その2
フワリと薫る甘い芳香。
重ねられた唇から零れる吐息。
「愛してるわ、四季」
…愛って言葉を知ってる?…
「ずっと何処にいても離れていても…貴方を思っている事よ」
心の中で
文月四季は目を開けると淡く微笑み唇を開いた。
「俺もだよ、霞」
…。
…。
「母を愛しているの、わかった」
けど
「蓮困る、起きる父」
娘の輪廻がジッと正座をして覗き込みながら告げた。
文月四季はカッと目を見開くと身体を起こして輪廻と困ったように座っている土方蓮を驚いた表情を見つめた。
名探偵の紋章
一つ目の依頼を解決して最上級探偵のレベルが2になった蓮はこの称号を作った隣の部屋の住人となった文月四季を訪ねてきていた。
探偵という未知の称号を作ったのだから詳しく知っているだろうと思ってのことである。
四季は愛する女性の夢を見て呟いたことが2人に聞かれたのだと冷や汗を流しつつ
「それで、土方君」
何か話が?
と体裁を取り繕うようにキリッとした表情で聞いた。
蓮は四季の心が手に取るように分かりハハッと笑いながら
「やっぱり文月親子の心が何だろう…直ぐにわかる」
と思いつつ
「実は探偵の紋章についてお聞きしようと思いまして」
と告げた。
「俺は低級事務称号しか取れないダメダメ人間なんだけど」
探偵の称号でもやって行けるように努力しようと思って
四季はそれにふっと笑うと
「一つ君に忠告しておく」
と告げた。
「低級事務称号のダメダメ人間と言う言葉は使わない方が良い」
君はダメダメ人間じゃない
蓮は驚いて
「え!?」
と声を零した。
四季はビシッと指をさすと
「AIがどれほど発達しようと人間の可能性を推し量ることはできない」
それこそAIよりも遥かに優れた脳という思考回路を持つ人間ですら出来ないんだからな
と告げた。
「君の可能性は無限にある」
君さえ諦めず卑下しなければな
輪廻は蓮を見ると
「蓮、ちゃんとレベルアップ、した」
ダメ、じゃない
と笑みを見せた。
蓮は少し考え
「俺は学問の称号のレベルの上がり方も勧められた称号も極極普通の…しかも下の方の称号だったのでダメダメ人間だと思ってきました」
それを急に変えるのは難しいですが
と言い、四季と輪廻の二人を交互に見ると
「やってみようと思います」
と強く告げた。
「それで探偵のレベルを上げるための勉強はどんなのが良いか聞きに来たんですけど」
と言われ、四季は腕を組むと
「…う~ん」
これっ!というものはないな
と答えた。
それに輪廻はムッとすると
「父、ちゃんと答える」
責任、ある
と告げた。
四季はそれを見ると
「おお!」
と驚きつつも
「輪廻はちゃんと表情が出るようになってきたな」
と頭を撫でて
「ちゃんと答えてるぞ」
と言い、蓮を見ると
「君は先の事件を解決したんだったな」
と告げた。
蓮は頷いた。
「はい、偶々アルバイトで作っていた書類の内容に思いつくものがあったので」
四季は指をさして
「それなんだ」
と告げた。
「探偵というのは字のごとくある物事を探り隠されているものが無いかとかを見つけることだ」
事件や事故など依頼された物事の隠された真実を探って見つけること
「だから依頼された内容を知っていないといけないということだ」
…それは一概には言えないだろ?…
蓮はう~んと腕をくみ
「確かにですよね」
鷲尾さんに百科事典を持ってきてもらったのは失敗だったかなぁ
とぼやいた。
四季は「いや」と言葉を続けた。
「多岐にわたる知識を持つことは悪くない」
あと依頼された内容とか状況などを総合的に見て
「どういう情報があれば正確に状況や内容を把握できるかを判断して調べる根気強さかな」
蓮は横に置いていた10インチほどメモパッドを手に取り
「わかりました」
百科事典は取り敢えず読む
とポチポチと言われたことを打ち込んだ。
四季は最後に
「何事も最後は経験の積み重ねが強みになる」
とビシッと告げたのである。
梅雨の合間の快晴。
彼らの頭上では青い空が広がっていた。
その日の午後。
早速、次なる依頼を手に鷲尾惣が蓮の部屋へと姿を見せたのである。
「土方様、依頼がございました」
蓮は部屋の中で百科事典を見ている最中であったがそれを横に置くと
「はい」
と答え
「それで依頼の内容は?」
と聞いた。
鷲尾惣は目を一度閉じて開くと
「はい、依頼は東京新宿区にある会社からオフィスの壁に人影が浮かぶという内容です」
と告げた。
…。
…。
蓮は百科事典の内容を思い出し
「人影…ですか」
幽霊とかかな?
