13話 親バレ
朝の日差しがカーテンの隙間から差し込む。
景子は寒さで布団から出られず、芋虫のように丸くなって二度寝、三度寝を繰り返していた。
ガサ……ガサガサ……
リビングの方からアゴノスケの動く音が響く。
その音に目を開け、景子は眠い目を擦りようやくベッドから出てくる。
「ふぁ~……おはよう、アゴノスケ」
<おはようじゃない! 遅いぞ、かげこ〜。俺様は腹ペコなんだ! 早く飯をくれ、飯!>
ガラスの前でバタバタと手足を動かし、アゴノスケは必死に空腹をアピールしていた。
「いいなぁ〜、アゴノスケの部屋は暖かくて。私もここで寝ちゃおっかなー」
最近はすっかり寒くなり、アゴノスケのためにリビングは暖房をつけたままだ。
仕方の無い出費でもあり、電気代の事はあまり考えないようにしている。
<コラッ、寝るんじゃない! 飯をくれ、ください……この通りだ!>
こっくりと船を漕ぎ始める景子に、アゴノスケは必死に頭をヘコヘコと動かす。
「……はっ、そうだ。ご飯ご飯、ちょっと待っててねぇ」
ようやく餌の事を思い出し、景子は寝ぼけた様子でキッチンへと向かっていった。
――――
<おぉー! 待ってましたぁ!>
よほど腹が減っていたのか、アゴノスケは夢中で小松菜にかぶりつく。
「あはは、ホントに美味しそうに食べるな〜。なんだか、私まで食べたくなってきちゃうかも……あ!」
景子は突然声を上げると、バタバタとノートとボールペンを持ってくる。
「とりあえず、アゴノスケからスケッチしてみよう」
龍彦の依頼のため、景子は早速絵を描いてみることにした。
しかし、アゴノスケは早くも食べ終わってしまいそうな勢いで、景子は慌てて声を上げる。
「あぁ、ちょっと待って!」
急な呼び掛けにビクッとしたアゴノスケは、口を開けたままピタリと動きを止めた。
「そうそう、動かないでよー」
今がチャンスと、景子はスラスラとペンを動かす。
集中しているせいか、彼女の天然な脳みそのせいなのか。言葉が通じているという不自然な状況に、景子は何の違和感も感じていなかった。
<お、おい、まだかよ……まだ動いちゃダメなのか? いったいいつまでお預けする気だ!?>
アゴノスケはポタポタとヨダレを垂らし、固まったまま景子の顔をちらちらと見て訴える。
「……よっし、描けたー」
デッサンの完成を喜んでいると、ふと口を開けたまま固まるアゴノスケと目が合う。
アゴノスケは恨めしそうな目で睨んでおり、景子は気まずい笑みを浮かべた。
「ご、ごめんねアゴノスケ。もう、食べて大丈夫だから」
やっとお許しが出て、アゴノスケは不信の目で景子を見つめながら残りの餌を食べるのだった。
景子は申し訳なさそうに微笑み、描いた絵を改めて見直す。
実物を前に描いたからか、いつもより躍動感があるように見えた。
(とにかく、色々描いてみよう)
自分らしい絵がどんなものかわからない。
けれどいつか、描きためた一つ一つが繋がって、自分の納得できるものが描けるかもしれない。
ふんわりとした想いだが、前に進みたい。
「タツさんとの約束……頑張らないと」
単調だった生活に出来た新たな目標。
それに向かう景子は、いつになくスッキリとした気持ちだった。
ぐぐぅぅぅー……ぐぅ……
「う、絵描いたら余計にお腹が……何か食べるものあったかなぁ」
豪快な腹の虫を鳴かせて、景子はようやく遅めの朝食をとることにした。
<すげぇ腹の音だな、まったく……絵なんか描いてないで飯を食え、飯を!>
満腹になると、途端に人の世話を焼くアゴノスケだった。
――――
その日、景子は絵に夢中になっていた。
アゴノスケの姿が視界に入る度、描きたい欲がむくむくと湧く。
別の事をしては、絵を描き、また絵を描きを繰り返し、気がつけば外は暗くなっていた。
「はぁ、つい描きすぎてしまった……」
