あ、そうだ!」
景子は何かを思い付くと、再びスケッチブックに向かってペンを走らせていくのだった。
週明け。その日も寒さが身に沁みて、景子は朝からぶるりと震える。
「うぅー、今日も寒い! アゴノスケのケージは……うん、温度は大丈夫だね」
リビングだけはエアコンのおかげで寒さはマシだが、冬本番の寒さではケージ内の温度状態も少し心配な部分があった。
「あ、今日はマフラーと手袋していかなきゃ」
バタバタと支度をすると、景子は仕事に出掛けていった。
「じゃあね、アゴノスケ。暖かい場所にいるんだよー」
(おう。これくらい何ともないぜ! おめぇも風邪引くなよ。 さ、寝るか……)
至れり尽くせりの環境で、寒さなど屁でもなかったようで、アゴノスケは日課の二度寝をはじめるのだった。
仕事中、景子は未だに寒さで身震いしていた。
(うー、なんかまだ寒い。エアコン効いてるのに……)
「うわっ、先輩どうしたんですか! 顔が緑色ですよ!?」
「へ?」
突然蒼井に大声で驚かれ、景子は呆けたように返事をする。
「ほらほら、鏡! 見てくださいよ!」
蒼井は慌ててポケットからコンパクトミラーを付き出して景子に見せる。不審な表情で鏡を見た景子は、自分の顔色に驚き大声をあげた。
「わぁぁ!? ゾンビみたい!」
その声が聞こえたのか、遠くで部長と話していた高橋はぎょっとした様に振り向いた。
「先輩、体調悪いんじゃないですか? もう今日は帰った方がいいですよ」
「そういえば、今日はずっと寒くて、なんだか頭も重いような……」
「もう、完全に風邪じゃないですかー」
今思えば体の震えは寒さのせいではなく、どうやら風邪を引いたせいだったようだ。景子は自分の鈍さが恥ずかしくなり、俯いて頭を抱えるのだった。
「はぁ、ごめんなさい。全然気付かなくて……すみませんが、早退させてもらいます」
景子は吹いたら飛んでしまいそうなフラフラとした様子で、ゆっくり帰り支度を始める。
「それがいいですね。吹き飛ばされないように、気を付けて帰ってくださいよ」
少し口の悪い蒼井だが、彼女なりに心配しているようだ。
そんなやり取りをしていると、高橋がデスクに戻ってきて「うわぁっ」とやはり驚いたような声をあげる。
「平戸さん!? その顔色はいったい……」
「え、えへへ、風邪みたいです……すみませんが、今日はもう帰らせてもらいますね」
高橋にも驚かれてしまい、景子は情けなく笑いながら立ち上がる。
「えぇ!? 風邪でそんな顔色に……というか、一人で大丈夫ですか?」
「まぁ、なんとか帰れると思います……では、すみません」
ペコッと頭を下げると、景子は鞄を持って部長の所へ報告に行った。
「大丈夫ですかね、平戸さん」
「あの顔色は大丈夫そうに見えないけど……」
高橋たちは心配そうに景子の後ろ姿を見つめていた。
その後、ふらつきながらもなんとかアパートに辿り着いた景子は、部屋に入るなり床にパタリと倒れ込む。
「床、冷たーい。でもちょっと気持ちいいかも……うふふ」
少し危ない表情で、うふふと笑いながら、景子はひんやりとした床の上でスヤスヤと寝息をたて始める。
(おいおい、かげこ。どうしたんだ? そんなとこで寝てちゃ風邪引くぜ?)
飼い主の様子がおかしいことに気付いたアゴノスケは、ケージにへばりついて外の様子を伺っていた。
(……なんだかふわふわして気持ちいなぁ。あれ? さっきまで床で寝てた気がするけど……床ってこんなに寝心地よかったかな?)
しばらく頭の中でぐるぐると考えて、景子はゆっくり目を覚ました。
周りを見ると、どうやらベッドの上で眠っていたようだった。
「……あれ? 私、自分で寝たのかな?」
曖昧な記憶を思い出していると、リビングから人の話し声が聞こえる。
(……え、誰!?)
「お前、ほんと元気そうだなー。ショップに居た時よりちょっとデカくなったか?」
(た、タツさん!? なんで、鍵も閉まって……なかったかも!)
帰宅してすぐに倒れて寝てしまったので、鍵を閉めていなかったことを思い出し、景子は「はぁー」と深いため息を吐いた。
「あ! トカゲちゃん、目覚めた!?」
景子の声が聞こえたようで、龍彦はアゴノスケを肩に乗せて様子を見にきた。
「た、タツさん、どうして……」
事情がわからずに混乱しているしていると、龍彦がベッドのそばに座り込み経緯を説明する。
「実は、高橋からSNSのDMに連絡があって……」
――11時頃――
『タツさん、急に連絡してすみません。
実は、今日平戸さんが風邪で早退しまして。結構ふらふらしてて心配なんですけど、僕も仕事抜けれないので……もしタツさんの都合が良ければ様子を見に行ってもらえないでしょうか?』
「なにぃ!?」
ショップの定休日。ちょうど爬虫類たちのメンテナンスを終えた龍彦は、高橋からの連絡を見ると鬼の形相で慌てて車に乗り込んだ。
コンビニでスポーツドリンクなどを買い込み、景子に連絡をいれるが返信もなく電話にも出ない。
「大丈夫かな……寝てるだけならいいけど」
心配でだんだんと不安が押し寄せてくるが、そうしているうちに車は景子のアパートに到着した。
ピンポーン――
インターホンに返事はなく、龍彦は迷惑かと思ったが、何度もインターホンを鳴らす。
「出ない……帰ってないって事はないよな。はぁ、考えなしに来たけど鍵もねぇし、どうすっか……」
まさか開いていないだろうと思ったが一応ドアノブを触ると、思いがけず玄関のドアは開いた。
(開いてる!?)
「トカゲちゃん!?」
嫌な予感がして勢い良く部屋に入ると、リビングの床に景子がうつ伏せで倒れていた。
「だ、大丈夫!? トカゲちゃん!」
呼び掛けて肩を叩くと「んー」と小さく呻くが目を覚ます気配はなかった。とりあえず仰向けにして顔を触ると熱を測るまでもなく高熱な事がわかる。
「あっつ! すごい熱だな……ごめん、ちょっと動かすよ」
龍彦は景子の体を軽々と抱えると、寝室のベッドの上へ寝かせた。すると少しだけ安らかな表情になり、景子はすやすやと寝息をたて始める。
「ふぅ、とりあえず良く寝てるし、大丈夫かな……そうだ! このひんやりシートを貼ってあげよー」
ゴソゴソと買い出しのビニール袋から熱冷ましシートを取り出すと、景子のおでこにペタッと張り付けた。
「ゆっくり休んでね、トカゲちゃん……」
龍彦は景子の小さな手を握り、優しく声をかける。すると、景子もその手をきゅっと握り返すのだった。