と呟いた。
「どちらにしても現場へ行って人影を見ないとわからないよな」
本当に幽霊ならどうしていいか分からないけど
「まあ出たとこ勝負でいいか」
彼はそう判断すると報告書作成用の10インチくらいのメモパッドと百科事典を鞄に入れて準備を始めた。
隣で医学全書を読んでいた輪廻は
「蓮は称号や自分に対しては凄くダメだとか過小評価なのに父や私の為にロボットに立ち向かったり幽霊とも平気で会おうとしたり豪胆…不思議」
と心で突っ込んだ。
蓮は輪廻を見ると
「輪廻ちゃんはどうする?」
幽霊大丈夫?
と聞いた。
輪廻は頷くと医学全書を置いて
「問題、ない」
幽霊、枯れ芒
「思い込む、幽霊、なるから」
とにこっと笑った。
惣は二人が準備をしている間に依頼主に今からオフィスに向かうことを連絡したのである。
晴れだった空に雲が沸き立ち6月中旬に似合いの梅雨の様相を見せ始めていた。
■■■
東京の新宿は高層ビルが立ち並ぶ大会社のオフィスが密集する場所であった。
蓮は車から降り立つと聳え立つ豪華なビルを見上げ
「…凄い」
どんな人が働いているんだろう
と呟いた。
惣は入口のセキュリティボードに手を翳すと
「5階フロアのスカイルーフ株式会社からの捜査依頼でお伺いした鷲尾惣です」
と告げた。
「最上級探偵の称号を持つ土方蓮と共に話を伺いに来ました」
それに自動ドアが開き
『ようこそお越しくださいました』
新宿セントラルオフィスビルへ
と声が流れた。
蓮は「挨拶付きだ!」と心で叫びドキドキしながら足を進めた。
輪廻は冷静に
「何故、驚く?」
幽霊、驚かない、なのに今驚く
「やっぱり、不思議」
と首を傾げながら蓮と惣の後に付いて中へと入った。
エレベーターで5階へ向かい、降り立つと広々とした廊下に蓮は
「おお」
と声を零した。
「廊下の広さが部屋の広さ」
…。
…。
輪廻は「否定、しない」と心で呟いた。
そして、廊下に添って幾つかある自動ドアの一つの前に立った。
すると中から女性が姿を見せた。
「土方様ですね」
どうぞ
そう言って中へと誘い応接室へと通された。
そこに50代くらいの男性がやってきた。
男性は金田博人と名乗り、称号は最上級経理であった。
「最上級の付く称号をお持ちなのでもっと年配の方かと思ったら」
随分と御若い
蓮はにっこり笑うと
「それでも俺はもう17なので」
と応えながら冷や汗を心でダラダラと流した。
何を隠そう…野良紋章のたまものなのだ。
博人は「いやいや、謙遜を」と言いつつ
「それで依頼の件ですが」
と言葉を続けた。
「このオフィスの事務課の奥の壁なのですがそこに事務課の人間が帰ろうとするとふわりと人影が浮かぶんです」
それで、と言うと両手を組み合わせて
「事務課の女子の間では…幽霊だと言う噂が出て」
この問題をどうすればいいかとシステムに相談したら探偵の称号の土方様に依頼をするように指示を受けまして
と告げた。
蓮は頷いて
「なるほど」
と告げて
「良ければ現場を見せてもらえますか?」
と聞いた。
博人は「ぜひ」と立ち上がった。
蓮も輪廻も惣も立ち上がって彼の後に付いて歩いた。
スカイルーフはそれぞれの部署を仕切りで分けて一番奥が事務課の場所であった。
フロアの中央の通路を抜けて蓮と輪廻と惣は事務課の部屋へと入った。
作業机が8席あり窓側に課長の席があった。
つまり事務課は最大9人体制ということだ。
座っている8人に蓮は会釈をして博人に
「それで人影が浮かぶ壁というのは?」
と聞いた。
博人は苦い笑みを浮かべるとそっと左手の壁を示した。
それに座っていた一人の青年が席を立つと
「もしかして、壁の幽霊を調べに来たんですか?」
探偵とかいう称号の人?