アゴノスケもモデルをやりすぎて疲れたのか、両手足をだらんとして流木の上に寝そべっていた。
喜ぶ景子につい調子に乗ってしまい、様々なポージングを決めていたアゴノスケ。
どうやらそのせいで、全身がカチコチになったらしい。
<くっ、体中あちこち痛くてかなわん……今日はどうしたんだよ? そんなに俺様のかっこいい姿を描きたいのか? まぁ、気持ちはわからんでもないが)
アゴノスケはまんざらでもないようだ。
「すっかり夢中になっちゃったなー」
景子はソファーに座り、描いたものをパラパラと見返す。
実物には劣るが、アゴノスケの生き生きした表情がうまく描けている。
「自分で言うのもなんだけど、結構良いかも」
満足そうに見返す景子だが、一枚の絵を見て眉をひそめる。
「ん? これは……何か変、かな?」
それは、アゴノスケが流木の上で寝そべっている絵だった。
例えるなら、休日にテレビを見る親父のようなポーズ。
さすがの景子も、これには少し違和感を覚えた。
「え、トカゲって、こんなポーズする? ちょっと、おかしな気が……」
描いている時は夢中で何も思わなかったが、よくよく見ると他にも疑惑のポーズが何枚か出てくる。
ウインクのように片目を閉じていたり、投げキッスのポーズをしていたり。
妙に人間らしいポージングが気になる。
不思議な現象に頭を悩ませていると、不意にスマホの通知が鳴った。
『こんにちはー! 早速ですが、昨日はありがとうございました! また来月も飲みに行きましょうねー』
文章だけでも、蒼井のハイテンションが伝わってくる。
景子は戸惑いながらも、とりあえず無難な返事を送る。
『こちらこそ、ありがとうございました。またいつでも誘ってください』
すると、1分もしない内に返事は届く。
『先輩、固いですよー。もっとフレンドリーに行きましょ! ところで、高橋さんの返事が無いですねぇ……もしかして既読無視ですか?』
『せっかくグループ作ったのに、見てるだけなんてつまらないですよー?』
『高橋せんぱーい?』
『見てるんでしょー?』
蒼井は連続でメッセージを送りつけ、景子は入る隙もなくただ傍観する。
(すごいな、蒼井さん。これが、若者か……)
さほど歳も変わらないのに、景子はしみじみと歳の差を実感した。
◇
「はぁー、うざい! いつまで送ってくるんだ……」
高橋は苛立った様子で、テーブルの前で頭を抱える。
景子のメッセージに気を取られ、うっかりチャット画面を開いてしまったのが失敗だった。
あまりにもしつこい蒼井の連投に、高橋は渋々返事を打つ。
『なにかご用ですか?』
『もー、素っ気ない。楽しくお話ししましょうよー』
『別に、僕は用がありませんから』
『ひどっ! 平戸先輩、高橋さんがイジメます! これがパワハラですか?』
『ちょ、何がパワハラです!? それにどっちかと言えば、蒼井さんの方が、色々ハラスメントだと思いますけど……』
『またもやひどー!』
蒼井と高橋のやり合いは終わる気配がなく、傍観していた景子もついに仲裁に入る。
『ふ、二人とも落ち着きましょう。ケンカは良くないですよ』
『そうですよ! 高橋さん、ケンカはやめてください』
『……理不尽だ』
「た、高橋さん……ごめんなさい」
苦悶する高橋の顔が思い浮かび、景子は何とも言えない罪悪感を感じて静かに目を閉じた。
すると、蒼井は突然話題を変え、2人のペットに興味を示す。
『そうだ! お二人のペットの写真見たいです! 昨日見そびれちゃったんで』
(写真か……うん! これがいいな)
景子は一番のお気に入り、アゴノスケとぬいぐるみのツーショット写真を送る。
『おっきい! 黄色いトカゲだー! あはは、間抜けな顔で可愛いですね』
『ふふん、ありがとうございます!』
間抜けな顔と言われたが、かわいいと褒められ景子は上機嫌だった。
『ほらほら、平戸さんは見せてくれましたよ? 高橋さんはまだですかー?』
