怪奇現象の謎
称号のレベルはシステムが認識した仕事の処理具合から経験値が入りレベルが上がる仕組みとなっている。
これまでしていた『金田商店』の事務の仕事もシステムが斡旋してきた幾つかの仕事の一つであった。
しかし探偵の紋章を受けた翌日に『金田商店』へ出向くとシステムから仕事の解除の指示が入り代わりの事務の称号の人間が面接に来ていて…蓮は暗黙の内に首になっていた。
そして、鷲尾惣が訪れ探偵の仕事が今与えられたのである。
名探偵の紋章 ~Coat Of arms of Detective~
早坂さなは両手を組み合わせながら
「私の住まいは東京の世田谷にあるのですが5日前くらいから毎日夜の8時頃になると耳鳴りがしてグラスが割れたりするんです」
と告げた。
「勿論、私は触ったりしていないんですよ?」
なのに急にパリンって
「意味が分からなくて怖くて」
蓮は「なるほど」と答え、立ち上がると
「では早坂さんの家へお邪魔して8時にその現象を見させてもらってもいいですか?」
と聞いた。
「報告書を作成するテンプレは『記書き』『状況説明』『主旨』『詳細』『所見』とあって今のお話だと状況説明と主旨は作れます」
詳細は実地検証でそれを実際に見た後で所見となる
「なので実際に現場を見たいと思います」
輪廻は驚いたように蓮を見た。
鷲尾惣は早坂さなに
「早坂様、宜しいでしょうか?」
と聞いた。
彼女は頷き
「ええ!是非」
と答えた。
蓮はフンッと気合を入れると
「では」
家に案内してください
と告げた。
そして、惣を見ると
「鷲尾さん、すみませんがノートパソコンを用意してください」
時間があるのでその間に報告書の作れる範囲で入力を始めます
と告げた。
惣は頷き
「かしこまりました」
と答えた。
蓮と輪廻は惣の運転する車で早坂さなの自宅へと向かった。
そこは蓮がずっと憧れるように見ていた大都市東京の一角にあったのである。
早坂さなの家は世田谷の東急世田谷線の三軒茶屋の駅の側にあった。
24階建てのマンションの3階の一番端の部屋で南に向いた窓からは明るい陽光が広々としたリビングダイニングへと射し込んでいた。
部屋は一つの1LDK。
蓮は部屋に入ると「おお!」と声を上げた。
対面キッチンに木製の品の良いテーブルとイス。
壁に備え付けられている棚には綺麗なグラスとカップなど陶器の人形などが置かれていた。
蓮が住んでいるアパートと全てが違っていた。
蓮はさなを見ると
「すみません、じゃあ8時まで報告書を作っています」
良いですか?
と告げた。
さなは頷いて
「は、はい」
と言い
「テーブルの上でどうぞ」
と勧めた。
蓮は惣からパソコンを受け取り、書類を作り始めた。
輪廻は隣に座りジッと蓮の横顔を見つめた。
報告書には状況説明と主旨。
依頼者。
依頼日。
発生時間。
発生場所。
発生内容。
主旨にはグラスが8時に割れる原因の究明である。
それらを打ち、蓮は時計を見た。
19時59分。
惣は目を一度閉じて開けると
「土方様、そろそろ」
と告げた。
蓮は頷き手を止めて周囲を見回した。
柱のデジタル時計が20時を示すと同時にキーンと耳鳴りのような音が響いた。
同時に小さく棚の中のグラスが揺れ始めるとパンッと一つ割れたのである。
さなは耳を塞ぐとその場に座り込んだ。
「こ、これです!」
これ!!