と聞いた。
それに同じ課の女性がギョッと青年を見た。
蓮は笑みを浮かべ
「はい、壁の件で依頼を受けたので」
と答え
「皆さんは見られたのですか?」
と聞いた。
「良ければ状況等をお聞きしたのですが」
呼びかけに課長と2人の女性は視線を交わし沈黙を守ったが、残りの女性は頷いて
「お願いします」
「ぜひぜひ」
などと答えた。
蓮は博人を見て
「では、まだ終業まで時間があるので順に、お聞きしても良いですか?」
と聞いた。
博人は頷いて
「では、応接室に一人ずつ行くように指示します」
と告げた。
蓮はその前に壁の前に立ち
「この壁に…人影か」
とそっと触れて指先を見ると隣に立った輪廻に
「怖い?」
と聞いた。
輪廻は首を振り
「問題、ない」
と蓮を見た。
蓮は苦笑して
「怖くないんだ」
と呟いた。
2人はその後に応接室へ戻って話を聞く準備を整えた。
蓮は応接室の壁に触れ
「んー」
きっと同じ素材の壁なんだろうなぁ
「でないとあそこだけ違う素材にするってないよな」
と指先を見てハンカチで拭いた。
そして、メモパッドを手に最初に入ってきた課長を見た。
課長は鈴木一郎と言い上級事務の称号を持つ男性であった。
「私は幽霊とか信じていないので」
きっと何かが反射したんだと思うので態々調べていただく必要はないかと思っています
そう答えた。
蓮はメモに取りながら
「なるほど」
と答え
「では壁に浮かぶ何かは見ていないということですか」
と告げた。
課長は視線を逸らせると
「いえ、見たのは見ましたが…だから何かが反射して偶々人影のように見えているだけだと思います」
と答えた。
蓮は頷いて
「わかりました」
と答えた。
二番目は先程最初に立った青年であった。
青年の名前は睦月青夜と言い初級事務の称号を持つ事務課では下位の人間であった。
ぱっちりとした目にくりっとしたくせ毛の端正な顔立ちの青年で蓮と輪廻の前に座ると
「あの、俺は見ました」
と告げた。
「俺はまだ17なので高校で学問のレベリングをしながらここでアルバイトをして初級事務のレベルを上げているんですけど」
結構残業が多くて
「その分、レベリングになるんじゃないかなぁと思って頑張っているんですが」
3日前くらいに鈴木課長と最終まで残って帰ろうと事務所の電気を消した途端に俺の席の後ろの壁にファアと青白い人影が
こわっマジやべと震えながら告げた。
蓮は「おお」と声を零すと
「俺と同じ年だ!」
と言い
「しかも、初級事務の称号ってすげぇ!」
と立って指をさした。
…。
…。
「ん?」
青夜は首を傾げて蓮を見た。
蓮は「あ」と言うと「俺の方がマジやばだ」と心で突っ込んだ。
輪廻は蓮の裾を引っ張ると
「蓮、落ち着く」
話、聞く
と告げた。
蓮は慌てて
「そうだよな」
と座り直し、メモパッドを手に
「つまり、課長と共に睦月さんも見たということですね」
と仕切り直した。
青夜も一瞬「俺幻を見た?」と首を傾げながら
「あ、はい」
多分全員見ていると思います
と言い
「あの人影…前に事務課にいた人と似ている気がするんだよなぁ」
とぼやいた。
蓮はそれに
「前に事務課にいた人?」
もしかして20歳の最終称号で辞められた人ですか?
