#010 陸軍中佐、ジェルス=アンヴァル その1
拳と刃で鍔迫り合った後、お互いに弾き飛ばされ大きく後方に退いた。
ザシュ!
拳を薄皮一枚切られ、飛び出る血液。
普通、魔力で強化した人体は通常の物理攻撃を受け付けない。
なのに俺の拳が傷付けられたのなら、考えられる手段は二つある。
あの剣が魔力でエンチャントされた特別な武器なのか、あるいは……
「アンタ、”魔術”が使えるのか」
拳から溢れる血を舐めとりながら、俺が尋ねる。
「珍しくない話だ。生前の俺が人間でありながら魔術を使えたように、軍は大勢の魔術が使える人間──魔術師を抱え込んでいるらしいな」
「その通りだ」
言って、再び剣を構える少女。
ダッ!
彼女が前方に駆け出したかと思えば、次の瞬間──
ザンッ!
──目と鼻の直ぐ先で剣撃が空を切る。
縦に繰り出された斬撃を、紙一重で後方に退き避けた。
続いて下から刃が振り上げられるが、これも強化した靴底で受け止める。
魔術で強化できるのは人体だけじゃない。
衣服や武具のような無機物にも、魔力を纏わせることが可能なのだ。
少女のものとは思えない剛腕で振われる剣を脚力で抑えながら、俺が言う。
「できれば女は殴りたくねぇんだけどな」
「そうか、だが私は貴様を切りたくて仕方ないのだが」
少女が殺気を込めて言った後、剣を踏みつけてた右足を軸に、左足で回し蹴りを放った。
ガキィ!
しかし剣を抑えていた体重が軽くなったせいで、少女が俺の全身ごと右足を払い、続く左足の蹴りを剣で受け止める。
「女は殴らないのではなかったのか?」
「ああ、だが蹴らないとは言ってねぇだろ?」
攻撃を打ち合った後、再びお互いに後退して距離を取る。
……足は、切れてないようだ。
魔力で防御力を上げた身体は、より強く魔力で強化された攻撃力で打ち破ることができる。
何回か相手と打ち合っての判断だが、魔力出力は五分五分と見ていいだろう。
素手と武器の差で、若干俺が不利と見た方が良いかもしれない状況だ。
さてどう攻めるか……とりあえず、攻める隙を探るために喋って時間稼ぎだな。
「強いな、アンタ。階級はいくつだ?」
「そうか、まだ名乗ってすらいなかったか。すまない、少し血の気が過ぎたな」
口では謝ってるが、少女の全身を覆う魔力は一切の隙を見せてはくれない。
魔力は精神や感情のブレに敏感だ。
メンタルが不安定だと、それだけで魔力出力が低くなる。
だが流石は軍人、歴戦の猛者。
精神面を揺さぶるのは骨が折れそうだ。
ともかく、くだらない煽りでもいいから隙を作るのに専念しよう。
落ち着き払った様子で少女が続ける。
「私はシャロア帝国陸軍、第一師団中佐──ジェルス=アンヴァルだ」
「中佐? うっそだろ、お前みたいなガキが……」
そう俺が言いかけた瞬間、
ザンッ!
またとんでもないスピードで俺の目の前まで距離を詰めたジェルスが、剣を横へ振るい斬撃と凄まじい衝撃波を繰り出した。
「誰がガキだ」
鬼の形相で、静かに怒りのこもった言葉を吐き出すジェルス。
マジにプッツンしたって感じだ……
まさかテキトーな煽りがここまで効くとは、ちょっとマズった気がする……
全身から荒々しく魔力を放出するジェルス。
そんな魔力量で強化されたジェルスのスピードは、今までの何倍も早く──
ザシュッ!
──反応できない速度で繰り出された斬撃が、俺の右腕を深く切り裂く。
さっき右拳につけられたかすり傷よりも、圧倒的にデカいダメージだ。
出力が上がってるんだ、攻撃力も強化されていて当然か。
ともかくバックステップで距離を稼ぎながら、攻撃を躱す俺。
すかさず追撃を入れようと、剣をブン回しながらジェルスが言う。
「貴様が十五で私が十六、私は貴様より年上だ」
「え、マジで?」
衝撃のカミングアウトに驚きを隠せない俺。
ザンッ!
しかもそのせいで魔力が凪いで、また右腕にダメージを負っちまった。
つーか何で右腕だけなんだよ、今日の厄腕か?
「いや厄腕ってなんだよ!」
「知るか!」
感情を無茶苦茶に爆発させて、お互いに攻撃を繰り出す。
ぶつかり合った余波で周りの木々は薙ぎ倒され、砂煙が舞う。
シめた、この砂煙に乗じてジェルスの視界から消えてやろうと考えた。
気配と音を殺して、周囲の木の影を転々とする。
砂煙が晴れると、木々が薙ぎ倒され開けた場所に、俺を見失った様子のジェルスが確認できた。
ジェルスの周囲には遮蔽物がないので、隠れて接近することは不可能。
勝負を決めるなら一直線、最高速度で突っ込むしかない。
脚力をマックスまで強化して、全速力で駆け出す。
俺が出せる限界の速度でジェルスの背後まで到達した。
しかしジェルスが余裕の表情で振り向き、呟く。
「魔戦術、発動」
バギィ!
「!?」
突然、顔面に謎の攻撃を受けた俺は地面へと叩きつけられた。
ジェルスの攻撃もまだ届く距離じゃない。
まったく意識外からの攻撃だ。
事態を理解できず地面に背を付けたまま混乱する俺に、ジェルスが話しかける。
「貴様の右腕を見てみろ」
言われるがままに確認すると、さっきジェルスに切られた傷跡に、白い鳥の翼みたいな紋様が浮かび上がっていた。
「剣で切った対象に私の魔力を送り込み、紋様が発現した部位を私の意のままに操ることができる能力。それが私の魔戦術、”聖印”だ」
「なるほど、そういうことかよ……さっきの攻撃は、俺自身が俺をブン殴ったってことなんだな」
言いながら、地面から立ち上がろうとする俺。
しかし、その最中にも右腕が暴れ回るので立ち上がるだけで一苦労だ。
何とか右腕を左腕で抑えながら立ち上がり、余裕の表情を崩さないままジェルスに向かって言い放つ。
「強いな、この能力。決まればほぼ勝ち確定だろ」
「ああ。私の魔戦術を使った上で、仕留めきれなかった獲物は一匹もいない」
勝ちを確信したように、ジェルスは自分の剣を腰についた鞘にしまった。
明らかな油断、明らかな隙。
そこに更なるダメ押しをと、俺が呟く。
「じゃあ初めての敗北か、ゆっくり噛み締めてろよ」
そのまま俺は、力任せに肩から右腕を引き千切った。
クソほど痛ぇ、溢れ出る涙が抑えきれねぇよ。
だがそれでジェルスに勝てるなら、いくらでも虚勢を張ってやる。
涙をダラダラ垂らしながら、満面の笑みで声を張り上げる俺。
「これでもう俺の体はコントロールできねぇなぁ!」
「!?」
驚愕の表情を浮かべるジェルスの視線を潰すように、右腕を投げつける。
それを回避した隙へ、すかさず俺は残った全魔力を込めた拳を放った。