怪奇現象である。
輪廻も驚いてそっと蓮の服の端を掴んだ。
蓮はそっと輪廻の頭を優しく撫でて引き寄せた。
「大丈夫」
そう笑顔で言い
「そうかなぁ、と思ったけど」
やっぱり
と呟いた。
惣は蓮を見ると
「土方様?」
と問いかけた。
蓮は腕を組むと
「問題はこのハウリングが何処から発しているかだよね」
と周囲を見回した。
「これは恐らく共鳴振動だよ」
輪廻は顔をあげて
「共鳴振動?」
と聞いた。
蓮は頷いて
「そう、前に金田商店の商品が搬送中に壊れてしまうというトラブルがあってそれがその商品が箱の中で搬送中の揺れで共振して壊れていたんだ」
その報告書を作って
「その時に共鳴振動とかのことを知ったってこと」
と告げた。
「物には固有振動数があってそれにあった周波数を外部から受けると共鳴して小さなエネルギーでも大きな動きに変換する」
声でグラスが割れるとか…あるからね
惣は目を閉じて暫く立ち、やがて目を開けると
「キーンという空気の振動が割れたグラスの固有振動数に合致したということですね?」
と告げた。
蓮は「可能性としてね」と言い、さなを見ると
「あの割れたグラスは同じもの…とか?」
と聞いた。
さなは恐る恐る顔をあげて立ち上がりながら割れたグラスを見て少し考え
「え、ええ」
確かにそうです
「セットで取り寄せた同じグラスです」
と答えた。
蓮は周囲を見回し
「ハウリングは止まったけど…最大の問題は音源だね」
と呟いた。
「それが何処から響いているか調べて止めない限り同じことは起きる」
輪廻は蓮を見ると
「どする、の?」
と聞いた。
蓮は惣を見ると
「低周波探知器を用意できますか?」
と言いながら
してもらった方が良いかなぁ
とう~んと悩んだ。
惣は目を閉じて開くと
「可能です」
しかし明日の正午までお待ちください
と告げた。
蓮は「おお」と
「早い」
と驚き
「じゃあ、取り敢えずそれの手配をお願いします」
と告げた。
同時にさなに
「あの、この辺りで8時に何か始めるということはありませんか?」
と告げた。
「8時と決まっているので8時にその周波数が広がる変化があると思います」
さなは困ったように顔をしかめながら
「そうね」
8時と言うと
「う~ん、わからないわ」
と呟いた。
確かに広域放送が流れてもいなかった。
極々普通の夜である。
蓮は立ち上がると
「先ず、両隣と上下の人に聞いてきます」
と踵を返した。
輪廻を見ると
「行こうか」
と手を差し出して告げた。
輪廻は差し出された手を見て
「…はい」
とキュッと握りしめた。
蓮は惣を見ると
「鷲尾さんはどうします?」
と聞いた。
惣はピクリとも動かず
「…」
沈黙を守った。
蓮はそれに首を傾げ
「一緒に行かれるならどうぞ」
ここに残るなら残っておいてください
と言い直した。
惣は目を閉じると開けて
「一緒に行きます」
と答え、早坂さなの部屋を出た。
蓮は左隣の部屋へ行きインターフォンを押した。
だが、応答がなかった。
蓮は「いないのか?」と呟き、右隣の部屋へと行き同じようにインターフォンを押した。
すると女性の声が返った。
「ご用件は何ですか?」
蓮はそれに
「あの、5日前くらいから8時に何かされていませんか?」
と聞いた。
惣が横から
「紋章保持者の指示です」
応えてください
と告げた。
直ぐに戸が開き50代くらいの女性が姿を見せると
「8時ですか?」
と聞き返し
「映像を流しながらゆったりとしている時間ですけど」
見始めているのは7時くらいからですし
「もうずっと前からなので」
5日前から8時に特別始めたことはありませんけど
と告げた。
蓮は頷き
「ありがとうございます」
またお聞きするかもしれませんがよろしくお願いします
と答え、今度は上の階の人物を訪ねた。
が、上の階の住人も下の階の住人も5日前から8時に始めたことは何もなかったのである。
蓮はふぅと息を吐き出し
「…仕方がない、明日低周波検知器を用意して調べるしかないか」
