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終焉のパンドラ  作者: 萩オス
記憶の箱 - Pithos begins to open -
20/21

薄明かりの偽り

アウルライト(owllight)?!」


 ぼんやりとした意識の中、悲壮な重吉の声が聞こえた。自分はストレッチャーか何かに横たわっているようで、視界の大半を白い天井が占めている。天井は、ソゴルのラボで見慣れたものに似ていた。傍らに佇むシグマも重吉も、どちらも少し若い。今と変わらず感情のわからない表情のシグマに対して、重吉はひどく狼狽え、青ざめている。

「記憶の箱の領域は封じています。発現する事は無い筈だ」

 二の句が継げない様子の重吉に、シグマは淡々と答えた。それを受けてもなお、重吉は何を言葉にすればいいのかわからないようで、ただ苦悶の表情を浮かべている。

「尤も――」

 声と共に、シグマの灰色の目がこちらを見下ろした。

「私がどう足掻いたところで、神の意思、いや、人間アルファの意志次第です」



+++



 目を開けると、そこにはいつもの部屋の景色があった。一拍の間をおいて、聞き慣れたアラームメロディが耳に入る。アルファは寝ぼけ眼で携帯のアラームを止め、上体を起こした。少し冷えた部屋の空気が、眠っていた身体を少しずつ覚ましていく。

 机の上の時計は十時を回っていた。カーテンから差し込む冬の陽光が僅かに暖かい。田舎とはいえ一応大通りに面した家だ。時折車の音が聞こえてくる。一方階下から他の音は聞こえない。今日、英生は福岡に出張で、理人は友達と遊びに行くと言っていた。他エリアの進学を考える生徒は理人以外にも少数居る。特に仲のいい元部活仲間は推薦で既に進学が決まっていると言っていた。きっとその子とだろう。

 英生も理人も、休日はアルファが昼過ぎまで惰眠を貪るのを知っている。マキナントの襲来も一段落した今、以前と同じような休日を迎えられるのは有難かった。


 さすがにそろそろ起きるかとアルファがベッドから降りたその時、ふと、鈍い光が目に飛び込んできた。棚の上に放っていた指輪が、カーテンからの光を反射していた。長い間忘れ去っていたそれを手に取り、暫し眺める。埃を被った指輪は、母、匠子の唯一の形見だ。特に高価なわけでもない、素朴な銀の指輪の台座にはラピスラズリが鎮座している。重吉が言うには、アルファが産まれた時に買い求めていたらしい。十二月の誕生石のそれを、いずれアルファに渡すつもりだったのだと。

 子どもは透明でキラキラしたものが好きだ。アルファもご多分に漏れず、そうだった。青は好きな色だが、この不透明な半貴石は、貰った時から嬉しいとは思わなった。それに、アクセサリーをつける趣味もない。なので長い間、ぞんざいに放置し続けていたのだ。


 指輪を棚の上に戻して階下へ降りつつ、先ほどの夢の事を反芻する。夢だった。しかしあれは確かに、幼い頃の記憶でもあった。今まで忘れ去っていたが、重吉の様子と、「アウルライト」という言葉だけは妙にはっきりと覚えている。一番古い記憶でもある。以前重吉に聞いた事もあったが、重吉は、アルファが覚えていた事に動揺していた。だからなのか、やはり何も語ってはくれなかった。ただ困ったような表情で、「病気の治療の事で、少しもめていたんだ」としか言わず。


 顔を洗い、部屋へ戻るとまたついあの指輪に目が行った。と同時に、ニコラの母の事を思い出した。

 ニコラの母は、母の親友だった。ソゴルとは直接関わりこそないが、恐らく重吉の知らない母の側面を知っている筈だ。もしかすると、あの記憶の事も何か知っているかもしれない。そうとなれば善は急げ、ニコラへ連絡しようと携帯を手にした瞬間、そのニコラから着信があった。

『さすがに起きてた』

「はい」

『あんたあんま寝てると目溶けるよ』

「そういう研究結果は聞いた事ないっす」

『今日暇?どっか遊びに行かない』

「ていうか、ニコラの家に行こうと思ってた。ニコラのお母さんに聞きたい事があって」

 そう告げると、ニコラが何やら渋るような声をあげた。

『ママに?居るけど。……ん~まあいいよ、わかった』

「あ、都合悪かったら今度でいいよ」

『いや別に。来たらわかるわ。じゃまた後で』

「?」

 どうも歯切れの悪いニコラの返事に通話を終えて、アルファは支度を始めた。



 ニコラの家は少し古い住宅街の中にあった。その中でも比較的新しい家がそうだ。ちょっとした庭の前には駐車スペースがあり、青いステーションワゴンと、白いセダンタイプの高級車がきれいに収まっている。インターホンを押すと、カメラ応答より先に中から犬の鳴き声と女性の声が聞こえ、中年の女性がドアを開けて現れた。ニコラの母、マーゴットだ。

