17話 気持ちの揺らぎ
「ん?なんか、うまくいってないような……」
蒼井は近くのグッズ売場の中から偵察していたが、不穏な空気を察知して首を傾げる。
隣で見ていた高橋も、落ち込んでいる景子の様子が気にかかり、しばらく目が離せずにいた。
「途中まではいい感じだったのに。先輩、どうしたんでしょ」
「平戸さん……」
ボソッと呟く高橋に、蒼井は薄く笑いながら耳元で話しかける。
「もしかして、高橋さんの入る隙、あるかもしれないですよ?」
高橋はその言葉にピクッと反応し、しばらくうつ向いてから口を開いた。
「……帰りましょ」
そう言うと、スタスタと蒼井を置き去りに歩いていく。
「高橋さん?もう、待ってくださいよー」
帰り道の車内には音楽だけが鳴り響き、静かな空気が流れていた。しかしその静かな空気とは対照的に、龍彦の心の中は騒がしかった。
(あぁ、やべぇ、なに話していいかわからん……俺、また先走ったのか? でも、おかしな事は言ってないよな。素直な気持ちを伝えただけで……
もしかして、トカゲちゃんは俺の事をそういう対象で見てなかったのかな……あぁ、やっぱり早まったー。なにも一回目のデートで告らなくてもいいだろって……)
冷静な表情の裏で様々な事に思い巡らせていると、景子がようやく話を切り出す。
「あのぉ」
「ふぇ!?」
「なんだか、私のせいで空気が悪くなっちゃってすみません。せっかくの楽しいお出掛けだったのに……」
(お出掛けって……かわいいなオイ)
「もう大丈夫だから、そんなに気にしないでってば。俺の話なんて忘れてさ、ほら、笑って笑って」
「タツさん……」
(忘れるなんて、出来ませんよ……)
不安気に見上げた龍彦の顔は、夕焼けに照らされてオレンジ色に輝いている。信号待ちで優しく微笑む彼の瞳は、サングラスに隠れて見ることは出来なかった。
その後も気まずい空気のまま、車は景子のアパートに到着した。
「じゃあ……トカゲちゃん、今日はありがとう。ゆっくり休んでね」
「こ、こちらこそ、色々ありがとうございました。楽しかったです」
少し浮かない表情ではあったが、景子は感謝の気持ちを伝えた。
龍彦は真面目な顔で彼女を見つめると、少し考えてから話を切り出す。
「あの……もし俺の事嫌じゃなかったら、これまでと同じように連絡したり、遊びに行ったりして欲しい。もちろん、トカゲちゃんが良ければだけど……」
「そんな、嫌だなんて思いません!」
言葉を遮るように言う景子に、龍彦は驚きで目を丸くする。
「す、すみません私……でも、タツさんの事は、絶対嫌じゃありませんからっ」
「え、ちょ、トカゲちゃん!?」
そう言い残し、景子は走ってアパートに駆け込んでしまった。
「えー……それは、喜んでいい、のか?」
龍彦は呆気に取られ、しばらく時が止まったようであった。
龍彦との初デートが気まずいまま終わってから数日が経った。
景子は一見普通に仕事をしているようだったが、時折職場のパソコンの前でため息をつき、ぼんやりと画面を眺めていた。
「……先輩、今日も元気無いですねぇ」
蒼井は高橋に椅子のまま近付き、こそこそと耳打ちをする。
しかし高橋はそれを無視してキーボードを黙々と叩いている。その様子にムッとした蒼井は、彼の脇腹を指で思いきりつついた。
「うひゃあ!? な、何するんですか急に」
「無視なんてするからです」
大声を出した高橋は他の社員から少し白い目で見られたが、斜め前に座る景子だけは何事もないようにパソコン画面を見つめていた。
「あらら、平戸さんには全然聞こえてなさそうです……ねぇ高橋さん、事情を聞いてあげたらどうですか?」
「なんでそんなこと……だいたい、二人の事なんだし、僕が口を出すことなんて何も」
「はぁ、わかってないですねぇ。こう言う時こそ、付け入るチャンスじゃないですかー」
偉そうに語る蒼井を、高橋は軽蔑の眼差しで見つめる。
「僕の反応を見て楽しむのは勝手ですけど、平戸さんまで巻き込むのはやめてください。彼女は君と違って繊細なんですから」
普段と違いはっきり物を言う高橋に驚いた様子の蒼井だったが、最後の一言に少しカチンとしたようだった。
「むぅ、何か失礼な物言いですね……ま、いいですよ?こっちにも考えがありますから」
意味深な事を言い残し、蒼井は自分のデスクに戻り仕事を再開する。
『トカゲちゃん、お疲れさま!