と言い
「最後にもう一度だけ左の部屋の人が帰っていないか調べてからにしよう」
と左隣の部屋を訪ねた。
蓮はインターフォンを押し固唾を飲み込んだ。
瞬間に声が返った。
「なにか?」
蓮は声に目を見開くと
「探偵の称号を持つ土方というものです」
と答え
「隣でトラブルがありその原因究明のためにお聞きしたいことがあります」
と告げた。
横から惣が
「紋章保持者の指示です」
と告げた。
一人の男性がバスタオルで頭を拭きながら姿を見せ
「あの、何をお聞きになりたいのですか?」
と聞いた。
蓮は男性を見て
「もしかして風呂に入られていたのですか?」
と聞いた。
男性は頷いて
「ええ」
と答えた。
蓮は「だから出なかったんだ」と心で呟くと
「5日ぐらい前から8時に何かしている事とかありませんか?」
と聞いた。
男性は「は?」と首を傾げて
「いや、8時と言うと俺が帰って来る少し前の時間だからなぁ」
と呟いた。
「あー、けど5日前というとちょうど新しい給湯機が設置された日だな」
蓮は目を見開くと
「新しい給湯機」
と言い
「室外機見せてください」
それから
「風呂の入っている時間は?もしかして8時ぐらいですか?」
と聞いた。
男性は驚きながら頷き
「あ、ああ」
8時に風呂の湯を張るようにセットして
「帰ったら最初に風呂に入るようにしているから」
と告げた。
蓮は「失礼!」と男性の横を抜けて中に入るとベランダへと出て早坂さなの部屋側に設置されている室外機を見た。
今は止まっている。
蓮は驚いて追いかけてきた男性を見て
「今から8時に湯を張るのと同じことをしてください」
と言い惣を見ると
「鷲尾さんは早坂さんの部屋へ行って先ほどの音がするか聞いて来てください」
と告げた。
惣は踵を返すと
「わかりました」
と立ち去った。
男性も慌てて
「は、はい」
と風呂に湯を入れ始めた。
瞬間に室外機と壁の間でハウリングが起きてキーンと耳鳴りが響いた。
輪廻は蓮を見ると
「この、音」
と呟いた。
蓮は頷いて
「この設置方法が原因だったんだ」
と告げた。
そして、中へと入ると男性に
「あ、もう止めてもらっていいです」
と声をかけた。
輪廻と共に隣の早坂さなの元へ戻り惣とさなに
「どうです?」
と聞いた。
さなは頷いて
「これです」
と棚を見た。
グラスがもう一つ割れていたのである。
蓮は笑みを浮かべると
「原因は隣の部屋の新しい給湯器の室外機です」
と言い
「対策としては設置場所の変更か室外機に防音設備を付随するかです」
と告げた。
惣はそれに
「そちらに関しては私から報告して対策を取ります」
とさなを見た。
蓮は笑みを浮かべ
「よろしくお願いします」
と告げ、さなに
「この件に関しての報告書は作成してお渡しします」
と告げた。
さなは頭を下げると
「本当に、本当にありがとうございます!」
と答えた。
蓮と輪廻は笑顔で鷲尾の車で早坂のさなのマンションを後にした。
惣は運転をしながら
「土方様、今システムから『最上級探偵レベル2』の報告が来ました」
と告げた。
蓮は安堵の息を吐き出すと
「良かったぁ」
とバフっと後部座席で背凭れに身体を預けた。
同時に
「今回は事務レベルを上げる時に知ったことが役に立ったけど…」
と目を閉じて
「探偵として問題を解決するって知識が必要なんだな」
と呟いた。
輪廻はそれに隣で座りながら
「大丈夫、知識を応用する」
蓮は出来る
「探偵、できる」
とにこっと笑みを浮かべた。
蓮は笑みを浮かべると
「ありがとう、輪廻ちゃん」
と答えた。
誰かの為に動いたことで救われる人がいる。
そして、共に良かったと喜べる人がいる。
不思議な感覚であった。
胸の奥にほわりと温かい何かが沸き起こり身体を包み込むのだ。
初めての…経験であった。
しかし、名探偵のレベリングはまだ始まったばかりであった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。