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終焉のパンドラ  作者: 萩オス
記憶の箱 - Pithos begins to open -
21/21

点と線

 先天性ではない。

 アルファは思わず目を見開いたまま、目の前のマーゴットというより、ただ宙を見ていた。マーゴットの勘違いかもしれないと思ったものの、考えてみれば、今の今まで自分の詳しい病状を知りもしなかった。曰く、未知の症例だからなのだと。そのため、最新鋭の設備も整っているソゴル本部に預けられたのだし、内部の医療機関と研究部門を行ったり来たりしていた。日常生活を送る中で、治療や検査以外に不便さを感じた事も無かったがゆえに、深く知ろうとも思わなかった。それ以上に、本をはじめとした知識に興味が向いていたと言えばそうなのだが。

 呆然としたまま、アルファの頭の中では目まぐるしく過去の記憶と可能性が交錯する。そうしているうちに、マーゴットの声が思考を破った。

「ほら、これ」

 マーゴットが差し出した携帯の画面には、乳児を抱いている夫婦の姿があった。アルファより少し濃いブラウンの髪の毛をした女性と、眼鏡をかけた穏やかな風貌の男性。二人とも幸福そうな笑顔で、赤ん坊を中心に写っている。写真でしか見たことの無かった、父と母だった。

「アルファちゃんが生まれたちょっと後くらいやろかな。匠子から送られてきたんよ。匠子は初産やったから、当時は心配でメッセージ送りまくっちゃって、それで」

「……」

 白いベビー服を着ている赤ん坊は、紛れもなく自分だ。髪の毛の色も、目の色も、何より、両親を足して割ったような風貌は、こんな幼い時からしっかり見間違えようもないほどだった。


「私も妹が丁度先天性の心臓病でなあ。ほら、ダイアナ叔母さんよ」

「あ~、はいはい」

 マーゴットに話題を振られて、ニコラは写真を見たまま相槌を打つ。

「種類にもよるんやろうけど、ファロー四徴症で。生まれてすぐ保育器に入れられてたもんやから。でも、アルファちゃんそうやないやろ?それに何より、匠子もそんな事何も言いよらんかったけんな。アルファちゃん、運動制限とか根治手術は?」

「無いです。根治手術については聞いていますし、その時の影響で脳膿瘍になって、それでそっちも手術があったみたいで。それくらいです」

「でも息苦しさとかは無い」

「はい」

「具体的な病名とか聞いてる?」

「前例のない珍しいものだからと、病名はありませんでした。だから祖父も、ソゴルの最新鋭の医療に頼らざるを得なかったって」


 受け答えしながらも、アルファの中では急速に疑念が膨れ上がっていた。

 マーゴットの証言からして、先天性である可能性は無いに等しい。もしかすると、匠子が気を使ってマーゴットに告げなかっただけかもしれないとも思ったが、マーゴットの妹の例からしてもこの写真の状態では考えられない。前例のない未知の症例だったなら、尚更だ。

 突如としてわいた疑惑の黒い渦が心を占めていく中、マーゴットが携帯をテーブルに置いたと同時に、アルファは視線をそらしたまま独り言のように呟いた。

「祖父も、ソゴルの人達も、皆先天性だと言っていました。だから私も何も疑問に思った事が無くて。なんでそんな嘘を……」

 あからさまに動揺しているアルファを気にしてか、マーゴットは困ったような笑みを向ける。

「もしかしたら、匠子は知らんかっただけかもしれんよ。前例のない病気だったなら、かかってた産婦人科でも誰も暫く気付かなかったとか。欧野博士は特に小児医療が専門の研究医だったし、メインの生物工学もあるから特に人体と病についてには造詣が深い筈やん。生まれた当初は症状が無かったけど、定期健診で発覚したんかも」

 それもそうかもしれない。重吉は医学から離れて久しいが、人体に関する最先端の研究に携わっていたのは確かだ。チーム・プロトスの人員は全て生物工学や生理学、医学を専門とする職員で固められている。ドームの維持管理が主な任務なら、さもありなん、だ。