今日はバジェットガエル君のお迎え先が決まったよん
常連の爬虫類好きのオッチャンだけどね!』
仕事終わりにスマホを見ると、龍彦からのチャットの通知があった。デート以降も、普段と変わらず連絡はほぼ毎日届いている。
しかし今の景子には、それが嬉しくも気まずいものになっていた。
「タツさん優しいから、きっと私に気を遣ってるんだ……」
はぁ……と深いため息をついていると、蒼井が元気に声をかけてきた。
「平戸先輩、お疲れさまです!」
「あ、お疲れさまです」
「そうだ、先輩!この前のデートはどうでした?お話聞かせてくださいよー」
白々しく探りをいれる蒼井を高橋は遮るように割って入る。
「ちょっと蒼井さん、そんな事聞いたら失礼ですよ!」
「あ、そうだ!これから少しお茶して帰りません?ね、いいですよね平戸先輩!」
「……あ、はい、大丈夫ですよ」
蒼井には服を選んでもらいもして協力してもらったので、景子は正直乗り気ではなかったが承諾した。
「本当に、いいんですか?嫌なら断っても……」
その様子を察して、高橋は心配そうに声をかける。
「いえいえ、本当に大丈夫ですから」
景子は困ったように笑い答えた。
蒼井はそんな事を気にする様子もなく、早速スマホでお店を探していた。
「あ、ここなんか近いし雰囲気もいいですね!さ、早速行きましょー」
「はぁ……返事、こねぇな……」
龍彦は事務作業をしながら何度もスマホを確認してはため息ををつく。
「何すかタツさん、ため息ばっかりついて」
渋谷はずっと鬱陶しく思っていたが、ついに痺れをきらして声をかけた。
「なぁ、既読付いてるのに返事がないのってどういう時だ?」
「え? そりゃ、脈ナシじゃないっすか?」
「マジか!?」
特に深く考えずに答える渋谷だったが、その瞬間龍彦はガタッと勢い良く立ち上がる。
「うわっ! 何すかもう、ビックリしたー……もしかして、平戸さん、ですか?」
すぐに図星を突かれた龍彦は、両手で顔を覆い、乙女のようにしくしくと泣きはじめた。
「やーい、振られてやんのー! あいりちゃんの事悪く言うからバチが当たったんだー。へへーん、ざまーみろー」
前回バカにされた恨みを忘れてなかった渋谷は、ここぞとばかりに龍彦を言い負かす。
「くっ、人の傷口に味噌塗りたくるような事言いやがって……」
「……塩じゃねぇんすか?」
「どっちでもいいんだよ! しょっぺぇんだから!」
龍彦は涙しながらくだらない反論をする。渋谷はここまで情緒不安定な龍彦を見たことがなく、なんだか流石にかわいそうになってくるのであった。
「はぁ、何があったか知りませんけど、平戸さんってそんな薄情な子じゃないと思いますよ? 何か思うところでもあるんじゃないですかねぇ」
「そうかなぁ……?」
渋谷の励ましに泣くのをピタリと止め、龍彦は覆っていた手の隙間から恨めしげに見つめてくる。
「そ、そうですよー。だから、いつまでも泣いてたら鬱陶し……じゃなかった。いつまでも泣いてないで、元気だしてくださいよ」
「う゛ん……わかった」
「そうそう、待ってれば、返事も来ますって」
(ふぅ……何とかなったかー)
途中本音がこぼれそうになった渋谷だが、何とか龍彦を元気付ける事が出来てホッと一息ついていた。
その頃、蒼井おすすめのカフェにやってきた景子達は、店員に奥の席へと案内される。
しかしそれぞれ席に座った瞬間に、突然蒼井は慌てたように立ち上がった。
「あぁ! 私、今日マチアプの人と会う約束してたんだったー!」
「……えぇ!?」
「てことで、後はお二人でゆっくりしてください!」
「いや、そんな勝手な!」
蒼井は去り際に、狼狽えている高橋の耳元でボソッと囁く。
「後は頼みましたよー、せんぱい」
ニヤリと笑い、蒼井はあっという間に去っていく。取り残されて景子と二人きりになってしまった高橋は気まずい空気の中、とりあえずメニュー表を手に取った。
「あ、蒼井さんにも、ほんとに困ったものですね……と、とりあえずコーヒーでも頼みましょうか?」
「は、はい。なんか、すみません」
意図せず二人きりになってしまい、景子は申し訳なくなって高橋に謝る。
「そんな、平戸さんが謝ることなんてないですよ! 悪いのは全部あの人ですから」
高橋は相当蒼井には腹が立っているようで、感情をあらわにして怒っていた。
景子はそんな高橋の様子を珍しく思い、少し可笑しくなってクスッと笑いながら話し出した。
「なんだか高橋さんと蒼井さんって、お互い遠慮がないですよね。そういうの、ちょっと良いなって思います」
「全然! 良くないですよ。あれは、小悪魔なんかじゃなく悪魔なんです。はぁ、平戸さんはほんとに人が良いですから、騙されないか心配ですよ」
普段の数々の嫌がらせを思いだし、高橋はつい不満を爆発させる。
「ふふ、すみません。でも、やっぱり面白いですね」
やっと笑顔が戻った景子に、高橋はさっきの怒りも忘れて優しく微笑み返した。
穏やかな雰囲気の漂う中、衝立で仕切られた隣の席には一人の女性が座っていた。
「ふふふ、誰が悪魔ですか全く……さぁ、頑張ってラブコメしてくださいよー、せんぱい!」
帰った振りをして隠れて聞き耳をたてる蒼井は、やっぱり小悪魔ならぬ悪魔のような楽しそうな笑顔で笑っていた。