と聞いた。
青夜は笑いながら
「いや、俺の気にしすぎなんで余り気にしないでください」
と言い
「その女性の人は22歳だったので最終称号の選択は終わっていました」
と答えた。
蓮は驚いて
「え!?」
と言うと
「事務称号のレベリングのこともあるし途中で辞めるとレベリングでのペナルティが発生するので余り辞めるとか聞かないですよね」
と告げた。
青夜は慌てて
「いや…その…俺は詳しくは…他の人に聞いてください」
噂で不正とか色々聞いたんですけど
「アルバイトの俺の口からは」
と答え立ち上がると
「その、もう良いですか?」
と逃げるように立ち去った。
蓮はメモパッドに先の女性のことを書き
「ん~」
と声を零した。
輪廻は蓮を見ると
「どうかした?」
と聞いた。
惣は状況を見ながら静寂を保っていた。
蓮はにっこり笑うと
「取り敢えず話を聞いていこうか」
と言うと次々と聴取を続けた。
三人目は初級事務の称号を持つ佐藤玉子であった。
彼女は座るなり
「私見ました」
もう怖くて怖くて
と言い
「きっと佐久間明日海さんの幽霊ですよ!」
そう噂も聞きますし
「私の席の後ろだから…席を変えて欲しい!って思うんですけど誰もなりたがらないから」
モー辛いです!
と泣きながら告げた。
蓮は彼女の迫力に押さえれながら
「その、佐久間明日海さんっていうのはもしかして22歳の会社を辞めた女性の方ですか?」
と聞いた。
玉子は目を見開くと
「違います!」
でもその彼女です!
と指をさした。
「彼女は死んだんです」
蓮は目をパッと見開き
「死んだ?」
どういう?
と聞いた。
事故なのか。
自殺なのか。
何故死んだのか?
そう言うことであった。
玉子はう~と唸りながら急に小声になると
「そのこれは噂なんですけど」
私が言ったって課長には言わないで下さいよ
「私が最初に言ったわけじゃないので」
噂を聞いただけなので
と言い
「出社してこなくなって課長がシステムに報告したら部屋で死んでいるのが見つかったそうなんです」
と告げた。
「その…これも噂なので…本当に私が言ったって言わないでくださいね」
でもその
「この会社の称号レベル報告に不正があるんじゃないかって話で」
彼女もその事に疑惑を持っていたって話で
それに蓮は「え?」と目を見開いた。
彼女は慌てて
「わ、私が、じゃないですよ?」
でも仕事しないで給湯室とかでさぼっている柿崎さんがレベル上がってるのに
「私とか~他にも何人か上りが悪いよね~って話はあるんです」
と告げた。
「佐久間さんもその一人で悩んでいたみたいでこのままここでいても良いのかとか…私とか田中さんとか三井さんとか他の子は女の子同士で辞めるとペナルティ怖いしとか愚痴を言い合って紛らわせていたんですけど」
蓮はメモを取りながら
「なるほど」
と答えた。
その話は次の田中ゆかりに関しても三井麗奈に関しても言葉は違っても同じような情報であった。
そして彼女たち全員がその人影を見て佐久間明日海じゃないかと思っていたということであった。
ただ、柿崎瑞恵はあっさりと
「私も見ましたけど関係ありません」
と開口一番に告げた。
蓮は「ん?」と首を傾げ
「関係ないというのはどういうことですか?」
と聞いた。
瑞恵は怒ったように
「どうせ、私と課長が何かして彼女が恨んで出てきているって言っているんでしょ?」
私のレベルが上がるのが早いので羨んでいる人たちの陰口よね
「確かに見ましたけど何かが反射してそんな風に見えているだけでしょ?」
関係のない私には人影には見えませんけどね
と告げた。
蓮は「そうなんですか」と告げ、メモを取った。
「それと一つお聞きしたいのですが」
彼女が恨んで…というのは?
瑞恵は顔を顰め
「あら!?佐久間明日海よ」
みんなから聞いているんでしょ?