 さておき、そう考えるのなら凡そは納得がいった。それでも何か違和感が拭えない中、ニコラがぽつりと呟いた。


「もしかして、エージェントの能力が発現する引き金になるもんなんじゃね」

 アルファは驚いてニコラを見る。ニコラは訝し気な表情でアルファに目を向け、考え込むように首を傾げた。

「あたしもエージェントの能力が発現する前、なんかよくわかんない病気で暫く通院してたからさ」

「あんたは自律神経失調症やろ」

「でも結局よくわかんなかったから、って言ってたじゃん。通院も一か月くらいで終わったし」

 ニコラは眉根を寄せたまま、ショートブレッドを一つ掴んで雑に口へ押し込んだ。

「でもアルファちゃんの能力が発現したのは近頃や」

 マーゴットに突っ込まれ、ニコラは益々眉間の皺を深くしながらざくざく音を立てて咀嚼している。考えこむと大体甘い固形物を口にしたがるのはニコラの癖のようだった。


「……『封じています』って」

 ぽつり、とアルファは無意識に呟いた。

 今朝見た夢、一番古い記憶が断片的に蘇る。確かにあの時シグマは「記憶の箱の領域は封じています」と重吉に言っていた。そして、エージェントの中でも特殊な能力を、まるで封じるかのようだったガントレット。ジョージが言い残した「ピトス」。ピトスもまた入れ物で、長らく「箱」と勘違いされていたものだ。箱もまたパンドラというコードネームとも符合する。そして英生が言った「未知のもの」という定義さえも。ニコラの直観的な指摘が、これまでの仮説の中で一番違和感なく全てを繋げる。

 どういう事?と、言いたげなマーゴットとニコラの視線に気付いて、アルファはその記憶の件を更に詳細に語って聞かせた。アウルライトの言葉についてだけ話していたが、今度はその全てを。覚えている限り。


「Owllight。何とも詩的、かつ意味深な言葉だねえ」

 芝居がかった声の主は、キャサリンだった。これだけ横でやいやい話していれば、さすがに気も散っただろう。が、キャサリンは興味津々な様子で、不敵な笑みを浮かべてこちらを向いていた。

「Twilightとほぼ同義。だけどトワイライトが夕暮れも明け方も示すのに対して、アウルライトは基本的に夜の訪れ。薄明かり、或いは不吉な前兆として使う事が多かった。今は神秘的な意味合いの方が強いけどね」

「そうですね……文学的なところだと……」

 アルファは愕然とした表情でキャサリンに向き直った。語の意味は知っていた。しかしあの記憶の中、取り分け核心部分を知っていそうなシグマの専門分野が物理や工学など凡そ科学に関するものであるため、てっきりその方面の専門用語だと思っていた。けれどもしそれが未知の病の名前、或いは仮称であったのなら、そう名付けたからには大元の語としての意味からとられたはずだ。

「じゃあ。じゃあもしかして、あの言葉も、変わった能力が人に発現し始めた事。いや、私の力の発現を封じた筈なのに封じきれなかった事を指していたのかな……」

「あの言葉って?」

「かくてゼウスの御心からは逃れ難し」

「ヘシオドス」

 キャサリンはニヤリと笑って即答した。何かまた別の推論が見つかるのではないか。さすがにジョージに関する話題は避けつつ、アルファは関連するこれまでの話を大まかに語った。


「これはあくまで想像なんだけど」

 そう言いおいて、キャサリンはソファの上で軽く胡坐を組み、半ば身を乗り出しつつ身体ごとこちらへ向けた。

「たとえばちょっと変わった病気みたいな兆候が出て、それがエージェントの特殊能力の前触れだとする。能力持ちが現れたのって、『青の終焉』以来だよね。科学的なところはよくわかんないんだけど、それはもしかすると、新しい環境に適応するための人類の進化の一形態なのかもしれない。でもそれが進化なのかどうなのかわからない。ニコラのはさておき、アルファのは特にソゴルでもよくわからなかったし強力だった。だから研究に年月を要したし、封じる手立てを考えて封じて、隠そうとした。勿論、たぶんそれはアルファのためだった」