「あら~~!アルファちゃんいらっしゃい!」

「こんにちはー」

 会うのは高校の入学式以来だろうか。アルファは厳密に言えば特別聴講生であって正式な生徒ではないが、一応入学式には出席した。マーゴットはニコラと同じ薄い金髪をボブに切りそろえて軽く後ろでまとめている。今は大分大学で教職に就いており、それゆえかニコラと違って柔和な雰囲気のある美人だ。そんな明るい雰囲気のマーゴットの後ろで、ニコラはなんとなくやり辛そうな風に仏頂面を浮かべている。上り口で、アルファという新顔の客に飛び跳ねているコーギーを両手で制止させ、うねうね暴れるのを抱えた。

「はいお入り、ちょっと散らかってるけどねえ」

「お邪魔しまーす」

 日本語はアルファの母を通して覚えたからか、それとも土地に馴染んだのか、マーゴットの言葉には地味に方言が混じっている。


 通されたリビングは、比喩なく見事に散らかっていた。正確に言えば、テーブルからソファの周りまで、分厚い本が何冊も積まれており、クリップで留められた紙の束も無造作に置かれている。そしてその中心に、二十代ほどの女性が居た。写真でだけ見たことがある、ニコラの姉のキャサリンだ。

「あ、いらっしゃーい」

 キャサリンもまたマーゴットと似た雰囲気で、少し濃い蜂蜜色の髪の毛を無造作にまとめていた。軽く挨拶を交わすと、すぐにまたソファに座り込んで本を片手に何やら書き物を再開した。

「ご覧の通りよ。本の虫襲来」

 ニコラは苦虫をかみつぶしたような表情で、抱えていた犬をリビングの奥に放流した。アルファは積み上げられた本の数々をざっと見る。プラトン、カント、ヒューム。著者名からしてみても、哲学書だらけだ。


「意地でも今年のクリスマス休暇はここに来るっちきかんでね」

 苦笑いしながらマーゴットがお茶を二つとショートブレッドを、キャサリンから離れたところのテーブルの上に置いた。

「休暇中でも凄く勉強するんですね」

 ソファに座りつつ感心した様子でアルファが言うと、マーゴットが肩を竦める。

「ケンブリッジはちょっとシステムが違うんよ。四年制やなくて三年制やし、休暇中も毎週指導教官とやり取りせんと次の学期ついていけんから」

「もしかして、これ全部読むんですか」

「そー。文学から哲学に転向したから基礎無くて」

 同じく苦笑いしながらキャサリンがこちらを一瞥する。と、ふと思い出したように意地悪い表情を浮かべてニコラを見やった。

「あんたも、合格したって三年間この楽し~~い地獄が待ってんだからね」

「はいはい」

 ニコラは生返事しながらアルファの隣に座り、耳打ちする。

「だから外出たかったわけ」

「あ~~……」


「匠子の事で何か聞きたい事があるって?」

 マーゴットもマグカップを手に、アルファとニコラの向かいに座った。アルファはお茶で少し口を湿し、今朝見た夢――一番古い自分の記憶の事を語った。アルファも転向したとはいえ一時は物理学を学んでいた。マーゴットの専門であり、匠子もまた元はそれだ。自分が知らないだけで、二人なら何か知っているかもしれない。アウルライトという言葉に聞き覚えは無いかと、藁にも縋る思いだった。話し終わるとマーゴットは首を傾げ、目を閉じる。

「知らんわあ。おじいちゃん、欧野博士が言ってたんよね?」

 アルファは無言で頷く。

「だとしたら、医学か生物工学の領域かも。物理だと聞いた事無いわ」

「そうですか……。私、先天性の心臓病で、小さい頃脳の病気にもかかってたんですけど、母からも何かそれ関係で聞いていないですか」

 するとマーゴットは急に眉根を寄せてマグカップをテーブルに置いた。


「先天性?……病気だったのは知ってるけど、匠子、先天性とは言いよらんかったけどなあ」

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