「彼女が鈴木課長がみんなの仕事の成果の一部を私に転嫁して報告しているんじゃないかって疑って言ってきたことよ」
私と課長が会社後に会ってセックスしているんじゃないかとかね
と告げた。
「みんな私たちに分かってないと思っているけど彼女たちの噂を教えてくれる子がいるの」
まったく根も葉もない噂を言われて迷惑するわ
蓮は少し考え
「わかりました」
と答えると
「聴取にお付き合いありがとうございました」
そう言って柿崎瑞恵を送り出した。
輪廻は考えながら
「分からない」
みんな、ちぐはぐ
と告げた。
蓮はそれに笑むと
「整理すれば分かるよ」
と答えた。
「恐らくこの件には裏で情報を操っている人がいるんだと思う」
上手く立ち回って
「幽霊はその呼び水だったのかも」
輪廻は蓮を見て
「そう、なの?」
と首を傾げた。
蓮は頷いて
「これは俺の勘だけどね」
柿崎瑞恵と課長、そして他の女性たちと睦月青夜と大別したら4パターンで話しが触れながら少しずつ違うから
と告げ、メモパッドに話を整理し始めた。
「本当にシステム報告に不正があったのかどうか」
「柿崎瑞恵と課長の関係」
「佐久間明日海の死」
「最後はやっぱり幽霊の正体だね」
蓮は後ろで黙って座っていた惣を見ると
「二つ頼みたいことがあるんだけど」
と告げた。
惣は一度目を閉じて開くと
「はい」
と答えた。
蓮はメモパッドを見ながら
「調べられる範囲で良いから」
佐久間明日海の死亡日時と死の状況
「もう一つはこの会社の事務称号の報告内容を」
と告げた。
「システムの情報だから…無理だったら仕方ないから他から探るしかないけど」
惣は目を一度閉じて開き立ち上がると
「かなりインセンティブな内容なので許可が下りるか…少しお時間をいただきます」
と答えた。
蓮は頷いて
「ありがとう」
と答え、立ち上がると応接室の窓から外を見つめた。
「事務の称号のレベル報告に不正か」
有り得ないと思ってた
輪廻は蓮を見て
「私、手術する、レベル、あがる」
それ以外、知らない
と告げた。
蓮はそれに頷いて
「基本は事務も一緒だよ」
と答え
「ただ作る書類の種類によってランクがあって、低いランクの書類なら10枚作らないと高いランクの書類1枚と同等にならないとかあるんだ」
それは13歳の低級事務称号を受ける時に簡単な説明を聞いて知っていたけど
「どのランクを何枚作ったかは松本商会でも自分の上の課長とかで最上級事務の称号を持つ人だけがシステムに報告できる権限があるんだ」
俺もどう報告されていたか考えたことなかったけど
とぼやいた。
「でもレベルが生活水準に直結するから…ポンポン上がるに越したことはないけどね」
それによって生活使用認可金額が高くなるし住む場所の指定も広がるし
今まで当たり前に疑いすらしていなかったことがこんな形で疑問を呈して来るとは蓮は想像もできなかった。
だが、深く考えれば有り得ない話ではなかったのだ。
ただ…そうただ。
いつの間にか何の保証もないのに不正などないと思い込んでいたのである。
南を渡っていた太陽はゆっくりと西へと傾き夜へと向かっていた。
暫くして惣が戻り、幾つかの書類を蓮に渡した。
蓮はそれを見ると
「…これは」
と小さく呟いた。
赤い夕刻が過ぎ去りスカイルーフから気を利かせて現象を確認する為に応接室で待機していた蓮と輪廻の元に夜食が用意された。
豪華な弁当であった。
蓮はそれを見ると
「凄い、豪華だ」
と言いつつ口に運び、時計を見ると
「夜の7時か」
終業時間は6時だから
「残業があったと仮定しても早い時間ではないよね」
と告げてお弁当に両手を合わせて
「ご馳走様」
と言うと応接室の扉を開き隣のフロアで書類を作成していた金田博人に声をかけた。
「そろそろ、実際の幽霊を見に行こうと思います」
事務課の皆さんは?