 アルファは黙って小さく頷いた。一般的なエージェントの力は、犯罪に使われるような悪意を持った人間が持ったとしても、まだ防ぎようがある。けれどアルファの妙な力は、アルファでさえも恐ろしさを感じた。あのソムニウム基地での一件からしても、暴走したら多少の被害では済まないだろう。現にエージェントの強靭さを持つニコラにも、軽傷とはいえ怪我をさせてしまったのだから。

 キャサリンは続ける。

「そう考えると、ソゴルの中枢部の人達がひた隠しにするのも大体合点は行くよね。だからたぶん、今後も何も教えてくれたりはしないと思う。ヘシオドスの引用も、力及ばずの悔恨みたいなものなのかもね」

 そう言うと目を閉じ、少しまた芝居がかった様子で苦笑しながら首を傾げて見せた。

「ここからはもっと邪推。エオースがチーム・プロトスにあるのももしかして、チーム・プロトスってところの研究内容の核心は、その人類の進化をどうするか模索する事にあるのかもしれない」

「祖父が――じいちゃんがソゴルに戻ったのも私の事があってからだったから……。止めようとしているのかもしれないですね」

 アルファは何とも言えない表情で少しだけ笑った。あの日の重吉の様子。やり残した事。それもこれも。


 思わぬ仮説に帰結したところで、部屋は穏やかな沈黙に包まれた。裏手の小さな森の木々が揺れ、葉のこすれ合う音と小鳥の声だけが微かに聞こえる。いつの間にか時計の針は十二時を指していた。リビングに差し込む光が強くなったその時、奥の寝床で大人しく眠っていた筈の犬が急にチャッチャッと軽い足取りでこちらにやってきた。狐のような尻尾が左右に振られ、玄関ドアの錠が解除された音で確信に変わった所で、犬が嬉しそうに鳴いた。

「ただいま。……おぉ、すまんすまん、散歩行こうな~~」

「おかえり~」

 犬の歓迎を受けて猫なで声になった男性の声の方に、キャサリンとマーゴットが揃って声をかける。どうやらニコラの父、デヴィッドが帰宅したらしい。

「今日の買い出し当番」

 ニコラは一人相変わらずの様子で見向きもせず、冷めたお茶を一気にあおった。が、一向に姿は見えず、玄関で何やら話し声が聞こえた。どうやら一人ではなく、誰か一緒に居るようだった。そうして漸くリビングに現れたデヴィッドの後ろには、英生の姿が。

 英生の出張は午前中までだった。もしかするとマーゴットから話を聞いた後、ニコラと外に遊びに行くかもしれないと思いつつ一応ニコラ宅へ出かける旨メッセージを送っていた。が、英生もまだアルファがここに居るとは思わなかったようで少しだけ目を丸くしていた。

「スーパーで偶々会ってね。自転車ごと車で送って貰ったんだ」

 デヴィッドはそう言って英生を招き入れる。英生で見慣れているとはいえ、デヴィッドもまたどこぞのモデルか何かと言われても不思議の無い紳士だった。英生が研究者にしてはややワイルドなのに対し、デヴィッドはダンディと言うに相応しい。

「やべえイケオジだ……」

「調子乗るから誉め言葉禁止」

 アルファが思わず苦悩の表情で天を仰ぐと、すかさずニコラが真顔で突っ込んだ。


 思わぬ事態にアルファもすっかり気が抜けて、そろそろ帰ろうかと腰を上げた。聞きたい事は大体聞けたし、英生に聞かせるわけにもいかない。

「一緒に帰ろうか」

「うん」

「いやいや、送って貰った事だしお茶でも……そうだ、良かったら今晩うちで一緒に夕食を」

 英生に言われて帰ろうとしたところ、デヴィッドが慌てて引き止める。とは言われても。二人で思わず顔を見合わせていると、マーゴットも加勢してきた。

「是非!理人君も折角だから呼んで、ね」

 うきうきしているマーゴットをよそに、ニヤニヤこちらを見ているキャサリンに、ニコラは思いっきり顔を顰めてみせた。

「英国風社交辞令の可能性」

「無い。食事に誘うのにそういうのねーから」

「じゃあまた夜来る」

 仏頂面のニコラに苦笑しながら、アルファは理人にメッセージを送っておこうと携帯を取り出した。

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