15話 初デート
休日の午前中、生活感たっぷりの洗面台の前で、龍彦は頭の毛先をワックスで念入りに整える。
学生時代に初めてのデートに出掛ける時のような高揚感で、なんだか普段よりそわそわと落ち着かない気分だった。
「あー、なんか緊張してきた。……口、臭くねぇかな」
ついさっき歯を磨いたはずだが、龍彦は口臭が気になるのか市販の消臭カプセルをガリガリと噛む。
「ふむ、いろんな事が気になる。ってやべぇ!もうこんな時間か!」
悩んでいた龍彦だが、ふと時計を見ると急に慌てたようにバタバタと荷物の持って出ていってしまった。
その頃、景子も同様に部屋の鏡の前で、自分の姿を何度も確認していた。
以前蒼井と購入した服を着てみたが、慣れない服装にどこか違和感を感じる。そこまで華やかな色合いではなかったが、フワッとした小花柄のワンピースに丈の短いデニムジャケットと、普段の自分では選ばないようなものばかりだ。
「蒼井さん、これならスニーカーでも大丈夫って言ってたけど。ダメだ、見れば見るほどわからなくなってくる」
おかしくないか不安で何度も見ていると、景子は自分でも良いのか悪いのかわからなくなる。
何度か自分の普段着に着替えようかとも思ったが、そこは気合いでなんとか踏みとどまった。
「アゴノスケ、どうかな?変じゃない?」
トカゲにファッションなどわかるはずもないが、景子は不安からかついにアゴノスケにまでアドバイスを求めていた。
(おう、なんか変なカッコしてんな。その花は食えるのか?)
そんな事をしていると、不意にスマホが鳴る。
画面を見ると龍彦からの電話で、景子は慌てて通話に出る。
「は、はい!」
「あ、トカゲちゃん?おはよー。今アパートに着いたけど、準備大丈夫かな?」
「はっ、はい、すぐ行きますね!」
「急がなくて大丈夫だよ。車で待ってるから、ゆっくり来てね」
慌てた様子の景子を察したように、龍彦は優しく声をかけた。
「あ、ありがとうございますっ」
そう言われたものの、景子はバタバタと出掛ける準備をして部屋を出る。アパートの前に出ると、龍彦は車の窓を開けて手を振っていた。
「おはよー。どうぞ、乗って乗って」
「は、はい。お邪魔します……」
緊張しつつも助手席に座ると、隣には普段と少し違った格好の龍彦がいる。黒のライダースジャケットに丸いサングラス、髪の毛はいつもよりツンツンしている気がする。
景子はつい気になり、龍彦の姿をチラチラと見る。
「う、何か、変かな?」
視線を感じ、龍彦は苦笑いで聞く。
「すまませんっ、なんだかいつもと違うなって思って。さ、サングラスしてるんですね」
「えへ、久しぶりにおしゃれしちゃった。グラサンは運転の時にかけてんだー。それより……」
ふざけたように答えると、今度は龍彦が景子の姿を見つめる。
「トカゲちゃんも、今日はいつもと違って可愛い格好だね。なんか、大人のお姉さんって感じ」
「変じゃないですかね?なんだか自分でも慣れなくて」
「全然?むしろ最高、断然好み」
「そ、それは良かったです……」
嬉しそうにニヤっと笑う龍彦に、景子は自分で聞いておきながら恥ずかしくなり、赤くなって目を泳がした。
「そ、そうだ、今日は動物園に行くんですよね。良い天気でよかったです」
「ほんと、晴れてよかった!俺らの日頃の行いが良いお陰だね。そだ、動物園なんだけど、期間限定で爬虫類フェスもやってるんだよ。俺も結構久しぶりだから楽しみなんだー」
「そんなのもやってるんですね。私も、昔に両親と行ったきりなので、すごく楽しみです!」
ようやく少し緊張も解け、景子は自然な笑顔になる。その様子に龍彦も安心したように微笑んだ。
「……やっといつもの感じでてきたね!さ、じゃあ出発しますか」
「はい!」
外は気持ちの良い快晴で、車内には暖かい日の光が差し込む。龍彦は運転しながら、アップテンポの音楽に合わせて鼻唄を歌っている。
「そういえば、今日はお店は休みなんですか?」