金田博人は手を止めて
「あ、ええ」
今日は全員残っていると思います
と告げた。
蓮は「あ、そうなんですか」と言い
「取り敢えず事務課の部屋へ行ってもいいですか?」
と聞いた。
博人は立ち上がると
「もちろんです」
是非お願いします
と歩き出した。
事務課では全員がソワソワとして落ち着きがなく蓮と輪廻が博人に付き添われてはいるとハッと三人を見た。
蓮は笑むと
「すみません、皆さん」
作業が残っているなら一度帰宅状態に机の上をしてください
と呼びかけた。
博人は事務課長の鈴木一郎を見て
「そのように」
と告げた。
鈴木一郎は頷くと
「じゃあ、指示通りに」
と言い、自らの机も片して全員で部屋を出た。
蓮は全員が出たのを確認すると青夜を見ると
「悪いけど、幽霊を見るの付き合ってくれる?」
とにこっとした。
「幽霊だったら一人よりは二人だし」
青夜は目を見開くと
「え?」
と声を零して戸惑いつつ
「あ、ああ」
いいけど
と蓮と共に中へと入った。
蓮は輪廻に
「輪廻ちゃんは鷲尾さんと待っていてくれるかな?」
と扉を閉めた。
中へ入り蓮は一人一人の机を見て回った。
青夜は怪訝そうに蓮を見て
「あの、電気を消さないのですか?」
幽霊は何時も電気を消したら現れるので
と告げた。
「電気を消さなかったら」
蓮は笑んで振り向くと
「消さなかったら出ない?」
と告げた。
青夜は目を見開いて蓮を見た。
蓮は彼を見つめ
「貴方と佐久間明日海さんの関係は…なんなんですか?」
と聞いた。
「彼女の死の真相の為にこんな手の込んだことをしたんだよね?」
青夜は驚きながら
「何故?」
と聞いた。
蓮は壁に向かって歩きその正面の青夜の机を見た。
「調べさせてもらってもいいですか?」
ブラックライト…置いているんじゃないんですか?
「ルミノール溶液が壁に塗られているんですよね?」
青夜は大きく天を仰ぐと
「どうしてわかったんですか?」
と聞いた。
蓮は笑みを浮かべると
「俺が探偵の称号を持っているのを言う前に君は俺が探偵という称号を持っていることを知っていた」
変だと思って
と告げた。
「普通はシステムから紹介があって初めて俺が探偵の称号を持っていることを知るからどこで知ったんだろうかと思ってね」
前に依頼を受けたマンションの隣の部屋の住人だったんだね
青夜は肩を竦めて笑った。
「なるほど、細かいところに気が付くんだ」
蓮は首を振ると
「俺がそうだから気付いただけ」
と言い
「それで考えたんだけど」
佐久間明日海さんの死は極々普通に処理されていた
「それはおかしくはないよね」
なのに何故わざわざ?
と聞いた。
青夜はそれに真っ直ぐ蓮を見ると
「俺は彼女が好きだとか嫌いだとか思っていたわけじゃない」
と言い
「だけど同じ職場で彼女とは会話をしたり話をしてきた」
彼女が事務レベリングに付いて不信を持っていたのは本当だ
「俺もおかしいと思っていた」
何時も給湯室でサボって仕事をしていない柿崎が事務レベル上がっているのに
「一生懸命仕事をしている彼女や俺、いや、三井さんや他の人たちのレベルの上りが遅いのは全員口に出さなかったけど感じていた」
と告げた。
それについて蓮は頷いた。
「みんなそう言っていた」
青夜は「それであの日」と言うと
「彼女が帰る前に俺に」
課長と柿崎が彼女の家に入っていくのを見たって
「レベル報告の出来る課長が不正をしているんじゃないか聞いてみると言っていて翌日に彼女は死んでいた」
と告げた。
「俺は直感で課長か柿崎かが佐久間さんに何かしたんだと思ったけど」
どうしていいのか分からなくて
「システムに相談しても『佐久間明日海の死亡処理は終わってます』しか返らなかった」
それで俺は分かった
「システムは誰がどう亡くなったかなんて考えることが無くて『死んだ』か『死んでいないか』だけなんだって」
蓮は大きく目を見開いた。
青夜は拳を握りしめると
「自分の利益の為に人を死なせてもそのままのうのうと生きていくだけになる」
彼女が可愛そうだと思った
と蓮を見た。
「だけど、隣の部屋の不思議な現象を貴方が…探偵という称号の人間が解決したと知り…怪奇現象が起きれば…彼女の幽霊が現れたとなれば気付いてもらえるかもと思ったんだ」
今まで探偵なんて称号を聞いたこともなかったから
「俺は期待したんだ」
蓮は青夜を見て静かに笑むと
「凄いな」
と呟いた。
そう、自分はそんなこと疑問にすら思わなかった。
死はどんな形であっても死と言う事象だけの捉え方しかなかった。
誰が何処でどんな風に死のうと気にすらしなかった。
だけど。
あの文月親子と出会った時にもし自分が殺されていたらどんなに無念だったか。
文月四季も。
文月輪廻も。
有無を言わされず殺されて無念を感じないわけがない。
だけど、このままだったら…それで終わりなのだ。
殺した相手はそのまま同じことを繰り返して己の利益の為に生きていくのだ。
誰かの未来を奪ったという感覚すらなく。
当り前の。
極普通のこととして。
…それは…
「俺は良いことだと思わない」
蓮は青夜に笑みを向けて
「佐久間明日海さんの件…ちゃんと事実を明らかにして」
システム報告不正があったらそれも明らかにします
と告げた。
「その前に幽霊の件…きっちりケリをつけましょう」
これも仕事なので
青夜は頷いた。
蓮は扉を開けると全員が不思議そうに部屋の戸口の前に立つのを見て
「幽霊は壁に塗られたルミノール溶液とブラックライトが引き起こした現象です」
と部屋の電気を消すように鷲尾惣に指示した。
電気が消えて暗くなると壁にふわりと青い絵が浮かび上がった。
輪廻は蓮の服を掴み
「ルミノール、血液」
反応、青い光放つ、それ?