『私も、久しぶりにだいふくちゃんの写真見たいです』
「……しょうがないな」
蒼井はともかく、景子からも期待され、高橋は少し不貞腐れながらも写真を送る。
『わっ、真っ白で可愛いー! 黄色い子とはまた違うタイプで美人さんだ!』
『うん、やっぱり綺麗ですよね』
『そうでしょう、そうでしょう……だいふくは宇宙一可愛いですからね』
『きもっ、出ましたよ親バカが』
『キモいとか言うな!』
『あー、ダメですよ……また始まっちゃいます』
『おっと、危ない。じゃあ、そろそろお邪魔しますねー。また会社で会いましょー』
『はい、お疲れさまでした』
『はぁ、やっと解放され……いやいやお疲れさまです』
嵐のようなチャットの応酬が終わり、景子は軽いため息をつき天井を見上げる。
「蒼井さんと高橋さん、ちょっと楽しそうだった」
景子はクスクスと笑い、呑気に呟く。
高橋が聞けば白目を剥きそうだが、景子には遠慮なく話す2人が少しだけ羨ましく思えた。
ぼんやりと思い耽っていると、またスマホの通知が鳴る。
「あ、お母さん」
『景子、元気? 明日だけど、久しぶりにランチ行かない? どうせ暇なんでしょ』
母からのメッセージに、景子は既視感を覚える。
(ふ、蒼井さん、ちょっとお母さんに似てるかも)
母とは月に1回ほど、一緒に食事に出掛けている。
以前はよく暇潰しに連絡を取っていたが、アゴノスケを飼い始めてからその頻度は減っていた。
久しぶりの母からの連絡に、景子はすぐに返事をする。
『うん、大丈夫だよ』
『そ、じゃあ昼頃に迎え行くから』
『わかった』
返事を送った後、景子はふとアゴノスケのケージを見つめる。
「そういえば、アゴノスケの事お母さんに言ってない……まいっか」
楽観的な性格の母なら、特に気にしないだろう。
景子はこの時、深く考えることはなかった。
そして、翌日の午後。
「うぎゃーーーーー!? かかか、景子っ……な、なんなのこの黄色いの!」
母の茶色い悲鳴が、1LDKのアパートにこだました。
◇
数分前。
インターホンの画面に映る母の姿に、景子はドアを開ける。
「わざわざ部屋まで来てくれなくても……」
ドアを開けると、母が大きな段ボールを抱えて立っていた。
「ばあちゃん家のみかん! 昨日届いたのよ。中に入れとくわね」
「ありがと……だ、大丈夫?」
「よっこいせ! はぁ、腰痛ぁ〜」
よたよたと歩きながら、母はリビングにどっしりと段ボールを置く。
そして必然的に、存在感を放つケージが目に入り、母はそれを凝視する。
「ん?……なにこれ」
「あぁ、それは……」
母は怪しむようにケージに近づき、ついに中で蠢くアゴノスケを目撃する。
「うぎゃーーーーー!」
母の悲鳴は、地獄の断末魔のようだった。
完全に言うタイミングを逃してしまった景子は、棒立ちのまま思わず両耳を塞ぐ。
「な、なんなのよ景子……この黄色いのは」
「何って……ふ、フトアゴヒゲトカゲ、だけど?」
「フ、フト……なに!? 前はいなかったじゃない、こんなの!」
「少し前に、飼い始めたの……もしかして、お母さん爬虫類苦手なの?」
わかりきったことを改めて聞くと、母は引きつった表情でまくしたてる。
「当たり前じゃない! こ、こんな大きなトカゲ、怖いに決まってるわ! あんた、こんなのが趣味なの!? もぉ信じらんない!」
「な、なにもそんなに言わなくたって! 結構、可愛いのに……」
ムスっとして言い返すも、母はさらに顔を真っ赤にした。
「どこが!? いやぁー、もう鳥肌立ってきたー!」
母の拒絶は凄まじく、景子は母の腕を掴み玄関に連行する。
「も、もういいじゃない! ほら、早く行こ」
<騒がしいヤツ……まったく、アイツの周りは変なヤツが多いぜ>
一番の変わり者は、嫌われているとも知らずマイペースに日光浴を続けていた。