「うん。定休日は月曜だけど、毎月月末の日曜は休みにしてるんだ。今日は朝のメンテだけ終わらせてきた」
「そうなんですね。それは、お疲れさまです。お店のトカゲさん達は元気ですか?」
「もちろん、バッチリだよ。それよりゴメンね、店の車で。もっと気の利いた車ならよかったんだけど……」
龍彦は少し申し訳なさそうに笑い、ポリポリと頬を掻く。
車は以前龍彦達とイベントに出掛けた時のもので、後部座席には仕事の物品などがごちゃごちゃと積まれていた。
「そんな、全然気になりませんからっ!乗せてくれるだけでもありがたいですし」
「うぅっ、トカゲちゃん、なんて良い子なんだっ」
龍彦は大袈裟に感動し、泣き真似をする。
「あぁ、泣かないでくださいっ」
嘘泣きと気づかずにオロオロと狼狽える景子に、龍彦は堪えきれずに吹き出すように笑い出した。
「あっはは!冗談だよ冗談」
「ほ、良かったです……」
「ふふ、俺トカゲちゃんのそういうとこ大好きだわ」
龍彦は笑いすぎて出た涙を拭いさらりと話す。
「そ、それも、冗談、なんですか?」
景子はまたも動揺し、疑うように問いかける。
「さぁ、どっちでしょう?あはは!なんてねー」
そう言うと、龍彦は意地悪そうに笑いはぐらかす。景子はどうしていいかわからず真っ赤な顔でうつ向くのだった。
「先輩!遅いですよー。ほら、コレとコレ、あとコレも着けてください」
蒼井は高橋にキャップにメガネ、つけ髭などを次々と手渡していく。
「ちょっと、いきなり何なんですか!?急に動物園に行こうだなんて。しかも何でこんなの着けなきゃなんないんです?」
先週の景子との買い物の後、蒼井は高橋に月末の予定を空けておくように連絡していたのだ。
事情を知れば高橋は来ないと思ったので、もちろん龍彦とのデートの事は伏せている。
「事情があるんですよ!後で説明しますから、とりあえず着けて変装してくださいね!」
「もう、わけがわからない……というか、君まで変装してるし。待ち合わせの時、全然わかんなくて困りましたよ」
ジトっとした目で睨みながら、高橋はぶつぶつ文句をたれる。
当の蒼井もニット帽に分厚いメガネで、普段の雰囲気とは違い地味な女子のような格好だった。
「はぁ、仕方ないですねぇ。ちょうどお昼前ですし、説明がてらに中のカフェにでも入りましょ」
「え?ちょ、ちょっと待って……」
高橋の意見も聞かずに、蒼井はパンフレットを見ながらスタスタと先に歩いていった。
飲食店のテラス席に座る二人。小さな白いテーブルの足は何故か小刻みに動く。
蒼井と向かい合って座る高橋は、机に両手を付いてうつ向きプルプルと震えていた。
「……どういうことですか?何で僕が平戸さんと、彼のデートなんて見なきゃいけないんですっ」
高橋は怒り心頭といったように、目の前で何食わぬ顔をしてオレンジジュースを飲んでいる蒼井を睨み付ける。
「はぁ、何でって、偵察ですよ。平戸さんがどうなってもいいんですか?もしかしたら、あのガラの悪い彼に変な事されちゃうかもしれないですよ?」
「そんな、タツさんが平戸さんに変な事なんて……」
しないと言うつもりだったが、ふと以前のイベントでの事が頭によぎった。
「ほら、わかんないでしょ?」
「そ、そんな……それに君、僕の気持ちは考えたりしないわけ?」
「それはまぁ、辛いとは思いますよ?でも、平戸さんのためじゃないですか!」
全く気持ちのこもっていない言葉に、高橋は呆れて言葉もなかった。蒼井がただ楽しんでいるだけなのはわかっていたが、蒼井の言葉と龍彦の行動が気がかりではある。しばらく悩んだ結果、高橋は渋々偵察を了承するのだった。
「……はぁ、わかりましたよ」
「お、覚悟は出来ましたねー。それじゃあ、そろそろ行きましょうか!あ、ここは私が奢ってあげますよ」
恩着せがましく支払いに行く蒼井の背中に向かって、高橋は不貞腐れ「当然だろ」と小さく呟いた。
「ん?先輩、何か言いました?」
「……別になにも」
(ったく、地獄耳……)