と見た。
蓮は頷いて
「それ」
と答えた。
「ただ時間が経つと弱まるけれどブラックライトを当てることで再び反応を起こすことが出来るんだ」
青夜はそれに
「それをしたのは俺だ」
と答えた。
柿崎瑞穂は腕を組むと
「なんて人騒がせなことを!」
と吐き捨てた。
課長の鈴木一郎もまた
「これはシステムにかなりのペナルティをつけて報告させてもらう」
称号のランク落ちもあり得ると思ってくれ
と告げた。
蓮は頷き
「ですね」
と言い
「後、鈴木課長」
貴方がシステムにしたレベル報告について数年分をデータとして取り寄せました
「これを元に不正があったかなかったかを調べさせてもらいます」
と告げた。
「サラッと見させてもらいましたが柿崎さんの処理難易度と枚数が高く、他の方の処理枚数より頭一つ抜けていました」
他の方の話とはかなり違っているのでシステムを介して蓄積されたファイルの付加データで作成者IDを照合処理していけば自ずと事実が出てきます
「不正報告のペナルティについては彼の比ではありませんから」
鈴木一郎は蒼褪めると
「ま、待ってくれ」
いや、それは
「彼女に頼まれてだな」
と言い繕いかけた。
柿崎瑞穂は慌てて
「何を言っているの!」
自分はレベル報告する立場だから何でもできるって言ったからじゃない!
「私は頼んだわけじゃないわよ」
ええ頼んでないわ
「出来るっていうからやってもらったら嬉しいって言っただけだわ!」
と怒鳴った。
蓮は冷静に
「後、佐久間明日海さんの死の真相についても調べますので」
一般道路監視カメラや治安カメラを調べれば自ずとわかってくると思います
「自分たちがしたことをゆっくり考えて反省しておいてください」
と言い鷲尾惣を見ると
「あ、電気付けてください」
と告げた。
その明かりの下ではがっくりと座り込む鈴木一郎と柿崎瑞穂の姿があった。
蓮はビルの駐車場に行くと車に乗り込みながら不思議そうに見ている輪廻を見た。
「どうかした?」
輪廻は蓮に
「本当、わかる?」
と聞いた。
蓮は頷くと
「不正についても、佐久間明日海さんの死についても分かるよ」
と告げた。
「事務をしていたから分かるんだけど作成した書類ファイルには最初に作った日付けと作った人物のIDと更新日時が付属で情報として付いているんだ」
それで書類ファイルは必ず1年は保管されているからそのデータを落として集計していけば結果は出る
「それに佐久間明日海さんがもしあの二人に殺されていたら近隣に死亡時刻前後に二人の姿が写っていると思う」
今はまだ…誰かが誰かを殺したとしても誰も何も感知しないから
「きっとその辺りに気を使ってないと思うよ」
そして、後部座席に座って
「鷲尾さんお願いがあります」
と言葉を続けた。
鷲尾惣はそれに
「…睦月青夜ですか」
かしこまりました
と一度目を閉じて開くと
「称号レベル3になりました」
と言い
「彼の件はシステムに申請しますので結果はお待ちください」
と返した。
蓮はそっと手を握りしめる輪廻に微笑み走り出した車の中で目を細めた。
何かが。
どこかが。
おかしいと感じ始める蓮であった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。